第七話
ルーチェ・エンハンブレに才能は無い。
凡人と比べれば優秀とは言える。
それでも時代を象るような怪物にはなれない。
ステルラ・エールライトのような埒外の才も、ルーナ・ルッサのような桁外れの魔力も、ヴォルフガング・バルトロメウスのような強くなる心も、ロア・メグナカルトのような人生を全て賭けられる程の愚かさも、持ち合わせていない。
絶対的な強さを誇る両親から生まれ落ちたが、子が全てを引き継げるはずもなく。
寧ろ引き継いでしまったからこそ、彼女は魔法使いとしては中途半端な実力に落ち着いてしまった。身体強化による物理的な攻撃と、僅かに扱える氷魔法。水魔法に関しては魔力量がネックとなり切り札として扱えない始末。
その事実を受け入れたくなくて、努力を重ねてきても────届かない世界があった。
「…………母様」
息を切らして走り続け、どこにいるのかもわからない母親を探し出して、ルーチェは呟く。
「……驚いた。どうしたのルーチェ、忘れ物でもあった?」
心底驚いたと言った様子で言葉を続ける女性、ローラ・エンハンブレは椅子に座ったまま足を組む。
片方の足が氷で形作られて、神経も何も繋がってないのにも関わらずまるで自分の身と変わらない操作精度。不老になり、魔力で構成された肉体を持つ超越者だからこそできる荒業であった。
「私を連れて行ってください」
「……? どこに?」
話が掴めないと疑問を押し出しながら、ローラは首を傾げる。
その動作一つ一つが、これから言おうとしている事を愚かだと証明するように感じ、ルーチェは瞠目した。
「────戦場に。首都に、私を連れて行って欲しい」
鋭く訝しむ視線へと変化したのを感じ取る。
先程まで走り回っていた影響から流れていた汗はすっかり引き、実の母親と行う舌戦を前に、冷や汗が一筋流れ落ちた。
◇
「やあ、調子はどうかな?」
「ぼちぼちと言ったところです。そちらは?」
「似たようなものさ」
のんびりと休息を取っていた俺達二人の場所に次に現れたのはテリオスさんだった。
金色の髪を整え、整った顔立ちで優しく微笑むその姿は正にイケメン。
正統派な英雄と言った出で立ちである。
「エールライトさんもこんにちは、仲良しだね」
「あっ、あ、はい。こんにちは」
テリオスさんはお前を嫌うような人格してないからキョドらなくていいぞ。
俺を英雄だと褒め称えたうえで、俺の最低な秘密を知っても尚責め立てるようなことをしない聖人だ。テリオスさんこそ俺は英雄だと言い続けてやろう。
ステルラの心配を悟ったのか、苦笑いしながら離れた椅子に腰掛けた。
「俺は君の想い人をとったりしないし、そんなに警戒しないで欲しいな?」
「何言ってるんすか……」
テリオスさんの好みは魔祖だから人格を損なった上位者を好ましく思うのだろう。おや、この文面だけ見れば中々に最悪な性癖をしているように思えるな。
ステルラは可愛いが、シンプルに俺と師匠以外に懐かないし懐く必要も無いと思っている節がある。俺もそれでいいし、ステルラの友人関係が広まるのは嬉しいが異性の友達は本気で作らないで欲しい。俺以外が付け入る隙を絶対に作らないで欲しい。ていうか作るな。お前の人生に男は俺だけでいい。
「君らお似合いだぜ」
「なにを今更。俺はこいつの為に人生賭けて来たんだ、お似合いじゃ無かったら困るな」
揶揄うようにステルラに目を向けてみれば、テリオスさんから俺を庇うように身を乗り出そうとしていた。
何してんの?
「ロアはあげませんからっ!」
「どうして俺が奪われる側なんだ?」
「なんか……なんとなく」
そっか……
確かに英雄的な意味では奪われてもおかしくないかもしれん。
俺はかなり好意的にテリオスさんの事を見ているし、テリオスさんもまた(何故か)俺の事を好意的に捉えてくれているのだろう。あの戦いはそれだけ俺達の間を縮めるような価値があった。
「俺が女だったのならその世界もあり得たかもしれんな。ねえテリオスさん」
「────ああ、そうだね」
「あ、あ……」
ぐにゃあ~~、と歪んでいくステルラを尻目にクスクス笑いを堪えられていないテリオスさん。
グラン兄弟程の悪辣さは無いが、やはりこれくらいふざけてくれる人の方が好ましいぜ。
「ステルラの脳を破壊して遊ぶのもそれはそれで楽しいが、本題に入りませんか?」
「これといった用はないんだけど……」
む?
じゃあ普通に話に来ただけなのか。
「いやまあ、それだけではないんだけどね? ちょっと確認したいことがあったと言うか……」
いまいち煮え切らない回答をする。
珍しくうんうんと唸りながら言葉を選ぶテリオスさんを尻目に、脳を破壊されて歪んでしまったステルラを見る。
ハイライトが消えた瞳で呆然としながら俺を見てる姿は恐怖の対象であるが、ブツブツ何かを言ってる訳では無いのでそこまで重症では無さそうだ。なんで今になっても俺の事を信じられないんだ? この女…………
「その……復活した人達って言うのは、昔の強い人達なんだろ?」
「俺の記憶の限りでは」
英雄アルス、もう一人の英雄アステル、剣聖フェクトゥス、傭兵セドリック、聖女アルストロメリア。
あの時点で俺がそうだと判断出来たのはそれくらいだった。
ていうかテオドールさんは如何して正体わかったんだ。グラン家次期当主だしそこら辺の情報も持ち合わせてんのかな。
「その中だと誰が一番厄介?」
「聖女アルストロメリア一択ですね」
西の地方を治めていたミセリコ王国第一王女、アルストロメリア。
「……英雄たちじゃないんだ。意外だな」
「彼らは勿論脅威ですけど、それ以上にあの聖女はヤバい。人間を辞めてる訳でも無いのに座する者の攻撃を普通に防ぐ障壁張れる女ですよ」
防護という点に於いてあの人を超える人間はいないんじゃなかろうか。
エミーリアさんの爆撃を普通に防ぎきった時は流石の英雄も驚きを隠せていないようだった。
「それの魔力が無限大にあるとかもう考えたくもない。ルナさんの火力で押し切ってもらう、くらいしか思いつきませんね」
「とんでもないな……剣聖ってのはどうかな」
「二刀流のヤバい人ですね。俺は一度も勝ち越したことがありません」
これ結構変な言い方だな。
正確には英雄の記憶にある剣聖フェクトゥスにイメージトレーニングで勝ったことが無いという事であり、決して俺が英雄と同一の存在だから過去に戦った事がある訳ではない。勘違いされてしまう。
「…………傭兵は?」
「諜報特化の人間だった筈です。戦えない訳ではありませんが、アルスよりは二、三段下の実力です」
他にもいた筈だが一瞬の出来事だったが故に全てを覚えられた訳ではない。
しかし一番厄介な連中は割りだせたから十分じゃないだろうか。戦後に死んだ人間で上記五人を超える人は居ないと思う。
「なるほど……」
顎に手を当てて、テリオスさんは思案する。
「……よし。アステルは俺に任せて欲しい」
「…………ステルラに任せようかと考えてましたが」
「君達は二人でアルスにあたってくれ。言っただろう? 俺は『かつての英雄』にはならないが、別の『英雄』を志すのだと」
ヒュ~~~~……
ま、眩しい。
茶化してる訳では無いが、やはりテリオスさんこそが英雄と謳われるべきである。
そもそも俺も貴方もスタート地点は同じなのだ。
互いにたった一人の人間の為に英雄となる事を選んだ。俺は英雄などと崇められなくてもステルラさえ生きていてくれればそれでよかったが、貴方は魔祖が泣かないように英雄に成る必要があった。
「この戦いを終結させるのは君だ。この戦争を終結させる新たな『英雄』は、君が成るべきだ」
「そう言ってくれるのは有難いが……」
「俺は時間があるからね。百年後でも名を挙げるのは遅くない」
別になりたいわけじゃないんですけどね。
ならなくちゃいけないっぽいから功績を挙げることを狙っているだけで。
その旨を告げるとテリオスさんは苦笑いしながら、「君らしい」と呟いた。
「かつての英雄も、そんな想いから戦うことを選んだのかな……」
問うような口調ではなかった。
どちらかと言えば自責に近いと思う。
彼は、そうだな。
俺のような感情から始まったわけじゃない。
多分彼は底抜けのお人好しだったんだと思う。他人が苦しんでる姿が嫌いで、幸福が周りに集まっていてほしい。その対象に自分がない矛盾を孕んだ、ある種狂った価値観を抱いた男。
自分が不幸を背負えば世界は平和になるのだと、本気で言い放てる人だ。
「…………あの人は、そんなんじゃないですよ」
狂った男。
以前話したように、それに尽きる。
「正しい方向に狂ったから彼は英雄になった。それを基準に考えるのならば、狂えてすらいない俺達の行き着く先は果たして……なんでしょうね」
正義に狂えなかった。
俺は誰よりも自分が大事で、その大事な自分が何よりも大切だと思う僅かな人だけを両手に抱えている。
大切な人間を救うために戦う必要があったから【英雄】などと呼ばれることを許容した。
「いやぁ、君は結構狂ってるぜ。俺が保証しよう」
「全然嬉しくないが?」
「普通は一人の女の子のためにそんな苦しまないからね……」
それくらいしかできる事無いしするだろ。
ステルラに同意を求めようとしたが、コクコクと力強く頷いていた。むかついたので叩いた。
「それにとっておきの一撃ってアレだろ、寿命を魔力に変換するやつ」
「は?」
「……えっ」
なんでバレてんの?
テオドールさんが伝えたのか?
いやでも、あの一瞬でそこまで理解が及ぶものではない。生命力全てを魔力へと変換し攻撃に充てる一撃必殺、現代に伝わっていない訳ではないけれどその存在はあまり公に明かされていない。
長年英雄に関しての資料をかき集めていた俺が言うのだ、間違いない。
ではなぜテリオスさんが知っているのか、という話なのだが……
「たった数年だけど、俺は君より年上だ。年齢を重ねていると言うことはつまり、その分経験を多く積んでいると言うことで────要約すると、それに手を出したことがあるからだね」
「それ魔祖さまに死ぬほど怒られませんでした?」
「死ぬ前に座する者に覚醒したからセーフだ」
なんだこの才能お化け……
心底震えて恐れを抱いてしまった。
俺は現代に生きる人間で最も才覚があるのはステルラだと言い続けてきたが、ここでその絶対的な法則に揺らぎが生じた。
この人は化け物だ。
今それを確信した。元々恐ろしい怪物だとは考えていたが、その想像ですら温い。
「あの時はやばかったなぁ。テオの黒炎が想像よりも厄介でさ、長期戦になれば不利になるのはこっちなのに三日位戦い続けてたからね。最後に全部搾り出そうとして間違って撃っちゃったんだよ」
やば…………
師匠、どうやら貴女はまともな人だったようです。
友人との戦いでガチガチに命すら投げ出してしまう狂人が現代に生まれてしまった事実を胸に受け止め、師匠の評価を上方修正した。
それと同時にテリオスさんのまとも度を下方修正した。
「……ごめん、話を戻そう。俺は言いたいのはね、メグナカルトくん」
「ロアで構いませんよ」
「…………そういう所だぜ。ロアくん、命を投げ捨てるのを俺は止めない。止める権利もない」
そりゃそうだ。
テリオスさんの立場からすれば、英雄を抑えると豪語しているやつの切り札が自爆技だったとしても、それで本当に英雄を倒せるのなら止める訳がない。
私情を込みにすれば止めてくれるだろうけど、そうはいかん。なんてったって大陸の危機なのだから。
「現に一度放り投げてる俺が言えたことじゃないしね。それをきっかけに君が覚醒する可能性もある」
「そう上手くいくとは思いませんけど」
もしそうならさっさと覚醒して欲しいんだが?
いつまでもないものねだりはしたくない。
「でもまあ、そうだな。君が死んでも守りたいと思う相手が、黙って守られることを良しとするかは別問題だ」
……………………痛い所をついてくる。
「俺は止めない。ただ、君がどうしても守りたいと思う彼女が黙っているかは、わからないよ」
そう言って立ち上がり、テントから出ていく。
色々衝撃発言をしてくれたのだが、一番最後の言葉が一番厄介だった。
「…………ロア」
「どうした」
ステルラと顔を合わせないように地面を見つめる。
「結局聞きそびれてたけど────そういうことなんだよね?」
「…………ああ」
有耶無耶に出来ないかと黙っていたんだが、それを察したのかテリオスさんにバラされてしまった。
全く、善性の塊のような男だ。
「俺は命を犠牲にしてでも勝つつもりだ。師匠を死なさないために、お前が死なないように、俺自身の命を対価に勝利を得るつもりでいる」
その瞬間まで黙っていたかったがそれは敵わなかった。
嘘をついても見抜かれるだろうし、ここは正直に答えるしかない。
「なんと言われても曲げるつもりはない。俺はお前を死なせないためにここまでやってきた。この大陸の未来も、統一国の行方も、十二使徒たちの因縁だって本当はどうだっていい。ただ一つ、お前と師匠だけがいればよかった」
いつの間にか抱え込んだものは増えたが、それはそれ。
「お前が俺に死ぬなと願ってもそれを守れるとは言えない。悪いな、ステルラ」
改めてステルラへと目を向ける。
しっかりと俺を見据えて、珍しいことに、なんらかの意思が瞳に宿っているように見えた。
「…………そっか……」
それきりステルラは静かになり、およそ十分ほど無言で過ごした。
悪い気分ではなかった。
それどころかむしろ、どこか解放されたような気持ちだった。
生まれ落ちて数年で抱いたこの目標を、とてもいい形とは言えないが、それでもやっと迎えられたのだ。失敗すれば全てが崩壊する最悪の盤面でもなお、やっとこの場所まで辿り着いたのだという実感がある。
最悪な人間だからな。
世界が平和でなくなったことよりも、俺の人生が無駄じゃなかったのだと少し安堵してしまった。
「…………うん、決めた!」
俺が胸中で気持ちの悪い独白をしていると、ステルラが立ち上がり大きな声で言う。
幼い頃に何度も見た。
明るくて元気で、天真爛漫という言葉がよく似合う大好きなお日様。俺の事情など知ったことかと言わんばかりに俺を連れ出し、苦しみへと導き続けた諸悪の根源。
「ロアは私を守ってくれる?」
「ああ。傷一つ負わせない」
「師匠のことも救ってくれる?」
「ああ。完膚なきまでに」
「なら────私がロアを守るよ」
……………………そうか。
「宣言する。誓ってもいい。誰にも負けないって誓って、これまで有言実行してきたんだから──ロアを守ることくらい簡単だもん!」
「お前俺に喧嘩売ってる?」
「ち、ちがわいっ!」
「其方が喧嘩のつもりでなくても此方は喧嘩だと受け取ることもある。いい経験になったな」
「ちょ、ちょっと待ってロア! 言い訳を、言い訳をさせて!」
「待つわけあるか! ウオオオオオ────!」
これまた珍しいことに。
いつもならば長々と弁明を繰り返す俺の感情は鳴りを潜め、素直に受け取ることを良しとした。
ステルラの宣誓は決して不快なものではなく、なんというか、その……真の意味でやっと互いを理解し合えたのだと悟った。
俺が一方的に想いを抱き続ける訳でもなく、ステルラが一方的に想いを隠し通しているのでもなく、俺たちは今やっとスタートラインに立てたのだ。
それを正面から吐き出すのは少々気恥ずかしく、紛らわせるために飛びかかりしっかりと雷撃を体に刻まれたところで、照れ隠しをしているという事実に気が付き────遺憾ながら、嬉しいと思ってしまったのさ。




