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春風はやがて  作者: 海凪 悠晴
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卯月の章(四)

 入学式の翌日からの国語・数学・英語の新入生学力テストをも含む二日間のオリエンテーションの日程が終わり、更に土日を挟み、翌週の月曜日になった。四月十三日月曜日。この日の一限からようやく授業が開始される。


 月曜日の一限目は化学だ。記念すべき高校最初の授業、担当はクラスの担任でもある飯泉先生である。新しい教科書、そして理科といえばカラフルな参考資料集。夏樹は飯泉先生の板書をよく見ながらノートを取っていく。飯泉先生は途中で手を止めて警告する。

「僕は割と丁寧に板書するほうなんですが、先生によっては板書をほとんどしないで授業を進められる先生もおられますので注意するように」

 中学時代はノート作りに関しては得意で、褒められることもよくあった夏樹。だが、中学まではどの先生も丁寧に板書してくれたからこそだ。これからに、ちょっと不安を感じる。


 更にしばらく授業を進めるうちに、飯泉先生が言う。

「化学ってね、『ばけがく』と読むこともあるんですよ。もちろん正確な読み方じゃないんですが、どうしてこういう読み方をするのか。どなたか分かる人はいるかな」

 夏樹はその理由を知っている。やはり手を挙げるのはためらわれるが、ここは思い切って。

「おお、手を挙げている君は……、ん、折原というのか。じゃあ、折原。君の意見を言ってみなさい」

 座席表を確認しながら、飯泉先生がクラスでただひとり挙手している夏樹を指名した。

「はい、ええと……、自然科学の『かがく』と紛らわしいからですね……。それと区別するため、です」

 ちょっと、いや、かなり緊張しながら夏樹は答えた。このクラスで授業中に挙手して発表した者、第一号だ。

「正解です。まぁ、いわゆる同音異義語というものですね」

 その後の残り半分ほどの時間は、坦々と授業が進められていく。純物質と混合物とはなにか、単体と化合物の区別はどういったことか、など。第一回なので極々簡単なことからの説明だ。でも、これからの道は長く険しい。三年間ずっと学んでいくのだから。もちろん化学だけではなくいろいろな教科を。


 一限が終わった休み時間、新しいクラスメイトに声を掛けられた。

「やぁ、折原君だね。君、物知りなんだねー。しかも最初から挙手するとは勇気あるなー。それでこそのZ高校生なのかもしれないけど」

 この男子生徒は橋本(はしもと)という。今どき牛乳瓶のような眼鏡がトレードマークの彼も化学とかが好きらしく、「ばけがく」という妙ちきりんな読み方をする理由を知ってはいたけれど、挙手する勇気はなかったとのことだ。

「う、うん、僕も理科とかはとくに好きだったし。化学もよく勉強していたから、知っていたことなんだ」

 そう答えた夏樹に対し、橋本は言う。

「僕は中学のとき、科学部だったんだ。ばけがくじゃないほうの科学ね。物理も生物も地学もやってたから。だけど部員が少なくってさ、しかも同じ学年では実質僕ひとりしかアクティブな部員いなかったんだわ。でも、この高校では理科系の部活はそこそこ盛り上がってるらしいから一緒に入らないかな?」

 夏樹も自らの中学時代を思い返す。コンピュータ部だったのだけれど、橋本の科学部と同じく、ほぼ夏樹ひとりで活動していたのは同じだ。

「うん、僕も文化系だったんだ。運動とか苦手だから。中学校ではコンピュータ部でプログラミングとかしていた」

 夏樹がそう返した。

「へぇ、折原君はどちらかというとそういう系統なんだ、……あっ、もう時間だね。では、また」

 橋本がそう話していたあいだに二限目の開始のチャイムがもう鳴ってしまった。そそくさと席に戻る橋本であった。


 二限目は現代社会。学年主任でもある、年輩ゆえの貫禄を感じさせる男性教師が担当する。一限目の飯泉先生の警告どおり、この先生は板書をほとんどしない先生だった。レジュメを授業の最初に配ると、いろいろと難しそうなことを次々に語っていく。キーワードとなる言葉のみをときどき板書するくらいだ。

 その後は三限目は英語のリーディング、四限目は数学というふうに授業が進んでいく。Z高校では数学は二分野に別れており、「数学α」と「数学β」があるとのこと。それぞれ別の先生が担当する。月曜日の数学は「α」のほうだ。明日火曜日は「β」の授業があり、明後日水曜日はまた「α」というふうに数学は原則毎日授業がある。数学だけに限らずほとんどの科目で分野わけはされているのだ。一年生の段階においても、国語なら「現代文」と「古典」、英語なら「リーディング」に「コミュニケーション英語」そして「グラマー」と。もちろん「グラマー」とは英文法のことで、別に体つきのいい女の先生が授業を担当するわけではない。


 はてさて、午前中はなんとかこなせたが。昼休みの終わった五限目が夏樹の難所でもある「体育」の時間である。小学校以来、体育の授業が苦手な夏樹。いわゆる運動音痴というべきか。そもそも集団行動が苦手なタイプの夏樹。「団結」を求められる運動会や合唱コンクールは大嫌いだった。そんなもんだから中学時代にも体育や音楽の成績はよくはなかった。内申書にはZ高校の門から夏樹をむしろ遠ざける要素として書かれていたかもしれない。

 スポーツの中でもとくに団体競技の野球やサッカー、バスケットボールなどはもちろんまるでダメだが、卓球やバドミントンなどは、まぁなんとかというくらいである。


 体育の授業が始まるたびに腕立て伏せ十回、腹筋十回、スクワット十回をして、更にグラウンドを一周、体育館でやる日には体育館を二周。それを三セット行うのがZ高校の習慣である。それが終わると全員が集まって、号令が掛かって、そののち体育の先生に礼をする。体育の授業は二クラスが合同で男女別に行うことになっている。六組は五組と合同で体育の授業を受ける。

 今日の体育の授業。初回なので、そこらへんの説明を受けたあと、とりあえず時間いっぱいまでグラウンドを走り続けろといわれた。それを監督していた体育教師に、途中、「折原! もっと速く!」などと名指しで呼ばれてしまったが、最後のほうには「折原! その調子だ!」と言ってもらえた。持久走のタイムも遅いほうから数えたほうが早い夏樹だったが、団体競技をするよりはまだ走るほうがましともいえる。


 走り続けるだけの体育の授業が終わったあと、六限目は古典の授業。おそらく二十代であろう、かなりの若手でしかも小柄なほうだが、はっきりした鋭い口調で話すその古典担当の教師の名前は有坂(ありさか)文乃(あやの)というらしい。進学校で生徒の学力レベルの高いZ高校にはベテランの教師が多く、有坂先生のような若手の教師は珍しいが、それでかえって新鮮さを感じはする。だが、しかし、クラスのうちのとくに男子のうち何人かはもうへろへろになっているようだ。夏樹もその一人だ。へろへろになっている理由は有坂先生の新鮮さとか魅力とかにではなく、前の時間の体育で走り続けさせられたから、であるが。有坂先生は、やれやれといった感じで初回の古典の授業を進めていく。


 六限目の終了を(しら)せるチャイムが鳴る。ようやく本日の六時間分の授業が終了した。なんとか授業一日目が終わったという感じである。夏樹のみならずクラスの多くの生徒が疲れを感じていそうだ。更にこのあとホームルームの後、掃除の時間が待っている。掃除場所の割り当ては班ごとに週替わりで変わる。非番、すなわち掃除しなくて帰ってもよい週もあるようだ。とりあえず今週、夏樹たちは化学室の掃除当番だ。出席番号順に班を組まれたので長田とも同じ班である。


「折原は部活、何部に入るつもりだ?」

 化学室の掃除をしながら、長田が訊いてきた。夏樹は答える。

「うーん、とりあえず運動部は無理。文化系で」

「俺は野球部に入るんだ。中学でもずっと野球やってたからな」

「へぇ、じゃあ、目指すは甲子園、かな?」

「ははは、この高校から甲子園か。前代未聞のことだな。だからこそ俺たちの代のうちに出場でもしたら金字塔を立てることになるかもしれないな」

「えっ、この学校甲子園に出たことないの?」

「ない、ない。この富山県内にすら常連校が数多くあるというのに、勉強第一のここから出られるもんか」

「へぇ、毎年高校野球に出ているもんかと思っていた」

「ん? なにしろ甲子園に出るためには都道府県の予選で優勝しなければならないだろ」

「へぇ、そうなの? じゃあ、この富山県でいちばんにならないと甲子園に行けないのかな?」

「……おいおい、そんなことも知らなかったのか。夏の甲子園へは富山県から一校。まして、春の甲子園へは北信越の予選で二校のうちまで勝ち抜かなきゃいけないからそれより狭き門だぜ」

 長田とそんな会話を交わしつつ掃除を進めていく夏樹。やがて、掃除が済み、ようやく帰れることになる。

 それにしても、授業初日だけに夏樹も疲れてしまっていた。体育の授業ではずっと走り続けたのだし。部活などを覗いてみたい気もするのだが、とりあえずは今日は帰途につくことにする。自転車にまたがって、家にすぐ帰る夏樹であった。

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