第八話
「飲むかい?」
「お言葉に甘えて」
廊下で話し続けるのもあまり好ましくないので、わざわざ控え室までやってきた。
無駄に用意し過ぎなのはある。何人は入れるようにしてるのかは知らんが、最低でも全選手一人ずつ割り振っても空きが出る位には作られている。なんでそんなに増やしたんだよ。
わざわざ飲み物まで淹れてくれるのは有難いのだが、少し申し訳ないな。
「テオドールさんと同じですね」
「テオと?」
愛称で呼ぶ程度には仲が良いらしい。
僅かに驚いた表情のままカップを俺に差し出してきたのを受け取って、一言感謝を述べてから口に運ぶ。まあただのお茶なんだが──中々美味い。
「前に話した時に飲み物を奢ってもらいました」
「ブレないな君は……いや、君らしいよ」
苦笑しながら椅子に座る。
もう俺がヒモ気質なのは周知の事実、誰もその点に関して疑問を抱いたりしない。
完璧だな。
「さて……何から聞こうか。聞きたいことは沢山あるんだけどね」
「別に今度時間取っても構いませんが」
「出来るだけ本番で語り合いたいんだ。僕の我儘だけどね」
試合中に問答したいって事か。
嫌だな〜〜〜!
すごい嫌だ。
坩堝の会場内なんて声筒抜けだし変なこと言えないもん。
魔祖とか師匠とかエミーリアさんとか十二使徒勢ぞろいしてる中で英雄について語るとか拷問か?
俺が微妙な顔をしていたのを察したのか、また苦笑いで流されてしまった。
本当に少ない言葉しか交わしてないが……この人、とんでもない位自分を押し殺すな。普通の人間がそんなことしてたら潰れるぞ。
俺はそれを自覚しているし自分の精神の強さと比べても余りにも損をするからやらないと決めている。極限まで自我をすり減らしてまで成し遂げたいことがあると言えば聞こえはいいが……
そこまで考えて、自身の状況を見つめ直すと思わずため息が出た。
今更だな。
俺に言えたことじゃない。
「“英雄”──そう呼ばれることに不満はある?」
「ありまくりですね」
「そうなんだ……」
「俺は常々言っていますが、仮に英雄と呼ばれることがあっても“かつての英雄”には程遠い。彼が成し遂げた事は俺には出来ないし追いつく事も出来ないのになぜ同一視しようとするのか甚だ疑問ですね」
割と好き勝手言ったが表情に変化はない。
俺の持ち合わせる意識に不平不満をぶつける為に話したかった訳ではないみたいだな。あくまでもテリオスさんの中で渦巻く感情を咀嚼するのに使いたかったのか?
ゆっくりと飲み物を口に含み、少し考えたのちに言葉を放つ。
「君は…………どうして強くなろうと思った?」
俺の原点の話か。
……まあいいだろう。
テリオスさんとステルラが会話するとは思わないし、言ったところで損はない。
「ステルラに置いていかれたくないから」
「僕から見れば十分才能があるように見えるけど」
英雄の技を再現するのに人生捧げてきたからな。
遺憾なことに俺の努力が報われていることが認識できて複雑な気分だ。世界で一番才能が無いとは言わないが、この世を引っ張る天才に比べれば劣るのは確実。
そんな俺よりも才能が遥かにある英雄ですら勝てなかった化け物が未だに生きている事実さえなければ、俺がこんなに足掻く必要はなかった。その一点に関しては恨みがある。全くもって自分勝手な我儘だがな。
「俺は努力が嫌いだが、ただ生きているだけでは置いていかれる。それが嫌だったんですよ」
「痛いのも苦しいのも嫌い。そう言っていたね」
「ええ。苦痛は嫌いだが、非常に不服だが、誠に遺憾だが、飲み込めなくはない」
「本当に嫌なんだね……」
誰が好んで拷問を受けるんだ。
師匠に毎日電撃浴びせられた所為でもう俺の耐久力はバカみたいな値になった。足が折れても走れるし腕が折れても剣は振れる。言うなれば俺はこの十年間で『バッドコンディション』の下限値をとにかく下げて下げて下げまくったのだ。
攻撃を受けるのが前提、受けても問題ない事が出来るように修練を積んだ。
……皮肉な事に、かつての英雄と似た戦い方になったが。
あっちは回復可能でこっちは回復不能。完全な下位互換だよ俺は。
「どうしてそこまで彼女に固執するのかは、聞いても大丈夫かな」
「…………ノーコメントは許されますかね」
「うん。言いたくない事を無理矢理聞く程ではないし、あくまで言える事だけで構わない」
少しだけ微笑んでいるが……勘違いしてないか。
いやまあ、ステルラが死ぬところを見たくないからそれは防ぎたい、だから頑張っているという点ではあってるんだが。
それは“かつての英雄”の記憶がある俺だからこそ通じる言い訳であり理由である。
他人から見た俺が努力する理由は明らかに『ステルラ・エールライトに惚れているから追いつくため』だろうな。その位客観的に理解出来てるさ。
そしてそれもまた否定する必要はない。
俺がステルラに惚れていようが惚れていなかろうが、俺が『肯定』しなければ真実にはならない。英雄と同一視されるくらいなら純情な感情を抱いた青少年と考えてくれた方がマシ。
そこまで心の中で言い訳をしてから、お茶で喉を潤す。
「テリオスさんが“英雄”に固執する理由──推測は出来ていますが、お聞きしても?」
これは尋問ではなく会話。
一方的に投げかける、投げかけられるだけじゃあ友好的とは言えない。
向こうが一線を越えないようにしているのだから此方も相応な態度で臨む。
「……そうだね、どこから話したらいいかな」
「人格が破錠してると噂されていたあの魔祖に育てられたあなたがどうしてそこまでしっかりした人なのかが特に気になります」
「否定はできない。母さんは傍若無人を地で往く人だからね」
少し魔祖に対する悪めの印象を伝えても動揺は無い。
冷静に客観視出来ている。何かを盲信してるようにも見えないが、どうしても“英雄”という固有名詞に拘りがある。
「僕はそもそも孤児みたいなものだったんだ。天涯孤独の身になった所をあの人が気まぐれで拾ったのさ」
それはまた……とんでもない確率だ。
たまたま孤児同然の立場で、たまたま魔祖が拾って、たまたま魔力も魔法の才能もあって、この齢にして既に座する者へと至っている。
「まさかここまで強くなるとは思ってなかったのでは?」
「そうだと思う。最上級魔法を二つ覚えた時点で母さんは何も教えてくれなくなったからね」
ん~~~~……
教えてくれなくなった、か。
寂しげな表情で語る辺り、その理由はわかってないんだな。あの魔祖が自分が追い抜かれるなんてみみっちい事を考える筈がないし、最上級魔法を教えるって事は結構ノリノリで教えてた筈。
昔はそうだった。
「『もう、魔法を覚えるのをやめろ』────突然言われたよ」
…………ふむ。
突然、か。
それまでは仲良くしていたのに随分とまあ、態度が急変しているな。テリオスさんに“英雄”と名付けない理由もそこに関係してそうだ。
「でも、僕は止めなかった。どうしても座する者へと至り、英雄と呼ばれる必要があったから」
「その理由を聞いてもいいですか?」
英雄と名付けられてしまった人間に聞かれるのは癪だろうが、顔色一つ変えずに穏やかな口調で語りはじめる。
「あの人は、どこまでも“英雄”を引き摺ってるのさ」
あ~~~~~…………
「寂しそうな顔をして、昔話をしたりしますか?」
「よくわかったね。エイリアスさんもそうだったのかな」
「似たようなものです。十二使徒はどいつもこいつも引き摺り過ぎなんだよ……」
俺が溜息を吐くと、テリオスさんは苦笑する。
いい歳してどんだけ昔に囚われてんだ、あの人達は。師匠は俺の剣を見て『英雄の剣』とか言う程度には拗らせてるし、ていうか多分あの人の初恋はかつての英雄だろうし。俺の事をしっかりと見てくれてるからいいんだが、もし俺がメンヘラだったらどうするつもりだったんだ?
「じゃあなんですか。テリオスさんは魔祖に悲しい思いをして欲しくないから“英雄”に?」
「そうなるね。というより、僕が見たくないんだ。あの人の寂しそうな顔は」
まあ確かに、俺が覚えてる魔祖も自由奔放で子供っぽい笑顔が印象に残っている。
見た目だけなら幼いしな。
年齢換算するなら十三歳くらいだ。
「……とはいっても、わかってるんだ。僕じゃ英雄の代わりに成れないって」
「俺も英雄にはなれませんよ」
「それもわかってる。君は君、ロア・メグナカルトという一個人。かつての英雄と呼ばれた人物はもう居ないんだ」
自覚がある。
だけど他に方法がない。
魔祖やエミーリアさん、そして師匠が英雄を振り切る事は出来ない。
百と数年、失ってから流れた時がそれを表してしまっている。
「──だからと言って、諦める訳にはいかないだろう?」
強い意志を感じさせる瞳で俺を見詰めてくる。
言外に何を語りたいのか、何を図りたいのか。
「手が届かない目標ですよ」
「それでも諦めないで足掻く。君もそう願ってきたはずさ」
その通りだ。
英雄になりたいと願うテリオスさんと、英雄にはなりたくないと願う俺。
その本質はどちらも同じようなものなんだ。テリオスさんが欲しがる唯一の才能を俺が持っていて、俺が求める全ての才能を所持している。
因果、運命、宿命────なんだっていいが、神とやらが存在するなら俺は憎む。
こんなにも皮肉な関係ばっかり持たせやがって、俺は凡人だぞ。才能が飛び抜けてある訳でもなく、人間を越えられるような逸材でもない。
「僕はもう、寿命で死ぬには長すぎる人生を辿る。座する者という枠組みに入る事で、母さんと同じ領域に至った。目的の一つは達成したんだ」
「貴方を失う悲しみを味わう事は無いでしょうね」
頷いて同意を示す。
俺はその点で言えば置いていきまくりである。
師匠・ステルラ・ルナさん・エミーリアさん・ヴォルフガング……はいいか。アイツはちょっと別枠。俺が死んでも悲しむ理由は戦えないからじゃね?
話を戻そう。
テリオスさんは魔法の才能があり努力も出来た。
だから魔祖──つまるところ、長寿の大切な人に余計な悲しみを遺さないように出来た。
じゃあ俺は。
なぜか所持していた英雄の記憶を利用して足掻いて、かつての英雄を再現しようと頑張って──昔の辛い想い出を想起させて。
そして先に逝く。
とんだ英雄だな。
「……これを聞いても、テリオスさんは何も嬉しくないでしょうけど」
隣の家の芝生は青い。
誰しもが抱くこの感情は俺も例外ではなく、しっかりと持ち合わせている。
寧ろ他の誰よりも感情が強いとすら自負している。普通に考えて俺が嫉妬しなかったら他に誰が嫉妬するんだよ。
「俺から見れば、テリオスさんの方がよっぽど英雄足り得る人物です」
彼の英雄すら、座する者という格に至る事はなかった。
死という定めを跳ねのける事が出来なかったのだ。
だが、この人は。
その才能を十全に活かし実らせ、目標を達成して見せたのだ。
『自らの大切な人を寂しくさせない』────その、ささやかで大きすぎる願いを。
詳しい本音は伝えず、大雑把な俺の思いだけ口に出す。
「…………そう、かな」
「ええ。そう思います」
少なくとも、俺はそう宣言する。
劣等感に苛まれて生きてきた俺が高らかに謳ってやろう。
テリオス・マグナスという人間は英雄に相応しい。
張りぼてを自覚する俺だからこそ下せる評価だ。上から目線で語る資格があるのかと言われれば──資格だけは持ち合わせていると答える。
「まあ、魔祖が認めるかは別問題ですが」
「上げて落とすなんてひどいことをするね。素直に喜ばせてくれないのかい?」
「わかってるくせに良く言いますね」
面白そうに笑うテリオスさん。
思っていたよりイイ性格をしてるな、このひと。
テオドールさんも愉快な性格だからな。あの人と友人、それも親友と呼んでも差し支えないくらいの仲良さなのだから納得する。
「そうか。君から見て、僕は英雄に相応しいのか……」
「主観ですけどね。そもそも俺は俺を英雄だと認めていない」
「…………君らしいよ」
乾いた喉を潤すために飲み物に口をつけようとして、もう空になっていることに気がつく。
思っていたより長く話をしてしまったようだ。俺の仕草を見たテリオスさんが時計に目を送り、目を閉じる。
「……ありがとう、ロア・メグナカルト。俺と話してくれて」
「……こちらこそ。とても有意義な時間でしたよ」
なるほど、それが素なのか。
完全に演技ではないだろうが、俺はテリオスさんの評価をさらに一段階上げることにする。
「僕のことはテリオスで構わない。もっと砕けた口調が望ましいな」
「俺としては気楽で良いが…………」
「早速順応してるじゃないか。けどまあ、そういう部分が君たる所以なんだろうね」
俺のことを理解してくれたようで何よりだ。
懐に潜り込んで後はドロドロに甘やかしてもらうのがモットー、他人のパーソナルスペースにナチュラルに入り込むのが得意技だ。ルーチェは懐がガバガバだったから判定外な。
「付き合わせてしまって申し訳ない。そろそろ向こうも落ち着いただろうさ」
「控え室にいるんだろ。それだけわかれば十分だ」
少しわざとらしく口調を崩してみたがテリオスさんは満足そうだ。
呼び捨てにする気はあまりない。ルナさんとも仲良くなったがそのままの呼称だし、そこまでは気にしないだろう。
「テリオスさん」
「なんだい?」
扉に手をかけて、出る直前に声をかける。
「────俺は英雄と呼ばれることに納得はしてないと、そう言いましたね」
「……うん」
らしくない。
自分で言い切ったくせに心のうちに渦巻く感情に不快感を抱きながら、表面にできるだけ滲まないように言葉を紡ぐ。
「だが、期待は裏切るつもりはない」
俺は英雄じゃない。
英雄になることはない。
英雄を越えることもできない。
それでも────俺を『英雄』と呼んだ声を無下にするつもりはない。
「どちらが英雄に相応しいか…………くだらないと、笑ったりしませんよね」
「…………勿論さ。願ってもない」
ギラついた瞳で戦意を漲らせるテリオスさん。
ああ、よかった。
いや、よくはない。
ただでさえ低い勝率がさらに低くなった。
俺は自分の行いに酷く後悔する。
だが、これでこそだ、そう褒め称える感情も存在している。
『あの背中を追いかけるのならば、これくらい成して見せなければ』。
『思い上がった愚か者、張りぼての偽物が調子に乗るな』。
相反する二つの思考を纏めて飲み込んで、部屋から出る。
「…………当てられた」
そういう事にしておこう。
いつものように未来の俺に託する。
ため息と一緒に不快感を吐き捨てて、ルナさんが待つであろう控え室へと歩き出した。




