第二話
仮設司令本部内────首都を中心に広がり続ける災禍に対抗するべく立てられた一室の空気は、淀んでいた。
無理もない話だ。
首都は奪われ魔祖十二使徒という最大戦力のうち二人が戦闘不能、残った三人が各地で奮闘を続けているがやがてそれも限界が来る。学徒動員までして前線をどうにかこうにかやりくりしているというのに、無限に増え続ける敵は次第に味方の心をも折っていく。
瀬戸際をとうに通り越し、敗北が決定的になる寸前。
現状を改めて認識し、マギア・マグナスは静かに息を吐きだした。
燦爛な装飾は味方の血で染まり、かつては埃一つ被る事が無かった王冠にはこびり付いて取れない赤黒い血が付着している。
彼女はこの国で最も強大な個であり祖であるが、身体一つしかないのだから限界がある。
どれだけ魔法を扱えても敵が減らないのならば削り続ける他なく、同時に全ての場所を救える程手は広げられない。百年前の喪失で、孤高など無力だと悟ったマギアにとって現状は受け入れ難いものだった。
こうならない為に後継を探し、後進を育て慈しみ、他人を導くなどという似合わない職務を全うしてきたと言うのに────全て、無駄だった。
その事実がマギアの胸を埋め尽くす。
「……………………フン」
僅かばかりの休息。
一日のうち昼夜問わず戦い続けている十二使徒は、日に数分の休憩しかとらない。
味方は睡眠を必要とするが、敵は睡眠を必要としない。
此方が休めば休むだけ相手は進撃を続けるため、常に出ずっぱりの状態になる。そしてそうやって消耗していく超越者達にも徐々に傷跡が刻まれ始め、やがて捉えられるのは目に見えていた。
「…………なによ」
「そろそろ潮時だと思っただけじゃ」
魔祖十二使徒第六席【氷精】、ローラ・エンハンブレ。
左目は潰れ、右足も太腿の半ばから両断されており、無い部位を氷で無理やり補強して動かしている。
ただの一般兵士を庇い重傷を負いつつも、彼女は撤退を完遂させた。死ななかったのは運が良かっただけであり、次の出撃で生きて帰れるかは不明。それは誰もが悟っている状態だった。
沈痛な空気が漂う。
「私はまだやれるわ」
「死ぬのならば意味のある死を。戦力も時間も限られた現状、お前を無駄死にさせるのは勿体無い」
今もなおジワジワ魔力を奪われながら、ローラは気丈に振る舞う。
「そ。死にかけの魔法使い一人で救える命があるなら儲けものね」
ぎゅ、と服を握りしめる。
死ぬことへの畏怖があるわけではない。
ただ、死ぬことでしか役に立てない自らの弱さをひどく貶めているのだ。
「生存者を全て港町へ集結させ、守る範囲を減らす。戦力は減っていく一方だが、これで少しはマシになるじゃろう」
十分な戦力とは言い難い。
それでも、まだ自由に動かせる強力な駒がいくつもあるのだ。全てを守ることは諦めて、一部を守ることを選択する。少し遅かったと僅かに後悔しつつ、マギアは指令を下す。
「儂が全て移動させる。それと並行して船の準備をせよ」
「…………新大陸に?」
「うむ。全部完璧に移送するのは難しいかもしれんが、次世代に必要な奴らは確実に逃がせる筈じゃ」
とはいえ、いくら五百年以上生きているマギアと言えど百万人をテレポートで運んだ後にそのまま戦闘を継続している。その魔力消費量はすさまじく、既に半分は使い切っているだろう。
その全てを破壊に使っていれば、あるいは。
「未来で儂らを殺せる者を選定しておけよ」
過去のことを悔やんでも仕方がない。
またしても判断を間違えたのかと歯を食いしばり、しかし立ち止まることは無い。時間は有限なのだから。
(……エミーリア)
既に亡くなったであろう友人の名前を呟く。
彼女の後継、ルーナはどれだけショックを受けたのだろうか。教えないのは忍びなく、しかし直接的に告げるのは、その、怖い。
マギアは人を失うことを恐れており、また、その狭い交友関係が更に狭まることに畏怖していた。
だからエミーリアの死を直接言うことはできず、代わりに伝来を通して連絡した。
(……エイリアス)
彼女もまた、死を迎えたと言っていいだろう。
辛うじて命を繋いでいるものの、このままでは助けることはできない。心臓すら失った彼女を救うためには魔法を行使するほかないのに、魔法を使うと魔力を吸収する趣味の悪い技術の所為でどん詰まりだ。
立て続けに友人を二人も失うこととなったマギアは、自棄になることこそなくとも──動揺していた。
「…………ではな」
今際の別れになるであろう挨拶を簡潔に済ませ、マギアは魔法を展開する。
大陸の端から端まで瞬時に移動する魔道の極み、テレポートを行使しようとして────勢いよく、本部の扉が開かれた。
「…………なんかタイミング悪かったか」
「ちょ、ちょっとロア! だから待ってって言ったじゃん!」
「しかしだなステルラ。あまり時間は残されてないし、何より全員揃う事が珍しいと言ったのはお前だ」
ぎゃあぎゃあ騒がしく入室した二人組、先程思い浮かべた友人の愛弟子たちに気を削がれ魔法行使を取り止める。
「…………小僧」
「よう、魔祖さま。面と向かって話すのは初めてか」
英雄。
自らが名付けた二つ名を掲げる青年。
似ても似つかないとわかっていながら滲み出てしまった引き摺った過去。
ロア・メグナカルト。
魔法の才が欠如していながら、その身一つで実力者と渡り合う現代の英雄。その在り方はかつて英雄を名乗った青年とはまるで違う、人間らしい姿だった。
「何の用だ。儂らはこれから────」
「『聞いてくれ、魔祖さま。僕は夢があるんだ』」
マギアの頭が真っ白になった。
何か大切なものが抜け落ちた様に思考力が霧散し、その忘れもしない出会いの言葉を噛み締めるように反芻する。
どこまでも無表情なまま、隣に佇むステルラの訝しむような仕草も無視してロアは言葉を続けた。
「大きすぎる夢に愚かにも手を伸ばす事に、人々は嘲笑を向けた。誰も彼もが無理で夢物語だと笑い飛ばした未来を、馬鹿みたいに本気で追いかけた奴がいた」
なぜ。
どうしてその言葉を知っている。
その声色、その話し方、その言葉。
どれもこれもがかつての大切な想い人と重なって見えて、マギアは無意識に喉を鳴らした。
「大真面目に『英雄になりたい』なんて言う男は、世界に一人で十分。そうは思わないか?」
「……………………きさま……」
感情の抜け落ちた顔から読み取れることは無い。
戦うたびにギラギラ目を輝かせていたのに、貼り付けた無表情はマギアの知らない顔だった。
「おれはな、魔祖さま。【英雄】が嫌いなんだ」
血塗れのシャツに身を包み、昏い瞳で言葉を続ける。
それは彼が決して見せなかった人らしい部分であり、また、幾度となく彼女の周りで張り巡らされた某策の類で遭遇した人の闇。
「おれは魔法が使えなくて、頭も良くないし、何かを成してやろうと言う大望も抱いてない。ただ身の回りにある幸せさえ続けばいいと思っていたのに、あの男が植え付けた記憶の所為でこんなところまで来てしまった」
「…………待て、待て。お前は一体、何を……」
「それを幸か不幸かと問答をするよりも先に、末路だけを見せられちゃ堪ったもんじゃない。どうせなら強さも一緒に分けてくれれば良かったのにな」
先程まで漂っていた沈痛な空気はいつの間にか消え失せ、場の雰囲気をロアが支配する。
ロカ・バルトロメウスも。
ローラ・エンハンブレもニコ・エンハンブレもマギア・マグナスも。ステルラ・エールライトですら、言葉を聞き逃さないように意識を集中させていた。
「おれは英雄にはならない。いや、なれない。才能が無いから」
「……そんなことないよ?」
ステルラの言葉に苦笑しながら、ロアは呟く。
「いいや、おれには才能なんてものはない。ただ一個だけ、偉い人が残していった呪いがあっただけだ」
でも、と言いながらロアはマギアを見る。
先程までの昏い感情は鳴りを潜め、そこにあったのは真っ直ぐな瞳。
遥か昔に見た、僕は英雄に成りたいのだと言い放った愚か者と同じ、愚直なまでの真っ直ぐな感情。
「俺はロア・メグナカルト。戦争を終結させた栄光には敵わないかもしれんが、ただ────師と想い人を救うため、英雄になろう」
◇
「────貴様の言い分は、『子供の頃からアルスの記憶を持っていたが他人だと認識しておりその末路も知っていたが、全部を知る事が出来た訳じゃ無いので黙っていた』と」
「そういうことになる」
はぁ~~~~~っ、と深いため息を吐いて魔祖は黙った。
周囲に視線を向けてみればロカさんは納得したように頷きながら苦虫を噛み潰したような表情をしているし、ローラさんに至っては額に青筋を浮かべて睨んでいる。ニコさんはニコニコしてる、一番怖いんだけど?
「…………あくまで、アルスじゃないのよね?」
「ええ、まあ。そう在れというならそうなりますが」
「何言ってるのよ……」
呆れたようにロカさんが呟く。
ロアじゃ納得できないと言うならアルスになることだって吝かでは無いが、その必要は無さそうだ。
「それにかつての英雄の記憶がありますけど、穴あき状態です。師匠の事も最初はわからなかったし、魔祖さまは生意気なクソガキって感じの印象が強かっ」
「ぶっ殺すぞクソガキ」
どうして忠告という言葉を知らないのだろうか。
せめて言ってから殴って欲しいんだが、どうにも身の回りの人間はそういう配慮を知らないのだ。
「…………これがアイツの記憶を持ってるって、うそでしょ……?」
ドン引きするローラさんを横目に、殴られた痛みがじんじん響く頬を摩りながら胸を張って答える。
「本当は俺が死ぬ間際に全部ネタバラシして超越者共にしこりを残してやろうと画策していたが、こんな事態になってしまっては元も子もない。俺がさっさと言っておけば被害は抑えられた可能性もある」
「結構ひどいこと考えるね、君」
「ステルラやルナさんには効かないでしょうが年上連中には効果抜群だと思ってたので」
さいあく……
ステルラの呟きが耳に入った。
「俺がこういう性格になった理由の八割はステルラの所為だからな。英雄の記憶を自覚し有頂天になっていたおれをボコボコにして心を何度も折ったお前の所為だ」
「私の所為なの!?」
うむ。
自覚無き悪魔はここで自覚を覚えてくれると助かる。
ルーチェがお前を嫌ったのは偶然でもなんでもなく必然であったし、なんならおれもちょっと嫌いだったからな。負けず嫌いで謎のプライドを有していたから折れても前を見ただけだ。このあほ。
「あ、あほ……あほ…………」
動かなくなった役立たずは捨て置いて、改めて十二使徒達へと身体の向きを正す。
「本題はここからだ。これからの作戦について、一つ提案しよう」
ここにくるまでの僅かな時間で練った賭け。
もう敗北は確定している現状、これ以上の無理を通す事を良しとするとは思えない。俺が指揮官ならば撤退の判断を下すだろうし、相手が相手だからな。
「俺は【英雄の記憶】を保有している。その中には彼がどのようにして果てたのか、という内容もあった」
「果て…………つまり、死んだときの事かい?」
頷いて肯定する。
ニコさんは頭の回転が速いな。
俺の与えた僅かな情報から、たぶん、次に何を言うのかも予想してるだろう。
「魔力障壁に包まれ三日三晩を戦い抜いた。応援は来ず限界が訪れ、せめて葬り去ろうと放った一撃は確かに敵を貫いていたさ」
今とは比べ物にならないくらい強力な敵が沢山いた。
戦争の最中に亡くなった実力者の大半が現れ、二人の英雄は限界まで戦った。そして、後の未来に遺恨を残さぬように命すら投げ出して一撃を与えたのだ。
「あの白い人型は、一度倒せば復活しない」
「…………にわかには信じ難い話だ」
「少なくとも英雄が倒した連中は誰一人として今回現れなかった。証拠としては弱いですが、賭けるには十分だと思います」
問題があるとすれば一体の魔力量がすさまじく多くなったこと。
あの状態の英雄とタイマンを強いられては勝ち筋を無限に潰されるだろう。
「俺はここで決着をつける。この手で英雄の残滓を葬るから、どうか協力して欲しい」
それでも、俺は勝つ。
努力は時に嘘を吐くし、ひどく残酷な事もある。
それでも俺には努力しかないのだ。積み上げてきた努力だけが俺を証明してくれるし、俺が証明するのはその積み上げた努力のみ。
ゆえに、この瞬間を逃すわけにはいかない。
「…………一つ、聞いても?」
「なんなりと」
笑顔は鳴りを潜め、至極淡白な表情でニコさんが問う。
「君がアルスに勝てる保障はあるのかな」
「邪魔さえ入らなければ」
嘘だ。
勝てる保障なんてない。
魔力使い放題で身体も治し放題の英雄を相手にして、確実に勝てるなんて口が裂けても言えない。
でも言わないといけない。
彼らはここで博打をするわけにはいかないから。
「俺は英雄の記憶がある。それでも、かつての英雄とは別人だ。その上で魔祖さまは俺に名付けた────【英雄】と」
究極的に言うなら、おれはステルラと師匠だけ生きていればそれでよかった。
家族も大切だが、それよりも上の地位に二人がいる。俺にとって二人はかけがえのない存在で、絶対に失いたくないもので、俺の命を賭してでも取り戻さなければならないんだ。
「英雄大戦の再臨だ。どうか協力してほしい、俺を英雄にするために」
どこまでも他力本願な、俺らしい文句じゃないか。




