第十二話
「────……むむ……」
これで問題ないだろうか。
中身を何度も読み直して、違和感が出た部分を修正する。
生活費からちょびっとずつ捻出している紙代も馬鹿にはならず、まあまあ逼迫した経済状況。学校に提出する書類なんかは適当にするくせに、初めて送る訳でもない手紙を書くのに三時間程経過していた。
無理もないよね。
家族に送る手紙だし、書く事は最近増えたし。
いつもより二枚も多く書いてしまった事に、これまでの自分がどれだけ薄い人間だったのかと実感すると共に──誰かに共有できることがとてもワクワクする。
今日から旅行が始まるから、その間の出来事だって手紙に書きたい。
でも、それはまた今度。
次送る時の楽しみにしよう。
一回の手紙で全部を伝える必要なんてないから。
──『最愛の両親へ。アイリス・アクラシアより』
綺麗に綴った後に封をして、無くさないように鞄にしまいこんだ。
凝り固まった上半身の筋肉を解し、窓から外を眺める。
首都ルクスマグナ────私が暮らしていた村とは大違いの大都市。
一歩外に出ればお洒落な喫茶店があって、かわいいお洋服を買いに行けて、文化的で美しい街並みが広がってる。
生きやすさで言えば田舎よりよっぽどいい。
命を脅かされる心配もないしね。
…………だけど。
「……………………今日は……」
読んで、くれるかな。
首都に投げ出されてから早五年。
両親と音信不通になって、五年。
手紙を送り続けて、五年経った。
こんなに人で溢れかえってる都会に住んでると言うのに──こんなにも孤独を感じてる。
ため息を一つ吐きながら窓枠に肘を乗せた。
賃貸の集合住宅地とは言え、記憶の中の実家よりも設備も内装も綺麗。そこに不満は無いし、文句のつけようもない。
「…………どうすれば、いいんだろうね……」
本当はわかってる癖に、行動に移せない。
我ながらなんて情けなさだと、ため息を吐いた。
◇
真夏の夜は気温差が激しくなることがあった。
特に自然の厳しさという点で言えば、山は顕著に表れた。
昼は突き刺さるような熱波が天から降り注ぎ人間の体力を奪いつくし、夜は寒波が訪れ身体の芯から震え生きる活力というものを奪っていく。
雨が降った時なんか最悪だね。
水が確保できるのは良いけど寒すぎてそれどころじゃない。何回か死にかけて師匠に助けてもらった記憶が今でも思い出せるぜ。
「いやー、星が綺麗だね~」
「そうっすね」
そして今日、俺の脳裏に浮かんだ疑問がある。
もしかして俺の暮らしてた山が異常神域過ぎたんじゃないだろうか。
学園のどこの誰に聞いてもあんな環境で暮らしていた人間は居ないし、なんかそういう異常気象が起きやすい地点の山に放り込まれた可能性がある。じゃないとおかしいだろ。あんなピンポイントで人を殺そうとしてくる自然の猛威があってたまるか。
「雪が降った日の空は最悪でした。体温を奪われ幻覚が見え始め、俺はいよいよ死ぬのだと意思が弱くなり始める。温存しておいた枯れ木に火をつけるという簡単な思考回路にすら辿り着けなかったのが恐ろしいです」
「子供が経験する事じゃないと思うんだけど……」
最後には魔法で助けてくれるとはいえ、死ぬギリギリまで一人だから毎回毎回焦燥感がヤバかった。
「今夜はどう?」
「バカンスなんて初めてですから」
「……えーと、楽しいって事かな」
大体合ってる。
迂遠な言い回しをするのは完全に師匠の影響……まあ、影響って事にしておくか。
ガキの頃からそうだった気もする。捻くれた子供だと自称するのはあまり好かないが、ここで師匠の所為にしてもステルラあたりに突っつかれそうだし。
「アイリスさんはどうですか。楽しかったですか?」
「わたし? う~ん、そうだね……」
しゃがみ込んで、僅かに足元を濡らす海水を気に留める事もなく思案している。
「楽しいよ。こんな風に誰かと出掛けるのも久しぶりだからなぁ」
「友達は…………失礼、愚問ですね」
「と、友達の一人や二人いるわい!」
動揺が隠せてないぜ。
俺の周りに集まる人間は全員何かしらの欠点を持っているが、共通している点として友人がかな〜り少ないと言う特色がある。
社交的でない、という訳ではない。
単純にコミュ障だから自分を出すのが下手な奴らが多い。立場を気にして動くことはできる癖にね。
「へェ~~」
「ぐ、ぐぬっ……」
アイリスさんは俺の一個上。
ルナさんと同じ世代な訳であり、ルナさんと同様に周囲から距離を置かれてる人。
普通に考えて斬る為に学園に入る人は怖いし近寄りたくないと思う気持ちもわかる。俺だって人となりを知らなかったら近寄ろうとはしないし、レッテルってのはそういうもんだ。
「…………い、いません。意地を張りました……」
「素直でよろしい」
はい、今日も俺の勝ち。
相変わらずの常勝不敗に俺の快進撃は止まる事を知らない。
周りの女性陣には圧倒的な戦歴を叩きつけてしまったから後倒すべきは魔祖とかそこら辺だけだな。ヴォルフガングはルール無視で肉弾戦を要求してくるからアウト。
「はぁ~、友達なんて出来ないよ」
「欲しいですか」
「……うん」
アイリスさんは静かに海を見つめながら、絞り出すような声で呟いた。
「…………本当は私、普通の女の子になりたいんだ」
…………ふむ。
意図せず悩みを引き出してしまったみたいだな。
こんなんだから俺はそういう類の人ばっかり寄せるんだろうな。嫌じゃないけど、他人を導くのなんて俺には身に余る行動だからもっとちゃんとした人に相談してほしい。
「普通ですか。今の時代は多様性を認められる社会になりつつありますけど」
「都会はね。田舎はそうじゃないでしょ」
まあ、それはそう。
俺やステルラも同年代からは敬遠されている。
同い年の友人とか地元には殆ど居ないし、久しぶりに帰っても遊ぼうって言える奴は一人もいない。
別にそれ自体を気に病んでいる訳ではない。
誇らしい友人は居るし、知り合いの数だけが人生を豊かにするとは言い難いからな。
「子供の頃はさ、ちゃんと友達居たんだよ? 毎日家の手伝いして、終わってから公園に遊びに行って、男女関係なく追いかけっことかして遊んでたんだぜ」
俺達よりよっぽど健全で泣けてくるんだが?
一人は大人達から英才教育を受けているために周囲から距離が離れ、もう一人は単に動くのが嫌いで面倒臭い事は何もしたくないからと極力体力もエネルギーも使わない生活を営んでいた。俺は虫と同じような生態をしている事が否定できなくなった。
「でもまあ、こないだ話した通りになってしまったワケですが」
「なるほど。化けの皮が剥がれたんですね」
「その言い方はちょっと傷つく……」
「すみません」
しゅんとしてしまった。
ふ~む、話を纏めると『子供の頃はまともだったけど血を見たり斬ったり怪我したりするのが好きだという事に気が付いてから周囲に疎遠になったことを後悔している』、って事か?
いや、うーん……
違う気がする。
後悔してる感じじゃなかっただろ、あの時。
めっちゃノリノリだったし。俺に斬られた後すげぇ綺麗な瞳で呟いてたし。
「────ごめんごめん! 変な話しちゃったね」
うんしょ、なんて言いながらアイリスさんは立ち上がった。
振り向いた表情に陰りは見られず、昼に楽しんでいた時と遜色ないように俺には見えた。
「帰ろっか。お風呂もあるって言ってたしさ」
違和感はない。
違和感は無いが、どうにも誤魔化そうとしているのが透けて見えている。
は~~~~…………
他人のお悩み相談を出来る程俺は高尚な人格を持ち合わせてないんだが、ここまで聞いておいて無かった事にするのは後味が悪い。
このパターン何回目だ。
もしかして最初にある程度ちゃんと対応しちゃったのが悪かったのだろうか。
いやでも、目の前で困ってる人がいたら取り敢えず話くらいは聞くだろ。普通に。かわいそうじゃん。
「アイリスさん」
「わっ」
横を通り抜けようとする彼女の手を掴んで止めた。
「アイリスさんは俺の事をどれくらい理解してますか」
「ロアくんの事?」
少しだけ悩む素振りを見せた後、僅かに申し訳なさそうな表情でか細く呟く。
「他の子に比べれば、全然ロアくんの事を知らないかな」
「でしょうね。俺もアイリスさんの事をあまり知らない」
俺が知っているアイリスさんは、他人と斬り合う事が好きで血を見る事に興奮する異常な部分を抱えた人。それを呪う事も無く受け入れ、自由気ままに生きている人という認識だ。ジャンル的にアルベルトと同類というのが正しい。
だが、先程の発言からそれだけじゃない事がわかった。
気に病むことがあるなら話して貰おう。
俺に解決できる・できないはこの際関係ない。
誰にも何も言えない辛さは知っている。この世の誰よりも知っていると自負してるからな。
「──なので、俺の話からします」
「えっ」
「なんですかその顔は。俺の事なんて知りたくない、と言われるのならしょうがないから諦めますけど」
「いやいや! 滅相ございません!」
にへらっと笑ってアイリスさんは続きを促す。
「まず俺は戦うのが嫌いです」
「うん」
「そして痛いのも嫌いです」
「うんうん」
「動くのが面倒なので動くのも嫌いです」
「……うん」
「本音を言うなら本を読んで一日中怠惰を貪り堕落を極めて一生を終えたいですね」
「それは知ってる」
ふっ、常々口にしてきた成果だな。
俺を周りからしか見てないような人間でも俺のことを「適当な人間」だと認識してくれる。これは大いに意味があるんだ。
最初期は『魔祖十二使徒第二席の弟子』という肩書きから興味本位で辺りをうろつく連中が居たが、トーナメント開催が決定した位から視線が減った。気にはしないが気が付きはする。
俺は繊細だからな。
「注目されるのもどうでもいい。他人からの評価なんて無視したいけど無視できない理由がある。でもそれを言い訳にしたくない。俺は面倒くさくて適当で常に矛盾してる男なんですよ」
「……ロアくんって、なんでそこまで色々はっきりしてるのにステルラちゃんに告白しないの?」
「それはあれ……その……なんかこう……」
万が一にでも振られたら最悪なことになるので……
ステルラが俺のことを好きだという予感はまあ多少はある(自分の中では半分の確率を優に超えた)が、それはそれとして一世一代の告白とやらに命を賭けるには早すぎるんじゃないかと思うんだ。
勝てたら告白する。
うん、きっとそうだ。
勝ったら告白するかもしれん。
「へ、ヘタレ……」
「俺は単純に勝てない戦いをしないと言うだけです。別に勝率百パーならいつだっていいですけど今の俺の中では確実とは断言できない状態にありますからね、それにステルラが俺以外の人間に靡く姿というのは想像できませんししたら死にたくなるのでしません」
「あ〜……ルーナの気持ちがよくわかってきたかも」
くそっ!
なぜか俺が追い詰められてやがる……
さっきまで優勢だったはずの俺立場は一体どこへ消えてしまった。やっぱステルラは話題に出さない方がいいんじゃないか? いやでも、ステルラについて何も言わなかったら俺が気にかけてることすらあいつに届かないだろうしな……
「…………ははっ」
「何笑ってるんですか。俺はまだ負けてません」
「やっぱりロアくんは面白い人だなって思ったんだ。ね、ロアくん」
少し俺から距離をとりつつ、アイリスさんは別荘とは真逆に歩き出した。
「私ね。実家から絶縁されてるの」
……………………。
「生活費は毎年送られてくるし、最低限の補助はして貰えてるんだけど──故郷に戻ってくることは許さない、って言われちゃった」
腰付近で手を合わせ、哀愁漂う背中を見せて歩き続ける。
「……それは、何故か聞いてもいいですか」
「ありがと。こんな趣味じゃん? 今でも大っぴらに公開してるんだけど、当然周りから見れば気持ち悪いって思うよね」
あー…………
「虐め、みたいな感じになって──全部斬っちゃった」
「…………マジすか」
「大マジだぜ」
やば……
逆によく捕まらなかったな。
師匠が俺に魔法をべしべし撃ちまくっても怒られなかったのは資格を保有していた事とその立場がデカい。社会的に信用足る人物であるが故、ド派手にボコボコにされる俺が居ても特に問題にはならなかった。
だがアイリスさんの場合、相手にも非はあるがそれ以上に剣で斬ってしまったという事実の方が大きい。
特に田舎なんてのは、一瞬で噂話が広まる環境にある。
もう普通に暮らして行ける場所ではなくなるだろう。
「大体半年くらいかな。施設みたいなところで教育受け直して戻ったんだけど……叩かれて、絶縁状渡されたんだ」
「ご両親はずっと地元に?」
「うん。だから余計堪えたんじゃないかな」
うげ~~~~……
想像してるよりも百倍くらい重たい家庭環境と生い立ちなんだけど……
俺が思ってたアイリスさんとはかけ離れてる。全然剣に狂ってる人じゃねぇじゃん、剣に狂う以外の選択肢が無くなってしまった人じゃねぇか。
「だから私はさ、叶わないってわかってても──普通の女の子に憧れてるんだ」
……なるほどね。
そりゃそうか。
アルベルトが許されてるのは立場があって、それでいて本人のメンタルが化け物だから。アイツは自分自身が悪に傾くことも厭わないだろうし、周囲を巻き込むことに疑念も抱かない。何が悪くて何が正しいか、それを理解した上で悪に傾ける最悪の人種。
幸いな事に今は世の為に働く方が楽しい、と認知しているから何ともなってない。
俺が手綱を握らなきゃいけないのか?
そしてアイリスさんは違う。
この人は根が善良だ。
だから周囲との違いを受け入れるのに迷いがあるし、自身のやったことの重さを理解している。そしてその過去を悔やんでいるが──悔やんだところで何も変わらないと知っているから、過去を無駄にしない為に自信の悪癖とすら呼べる部分を受け入れた。
と、すれば……
「俺からはなんとも言えません。立場的に言えば、俺は周囲から自身の差異を認めてもらい支えてもらった側なので」
アイリスさんは答えない。
「だから俺に出来る事は、今のアイリスさんを否定しない事です」
剣に乱れる、なんて揶揄される程に打ち込んだんだろう。
それはかつての自身の行いを無駄にしないため。起こしてしまった事件から何かを得る為。人生を悪戯に消費したと思いたくないから、努力を重ねた。
現在進行形で人生を浪費してる俺からすれば、潔くて好ましい人格だと思える。
「少なくとも俺の剣を理解できたのはアイリスさんだけ。理解者がいなくても生きていけますが、居てくれた方が気楽なのは確かです」
貴女はそんな考えは持ってないかもしれない。
俺は超人じゃないからな。他人の考えてる事全てが理解できる、なんて言う程傲慢じゃない。
「アイリスさんの問題を解決することはできません。今、友人として出来る事があるとすれば……」
祝福を起動する。
無駄遣いじゃないから許してくれよ。
これもきっと必要な事なんだ。俺の人生においては。
「…………なんで……」
魔力に気が付いたのか、アイリスさんは振り返って目を見開いている。
「『気が向いた時で良ければ相手くらいします』――以前、そう言いましたね」
暗闇に包まれた夜の海岸で、燦然と照らす光芒一閃。
「俺は今までアイリスさんのことを、よく知らなかった」
「……私も、ロアくんの事をよくわかってなかった」
立ち上がって俺に相対した。
俺にアイリスさんの悩みを解決する事は出来ない。
だから、俺に出来る事は――――今のアイリスさんを肯定すること。いつか解決策を導き出すために、今現在の辛さを少しでも受け止めてやる事。
「ロアくんは底抜けに優しいよ。そして、酷い人でもある」
その手に握るのは赤黒く胎動する剣。
燦爛怒涛――そう銘打たれた彼女だけの一振り。
「……誰にも、理解されるとは思ってなかった。私一人だけ、周りと違うんだってわかってたから」
俺もそうです。
誰にだって理解されなくていい。
理解される時が来るとすれば、それは滅びが眼前に迫ってる瞬間だから。
「…………ありがとね」
「気にしないでください」
デートというには少々物騒な催しになったが、これはこれでしょうがない。
どこからか感じる複数の視線を感じなかった事にして、剣を構える。
俺とアイリスさんの出会いは戦場だった。
なら、もう一段回先に進むために必要なのはやはりコレだろう。
俺は戦う事は好きじゃない。
それでも、まあ…………俺の重ねてきた努力を他人に隅から隅まで知ってもらえるってのは、得難い経験なのさ。
言い訳に言い訳を重ね正当化して、霞構えに移行した。
「始めましょうか、俺達なりの話し合いってのを」
「うん。甲斐性見せてよ?」




