プリンと十字架。大前萌菜の悩み(1)
大前萌菜は都内の小学校に通う十歳だ。彼女には友達ができない悩みがあった。理由は明白で、鏡に映った自分の髪を見つめる。
ちょうどトイレに入ってきた同級生が眉を顰めて、避けるように通り過ぎていく。小学生の癖になんていう髪色をしているのだと言いたげだ。街角で変質者を発見した時と変わらないような態度で、昔はよく傷ついたが徐々に慣れ、場合によっては睨みつけることもあった。
両親共々、髪を地毛とは違う色に染めており、萌菜も当然のように金色に染色した。五歳の時だった。
「変わった髪色だね。パパかママは外人さん?」
初対面の人にまず言われるセリフだ。萌菜はうんざりした気分で首を振る。両親は純然たる日本人で、二人とも地毛は黒色である。
染めていることがわかると、殆どの大人は怪訝そうな顔をして離れていく。同級生の親たちが「あの子には近づかないように」と囁いているのが何度も聞こえた。
最初は仲良く遊んでいても、親たちの放つ言霊で友達候補たちは去っていた。性格ではなく、染色しているという事実一点だけで差別されていると、萌菜は感じていた。
髪の色を変えて何が悪いのだろうかと、萌菜は思う。私には『人格も権利もある人間だから、染める自由がある』と親が教えてくれた。自分たちは悪くなく、これを認めない国や環境が悪いのだと叫びたい。
クラスメイトの男子は萌菜に『プリン』という渾名をつけて馬鹿にしていた。染色から何日か経つと、地毛の黒色が出てきて、プリンのように見えるからだという。プリンなら天辺は黒ではなくて茶色だろうと、男子たちの浅はかさに萌菜は嘆息した。
去年の運動会は、金色に染毛するだけではなく、エクステーションをつけて更に派手にした。同級生の親たちから白い眼で見られていたが、両親も萌菜も気にすることなく運動会に参加していた。
「ちょっと、大前さん。やり過ぎじゃないですか? TPOというものを考えて、もう少し周りにも子供の教育にも配慮したらいかがですか」
運動会の昼食中、PTAの偉い人だというオバさんが注意した。萌菜の母親は聞く耳を持たず、「うちらの自由だろ」と突っぱねた。萌菜自身もこれが正しいと思っている。
「折角の運動会なんだから、主役だから目立たないとな」
萌菜の両親は、地味な見た目の同級生を揶揄していた。
運動会に限らず、他のイベントや参観日など、同級生の親たちは日増しに冷たくなっていた。もちろん、仲良いと思っていた友達も離れていく。
萌菜たち家族を受け入れてくれるような人たちはいない。それは教師も例外ではなく、萌菜の染色にはいつも顔を歪めていた。
過去の出来事を思い返しながら歩いていると、萌菜は帰宅する道を間違えたらしく、見覚えのない裏路地に迷い込んでいた。
「どこ、ここ?」
萌菜はすっかり狼狽し、小走りで道を進む。正しいルートから益々離れたようで、泣き出しそうになる。
「お嬢さん、大丈夫?」
小太りの男が声をかけてきた。夕焼けが逆光になり顔は判別しにくいが、おぞましい表情をしているように感じた。
「大丈夫です!」
萌菜がその場を走り出すと、「待って!」と男が追いかける。
(あんな男に捕まってりょうじょくされるのは嫌だ)
母親の「あんたは可愛いから、変態に捕まって陵辱されないように、帰り道は気をつけなさい」という言葉を思い出した。あの男は変態で間違いないだろうと、萌菜は全速力で逃げていく。
ほどなくして、道は突き当たりになった。萌菜は意を決して、近くの建物に入る。住人に助けを求めようという算段だ。
「いらっしゃいませ」
透き通った声で萌菜を歓迎する挨拶。
萌菜は呆然と声の主を眺めていた。今まで出会ったことのないような透明感のある美少女に目を奪われていた。年齢は自分よりも少し上の中学生くらいだろうかと、萌菜は思った。
「どうしました?」
美少女が尋ねた。
「あの、実は、いま、変態に追っかけられていて」
萌菜が説明をした刹那、
「ちょ、ちょっと待ってよ」
情けない男の声が背後から聞こえた。さきほどから萌菜を追いかけていた小太りの男だ。滝のように汗を流し、彼はしきりにハンカチで汗を拭いている。
「ひい。この男です」
萌菜は美少女の背中に隠れた。
「あらあら。あなたは、いつから、小学生を追いかける変態になったのかしら」
「ご、誤解ですよぉ」
男は困り顔で言った。
「えっ。おねーさん。この男と知り合いなんですか?」
「そうよ。この店の従業員の細川太よ。こう見えて、無害な男だから安心して」
美少女が笑みを見せると、萌菜は安堵して尻餅をついた。
「よ、よかった……」
「ちなみに、私は羽織纏という名前です。よろしくね」
纏はしゃがみ込み、じっと萌菜の顔を凝視した。なんだろうと考え、こちらの自己紹介をしていないことに気づく。
「私は萌菜です。大前萌菜です」
「そう。萌菜ちゃん。よろしくね」
「あのぉ、ここって、なんのお店?」
萌菜は恐る恐る聞いた。店内は小学生には理解できない骨董品の数々が陳列されており、異様な雰囲気を醸し出していた。
「ここはお悩み相談所です」
「お悩み相談?」
「そうね。悩みを抱えた人がいれば、無料で秘密道具を貸してあげているわ」
「ド○えもんみたい!」
萌菜は目を輝かせた。纏は穏やかに微笑み、聞く。
「萌菜ちゃんは、何か悩みはあるかな?」
「悩み……」
萌菜は八の字を寄せた。あるといえば、友達ができないことが悩みだ。しかし、そんな相談をしていいものかどうか迷っていると、纏は見透かしたような面持ちで言う。
「なるほど。その様子だと、何か悩んでいるようね。――太、例のものを持ってきて」
「はい。只今」
纏の指示で太は奥の部屋に行き、ガサゴソと何かを探し出してきた。
「どうぞ」
萌菜の前に置かれた品は、一見するとリコーダーのように思える。穴の数も位置も同じだが、口をつけて吹く箇所が特殊な形状でマウスピースに似ている。
「これは……?」
不審そうな目でみる萌菜に対して、纏は説明を始める。
「このリコーダーのようなものは『コリコリダー』です。これで音楽を奏でると、それに沿った願いが叶います」
「願いが叶う……」
「ええ。そのためにはオリジナル曲を演奏する必要があるの。でも、小学生でも簡単に吹けるものだから問題ないわ」
纏は手に持っていた楽譜をテーブルに置いた。曲は長くなく、八小節ほどの楽譜で、それが七枚ある。
「どれがいいかしら?」
纏が聞いた。
萌菜は左から順番に楽譜に目を通す。一枚目は『恋愛』、二枚目は『信念』、三枚目は『友情』、四枚目は『家族』、五枚目は『仕事』、六枚目は『経済』、七枚目は『幸運』と曲名が書いてある。
萌菜は三枚目の『友情』の楽譜を手に取り、
「本当に願いが叶うの?」
と言った。
「もちろん」
纏は首肯する。
「その曲に沿った願いが叶う。『恋愛』なら好きな相手と両想いになり、『幸運』なら宝くじが当たる。萌菜ちゃんが今もっている『友情』の楽譜を演奏すれば、かけがえのない親友ができるかな」
「じゃ、じゃあ、この楽譜を持っていく……」
「どうぞ。明日の朝にでも、吹いてみるといいわ」
纏は蠱惑的に笑った。
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