第十一話
はっきりと覚えている最古の記憶は、凄惨な殺人現場だ。
ぐちゃぐちゃ、べきべき。
人が人を殴打して殺害するような罪深い内容ではなく、強力な力を持った魔物が村を襲ってきて、人を貪り食べている光景。不愉快な音と共に引き伸ばされた皮膚、噛み砕かれた骨、ボタボタ口から零れ落ちていく血液。
弱肉強食の自然の摂理────それを何度も大切に語ってくれた両親が、動かぬ死体となって貪られている、その光景。
それを見て何を思っただろう。
なんだかどうしようもないくらいに切なくて、死んだ生き物が動くことは無いという事も知っていて、それが……悔しかったような気がする。
その理由はもう、思い出せない。
◇
空へと飛び上がり炎を展開する。
戦場を移さねばならない。
少なくとも大地で継続してはいけない。私達の火力だと街の一つや二つ簡単に消し飛ばせる上、比較的近くで戦闘をしているルーチェさんは氷と水属性を操る。
流れ弾一つで向こうに不利を押し付けてしまう恐れがあった。
「──……来てくれますか?」
不安を抱きながら眼下を見下ろすと、そこには変わらず真っ直ぐに私のことを見つめるお師匠の姿。
意志はない。
人格はない。
生命もない。
そんな姿に成り果てて、それでも私の事を見続けてくれる。
腹立たしいような嬉しいような、よくわからない感情が心の内を満たした。
「────紅蓮」
焔が身を焦がす。
身体すらも魔力に変換して破壊に特化させたのが、この魔法。グラン公爵家を最強に至らせる為に何世代もかけて開発された最高傑作だと皮肉げに語った貴女の顔。
それを受け継ぎたいと言った時の、嫌悪の表情。
「──紅蓮……!」
背から羽ばたく翼を生やし、更に空高くへと舞い上がる。
障壁があるが故に限界があるけれど、少しでも空という舞台で周囲に見せつけなければいけなかった。
薄暗い障壁の中を照らしつけるように、両腕に溜め込んだ魔力を圧縮。
爛々と輝く焔へと変換し一つの火球へと形を変え、人間一人を破壊するには過剰なほどの威力を撒き散らすであろうソレを────空に向かって撃ち出した。
「紅蓮!!」
紅蓮は紅蓮であるということそのものが必殺。
あなたはそう言った。
私はそれに対して、その通りだと感じた。
通常の火属性魔法とは違い爆発を含むこの魔法は、一撃一撃を必殺とするだけの威力を有している。その代償に消耗する魔力量は比べ物にならないくらい多く、私が持っていた魔力量が尋常ではなかったからこそ適性があった。
そして────こんな魔法を使う機会がない時代にしたかったと、あなたは切なく言った。
空中で弾け飛ぶ火球。
まるで花火のような鮮烈な散り方、降り注ぐ小さな焔、綺麗で華やかな燃え尽きる姿。
精神的に限界まで追い詰められ爆発し、二度と元には戻れないとすら言われていた私にたった一度だけ見せてくれた美しいもの。どんな魔法でも使い方次第で人の役に立てると言ったあなたが、唯一蔑んでいた己の魔法。
……手向けとして送るには貧相な一撃。
でも、どうしてもこれだけはやっておかなければいけないと思った。
何もない、お師匠の姿をしただけの魔力の塊が相手でも──この首都で亡くなったであろうあなたに向けた鎮魂歌。
私はトラウマを乗り越えた。
過去を全部背負い込んで、これから続く永い生涯を生き抜くという宣誓。
あなたが抱いた失敗を糧に、間違えることがあってもそれを正して見せるのだと。
煮えたぎるくらい高まった魔力が身体中を駆け抜ける。
どこぞの紫電を操る彼ら彼女らのような速さはないけれど、泥のように重いこの炎は決して途絶えることはない。ぐつぐつと臓腑を湧き上がらせるのとはまた違う、ギラギラとひしめく己の最内。
脳裏にふと思い浮かべたのは、あのトーナメントで垣間見た彼の強さ。
…………ああ、なるほど。
どうして彼があんなにも頑張れるのか。
どうしてあれだけ文句を言っておきながら、決して折れることを選ばないのか。
なんとなく理解はしていたけれど、それで命を失ってしまうなんてことは起きてほしくなくて、己の感情に従い生き残るように言い続けたのに────今になって納得した。
「…………負けたくない」
お師匠の姿をした魔導の怪物がその手を揺らす。
ゴバッッ!! と轟音と共に打ち上げられた紅蓮がこちらに飛んでくる。
そこに躊躇いは一切なく、かつての見せてくれた全力の一撃というものには縋ることがなくても、容易に山河を打ち砕くであろう火力を有しているのは見間違いようもない。
それに対し私は、正面から紅蓮を叩き返す。
余波が広がりすぎないようにシャープに、地面を穿つことがあっても地表を灼くことはないように、全身に漲る魔力を変質させた紅槍で。
叩きつけるような衝撃が響くけれど身動き一つ取らず、ぶつかり合う紅同士を睨みつける。
「……負けるわけには、いかない!」
やがて膨張し、閃光と爆発が障壁内を満たすよりも先に──紅蓮を用いて生成した炎の障壁が、私とお師匠以外の全てを遮断する。
繰り返し反芻する衝撃が煩わしい。
相変わらず地に足つけたまま私のことを見上げるその姿に僅かに苛立ちを感じつつ、これで正解だと勘が告げていた。
「誰にも邪魔はさせません。私の魔力が尽きるまで、もしくはあなたを燃やし尽くすまで──存分に灼き合いましょう」
背に生えた翼が揺らめく。
紅蓮を爆発させることでその衝撃を利用し高速で移動する。
座する者という超常の存在になったが故に使用可能になった離業を惜しみなく使い、先手を狙った。
(まずは動く、そして動かす!)
火力だけならば確かに負けないかもしれない。
全力の撃ち合いならば、その一瞬競り勝つことだって出来るかもしれない。
(長期的な撃ち合いになれば敗北が決まる、そうはさせません……!)
自覚したことのないような闘争心が湧き上がりながらも、勝利条件は決して見失っていなかった。
目的はこの戦いを収束させること。
大目標としてロア・メグナカルトの勝利。
小目標に人型の撃破があるだけで、私がここで完全勝利を収めても大局には響かない。
いまだに余裕綽々と言った様子で佇むその眼前に着地するのと同時に爆発を引き起こす。
「これなら────」
幾重にも重ねた紅蓮を解き放ち、炎の障壁の内部を破壊で埋め尽くす。
ド──ドガガガガガガッ!!
掘削しているのかと疑うほどの連続の破砕音と飛び散る瓦礫。
どんな生命体が相手でもこの破壊の渦から逃れることは出来ないと確信を抱き、更に追撃を放とうとして────
「────ぐぇッ」
煙幕の向こう側から伸びてきた真っ白な腕が、首を捻り上げた。
ギリギリ締め付ける指が皮膚を破り肉を裂き、骨の一部が悲鳴をあげる。
(ま、ずい…………ッ!)
効いていなかった?
いや、そんな筈はない。あれだけ叩き込めば超越者に傷を負わせることが出来るし、空間が歪むほどの魔力が込められていたとしても打ち砕ける。
なんで、どうして?
両手で腕を掴み必死に力を込めても動かない。
それどころか徐々に力が増していき、ずぶり、と肉に埋められた指が骨まで断ち切ってやろうと侵入してくる。
「ぐ…………が、ぁッ……!」
殺される。
死んでしまう、ここで死ぬ。
行き渡らなくなった酸素が欲しくて必死に息を吸い込もうとして、情けない音を立てながら魔力を練り上げる。
息ができない。
苦しい、痛い、怖い。
口から流れ落ちて、頬を滑り落ちていく液体の感覚だけが妙にリアルで気持ち悪い。
明確に迫ってきた死の恐怖を抑え込んで、開いたままで何も吸い込めてない口に魔力を集中させる。
首がへし折られるまで時間はかからない。あと数秒で死が近付いてくる。
────よくもまあ、こんなにも怖いのに……君は頑張ったものですね。
どこかの誰かさんへ称賛を投げかけて、口に溜め込んだ魔力を暴発させる。
刹那、流れ込む激痛。
音も視界も鼻も何もかもが消え失せて、何かが猛烈に痛いと訴えかけてくる感覚のみが脳内を支配する。
でも首から離れた手の感覚に安堵を抱いて、顔と首の治療と並行しながら一歩踏み込む。
「あ゛あ゛ぁ゛────!!」
なんの意味もない叫び。
でも気合は入った。
先程放出したのと変わらない熱量を右腕に籠め、そのまま前方へと振り抜いた。
身体強化・紅蓮・回復魔法。
三属性の魔法を同時に使用して、全てを融解させてやると解き放った一撃が、同じ一手を出したのであろうものと衝突する。
激突した拳が吹き飛び、飛び散った血肉が一瞬で蒸発する。
傷口を焼き焦がす熱量に歯を食いしばって堪えて、回復魔法なんてかけている暇はないと全てを身体強化と紅蓮に変更した。
痛い。
どうしようもないくらいに痛い。
手が吹き飛んでる。顔の一部だって治りきってない。吹き飛んだ口とか鼻は治ったけど多分、頬は削り落ちてる状態。血が流れ落ちる暇もなく蒸発して、その熱が神経を焼き焦がす。
痛いなぁ。
左手に炎剣を握りしめ、首を断ち切ってやると振るったものの効果は薄い。
容易に受け止められた挙句握りつぶされ、生まれた隙を利用して顔に殴打を浴びせられた。
────戦うことは好きじゃない。
子供の頃に両親を喪って、争うことに酷く嫌悪感を抱いている。わかっているんだ、この魔法を覚えようと思った理由は、親代わりになってくれる人に捨てられたくなかったからだって。
両親と周囲の人間を魔物の所為で失った少女、それが私の世間的な評価。
でも、本当は違う。
両親の教えを盲信して、明らかに正気を失っている魔物に命を捧げるように両腕を広げ迎え入れようとして、眼前に迫ってきた巨大な牙を見ても恐怖を抱かなかった愚かな少女。命の重さを全く理解できていなかった、愚鈍な女。
それが、私が下す自己評価。
だけど、そのままじゃダメだってわかった。
私が下す評価はどうでもいい。他人が、国民が、一般人がどう思うか。私がどう振る舞えばお師匠に迷惑が掛からなくて、どう生きていけばあの人に報いることが出来るのかと考えて────私は、私に成れた。
「ぐ、ぎ……!」
奥歯が割れる感覚がする。
痛みが脳天まで突き抜けて、殴打を喰らい後退しそうになったのを咄嗟に抑えた。
前へ進もうとすると、今度は蹴りが飛んでくる。
それを避けられる筈もなく情け容赦ない一撃は顎を蹴りぬき、軽い痛みと意識が薄まるような感覚が包み込んだ。
貴方は張りぼてだと言った。
私がそれを聞いて、どんな気持ちを抱いたか…………わかりますか?
自分自身を張りぼてだと卑下する、『英雄』と二つ名を与えられたあなたになんと思ったか。
一目惚れと言ったのは、決して嘘じゃないんですよ。
──視界が、開けた。
「────紅月!!」
爆炎が灯る。
身の内側から沸々と煮えたぎる業火が溢れ出し、近接戦を主体として繰り出してきた偽物のお師匠を弾き飛ばす。学んだ紅蓮だけでは成し得なかった偉業を成し遂げながら、怪我の一つも治療せずに、一歩踏み出した。
「輝かしくもなく……!」
紅蓮は秀麗だ。
人を殺し戦争で『英雄』になるために作られた魔法を、私は美しいと思った。
「煌びやかでもなく!」
紅蓮は美麗だ。
人の血液を蒸発させる真紅の色は、あの日目前で飛び散った両親の血肉を彷彿とさせた。苛立ちと不快感と共に、それを操る女性の美しさに目を奪われた。
「ただひたすらに紅!」
視界に真紅が映り込む。
傷口全てから噴出した炎を抑えることもせずに、心は真っ直ぐ前だけ見ていた。
それは紅蓮の謳い文句。
ただ人を焼き殺すために在れとかけられた呪いであり、誰よりもお師匠が憎いと思った概念。戦争が起きても人を殺すことでしか抵抗できない己の愚かさを呪い呪われた呪詛。
その何もかもを私は、否定する。
「────そうは、させません……!」
どうして死んだんですか。
どうして死んじゃったんですか。
どうして私を置いて逝ったんですか。
なんで、私のことも一緒に、殺してくれなかったんですか。
ぐちゃぐちゃの感情を全部詰め込んで、真紅の焔が白炎へと変化していく。
死にたかった。
お母さんとお父さんと一緒に死ねればよかった。
あの時、あと一秒でもお師匠が来るのが遅ければ、一緒に死ねたのに。
死にたくなくなった。
お師匠がとてもいい人で、お父さんとお母さんの死に間に合わなかったのが、私が逃げなかったからだとわかってしまった。私が死んだら、この世界にあの二人の愛を知る人がいなくなってしまうから。二人の死が無駄になるから。
死ねなくなった。
私は喜んだ。私はこの世界に二人を刻み込んだ。お師匠の寂しさを少しでも紛らわせられるようになった。紅蓮を継ぐ新たな魔祖十二使徒候補として噂され、少しは恩を返せると思ったから。
お師匠は、悲しそうだった。
そして今、私は────少しだけ、死にたい。
「私は間違えない!」
彼を愛している。
秘密を知った時、何よりも嬉しかった。あなたの張りぼてという意味が理解できて、それでもなお虚勢を張って英雄を貫こうとするその姿勢が、まるで写鏡に映る自分を眺めているようで。
同族嫌悪なんて起きない。
彼は真実、私と同じだった。
誰かのために誰かを演じる、一人の女の子が好きなだけの、男の子。
そんな彼が、私を置いて死んでしまうくらいなら…………
私が先に死にたいんだ。
そうすればきっと、君の心に私は一生刻まれるから。
ステルラ・エールライトがどれだけ好きでも、あなたのために死んだ人間を忘れるような男じゃないと知ってるから。
そう願ってしまう弱い自分を押し込んで、真偽の区別すらつかないくらい身に染みついた『紅月』を被り直して大きく息を吐いた。そこに混ざった焔が喉を赤熱させ、心地よい熱気を感じ取る。
「だから────貴女を殺します」
プラチナに輝く焔が生まれる。
お師匠が変質させることが出来なかった、私にだけ与えられた才能。紅蓮を発展させ新たなステージへと進ませる一手を、幸運にも有していた。
「それが、私からお師匠に送れる最後の愛なので」
貴女が二度と紅蓮を振るわなくていいようにする。
そうすれば、少しくらいは救われてくれますか?
私は英雄じゃないから、人を助けるのは得意じゃないんですよ。
「…………エミーリアの、娘なので」
弾き飛ばしたお師匠の偽物は未だに佇んだままだが、ここからでも感じ取れるくらいに魔力が高まっている。
ぐつぐつと煮えたぎるような濃い魔力。
総合的な戦闘力では勝ち目がないのがわかった。時間稼ぎに徹してもいつかは負けるのも、理解した。それなら下策中の下策で挑むほかない。なぜならば、その下策こそが私にとって最も誇らしい部分なのだから。
両腕に全ての魔力を集中させる。
許容量を大幅に超えて混ぜ合わせる魔力は悲鳴をあげ、いたるところから限界を越えた魔力が溢れていく。
────まだ足りてません……!
この程度で根を上げるな。
お師匠ならば、この程度軽くやってのける。
テリオス・マグナスも、ロア・メグナカルトも、この程度の苦境は難なく乗り越えるだろう。いつまで甘えてるつもりなんだ、ルーナ・ルッサ。
「まだ、まだ足りてないっ!!」
頭の中で何かが張り詰めて、その糸が脆く断ち切られたような感覚があった。
脳が沸騰しそう。
心臓がうるさいくらいに高鳴ってる。
極度の緊張状態に加え、これまで心の内側にだけ押し留めていた感情が堰を切って溢れていく。
それら全てをかき混ぜて、ありったけの魔力を白炎へと。
────ボウッッッ!!
爆音と共に身体から炎が噴出する。
肩、背、腰から突き出た三対の炎。翼のように展開されたそれらを自在に操りながら、久しぶりに味わう全能感のようなものに身を委ねる。
この高揚感はわかりやすい。
脳内で生まれた麻薬のような快楽物質が与えているのではなく、魔力が悦ぶ時にこそ訪れる最幸の瞬間なのだ。
所々破れて不恰好な制服も気にせずに、同じく紅蓮を身に纏い佇むお師匠へと向かい合う。
「…………長くは持ちません。ゆえに、速攻で終わらせます」
炎の障壁を維持する分、ここまで火力で無茶を通そうとした分、それら全部が今になって負債となって襲いかかってくる。
魔力量が多いと言われたって所詮一人分にすぎない。
無限に供給される相手からしたらどんぐりの背比べだろう。
だから、私がとる手段はたった一つだけ。
「あなたが唯一負けたと言ってくれた、全力の炎で!」
六つの翼をはためかせ、先端全てを突き合わせ魔力を集中させる。
紅蓮を越え、白炎を越え、紅月だって越えて────太陽だって呑み込んでみせる極大の炎。
視界全てを埋め尽くすような光を撒き散らすその火球へと圧縮し、その銘を叫んで。
「紅月蝕────!!」
閃光と共に、解き放った。




