第十二話
「いやぁ、負けた負けた! 完敗だよ」
ベッドの上で楽しそうに笑うアルベルト。
闘争心が欠けてる訳では無いが清々しい顔である。
「楽しめたか?」
「そりゃ勿論。勝ちの目が無くても目的を果たせたからね」
自覚はあったようだ。
「ならいい。マリアさんとの戦い程凄惨じゃなかったから俺としても安心した」
毎回毎回血みどろすぎるんだよ。
魔力障壁が何もかも遮断してくれているとはいえ、普通に致死量の血液が飛び散ったらビビるだろ。
「僕にも好みはあるからね。相手が苦痛に歪むのもスパイスだけど、兄上は動じないからねぇ」
残念そうに言うな。
コイツがステルラと戦うことにならなくて良かったと心底安心している。
ありがとうテオドールさん、このヤバイやつを受け止めた上で敗北に導いてくれて。
「アンタと戦り合う事にならなくてよかったわ」
「そもそも負けてるから戦う訳無いじゃないか、ルーチェは馬鹿だn」
ルーチェを煽ったアルは試合直後であったのに容態が急変した。
顔面陥没胸部陥没程度で済んだのだからまだマシではないだろうか。世の中には言っていい事と言ってはいけない事が存在しているが、コイツはものの見事に駄目な方向へと突き抜けた。
「ステルラ、回復してやれ」
「しなくていいわ。ここで死んだ方がマシよ」
「えっ!?」なんていいながらオロオロするステルラを横目にアルは自己蘇生を開始した。
グジュグジュ音を立てて肉と骨が巻き戻るのを眺めるのは普通に不快なのだが、俺もいつもこんな感じなのかと思うと涙が出てくる。俺は被虐体質なんてないのに。
「酷いなぁ、これでも怪我人だぜ?」
「怪我した所で治せるでしょ」
「いいや? 残念ながら今は無理だね」
……魔力切れか。
鼻が折れ曲がってると少し呼吸が苦しそうなのはそれが理由か。
ルーチェの方を見るとバツの悪そうな顔をしている。根底が善人なのに擦れた結果他人に暴力を振るうようになってしまった哀れな少女の姿がそこにあった。
「あ~あ、ルーチェの所為で鼻怪我のこっちゃったな~~」
「あ~あ、やっちまったな」
「うるさいわね! 治せばいいんでしょ、治せば!」
ヤケクソ染みた顔でアルの顔面を鷲掴み、そのまま回復魔法を当てながら二・三発殴ってベッドに叩きつけた。
「家庭内暴力は良くないぞ」
「どこが家庭内よ」
ついでと言わんばかりに俺の顔を小突いてくる。
アルにやり過ぎたから俺には優しくってか。そういうすぐ反省する所とか、その癖素直に成り切れない部分が可愛いんだがコイツは自覚してやってるのか?
「子供に影響は出て欲しくないよな」
「……………………わかったわよ」
別に俺の子供とは明言してないが、そこで少し恥じらう所だよ。
俺はあくまで『両親が暴力を振るい振るわれる家庭で育った子供に対する悪影響』を語っただけなのに、ルーチェは少し頬を赤に染めて俺のことをチラ見する。僅か一言与えただけでここまで想像できるルーチェの思考に脱帽せざるを得ない。
「なんて卑しい女なんでしょう……見なさいステルラさん!」
「い、卑しいのかな……」
「コミュ障にこれを理解しろというのは酷でした。すみません」
絶妙にニュアンスが伝わらないステルラに溜息を吐きながらルナさんが暴言を吐き散らした。
卑しいという単語を聞いたルーチェは顎に手を当てて何かを考えている。
自覚なし……!
これが……天賦の才……!
俺とルナさんは顔を見合わせて頷き合った。
「怪我人の前で乳繰り合わないでくれないかい?」
「気にすらしてない癖によく言う」
「君には効かなくても淑女達には効くからね」
ルーチェは煽り耐性が無さ過ぎるんだよな。
俺のように仏の御心と根深く座する大樹の如き耐性を身に付けて欲しい所だ。
「一番あったまりやすい人が何か言ってますね……」
「事実を並べる事で誹謗中傷される事もあるみたいだ。俺には無いが」
「魔力が無くて魔法が殆ど使えなくて子供の頃から幼馴染に負かされて泣かされている所とかですか?」
言っていい事と言ってはいけない事がある。
世界は思いやりと優しさで構成されているのに悪意と剥奪を目的とする異分子は俺が排除せねばならないのだ。これはかつての英雄の記憶を所有する俺の使命でもある。
「表出ろ。ボコボコにしてやる」
「上等です。そろそろどっちが優位か理解らせる必要がありますね」
スゥーーーーッ
よし。
心はホットに頭もホット。
溶岩の如きタフネスをもってすればルナさんを敗北に導くことは容易い。
これまでに築き上げて来た経験がそう告げている。
「かつてないくらい茹ってるわね……」
「それくらい言われたくないんだろうね。君のコンプレックスみたいなものじゃないかな?」
ノンデリカシーが過ぎるぞコイツら!
誰が幼馴染に負け続きだ。事実だよクソが。
しょうがないだろ。どう足掻いてもステルラに勝てねぇんだよ、逆にどうやったら勝てるのか教えて欲しいね。
「あ、そうだそうだ。楽しくイチャイチャするのもいいんだけどさ、一つだけ確認していい?」
「構わんが手短にな。俺は今燃えている」
そしてこれから燃える事になる。
「エールライトさんに尋ねたいことがあるのさ」
「私?」
アルはにこやかに、それでいて含みを持たせるような笑みを浮かべながら言葉を続ける。
「君はもう至ってる?」
「…………いや、まだだよ」
「そっか」
うんうんと頷きながらアルは話を切った。
さっさと行けといわんばかりに目線を送ってくるのでしょうがなく退出する。
今の問いに意味はあったのだろうか。
ステルラが座する者に至るのは確実であり、それは定められた運命でもある。俺の知るステルラ・エールライトという少女ならば絶対に成る。
横を歩くステルラは少し暗い顔をしていた。
俺はなんだかその表情が気に入らなくて、手を伸ばそうと思ったが、それよりも先にルナさんが腕に絡んで来た。
「何をよそ見してるんですか。相手を見ないのはロアくんの流儀に反するのでは?」
「……そっすね。いくら相手が小さくても目を逸らすのは失礼でした」
「ムムムムムッッ」
フンスフンスと鼻息荒くしているが相変わらずの無表情である。
火の粉が飛び始め、その場でシュッシュッと手を動かし始めた。型も何も無いから結構荒い動きなのだが本人は至って大真面目である。
「私の怒りのボルテージが溜まっていきます」
「それは良かった。受けてやれ、ルーチェ」
「嫌」
「頼むルーチェ。お前しか頼れないんだ」
「…………嫌」
ルナさんと顔を見合わせた。
「卑しい女ですね……」
「カワイイですね」
「誰が卑しい女よ!」
この後なぜか俺とルナさんでは無くルナさんとルーチェの取っ組み合いになり、結果はルーチェの勝利で終わった。
如何に氷と炎と言えど接近戦では分が悪かったようだ。
おとといきやがれ、なんて負け惜しみを放ちながら空を飛んで帰る年上の姿を見ると何か心にクるものがあった。
相変わらず愉快な一行だ。
頭部に残る痛みと綺麗さっぱり無くなった怪我の感触を思い出しつつ、ゆっくりとベッドに寝転ぶ。
どこから金が湧いているのか、無駄に質の良い布団の感触に身を委ねつつ考えをまとめる。
僕はどうしようもない畜生である。
前提として存在する条件であり揺るがない根幹。
ルーチェ・エンハンブレが口は悪いけど性根は良い典型的なツンデレであるように、アルベルト・A・グランは口調だけは丁寧だが他人の踏み込んで欲しくない領域にズケズケ入り込んで苛立たせて愉しむ陰湿さを持ち合わせている。
友人達への友情はある。
世間一般的な常識を理解した上でこう振舞っているのだから、正解はわかっているのだ。
本来なら僕はアドバイスをするべきだった。
本当に友人達の勝利を願うのならば、ステルラ・エールライトの表情に陰りが見えたのを指摘するべきだったのだ。
「…………ふふっ」
でも僕はそうしなかった。
ロア・メグナカルトは気配りが上手い。
他人の心を言動から分析し自分なりに噛み砕き、相手を不快にさせず、寧ろ心地よくなるような態度を取ったりする。だから大丈夫だろうと言う驕りがあるのは否定できないが、そんな彼でも唯一と言っていい弱点がある。
「随分と愉しそうですね」
「そう見えるかい?」
「ええ、とても」
姿を現したのは、マリア・ホール。
全身が焼かれ生と死の狭間を彷徨っていた僕を治療し医務室へと連れて来た張本人であり、僕の良き理解者の一人でもある。
「あの四人の中で気が付いてるのはルーナさんだけ。きっとあの人は言わないよ」
「ステルラ・エールライトが座する者に至れない事でしょうか」
その通り、なんて言いながら指を鳴らす。
「彼は自分を低く他人を高く評価してる。そこが美徳、ようするに魅力でもあるんだけれど……」
それが裏目に出るかもしれない。
彼が気が付けるか、彼女が素直になれるか、どちらも果たされなかったときは────それはもう、愉快な出来事が起きるだろう。
「君はどう思う?」
「私には因縁という言葉に縁がありません。ですので一般的な感性を述べさせていただきます。決勝で出会えれば美しいと」
そう、美しい。
田舎の街から出て来た少年少女が長い年月をかけ、成長し再会する。
そうして負けないと誓った二人が再び戦うのは学園で最強を決める舞台──美しい。出来過ぎなほどに、美しい。
「君に残された唯一が折れた時…………」
ロア・メグナカルトにとっての努力する理由。
ステルラ・エールライトによる努力する理由。
僕等は友人だ。
そうして僕はこういう奴だ。
「どんな顔をするんだろう」
不撓不屈を体現する男が折れる瞬間。
自分の事は幾らでも受け入れられるが、彼にとっての絶対の指針が折れればどうなるのか。
「愉しみだよ。どうしようもないくらいにね」
「…………存外、どうにでもなるかもしれませんよ」
「へぇ? その心は」
口元を歪め、始めて楽しそうに笑ったマリアさんが言う。
「人には秘密が付き物です。見透かしたつもりでいる間は、案外思い通りにならない事が多い」
「経験談か。タメになるねぇ」
「先達の話はよく聞いておくことです」
煽っても無駄か。
ここでの勝ち目はないみたいだから素直に引いておくことを肩を竦めてアピールする。
「少年少女の愛が勝つのは物語の中だけさ。現に僕に奇跡は現れなかった」
「求めてもないのによく言いますね。嫉妬するような人でもないでしょう」
よくわかっていらっしゃる。
少しにこやかに微笑んだ後、マリアさんは言葉を続ける。
「彼が盲目的に見ているように、貴方も盲目的に見ている事がある。そしてそれは、私にとっても言えた事」
「今は違うって?」
「以前に比べれば」
強かな人だ。
そこまで言うのならば期待せずに待っていよう。
ステルラ・エールライトに起こる奇跡を、いや…………
彼女が放てる輝きが、星の光ほど煌くことを。
「まあ別に負けを望んでる訳じゃないんだけどね」
「どちらかと言えばそちらの方が予想外だから考えていただけでしょう?」
「兄上が負けても勝ってもどうでもいいけど、彼女が負けた事を想像する方が愉しいからさ」
ベッドから起き上がって身体をほぐし、立ち上がる。
「さて、僕はもう行くよ。治してくれてありがとう」
「構いません。命あってのものでしょう」
あれだけ好き勝手言ってきた性格の悪い男に優しく出来るのはすごいよ。
自覚はあるからね。その分マリアさんやロアの心の広さには常々驚かされてばかりだ。
周りからそう思われているのだから、きっと彼ら彼女らも僕に近づいてくることはない──そういう思い込みがあったのも否定できず、結局のところ、僕も偏見を抱えて生きていたと言うことなのだろう。
「僕も、まだまだ子供だなぁ」
「……私よりも、アルベルトさんは年下ですから」
意味が違うのを理解した上で答えてくれたマリアさんに微笑みつつ、廊下へと出る。
「馬に蹴られたくもないし僕は帰るよ。それじゃあね」
「はい。また」




