第五話
拳と剣がぶつかり合う。
躊躇いなく命を獲りに向かってくる氷の刃を避け、避けれない分は合間に破壊する。腕が許容の限界を越えてきたが歯を食いしばって堪える。
呼吸の度に肺が痛む。
話には聞いたことがある。寒すぎる気温の中息をすると冷え込んだ空気が息苦しさを与える。北の地方では冬の季節によくある事らしい。
耳が痛い。
露出した部位の中でも特に耳が痛む。
風が吹き荒んでる訳でもなく、ただ純粋な寒さが身体を襲う。
なのに、高揚している。
「────ッ」
その事実を受け入れて、握る力を強くする。
認める。俺は今この瞬間を楽しんでる。間違いなく、ルーチェ・エンハンブレとの逢引にも似た戦いに高揚してるのだ。
初めて体感する極寒の息吹に晒されながら。
身体を動かすのだって野暮に感じる。
正面切って一対一、純粋なまでのぶつかり合い。魔法だの才能だのセンスだの、そんな事柄はどうでもいい。
ロア・メグナカルトとルーチェ・エンハンブレ。この二つの存在しか舞台に登ってないんだ。
砕けた氷が皮膚を突き破る。
その痛みが意識を覚醒させ、更なる集中へと潜り込む。
一秒が十秒、十秒が一分、一分が十分────矛盾した感覚を味わっている。
言葉を交わす事もない。それすらも無粋だと、俺達は全身全霊を懸けて臨んでいるのだ。
…………楽しい。
戦いが嫌いだと、痛いのが嫌いだと。
散々宣言した癖に、いまの俺はどこかおかしくなってしまった。
ルーチェに合わせる為でもない。俺自身がこの殴り合いを楽しいと感じている。嗜虐性か、被虐性かはわからない。それでもどうしようもないくらい楽しいのだ。
こんなことは初めてなんだ。
「ッ、は、ルーチェ!」
「なに、よッ!」
右拳と光芒一閃が鍔迫り合う。
鼻と鼻が触れ合うような距離まで顔を近づかせてから、互いの目を覗き込んだ。
氷の細かな結晶が視線の間で光を反射し煌めいている。
「これがお前の世界か!」
「そうよ! ここが私の世界なの!」
感情を表すように白い吐息が暴れまわる。
どこまでも肌を突き刺すような極寒の世界。
無論、火属性魔法が使えればこんな事にはならないだろう。普通の相手はこんな風になる事も無い。
だが、俺達だけはこうなるのだ。
「良い世界だ! 芯から震えそうなほど!」
寒さと辛さに苛まれていながらも磨き上げた努力を実感している。
ルーチェの拳にも赤が混ざり始めた。生成速度が徐々に落ちてきているのだろう、光芒一閃が一度突き刺さったのが深手になっている。それでもなお、互いに止めようという気は一切なかった。
口を結び、はちきれんばかりの笑みを浮かべながら回し蹴りを放ってくる。
────速い。
この土壇場で最高速度!
腕が悲鳴を上げるのを食い縛って堪え、頬を裂きながら通過する蹴りを回避する。
冷え続ける世界に閉ざされた場合、俺とルーチェにはデメリットが生まれる上に差が存在するのだ。最低限魔法が使えるのなら身体強化でゴリ押しできるのだが──俺は不可能。
その内身体が動かなくなって終わりである。
微妙に俺の方が不利ではあるが、それは相手も同じ事。
俺よりも身体全体を動かし続けているルーチェの方が体力消費は圧倒的に上だ。
頬の裂ける痛みが鈍い。
感覚が緩やかに鈍くなっている。
空気に冷やされ神経が希薄になりつつあるのだろうか。雪山で遭難した人の気持ちを味わっている気がする。
まだ光芒一閃が解けるまで五分程ある。
ここにきてトップスピードに至った以上、俺がこれまで通りで対応できるかは不明。
ならば、此方も手数を増やす。
一度後ろに下がり、光芒一閃の刀身に触れる。
こっちは極めたと言える熟練度ではないが初見ならば有効打になるだろう。戦い方の癖も見抜かれ始めている頃だしちょうどいい。
「光芒一閃、変形」
かつての共和国にて、強大な力を持つのにも関わらず覇を唱えなかった者が居た。
武家として長い歴史を誇り、守護という点に於いて大陸最強とすら謳われた剣技の使い手。その師範代。
どれほど戦が激化しても決して自ら攻め入る事はなく、終戦するその瞬間まで人々を守り続けたと語り継がれた伝説の一人。
「────フェクトゥス二刀流」
あの剣技には未だ届くことはなく、されど我が剣は諦める事を知らず。
正面で交差させ待ち受ける。そりゃあ不意打ちで攻撃が来るなら未熟な剣技を使うことはないが、今回ばかりは正面からぶつかり合うのが確定している。武器の強さに任せて手数を増すのだって有効な手段だ。
とにかく師匠と共に叩き込み合った剣技は未だ幾つか保有するが、その中最も洗練されているのがシンプルな一刀流。
その次にこの二刀流なので、俺のセンスの無さは脱帽せざるを得ない。
喋るたびに肺が痛み白い吐息が漏れる。
早くこの苦しみから脱出したいという俺の本能も存在するが、それとは別にここから僅かな間のぶつかり合いを心待ちにしている自分も居る。
そうさ。今だけはこれでいい。
目を輝かせながら突撃してきたルーチェの拳を二刀で受け止め、上に弾き隙を発生させる。無論その反動を利用して蹴りを放ってくるのでそれに対して────俺も蹴りを入れる。
二刀流の強みは何も手数だけではない。
その軽さから派生できる体術が多い点もそうだ。特にこの流派に関しては身体強化が前提なので、とにかく汎用的にバランス良く対応できるように設計されているのだ。
俺はそのうま味を利用出来ないから宝の持ち腐れ状態だが、それでもいい。
初見で使うという部分に意味がある。
ぶつかり合った脚が悲鳴を上げている。
あ゛~~~~、痛ぇ。超痛ぇ。絶対折れた、確実に折れた。
だが、そのお陰で集中できる。
痛みを軽減するためにも思考を全て戦闘へと移行する。
激痛奔る右足に力を入れて踏ん張って、殴り合いにも似た剣戟を繰り広げる。
対応に手こずっているのかルーチェの肌に届くようになってきた。
制服の一部が破れ、肌から血が滲み、氷に混じって空を漂う。
互いに息切れが始まった。
極寒の空気に身体が耐えきれず、徐々に体力の底が剥き出しになってきている。
それは俺もルーチェも察していた。凡人のレッテルから抜け出せない俺と、“普通の天才”から抜け出せないルーチェ。
付き合いの短さからは想像も出来ない程に俺達は深まっていた。
「…………とても」
口の端から零れる血液を気にすることもなく、白い吐息と共に言葉を漏らした。
「とても、楽しかったわ」
「それは良かった。出来る事なら、次は無い事を願う」
「一回戦ったらもう用済みなの? 酷い男ね」
「言ってるだろ、俺は甲斐性無しなんだ」
徐々に冷まされていく熱を自覚しながら、最後の言葉を交わした。
二刀流に展開した光芒一閃を元の形へと戻し、俺の本来の強みを活かす一刀へと変形させる。
終わったらまた師匠に相談しなければいけない内容が増えた。やはりこれだけでは足りない、もっと外部から出力できる何かを付けなければ。
これが最後の呼吸になる。
一息吸い込んで、目を閉じた。
思い描くのはかつての軌跡。ただ一撃あればいいと、自分よりも速く鋭い敵を捕らえる為の斬撃。自分から踏み込むのではなく待ち受ける事で絶対的なアドバンテージを取る最強の後出し。
抜刀術。
知覚する事の不可能な攻撃に対し、死の感覚を絶対的に信用する事で可能にした極地の技。
幾度となく死の狭間を彷徨う事で磨かれた第六感を持つ人間にしか使用する事の出来ない大博打だ。
「…………来い」
届くかもわからないような声量で静かに告げた。
俺はお前を否定しない。
言葉で告げる事なんてしなくても十二分に伝わっただろう。
ルーチェ・エンハンブレの事を俺は信じている。何故ならば、『イイヤツ』だからだ。
「────来いッ!!」
だからこそ、全身全霊を懸ける。
俺はお前の友達だ。
友人の駄々くらい幾らでも聞いてやる。
互いに励まし合って傷口を舐め合って頑張っていこうじゃないか。
目を見開いた。
右拳にのみ氷の鎧を一点集中。
狙いがバレバレだがそれはお互いに一緒だ。
視線が交わった。
刹那の交差の後に、ルーチェの姿がブレる。
これだけに懸けて来た訳じゃない。俺は抜刀術をある程度取り扱ってきたが、真の達人と言えるかと言われればそうではない。ルーチェのように格闘全振りで鍛えて来た相手に付け焼刃で戦うのは愚策の極みだ。
だが、俺は第六感を信じている。
死の八年間は嘘を吐かない。
どこまで行っても俺を支え続ける苦い思い出だ。
「────────」
極限まで引き伸ばされた意識の中で、僅かな綻びを捉えた。
幾度となく実感した死の狭間。この感覚だけは俺の味方であり続けるのだ。
なぜなら────遺憾ながら、努力は嘘を吐かないから!
光芒一閃を振り抜く。
劔に宿った紋章が光り輝き英雄の再来を誇示している。
ぶつかり合った氷の鎧と僅かに拮抗し、跡形もなく破砕する。
砕け散った氷の粒が俺とルーチェの合間で煌めいている。その華麗さに目を奪われながらも手を止める事はない。
上段から振り下ろす袈裟斬りが氷の鎖を断ち切って、この世界の終わりを示していた。
「…………俺の勝ちだな」
「…………ええ。私の負け」
丁度良くタイムリミット、光芒一閃の維持可能時間も終わった。
白銀煌めく世界は終焉を迎える事となる。
制服を断ち切る様に斬ってしまったので、その、前が全開になりそうで怖いから上着を渡す。
俺の上着も冷え切っているので寒いだろうが見えるよりマシだろう。無論肩から勝手に掛ける事はしない。あくまで手渡しだ。
「羽織っておけ。じゃないとお前の上半身を全部見る事になる」
「……本当に、負けたわ」
血液が流れ落ちる中で背中からゆっくり倒れ込んだ。
医療班早く来て欲しいんだが、何してるんだろうか。空気をぶち壊すとか気にしなくていいよ。それより俺もコイツも割と死にかけだから。
「寝るなよ。起きれなくなるぞ」
「大丈夫よ。ロアが起こしてくれるでしょ」
「お前な……俺も疲れてる。具体的には暖かい寝床で温かいスープを飲んだ後に熟睡したいくらいには」
寒すぎて感覚がわからなくなってきた。
戦闘時特有の高揚感が無くなり、残ったのは極限の疲労感。正直立ってるのも辛いんだよ。早く助けに来てくれ、お願いします。
「少しは溶けたか」
「──……そうね」
天井で阻まれて見る事の出来ない天を見上げながら、ルーチェは呟いた。
「少しばかりは、溶けたわ」
凍傷がヤバい。
刀傷もヤバい。
ついでに骨折もヤバいし打撲もヤバい。
それが俺達二人の診断結果だった。
二人そろって医務室のベッドに叩き込まれたのはいいんだが、ステルラがルーチェの方から戻ってこない。おい、一応幼馴染だぞ。
「はい、傷は全部治した。よくもまああれだけ派手に暴れたもんだね」
「俺にしてはらしくない事に戦いを楽しんでました。そこは言い逃れできません」
動くようになった指先を確かめながらマグカップを受け取る。
あ゛あ゛~~~~、五臓六腑に染み渡る温かさ。
こうやって冷静になるとやはり先程までの俺はおかしかったのだ。戦いを好まず苦痛を嫌う、戦いの高揚感に身を任せるのは良くない。
あれだけ苦しい想いを八年間も続けて一度も味わう事が無かったのにどうしてあんな風になったのか。
「まったく。
本当に俺らしくなかった。
やはり痛みを嫌い努力を憎む、それが俺のスタンス。ブレてはいけない領域でした」
「君、本当にそういうトコだよ」
「うるさいな。男を見る目の無い老人のアドバイスが役に立つかよ」
氷の次は雷か、やれやれ。
極寒の中閉ざされる感覚と対比するような焼き焦げる灼熱に身を焦がしてしまった。
我儘な氷姫を溶かしたと思えば次は妖怪紫電気ババアである。
俺の運の無さを嘆くのは俺だけだ。
「ふう。人生を豊かにしてくれる人は何処にいるのやら」
そんな事願っても居ないのだが。
ない物ねだりは俺の基本である。初心に帰る意味でも改めて楽しんでいるのだ。
「元気そうで良かったわ」
「これが元気に見えるのか。おかしいな」
「さっきの発言は確実に貴方が悪いわ。それだけは確かよ」
どうやら女性陣に俺の味方は居ないらしい。
これほどまでに紳士に務めたというのにこれだ、嫌になるね。
「冗談だというのに。
たとえ俺が婚期を逃してズルズル全てを引き摺っている老人に軽口を叩いたとしてもそれは触れ合いに過ぎない」
冗談だと前振りしたのにも関わらず、俺の喉が紫の雷により焼かれて話す事が出来なくなった。
戦いは終わったはずなのに襲い掛かってくる苦痛に悶える他ない。
「ォ゛……ッ!」
「これも触れ合いの一つだ、いい勉強になっただろう。
さて、お邪魔虫は退散する事にするよ。後は若い人同士で楽しくしてるといい」
俺の喉を焼き切った悪魔は部屋から出ていき、苦しみ悶える俺に回復魔法をかけてくれる天使と我が友ルーチェのみが残る事となった。
「ありがとうステルラ。俺はお前を悪魔だの憎しみの権化だの散々な呼び名を付けて来たが謝ろう。お前は天使だ」
「え? あ、うん。天使、天使かぁ……」
「ちょっと待ちなさい。その前に貶されてるのよ」
嬉しそうにはにかんだステルラを引き留めるルーチェ。
くそっ、折角だから過去の清算を済ませてしまおうと思ったのにまさかルーチェに防がれるとは。
恩を仇で返すとはこの事か。
「ルーチェ。お前も俺を労わらないのか、なんだかんだ言って結構尽力したんだぞ」
「感謝はしてるわ。それとこれとは話が別なだけよ」
「我儘だな」
「嫌いじゃないでしょう?」
ハ~~~~。
してやったり、みたいなドヤ顔しやがって。
お前が美少女じゃなかったらぶん殴ってる所だ。
「チッ、今日はここまでにしといてやる」
「私の勝ちね。何で負けたか考えておきなさい」
「一線越えた。表出ろ」
許せねぇ。
山よりも高く海よりも以下略な心の広さを持っている俺だが、どうしても見過ごせない事はあるのだ。今日は俺の勝ちで決まりだろ。あんだけ正面切ってやり合って負けを塗りたくられては我慢できない。
「ステルラ。お前は俺の味方をするんだ」
「へ」
「いいえ。ステルラは私の味方よ」
「えっ?」
どういう事だ。
いつの間に貴様ら仲直りを済ませた。
「う、う~~ん……お灸を据えたいからルーチェちゃんの味方で」
裏切りだ。
幼い頃から約束を交わした友ではなく……新しく出会った友人を選ぶのか……ステルラ……
俺は悲しい。
「ハァ……もういい。俺は深く傷ついた。そっとしといてくれ」
折角苦しい想いをしてまでやったのにこれだ。
やはり努力はクソ。人生楽観できる程度が一番幸せなのである。
あーもーいじけた。今日は何もしない日に定めた。この後は何もせずに家に帰って寝る。それ以外勝たん。
「まあ、感謝の印と言ってはアレだけれど。今日の夕飯の予定はある?」
「ない」
「なら私の家に来なさい。少しくらいは作ってあげるわ」
おお、ルーチェ。
やはりお前はイイヤツだ、よくわかってる。
「ウェッ……」
「どうしたステルラ。なにを呻いている」
「い、いや……なんでもないヨ」
どこか遠い目をしているステルラを鼻で笑いながら勝ち誇った顔をするルーチェ。
「ぐぬぬ…………ロア!」
「なんだ」
「明日泊まりに行っていい!?」
「急すぎないか?」
頬を赤く染めながらヤケクソ気味に叫ぶ幼馴染の姿に少し恐怖を抱きつつも別に断る事では無いと思う。
しかし待て。俺は現状ルーチェの家に上がり込んだり家にステルラを連れこんだりと世間的に見てヤバい男に変貌しつつある。しかも俺の家には堂々と不法侵入してくる妖怪だって湧くのだ。
「まあいいぞ。飯代頼む」
「……こういう部分よね」
「……こういう部分だね」
何故か二人揃って溜息を吐いた。
つい先日までめっちゃ嫌ってたくせに一体何をどうしたらこんなに息が合うのか俺にはさっぱりだ。
やはり女心の理解は何よりも難しく面倒くさいと改めて実感した。




