皐月の章(二)
大型連休が明けると、中間試験準備期間に入る。試験初日の一週間前からは部活動も基本的に禁止される。試験勉強に集中せよ、ということである。とはいえど、帰宅部の夏樹にとってはなんの関係もないのだが。
約一週間の日程である中間試験の始まる前日。今日から試験の最後の日までは学校も昼までには終わる。夏樹としては早く学校から帰れるからいいな、と思う程度。帰ってからも試験に向けて最後の追い込み、人によってはただの一夜漬け。それをしなければならないのだけれど。
しかし、天気がいい。五月半ばのこの時期は梅雨入り前の初夏の陽気ともいえる好天が続く時期である。今年も徐々に夏が近づいてくるのだ。夏が来て、七月の半ばを過ぎれば、長い夏休みが待っている。そうなれば、しばし学校から離れられるのだ。これから中間試験ということは一学期も半分終わるのだ。とりあえずは、もう半分の辛抱だと夏樹は気休めのつもりで自分に投げる。まだまだ高校生活の三年間が終わるまでは長い長い道だけれど。
午後一時半になろうとする頃、夏樹は帰宅する。祖母からおかえりの挨拶に加え、今日はえらく早いんだねと声を掛けられる。明日から中間試験だから、と夏樹は答えておく。二階の自室に上がって机の前に向かってもそうモチベーションが上がるわけでもなく。数学や化学なら勉強する気は起こるのだが、国語や英語はもう「捨てて」しまっている、のかもしれない。
英語の教師は大学入試までに五千語を覚えてなおかつそれらを使いこなせるようにならないと碌な大学に入れないぞ、などと言ってくる。五千語か。一年は三百六十五日だから、三年で千日余り。千日で五千語覚えるとなれば、単純計算で毎日五単語ずつは覚えていかなければならないのか。しかも、覚えたものを一切忘れなければの仮定だから、ホント毎日毎日どれだけ覚えればいいというのだ。おまけに、アクセントの位置がどうだとか、そんなことに意味があるのか。昔の学生は辞書の頁を破いて、まるで山羊のように「紙を食べて単語を覚えていた」とかなんとか。それで本当に身につくのであれば、そんなうまい話はないのだろうけれど。
何にせよ、いろいろと気が重い。明日の試験は英語リーディングと現代文、数学βだ。国語についても現代文ならまだいいのだけれど、古文はすっかり遅れを取ってしまっている。例の有坂先生にもあれ以来更に目をつけられてしまっているのかも。
そして、更に二週間後。中間試験が終わりしばらく経ち、五月も月末になった。中間試験の答案はもうすべて返ってきた。数学や化学の試験は九十点以上の成績を収めることができたが、あとはそうも良くない、むしろ悪い。さすがに初っ端から赤点なんてことはなかったんだけれど。
試験の返却後には、国語や英語の教師からは「なんで折原は数学はちゃんとできるのに、語学は手を抜いてしまうのかな」と釘を刺されることさえあった。高校生のうち、しかも一年生の初っ端から教科によって偏って勉強するのは良くないとも言われた。それが進路を狭めてしまう羽目にもなるらしい。「折原はやればできる子なんだろうから、これからは全科目満遍なく力を入れていきなさい」と担任の化学の飯泉先生からも指導された。国立大学を目指すとなれば国社数理英全ての学力が問われることは夏樹も知っている、知っているのだけれど。もうすぐ五月も終わるのに、四月中から「発症」している「五月病」、まだ治っていない。それどころかこじらせているような気さえ夏樹はしていた。
「受験戦争」なんてさえいわれるけれど、戦争って。そんな争いに参加するのは真っ平なハナシだと「平和主義者」の夏樹は思う。それも結局目の前の現実から逃げたいだけだから、そのための言い訳なのかもしれないが。




