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春風はやがて  作者: 海凪 悠晴
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水無月の章(四)

 やがて、六月も末近くなり、期末試験の準備期間に入る。

 期末試験の始まる前に結城先生とのカウンセリングの予約がある。今の夏樹の状況を話すとその結城先生には、なんと言われるのだろうか。

 もう六月も終わるのに、まだ「五月病」を引きずっているというか、なんというか。


 六月最後の土曜日。半日の授業が終わったあと、寄り道をして帰った。ファーストフード店でハンバーガーのセットメニューを食べて、それから書店へ行くつもりで。もちろん夏樹ひとりで、である。三月の合格発表の日に近所の「竹さん」からもらった図書券で買った数学の読み物の続刊が出たと聞いたので、それを買いに行こうと思ったのだ。

 ファーストフード店。Z高校だけではないのだが、高校生らしき制服姿の人間が客全体の半分以上を占めている。そのうちのほとんど、というか夏樹を除いてみんな、誰かとペア、ないしグループになってはいる。いわゆる「友達以上」だと思われる、男女のペアもちらほらと。

 つまりは、高校生らしき若者の客の中では夏樹だけがひとりで、なんだけれど、別に寂しいとも思わない。むしろ気楽なものなのだ。複数でいるとどうしても相手のことも考えつつ行動しなければいけないのだけれど、ひとりなら自分の思うように行動できるのに、と。まぁ、それはともかく、グループのみんな揃って同じメニューを注文するとかはどうなんだろう。いくら仲良しでも本当に食べたいものぐらい違うだろう、などと夏樹は思う。それにしても、ハンバーガーにかぶりつきながら、フライドポテトをつまみながら、そしてアイスコーヒーをすすりながら、これから買いに行く本のことを考えると、何とも楽しみな気分の夏樹であった。


 それから書店へ向かう。ファーストフード店の駐輪場を出て、更に自転車を飛ばす。梅雨明け宣言はまだまだだろうけれど、七月が来るのも近い。そろそろ蝉の鳴き声がそこたらじゅうから聞こえるようになるだろう。もう少ししたら真夏になるのだ。梅雨の合間の晴れ間の日差しがまぶしい。早くも三十度に届きそうな蒸し暑さである。夏樹は汗ばみつつも、ペダルに力を入れる。

 そのうちに書店に着く。駐輪場に自転車を置く。ここM書店もそうなのだが、最近は書店というものも大型化が進んできた。個人でやっているような小さな書店はもう見かけなくなっているが、図書館ともいえる規模の大型書店がこの富山でもちらほらと出来、いろいろな本がすぐに買えるようになった。財布の中には竹さんからの図書券もまだいくらか残っている。思えば高校に入学して三ヶ月、勉強しなくてはいけない身分である高校生であるにも関わらず、学校指定のもの以外で、個人的に本を買うようなこともなかった。図書館に行った覚えすらもない。もちろん学校にも図書室はあるし、学校の近くにも公立の図書館が存在するというのに。精神的に余裕のなかったことも相まって、学校と自宅との往復だけの日々ではあった。


 店の中に入って、数学書のコーナーへ向かう。いろいろな数学の専門書が所狭しと並べられている。背中に書いてある書籍のタイトルだけ見ても、高校一年生の夏樹には何が書いてあるのか、想像もつかない。数学という学問に対して夏樹は、はるか雲の上にまで届くような高い高い、無限に高い塔のようなイメージを抱いている。

 夏樹の欲しかった新刊は目立つように平積みされていた。数学書としてはかなりの人気の本なので、店員さん直筆の推薦メッセージのポップと共に何冊も置いてある。手に取って立ち読みでもしようかと思ったところで、夏樹の後ろから声が掛かる。

「あれっ? 折原君じゃないか」

 振り返ると、牛乳瓶眼鏡の橋本がいた。橋本はもう二人男子生徒を連れていた。その二人に夏樹のことを紹介する橋本。

「こちらの彼は僕と同じクラスの折原君だよ。彼は帰宅部だけど、数学とか得意なんだ」

 数学とか得意。夏樹は自分自身を怠け者の高校生だと思っていたし、周りからもそう思われていると思っていたのだが、そこに目をつけて紹介してくれたか。

 橋本は、今度は逆に夏樹に対して、他の二人のことを紹介する。

「二人とも僕らと同じZ高校の一年生なんだ。こちらの彼は生物部で二組の堀井(ほりい)君、そしてもう一人は地学部で四組の秋山(あきやま)君だよ」

 新しく紹介された二人とも橋本とよく似た感じである。この場にかたまっている四人の男子高校生の眼鏡着用率は百パーセントである。


 理科系の部活は物理・化学・生物・地学に一応分かれてはいるものの人数はそう多くないので、普段は橋本をメンバーとして含む物理部と一緒くたに活動しているという。

 今日は橋本たちも専門書でも見に行こうと思い、三人でM書店へ来たということである。


 生物部の堀井が言う。

「へぇ、数学が得意っていいな。俺は数学がネックで困ってるんだよ。生物学を勉強するにも、理系の大学に行くには数学ができないとダメだからなぁ。今度、教えてよ」

 続いて、地学部の秋山が。

「地学は我々の学校では開講されていませんがね。地震大国であり、気象も特徴的で多様性に富む、海あり山ありの島国の日本。その国民であり、そこに暮らす我々はですね。地学を学び知る義務があると思うのですよ。義務であると同時にそれは権利でもあります」

 堀井は普通の男子高校生っぽい口調ではあるが、秋山の口調はちょっと変わってはいる。


「期末試験が終わったら、是非僕らの部活にも遊びにおいでね。夏休み中にもたまに部活させてもらえるようだから、そのときでもいいし」

 最後に橋本がそう付け足すと、また彼らは書店内を移動していった。


 そうか、数学とか得意、か。橋本の言葉を自然に反芻する夏樹。確かに数学ならそう悪い成績でもないし、好きな科目ともいえるけれど。だいたい、わざわざ少ない小遣いの中から数学の本を買うためにわざわざ放課後に書店まで来ているくらいだからね。そういう科目があるだけでも、いいことなのかな。そう思う夏樹。

 夏樹は欲しいと思っていた本を一冊片手にとって、レジに向かった。

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