文月の章(三)
その週の土曜日、七月十八日。終業式の日は朝から大雨だった。梅雨の時期も終わりに近づくとこういうことも多くなる。むしろ、梅雨明け宣言の出される直前の大雨はよくあること、といってもよい。その大雨から腫れ物が落ちたかのように急に晴れ渡る空に一変し、梅雨明けとなるパターンとなることも多い。
終業式の式典も終わり、学期末の大掃除も終わり、しばしの「解散宣言」が飯泉先生より出される。いよいよ夏休みの開始だ。長田や橋本などクラスメイトの何人かに、一学期はどうもありがとう、よい夏休みを、と声を掛けて教室を、学校をあとにする。
朝方の雨は帰る頃には、もう上がっていた。まさに傘忘れ日和。夏樹も傘を持たずに一旦学校構外に出てしまい、またあわてて校舎内に戻ってきた。そして傘を無事回収したところで、夏樹に声が掛かる。
「なっちゃん、よい夏休みを、ね」
幼馴染の北村さんだった。夏樹は返答する。
「ありがとう。北村さんも、よい夏休みを」
再び、校舎外に出る夏樹。いろいろと悩みが尽きなかった、そして「五月病」をこじらせかけたりもした。そんな折原夏樹の富山県立Z高等学校での第一学年の第一学期が終了した。まぁ、なんとか終了したというべきであるかもしれない。
夏休みの始まりの空。雲の隙間から太陽が顔を出したり、また隠れたり、と。灰色がかった雲もところどころに見られる。昼前に上がった雨も、またいつ降り出すかはわからない。片手に傘を持っているとはいえど、なるべくならまた雨に降られたくはない。今朝は大雨だったので、蒸し暑い中、傘を差して学校まで歩いてきたのだ。家路を急ぐ夏樹、歩みを進めるに連れて、制服のワイシャツもどんどん汗ばんでいく。
長い夏休み。一学期の遅れを取り戻すために人一倍勉強する。それが「優等生」の座を奪還することへの必要条件であろう。それは今の夏樹に対して教師陣が期待している夏休みの過ごし方、としての模範的な答えであるにも違いない。そもそも、四十日余りもずっと家にいて、勉強以外に何をしようというのだ。
だが、将来のビジョン、つまり目標とすべき未来の自分のすがたというものをぼんやりとでも抱いているのだろうか。それがなければ、いくら勉強ができるようになっても、ただの「優等生」のまま「人生迷路」のどこかで行き止まりに迷い込んでしまうのでは。夏樹は自分自身に対してそのように問題提起をする。
未来の自分のすがたを、カメラの絞り羽根を絞りゆくがごとく決めていく。それは手探りに手探りを重ねて、ときには、というよりしょっちゅう悩みながら、もがきながら、一日一日をおくっていく。思春期にある青年にとってそれは特権であり、同時に宿命である。未来に対するポテンシャルは限りなく大きいと同時に、その大きさゆえに負うものも大きくなってしまうのかもしれない。
結局、梅雨明け宣言が出たのはそれから更に数日後だった。しかし、梅雨明け宣言が一旦出てから更に日が過ぎても、愚図つく日が目立って多かった。晴れ間が差して猛暑を記録する日もありはしたものの。どうも空模様が不安定ですっきりとしない夏。それがこの年一九九八年の夏の天候、その特徴であった。
それはまるで、その年の夏に十六歳という年齢を迎えた、そのときの夏樹の心理状態とも似通っているかのようでもあった。
(結)




