十九話
ステルラ・エールライトは、本来ならば死ぬ運命にあった。
全身を魔力へと移し、その本体ともいえる心臓を他者へ受け渡した時点で意志を喪失、自我も忘却、完全に魔力そのものへと存在を移行する。ただ魔力を生み出し続ける心臓に全てを託し、消え失せる。
彼女の末路は、そんな装置に成り果てる事であった。
(……………………)
一度でもそうなってしまえば取り戻す方法はない。
座する者という超越者の如き力を得ても、他者へ力の源である魔力と心臓を譲渡するのは死に等しい行動。おそらく、魔祖でも全く同じ結果を得るだろう。
全てを捧げてでも生き延びて欲しい。
その感情のみが、ステルラ・エールライトに決死の行動を行わせた。
(……………………)
結果として彼女は暗闇に囚われたまま希薄になり、その生を終える────筈だった。
ただ、一つだけ。
ステルラにだけ許された、絶対的なもの。
この世界のどんな人間よりも執念深く想い続けた感情。『普通』と称された彼女がたった一つだけ、超越者へと至る要因となった妄執。
ロア・メグナカルトへ向ける複雑怪奇な感情。
恋慕も嫉妬も羨望も愛情も、それら全てをただ一人に差し向けた大きな心。
(……………………ロア)
そんな対象からずっと、ずっとずっと、心の内側で抱えていた本音を、己が消失するまで延々と語られて。
満足して消え去る程、ステルラは、物分かりの良い女では無かった。
それが故に──この結末へと至る。
ロア・メグナカルトは疑似的な超越者へと成り上がり、ステルラ・エールライトは復活を果たして。
坩堝を割り首都を揺るがし国を崩した戦争の終結へと。
☆
剣と剣がぶつかり合う。
光芒一閃と光芒一閃の効果は似通ったもので、その二つの激突はその度に衝撃を撒き散らす。
鍔迫り合う形で押し付け合って、そのまま紫電を身に纏いながら剣戟を繰り返す。
超速で駆け抜けながら行う近接戦闘は慣れたもんだ。どっかの誰かさんが何度も何度もやってたからな、その記憶を誰よりも見て来たこの俺が出来ない訳がないだろう。
「雷閃──ッ!」
魔力の刃と斬撃を並行して飛ばしながら、アルスの展開する弾幕を紙一重で避けて懐へと潜りこむ。
俺とアルスの技量は拮抗している。
剣技においても、魔法操作は僅かに向こうが上だが、総合的な戦闘力に関してはほぼほぼ平行線と言っていい。俺はアンタを越える為に努力してきたのに、あれだけ人生を費やしたのに越えられなかった事実がどうにも憎いな。
『──紫閃震霆!』
だが、今は俺だけじゃない。
俺とアルスの拮抗した戦場を横からぶん殴って干渉してきたステルラの魔法は容易に全てを薙ぎ払っていく。避けるために後ろへ動こうとしたアルスに対して追撃を行うのも忘れない。
口角が吊り上がる。
あんなにも戦いを否定していたのに、どうしてか俺の心は高揚している様だ。
そりゃそうだろうさ。だってよ、俺が絶対に手が届かないと思ってた相手だぜ? 国を救うような大馬鹿の化け物を相手に、幾度となく敗北を重ねて来た奴に、俺の眼を焼くことになった鮮烈すぎる光と闇を前に、ここまで大立ち回りしてるんだ。
これで高揚しなかったら男じゃないだろ!
『じゃあ私とも戦えるよねっ』
それとこれとは話が別なんで、良いから援護して貰っていいですか?
『わ、私の事好きなんだよね? じゃあお願い聞いてくれてもよくない?』
ステルラの言葉を完全にシカトしながら、変わらぬ剣戟を繰り広げる。
俺は、アンタの背中を追い続けた。
誰よりも、この世界のありとあらゆる生命体全て含んだなかで、誰よりも追い続けた。人の醜さと言うものを幾度となく見せつけられながら、それでも善性を信じ続けた愚か者。
現存する超越者達にすら色んな感情を植え付けて死んでいったアンタと今相対して、斬り合って、その強さを実感する。
戦いなんて好きじゃない。
それでもやはり────俺の人生は無駄じゃなかったのだとわかるこの瞬間を否定する気はなかった。
首を狙って放たれた横薙ぎを光芒一閃で抑えつけ、胴体を蹴り飛ばす事で一時的に隙を作る。
「────ステルラっ! 合わせろ!」
『────あ、はい……』
めっちゃテンション低いな……
テンションは低いが、しっかりと魔法は撃ってくれたので気にしない。そういう事は後で聞くからさ、今は真面目にやってくれよな。
『いや、だって…………なんか私どうでもいいと思われてるみたいですごく……こう……』
…………?
別に、お前の事は好きだが。
『そ、それは疑ってないけど。この人と戦うのは凄い楽しそうだから、羨ましくて……』
そりゃ、まあ……
さっきまでは地獄みたいな感情抱いていたが、好転したからな。
俺が負ける事がほぼない状況で、お前と一緒にいて、尚且つこれまで勝てないと思ってた奴に勝てる現実が見える。めっちゃ興奮するね、正直。
『なんだろう……言ってる事は凄くさいあくなんだけどな』
細かい事は後で言うし聞く。
だから今は取り敢えず勝つ事を優先しようじゃないか。
ここで勝たなきゃ師匠が死んじまうし、これ以上犠牲を広げるのだってよくないだろ。
『…………うん。そうだねっ』
素直でよろしい。
魔法を正面から喰らったアルスは土煙を振り払い、僅かに欠けたままの指先を治す事も無く、再度剣を構え────あ?
……なんで治ってないんだ?
さっきまでは何喰らっても一瞬で治してたのに、治す気配も無いのは一体、どうして。
『…………もしかして』
ステルラが一言呟いた。
俺にはさっぱり心当たりが無いが、何か思いついたか?
『うーん……外で滅茶苦茶暴れ回ってる人がいるのは感知できる?』
いや、全然。
魔力が十分あって魔法も扱える状態になったが、それはそれとして全部いきなり使えるようになったわけではない。よってアルスに魔力がどういう形で供給されているのか、とかは読み取れない。
『たぶん、マグナスさんのお陰かな』
「……なるほどな」
確かにどデカい破壊音が聞こえていたが、テリオスさんか。
それは納得だ。
素のスペックで俺を越えてくるあの人ならその程度やってのけるだろう。
アンタは自分自身の事を卑下して英雄にはまだならない、なんて言っていたが────十分それ以上の功績遺してる。
「魔力の供給が十分ではない、つまり魔法の威力も下がるだろうし負傷は治らないと来た」
『うん。それなら────どうとでも出来るよ』
紫電を発露させながら、ステルラが姿を現わす。
『私が火力を出して』
「俺が手数で潰す」
完璧な作戦だな。
紫電を身に纏い、霞構え。
疲労感は抜け落ちて、身体を支配するのは全能感だけ。
僅かな達成感と極度の緊張感、胸の高鳴りが興奮と高揚を如実に表している。これまでの戦いとはまるで違う、まるで俺の戦いじゃないみたいだ。
皮肉なもんだ。
結局最後の最後まで、俺は誰かの借り物で生きている。
師匠に祝福を授けられ、力を磨き、この剣だって元を辿ればアンタがオリジナルだ。ステルラの力を得て対等に戦う舞台に立てるのも、情けない。
それが俺だ。
『…………ロア』
「わかってる。だが、これが俺の自己評価だ」
誰が何と言おうと、俺は張りぼてのカス野郎だ。
誰かの力を借りなければ生きていけない弱者。
そんな奴が英雄になりたいから力を貸してくれ、なんて言うのは──なんて烏滸がましい事だろうか。
でも多分、アンタは否定しないんだろう。
それもわかる。
アンタはそうやって立ち上がった人間の事を否定するような、人の痛みも怖さも苦しみもわからないような人間じゃない。
他人に共感し、それらの苦しさや痛み恨み全てを背負って生き抜いたのだから。
「だから、俺が継いでやるよ」
英雄アルスは死んだ。
俺が受け継いでやる。
その末路も、アンタの人生の苦しみも、その果てに生まれた幸せも何もかも。身に余ることだが、残念なことにそれを出来そうなのは俺以外に居ないからな。
「アルスの人生は、一つたりとも無駄じゃ無かったってな!」
脚に力を込めて、一気に踏み込む。
大地をえぐり取り、その衝撃だけで木々を圧し折るであろうくらいに力を込めた。それでもなお健在の四肢に感嘆を隠せないし、身体強化とはこんなにも有難いのかと涙が出そうだ。これまでの俺の苦労は一体。
光芒一閃を受け止めたアルスに剣閃を重ねる。
一振りで二撃生み出しながら、俺の一撃を無視できないアルスは後手へと回っていく。俺への対処で手一杯なところに、ステルラから正確無比な援護が飛ぶ。
『紫電雷弾!』
それでも流石と言うべきか。
限界ギリギリなのは間違いないが、同等の魔法を展開し相殺を試みる。この程度でアンタを倒し切れるとは元々思ってなかったが、余裕の態度で斬り結んでくるのは腹が立つ。
雷速で襲い掛かる魔法を撃ち漏らし、百の弾丸から僅か二発のみが直撃する。
これだけ状況が揃ってようやくこれだ。
だが、そのほんの僅かな傷跡が、俺達に勝利を齎す。
小さな揺らぎを逃すことなく、目を見開き深く息を吐いた。
「────紫電剣閃……!」
紫電の刃が────否。
刃というにはあまりにも強く、偉大で、大きな魔法。
触れるだけで対象を消滅させる事すら可能な一振りを幾重にも重ねて、未だ疲労感の一つも訪れない腕を振り抜く。
「とっとと、くたばりな────!」
成す術もなく飲み込まれたその姿を見失わないように、魔法を展開したまま空に駆け出す。
魔力の足場を一部展開し踏み込んで、紫の軌跡のみを残して、障壁も何もかもが消え失せた首都の上空へと。
その崩壊した景色に目を向けるでもなく、ただ、落ちかけの夕日が照らす眩しさだけが俺達を照らしつけた。
左脚と右腕を失ったアルスが、残った左腕に魔法を展開しながら落ちていく。
坩堝へ飲み込まれるように落下をするその背後に、白い繭が大地へと飲み込まれていく姿を捉えた。
「紫電!!」
アルス。
アンタが救った娘は、こんなにも強大な魔法を扱うようになった。
英雄アルスが救った人々はあんなにも強くなった。人の枠組みを超え、人智を越える魔法を編み出した。誇ってくれよ。
師匠、後で幾らでも伝えてやる。
それでも今この瞬間に、言わなくちゃいけない事がある。
きっとこの後傷が治って、アンタは自分を卑下するんだろう。百年近く生きてきて何の異常にも気が付けなかった愚か者で、下の世代に全てを押し付けてしまったと後悔を滲ませながら。
俺はそれら全てを否定する。
俺達は、少なくとも俺は、師匠に救われてばかりだった。
なぜか俺にだけ与えられた英雄の記憶と現実の違和感に苦労しながら、すっかり自分自身を諦めてしまった俺だったが、そんな俺の努力を笑わなかった。無理無茶無謀何て一度も言わずに、ただ頑張れと言い続けた。
それはそれで苦しかったけどな。
でも、そのお陰でここまで来れた。
最悪の結末は避ける事が出来て、後悔する事は多々あっても────人生を否定しなくて済んだのは、師匠のお陰だ。
だから、目を覚ませよ。
まだ俺は、師匠に何も返せてない。
「『紫電…………雷轟────!!』」
大地の奥底まで、潜む全てを薙ぎ払え。
俺達二人分の全魔力を込めた一撃は、坩堝諸共学園を吹き飛ばし────極大の爆発と共に、天高くまで届く光の柱を生み出した。
暗闇だった。
暗黒に包まれていた。
血肉の生臭い匂いが抜け落ちない。
殺した人の顔を、忘れたことは一度も無い。
罪は拭えない。
それが百年近く生き続けて出した、私の結論だった。
それまでに通った過程なんか何も関係ない。
ただ人を殺して、他人の家族を奪い、悲しみを生み出した。
その一点が存在するだけで私は、最低最悪の人間だと自覚している。
だから、何もかもから目を逸らして逃げていた。
平和になった世界で、【彼】が夢見ていた景色を共に作り上げようと努力して。その基盤を整えて、戦い漬けだった【彼】を解放して、長寿になった我々がこれからの世を導くのだと思い上がって。
────英雄アルスが、死んだ。
そこから、私の世界は崩れた。あの人がいない世界に、どうして私は残されたのだろう。
私にとって、あの人が全てだった。両親の顔も忘却し、多くの人間を殺して血に塗れた私を許してくれた優しい人。
どうやって生きていけばわからなくて、逃げ出した。
責任も何もかも投げ出して、呼吸もままならないような状態で、人里離れた山奥に逃げ込んだ。
あの人が隠居した後に選んだ自然の中で、数十年過ごした。
十二使徒の中でも仲が良かったエミーリアは私の事を心配して時折訪ねてきてくれた。責めもせずに、ただ、最近の調子はどうかと世間話をして、別れる。
彼女との関係だけが、私の生きがいとなるのもそう遅くはなかった。
長い間一人で生きていく内に、エミーリアが酷く忙しそうにしている時期があった。
私は彼女と話すのが好きだったけど、それを理由に邪魔をしたくなかった。
だから、一言だけ、申し出た。私でよければ力になる、と。この一言を振り絞るのに費やした月日は数えたくも無いが、そこでようやく一歩進めたんだと思う。
そして、少しずつ人と関わり始めた。
初めは村に馴染めるように、そして村の人達と交流を始めて、役に立てるように勉強をして。長生きだけはしていたからその間に蓄えた知識と魔法はとても優秀で、立場を開示しなくても私個人を頼るようになった。
十年、二十年と月日が経って不老であることが悟られても、彼らは決して聞き出そうとはしなかった。
そういう所がきっと、あの人が遺したかった優しさなんだと思う。
他人を思いやり、時にぶつかり合う事があっても決して害することは無い。折り合いをつけられるように我慢と話し合うという手段を用いて、隣人として歩んでいく。
戦いと怨嗟の記憶しかない私にとって、それは、何事にも代えがたい美しい光景で。
その果てに迎えたこの末路は、お似合いだと思った。
視界が明ける。
まず感じたのは、鼻をツンと貫く血液の匂い。
鉄のような独特のこれを味わうのは久しく、全身隙間ない程に浴びたこれは嫌いな香りだった。
「────……や。………こと、…………か」
聞いたことのある声だ。
年若い青年、たしかロアの友人で、あの血筋の者だったはず。
「エイリアス・ガーベラさん。聞こえていますか?」
次に聞こえて来た声ははっきりとしていた。
何度か顔を合わせたこともある、廻天を受け継いだ少女。
「……ァ、ぁ……っ」
「聞こえている様ですね。今回復魔法をかけますので、少しだけ我慢してください」
回復魔法を。
どういう状況だったか、随分と長い間眠っていたような気もする。
たしか、エミーリアと共に地下の調査に赴いて、ヤバそうな奴らに当たって、応戦して、それで…………
「────…………ロア、は……」
喉が治ったらしい。
はっきりと発音できたのは名前だけだったけれど、マリアは正確に意図まで受け取ってくれた。
「詳しい事はわかりかねますが、恐らく事態は収まりました。そうでなければ、貴女の傷を治せることも無かった」
「少しは僕にも感謝してくださいよ、第二席さま」
「…………不快な男ですが、この男が居なければガーベラ様は亡くなっていたでしょう。非常に不愉快ですが」
「……………………そうか」
傷は塞がった。
あの人の姿をした何かに斬られた部分は傷跡もなく綺麗になり、失われ続けていた魔力が回復していくのも感じ取れる。
そうか、終わったのか。
少しずつ記憶の整理が終わって、何があったのかを回帰していく。
地下での接敵、突如上へと駆け上っていった敵、包囲されたあの瞬間、ロアが命を投げ捨てようとしていた時にそれを止めたエミーリアの姿に、庇って死を覚悟した後の、泣きそうな顔をしたロア。
────結局私は、どこまでも……
瞠目と共に胸の内に沸いたネガティブな感情を遮るものは何もなく。
ただ淡々と、外から聞こえてくる歓声が、どうしてか自分を責めている様な気がして。
ぐちゃぐちゃになった心の内を、そっと抱き締めた。




