第三話
魔祖十二使徒にネタバラシを行い協力を取り付けた所で、次の問題を解決せねばならない。
俺は自分自身の魔力がカスなので他人の力を借りねばならないのだが、貸してくれてた師匠は現在意識不明である。回復に魔力すら回せないぐらい消耗しているし、本末転倒だ。
問題とはずばり、誰から魔力を借りるか。
これまた難しい話だ。師匠以外の魔力に馴染みはないし、あくまで長年身体に浸透していた師匠の魔力だからこそあれだけ色々無茶が出来た。ぽっと出の他人から借り受けた魔力を上手に扱う自信など欠片も無かった。
「どうしたものか」
大人達は俺を中心とした作戦を煮詰めるらしく、情報を提供したら「心身を休めて来い」と言わんばかりの強制的な締め出しを喰らった。確かに庇護を受けるべき立場ではあるが、こんな緊急事態でそんなことを言い続ける程愚かではない。
まったく、少しは子供を信用して欲しいな?
手持無沙汰となってしまった俺が出来る事は何もない。
メンバーとしてはテリオスさん、ルナさん、ヴォルフガング、テオドールさん、ステルラ、その他諸々。人型を撃破する組と暴れて白い怪物を寄せ集める組で分けて、それと並行して民間人の守りも増強する。
難しい話だが悪くはない。
戦力は相応に揃っているんだ。若い世代だけで超越者が四人もいるなんて、これは大人達の努力の結果だと俺は思う。
決してこの百年は無駄じゃなかった。きっと、エミーリアさんの人生は、無駄じゃなかった。無駄にはさせない。それが、何も伝えられなかった俺が出来る唯一の贖罪だ。
あの人は救われたのだろうか。
最期の最期まで争いの中に身を置いて、その果てに、かつての想い人の形をした無機物に殺されて。
…………救われた筈も無い、か。
「ねえ、ロア」
「なにかねステルラ」
一人シリアスに考え込んでしまった。
そんな空気を払拭するためなのか、それとも単に暇だったから話しかけたのか。どちらにせよ今の俺には有難いタイミングだった。
「その、英雄の記憶があるって言ってたよね」
「ああ。他人だと認識してはいる」
「じゃあさ、その…………師匠のことは?」
師匠のこと。
忘れる筈も無い、あの憎き怪物に手を吹き飛ばされお前が紫電に憧れを抱いた日。思い出せなかった何かを思い出した、運命の日。
「最初はわからなかった。彼の記憶では師匠は子供だったから」
「子供…………」
「ああ、白髪赤目の子供だった上に口調も違った。あんな年上お姉さん感は何処にもなく、英雄に憧れと好意を抱いた少女って感じだったさ」
まさかそれが近所に住んでるとは思うまい。
なんだかんだ世界でトップクラスの実力者だぞ。今の俺が逆立ちしても勝てないし、師匠とタイマンして勝てる生命体は一人か二人だろ。
「俺がそうだと気が付いたのは、あの日だ。お前が拾って来た虹石を砕き中から怪物が溢れて来た、あの瞬間」
「…………そう、なんだ」
歯切れ悪く言葉を終えたステルラを流し見しながら、なんとなく考えていることを察した。
「師匠は俺の記憶に気が付いていたんじゃないかって?」
「……うん」
「それはない」
ステルラ視点から見れば、そう見えてもおかしくはない。
師匠は昔の英雄を知っている。
彼の事をすぐ傍で見続けて、剣技も魔法も戦い方も何もかもをその目に刻み込んだ。それでは飽き足らず届かないながらも剣技を身に修めて見せた。それくらい彼に対して真摯に生きていた。
「あの人は不器用なんだ。俺の事を英雄の生まれ変わりだと思いたくて、でもそれはロア・メグナカルトという個人を亡き者にする行動だと理解している。だから重ねることはあっても同一視してはならないと心に誓いながら、それでも振り切る事が出来なかったんだろ」
記憶に気が付いていた訳じゃない。
でもやっぱり、どこか重ね合わせている節はあった。決して気が付いた訳じゃないのに、ほぼ正解な部分に思考が辿り着き、それだけはしてはいけないと否定した。
真面目で不器用なのさ。
「それに、今なら俺の言葉の意味がわかるだろ。俺は英雄なんかにはなれない、なりたくもない、その言葉の意味が」
「う~ん…………あんまり」
こいつ…………
思わず口元が歪んだ。
「お前に期待した俺が馬鹿だった」
「え、えぇ~……」
何か言いたげな表情でもごもご口を動かして、でも諦めた様に閉口した。
「……………………私にとっては……」
目を逸らして呟いた一言は、しっかりと俺の耳に入っていた。
◇
「無事だったんですね、ロアくん」
師匠の元に戻ってきたら、ある意味一番顔を合わせたくなかった人がいた。
いつもより昏い瞳で、ハイライトなんてとっくに消え失せた絶望の目。
感情を一切表情に出さないが、元来感情豊かであったはずの女性────魔祖十二使徒第三席、紅月のルーナ・ルッサ。
「ルナさんこそ、ご無事でなにより」
こくりと頷いて、彼女は師匠の事を見詰める。
「…………」
「…………」
アルが無言で本を読み、マリアさんが小さな作業音を立てながら机の上で資料を纏め、俺とルナさんの間には不気味な沈黙が訪れる。
「ロアくんは…………」
視線を師匠に固定したまま、ルナさんが呟く。
俺はそれに対して続きを促すような仕草もせず、ただその言葉を待った。
「…………」
しかしその続きが呟かれることはない。
身動ぎひとつせず、呼吸もまったく乱さぬまま、口をつぐんだ。
どうせいずれ説明する事ではあるが、一足先に言わねばならない事がある。特にルナさんにだけは、真っ直ぐに伝えなくてはならなかった。
一息吐き出して整えてから、声色に変化が無いように呟いた。
「エミーリアさんが死んだのは、俺の所為です」
ピクリと、ルナさんが反応した。
でも顔の向きは固定されたままで、彼女らしさは見受けられない。
俺の知っている貴女は感情が無いように見えてどこまでも感情的で、それを上回る理性で色々な事を押さえつけて我慢してきた強い女性。
今は、どうだろう。
「俺を守ったからではなく、俺が重要な情報を抱えていたのにも関わらず、その一切を言わなかったから。こうなる可能性を考えずにまだ余裕はあるだろうと高を括ったのが駄目だった」
それさえなければ死ななかった、とまでは言えん。
それでも少しはマシになる筈だった。地下深くに眠る遺物の存在を示唆し、英雄の記憶の有無を告げ、俺自身の関係性等というものを気にしなければよかったのに。
「俺には……かつての英雄の記憶がある。大陸中で暴れ回り、魔祖十二使徒に手傷を負わせ人々を死に追いやる最大の敵と化したその人の記憶が」
アルが面白そうに喉を鳴らしたものの、マリアさんの拳によって黙る事を選ばされた。
「…………やっぱり、知ってたんですね」
そう呟いて、ルナさんは俺の事を見た。
飲み込まれそうなくらい真っ暗な瞳だった。
太陽の如き紅蓮を身に宿した人が、漆黒に染まりきってしまえばそうなるだろう。月が太陽を蝕む時があるように、今の俺にはそう見えた。
「お師匠のことは、知っていたんですね」
「…………はい。あの時は、嘘を吐きました」
夏休み。
二人きりで出掛けた時に、貴女は俺に沢山の問いかけをした。
半ば確信を抱いていた口振りだった。
「私、言いました。一番最初に教えてくれって」
表情は変わらない。
でも、その瞳には、薄暗い感情が浮いている様に見える。
「…………何を言えばいいのか、私はわかりません。何が言いたいのかも、自分にはわかりません。何が聞きたかったのか、もう、わかりませんから」
正直なところ。
この戦いを無事に終わらせることが出来たなら、おれは、ルナさんに殺されても文句を言うつもりは無い。
死にたい訳じゃない。
でも、それくらいこの人に最低な事をした自覚がある。
幼い頃に両親を失い、その親代わりとして共に暮らして来た大切な人が死んだ。それを未然に防ぐ方法を探せたかもしれない唯一の人物が、僅かなプライドを持っていた所為でそうはならなかった。
ロア・メグナカルトなんて存在はさっさと切り捨てておけば。
「────でも」
そんな俺の思考を断ち切る様に、ルナさんが力強く言う。
「私はロアくんを恨んだりしませんよ」
瞳の昏さは変わらない。
それでも、嘘では無かった。
「今なら、ロアくんが言っていた言葉の意味が殆ど理解できます。張りぼてだと、虚勢だと、偽物だと、そうやって自己否定を繰り返していた言葉の意味を」
俺の手を握って、初めて二人で出掛けた時と同じように体温を確かめる。
温かい。
感情が噴出しないだけで、とても豊かな心を持っている人だとよくわかる。
「────私は、魔祖十二使徒第三席、紅月のルーナ・ルッサ」
チリ、と火の粉が舞う。
「貴方のことが好きです。
それと同じくらいお師匠の事が好きでした。
でも、もうお師匠は戻ってきません。それは誰の所為でもなく、あの人が選択した結果です。だから、だから…………」
涙は流れない。
「ロアくんが話してくれたのは、嬉しいんですよ」
表情に変化はない。
声色も変わらない。
感情に起伏があるのかどうか、今の俺では判断できなかった。
「思う事はあります。でも、決して恨んだりはしません。だって私はロアくんが好きなんだから」
「それは…………どうなんですかね」
「向けられた好意は否定しないでしょう?」
よくわかっていらっしゃる。
俺はこんなにも曇り眼だというのに、ルナさんは俺の事をこんなにも信用していた。
「それに、きっとお師匠は……」
お師匠は?
今、俺が一番聞きたいことだった。
絶対に本人からは聞く事が出来ない、既に終わってしまった過去の話。
俺なんかよりもエミーリアさんの事を理解しているルナさんが語るのならば、それはきっと本当の事なんだろう。
「…………いえ。これは言いません」
「今一番教えて欲しんですが……」
「だめです。絶対にだめです」
怒っている訳ではなく、どこか嬉しそうに言った。
「それよりも────えいっ」
無表情のまま俺の腕に抱き着いてくる。
今更どうしたのだろうか、その程度のボディランゲージで動揺する訳もないが。
ふふんと楽し気に吐息を漏らすその姿は、以前のルナさんと相違ない。辛い気持ちを押し込んで気丈に振舞うその姿が、なんだかイヤなくらい記憶に残った。
「あ、あっ、ああっ……あう…………」
「どうしたお前……」
なぜか隣で呆然とするステルラ。
しかも意味の分からない言葉を発しながら、顔に両手を当てて何かを抑え込む様に呻いた。
「さ、行きましょうロアくん。エイリアスさんなら大丈夫ですよ」
「……どこからその自信が沸いて来たんですか」
「だって、ロアくんが何とかするんですよね?」
おっとそう来たか。
ぐいぐい俺の腕を引っ張りながらテントの外に連れ出そうとしてくる。
思わず力を込めて立ち止まろうとしてしまったが、それを読んでいたのか、ルナさんの力が更に強く籠められた。
「なあ親友。僕は嘘つきで下種野郎だって自覚してるけど、それなりに真摯な気持ちは持ち合わせているつもりだぜ」
「…………知ってる。少なくとも俺よりは嘘つきじゃないだろ」
「重症だねぇ」
そうやって抵抗していた俺に突然言葉を投げかけながら、アルベルトはカラカラ笑った。
「三日は持つんだ。その三日の間で君が全ての因縁に決着をつければいいだろう?」
随分と簡単に言ってくれる。
そんなにとんとん拍子で事が進むものか。
相手はあの【英雄】と、それを支えた偉人達。戦争を生き抜き後世に何かを託して死んだ偉大なる人達が、俺達に悪意を剥き出しにしている。その全てを滅びに向けているんだ。
それを、こんな、魔力の欠片も有していないような張りぼてに簡単に言うなよ。
そうやって卑下したくなる気持ちをぐっと抑え込み、喉元までせり上がって来た否定の言葉も飲み込んで、もう、進み続けるしかないのだと言い聞かせて。
「────当たり前だ。三日もあれば十分すぎる」
そうやって虚勢を張り上げた。
きっとお前には俺の内心など筒抜けだろう。
らしくもなく、苦悩を声色に乗せる俺を見てお前はきっと嘲笑するだろう。
それでも構わない。
お前は人でなしの精神を抱えていて、自他問わない不幸に快楽を見出す男だ。
それでもお前は俺の親友だ。
お前は俺の真実を知って尚、決して【英雄】と同一視なんてしない。俺が今も尚届かない光に目を焼かれているのを知っていて、それを楽し気に見るのだろう。
「お前こそ油断するな。もし師匠の命を落としたら…………」
どうすると言うのか。
俺には師匠の命を維持する事すら出来ないのに。アルベルトが居なければとっくに師匠は死に、俺は色々なものを失った上で最後の戦いに臨んでいただろう。
果たしてそうなった場合、俺は正気で居られただろうか。
「…………呪ってやる。グランも俺も英雄も、全てをな」
静かになったテントの中で響くのは、ただ紙を捲る音のみ。
娯楽も満足に楽しめる状況ではなくなったが、本が幾つか無事だったのは幸いだった。鼻歌でも歌いながら読んでやりたいところだけど、そう楽観してられないような状況なのも確か。
「…………先程の問答」
「うん?」
共に死に体の女性を監視する仲になったマリアさんが呟く。
「彼の精神状況を圧迫する必要があったのですか?」
金色の美しい髪をハーフアップで纏め、書類に目を通しながら彼女は言った。
「ロアはあれでいいのさ。彼の精神を救い上げる役は僕じゃないからね」
「だからと言って、わざわざ追い詰める必要はなかったのでは」
本人曰く、『心が強いのではなく何度折れてもなんとかしている』らしい。
それは普通の人には出来ない芸当なのだと気が付かないまま、彼は何とかしてしまった。それもこれも全部【英雄の記憶】なんてものを所有しているからだろうか。
「期待は重圧となりプレッシャーへと変化し、本人が気が付かないまま負荷となる。この大陸の命運をかけた戦いに赴く人間に対し、あれは余計なことでしょう」
確かにその通りだ。
これから戦いに行く人間に対し、わざわざ期限と背負うものを自覚させるのは悪手。
大切な人間の命が三日で終わると言う現実をわざわざ突き付ける必要はなかったかもしれない。
「でも、今回ばかりは必要なのさ」
脳裏に浮かび上がるのは、夏休みの一節。
初めて仰ぐ酒の魔力に導かれ、彼が漏らした秘密。
命を代償に放つ最強の一撃が切り札だと自白した、誰にも漏らしていない秘密。
きっと君が生き急いできたのは今日この日の為なんだ。
流石にあれだけポツポツ溢した言葉あるんだ、それら全部と彼が暴露した英雄の記憶────それら全部を合わせれば察しがつく。
君は自分が死んで全てを終わらせようとしている。
自分の死を対価に、万事解決しようとしているのだろう。
「良き友人が死に向かっていくのを見るのは、あまり楽しい気分じゃないからね」
だから、覆い隠せなくなるくらい感情を露わにさせる。
師が行動不能な今、君を止められるのは一人しかいない。
鋭いようで鈍感で、人の心に鈍いようで機敏で、他者のコンプレックスを刺激し周囲に亀裂を生み出す社交性が欠けた魔法の怪物。そして彼が唯一固執する、たった一つの輝き。
空の果てまで駆け抜けてしまうだろう星の光だけが、刹那の轟を抑えられるのだから。
「どうか気が付いてくれたまえよ、紫電のお姫様」
喉を鳴らして、心の底から浮き上がるような気持ちで笑った。




