第十六話
視界が開けた時、見慣れた光景が映った。
崩れた建造物に積み上がった瓦礫、所々に付着する血液のような赤黒い染みに坩堝全体を侵食するように広がる白い繭。
異様な光景だ。
初めて坩堝を訪れた者が見ればなんの施設なんだと疑問を抱く事だろう。
「ねえロア。あれって……」
「そういうことだ」
たぶんきっと。
自信がある訳じゃ無いので微妙なラインだ。
まあでも、俺以外の誰かが保証してくれているから今回の場合問題は無いのだが。
繭の横に静かに佇む一人の男。
真っ白な色彩に染められた彼は後世に伝えられたのと同様の服装で身を包んでおり、右手に握り締めた剣と全身から僅かに発せられている稲妻がその名を如実に表している。
まるで繭を守る様に立ちふさがった彼は突如現れた俺達に対して微動だにせず、危害を加えない限りは動かんと言わんばかりの無関心っぷり。
表情を構成する眼や口は抜け落ちているのがこれまた傀儡扱いしている様で不愉快だ。
「…………もしも意思があるなら穏便に済ませたいんだが?」
答えは無い。
そりゃそうだ。仮に意思があって逆らえるのならエミーリアさんを殺したりはしないだろう。アルスにとってそれが一番避けたいことであったのだろうから。
それを阻止できなかった俺の無能さを呪いつつ、俺もまた右手に剣を生み出した。
今全身を巡っている魔力はほぼステルラのもので、極僅かな量だけ皆の魔力を取り入れている。魔力にも個人差があるみたいだからな。変に混ぜると誤作動を起こすらしい。
つまりは今、俺はステルラの色に染まっているという事。ちょっと興奮した、キモいね。
落ち着く為に一息吐いてから、俺はゆっくりと一歩踏み出した。
向こうに反応は無く、警戒ラインにすら乗っていないのだろう。悲しい事ではあるが嬉しい事でもある。舐めてかかってくれるだけ得するぜ。
「ステルラ、作戦は」
「ロアが接近戦で私がフォローだね。大丈夫だよ」
事前に決めていた事で、近接戦闘を主体で行える俺がメインを張る事になった。
個人的にステルラに丸投げしても大丈夫な気はするんだが、それだと俺が役に立たない。俺は英雄の剣を誰よりも知ってるし戦い方も熟知しているのだから、合理的に考えて俺が戦うべきだと判断した。決してステルラに傷付いてほしくないから嫌々前に出る事にした訳ではない。決してな。
それにステルラは天才だ。
でも剣術を真面目に学んだわけではないのでそれなりに不利を受ける立場にある。なにせかつての英雄が葬って来たのはそういう魔法に特化した連中ばかりなのだから。
「……幸か不幸か、なんて言いたくはないがな」
俺が近接でお前が中遠距離、いいバランスだ。
魔法力の有無を加味しないのであれば。
光芒一閃を手に掲げ、いつも通り霞構え。
俺の敵対心を感じ取ったのかは知らないが、アルスも同じ構えに移行した。そのままだらりと待ち構えてくれると楽だったんだが、流石にそうはいかないらしい。
俺如きを敵として認識してくれる事実に混ざり合った感情が沸きだしつつも、本命は忘れない。
俺は貴方を殺しに来た。
師匠たちを救い戦争を終わらせ後世に名を遺す程の偉人であり、身体的な強さも精神的な強さも俺なんかよりずっと優れている貴方を、ただ記憶を持ち合わせてしまっただけの俺が。
コンプレックスから始まった人生だった。
いつだって現実が理不尽な結果を伝えてくる中で、幾度となく心の奥底に溜まっていく不愉快な重みを抱えながら諦めたくないと僅かな意地を張って来た。
記憶の中にはいつも貴方が居た。
誰もを照らす鮮烈すぎる光を放ちながら、その奥底にある人間らしい昏い感情を見せることなく演じきった貴方が。強固な意思で押し込んだその薄暗い感情こそが、俺にとっては自分を保持する大切なものだったのに。
俺は英雄が嫌いだ。
今でもその感情に変化はない。
大嫌いで憎たらしくて、子供の頃から何度も何度も見て来た貴方の人生は────誰よりも醜く綺麗で、それを見る度に涙が流れそうになる。
主に自分自身の情けなさとかその他諸々を込んだ感情が原因で。
貴方が一人で成すこと全て、俺は一人じゃ出来ないんだぜ。
「────紫電迅雷」
解合を唱える事で祝福が起動する。
バチバチと視界に紫電が写り込むのと同時に全身を痛みが駆け巡った。
ノーリスクで雷を受け入れられるような体質だったのならよかったが、生憎俺にそんな素敵な性能は搭載されていない。いつだって己が身を犠牲にして何かを得ている。
なんならこれでマシになった方だ。
痛みを喰いしばって戦闘準備を整えて、ここから死に塗れた場所へ自分から踏み入らなければならないのだ。
悲しくてしょうがない。
「【救国の英雄】、アルス」
鏡写しのような形で向き合う俺達のことを遮るものは何もない。
今この瞬間の為に俺は生きて来たのだと言われても否定はしないし、寧ろ理解を示して首を縦に振る。だって結局のところ、ステルラを殺す可能性が最も高い相手はこの男だから。また復活するかもしれない未来を見過ごすわけにはいかなかったのさ。
深く、沈み込むような呼吸を一度して。
「…………殺すぜ、アンタを」
じり、と足を僅かに動かし────一気に踏み込む。
視界が急激に灰色へと変化し、俺の認識能力が追い付いていない事を理解した。
それでも問題はない。この空虚な世界で十全に動けるようにこれまで努力を重ね続けて来たのだから、今更失敗などするものか。
右脚から折れた痛みが昇ってくるのと同時に剣を全力で振りかぶる。
飛びかかるのは下策、しかし距離を詰めるにはある程度浮いてしまう。相手が剣を横薙ぎに振るよりも先に受けさせる──それが今回の狙いだ。
「オ────ラアアアアッッ!!」
叫びと共に振った一閃は見事に防がれたものの、光芒一閃には見覚えのない雷撃が付与されている。
普段の刀身よりも三倍程度の太さに膨れ上がったそれからは斬る事など何も考えてないように思えるが、恐らく魔力で無理矢理裂くのだろう。ステルラがかけてくれた魔法だな?
魔力同士のぶつかり合いにより坩堝全体を揺らがす衝撃が撒き散らされ、俺はその圧に流されるように一度後ろへと下がる。
相対するアルスの身体が一瞬ブレて──まずい!
急ぎ右側をカバーするように剣を逆立てた。
バギャッ!! という音と共に大きく視界が反転し、吹き飛ばされた事に気が付くまでおよそ一秒足らず。
全身を襲い痛みに顔を顰めつつ、命だけは失わないように勘を頼って地面を駆ける。
「ステルラっ!」
返事はないが意味は悟ってくれたらしい。
俺の声を聴いたステルラが、追撃を仕掛けようとしていたアルスを止めてくれた。俺が反応するより早く迫っていたアルスを止める手段が既に無く、あと数秒遅れていたら首と胴体が別れていただろう。容赦ない奴だぜ、本当に。
英雄を英雄足らしめていたのはその精神性だと言うのに、それを損なわせるなんて解釈違いにも程がある。
「【紫電】!!」
紫電の煌めきが視界を焼き焦す。
紫電迅雷を一度解除し生身同然の身となったが、それでも脚は緩めない。ステルラが時間を稼いでる間に速攻を仕掛ける。
そもそも俺達は長期戦に不向きだし不利なのだ。
相手は無限に魔力を運用できる癖に此方はできない、こんな馬鹿な話があるか。ジリ貧を迎えるのは当然の帰結なので、短期決戦で仕留めるしかない。それをするには時間も手数も火力も足りてないんだが?
あ~あ、俺に魔力があったらな!!
ステルラと魔法の応酬をしつつも駆け続けるアルスの進路へと割り込んで剣を一振り。
奴は稲妻の速度で走れるが、ステルラの妨害が効いている。紫電もまた稲妻と同じ速度で奔るんだから、アルスが足を止めれば止める程距離は近くなるのだ。
たった一度の接触でバカでかい衝撃が生まれている所為で身体が吹っ飛ぶが、こういう宙を飛ばされる感覚は慣れ親しんだ物なので問題ない。でも痛いのは嫌だから出来ればしたくないのにそうせざるを得ないってのが一番厄介だよ。
そしてまた地面を滑りながら着地して駆け出す。
無数の雷槍がステルラから放たれて、ヒットアンドアウェイを繰り返す俺を避けるようにアルスへと奔っていく。援護アリの戦いってこんなにやりやすいんだな、とこんな状況で考えてしまうのは悪い事だろうか。
これまでの戦いがね……
流石にステルラは戦いの才能にも恵まれていたのか、上手い事俺の隙を縫うような戦いをしてくれる。雷速で動けるのならばまだしも常に紫電と同化出来る訳でもない俺が晒す隙は大きく、たぶん、アルスにとっては簡単に取れるだろう。
そこをカバーしてくれるステルラに(少々遺憾ながら)感謝をしつつ、もしも俺が一人で戦うことになっていたら秒殺されていたなと情けない結論が出て少し涙が出そうになった。
一進一退の攻防を行って大体二十秒程度、進展が見られないために一度引き下がりステルラと共に作戦を練り直す。
アルスは俺達二人に無策に突撃する事はよくないと判断したのか、再度繭の隣へと歩いて行った。
多少息の上がった俺と全く息の上がってないステルラ。
ジワリと汗が零れていく額を拭う俺とそんな俺の顔を見るステルラ。
次の作戦は? と言わんばかりに期待して目線を向けてくるお前には少し悪い事だが、ここまでの攻防でわかったことが幾つかある。
「参ったな。俺の剣が通じない」
「えっ」
「冗談だ」
「びっ……くりするよね、うん」
「正しくは通じていないのではなく効いていないだ」
「それ同じことじゃないかな」
剣技で後れを取る事は無いだろう。
多分、全く同じ条件ならば負けることは無い。スポーツとかでよく例えられるアレと一緒だ、全ての条件が同じだった場合に誰が最も優れているのか、みたいなやつ。
剣技のみで戦えるのならば俺が死ぬまで粘ってやることも出来なくはないだろうが、決め手に欠ける。
「改めて確認するが、あの男は【救国の英雄】アルスその人。俺に何故か宿っている記憶の持ち主であり、端的に言うならば上位互換だ」
「だから私とロアで戦おうって話でしょ」
「そうだ。それでイケると思ってたんだが…………」
正直に言おう。
俺は彼を見誤っていたかもしれない。
その人生の軌跡を見て来たくせに彼を過小評価してしまった。
アルスの人生の本質は逆境だ。
常に不利な状況を押し付けられ、その上で戦い相手に認めさせ極力命を奪わず協力を取り付ける。勿論武力行使をせざるを得ない場面も存在したが、それでもこの男は戦いを交渉の道具だと割り切っていた。
一方俺の人生は不遇と幸運の両者が合わさった矛盾してるものだ。
常に不利な状況を押し付けられ、その上で戦いたくないと抜かしながらヒモとして生きていきたいと願っている。武力行使をしなくちゃいけないからここまでやってきたが、俺はこの戦いで全てが終わると思っている。
奴にとって多対一なんて当たり前。
負けそうになる事だって沢山あった。
それでも負けないで、数えられない程の苦しみを背負って生き抜いた。
「…………つまり?」
「アルスにとってこの状況は不利でも何でもない、いつも通りってことだ」
俺達は有利な盤面を作りだせたわけではない。
勝ち目のない状況だったものが、ほんの僅かにだけ対抗できる可能性が湧いて出て来ただけだった。
それでも十分だと言いたいが、俺達が時間をかければかける程犠牲が生まれる事を考えれば全く足りていない。
「俺には剣技がある。だが総合的なステータスが欠けている」
「私には魔法がある。でも剣技がないから打ち合えない……」
チラリとステルラに視線を送れば、真面目な表情で思考を巡らせている姿が。
顔が良いな……
思考を振り払うために頭を横に振って、あまり絶望するのもよくないから慰みの言葉を吐くことにする。
「互いの弱点を補えていると言えばそうなんだが」
他人であるが故にどうしても足りないのだ。
その、アルスの隙を突くほんのわずかな点が。
俺が強ければこんな風に悩まなくてよかったのに。
魔力さえあれば問題なく今の攻防で終わっていたかもしれないのに。
こういう負けられない場面を迎えて自分の力不足を見せつけられるのは、少し心に来る。
「────大丈夫っ!」
ステルラは無邪気に言った。
先程までのような深刻そうな、真面目そうな空気を吹き飛ばして、まるでいつも通りのステルラのように振舞って。
「だってロアがいるもん」
「……今まさに俺の無能さをアピールしたばかりだが」
「ロアは無能なんかじゃないよ」
真っ直ぐに俺を見詰めて、空いた左手をそっと握って来た。
オ゛ッ…………
ン゛ン゛ッ!
「わたし、ロアのこと信じてるから」
「どいつもこいつも見る目がないな」
「灼かれちゃったんだよ、きっと」
俺からすればお前が一番の太陽なんだが……
そんなどうでもいい感想は放っておいて、具体的に現実をどうするかという点を煮詰めなければならん。
「うーん……方法を思いつかない訳じゃないんだけど」
「マジか」
やはり、天才か……
「ちょっと時間が必要かな。五分くらい」
「フッ……ステルラ。お前俺が五分もタイマン張れると思ってるのか?」
「え? 出来ると思うけど……」
だからなんなの? その信頼。
そんなことは出来ないしやりたくないが、それでアルスを倒せるならそれでもいいかもしれん。
代わりに俺が死ぬかもしれないという悲しい可能性がある点だが、まあ、なんだ。
俺が死ぬことで大陸が平和になるならそれでもいいだろう。俺の責任でもあるし、師匠とステルラがそれで生き残れるならそれでいいか。
「…………ねぇロア、なんか変なこと考えてない?」
「未来に夢と希望を見出していたのさ」
光芒一閃が問題なく使用できる時間は残り十五分と言ったところ。その間に決着をつけないといけないのだから、ステルラの作戦に従うのが一番だろう。
は~~~~…………
まったく。
最後の戦いだってのに、そこでも役に立てるわけじゃないってのが堪えるな。
俺に全てを解決する超人の如きスペックがあれば、そう願わずにはいられなかった。
光芒一閃を握り締め、一歩前に出る。
やりたくはない。
情報通りのスペックを十全に扱えるアルス相手にタイマンとか本当に嫌だが、それが必要ならばやろう。一人醜く生き延びながら戦う術は身に着けているし、というか寧ろ、それが一番得意ではないだろうか。
特にアルス相手には。
「五分間きっちり守り抜いてやる。骨は拾ってくれ」
「縁起でもない事言わないでよ!」
精々死なないように頑張るとするか。
稲妻を身に纏い剣を構えたアルスの姿に思わず辟易としながら、もう一歩踏み出した。
目の前で繰り広げられる剣戟を見詰めながら、必死に魔力を練る。
私の思いついた作戦は至極単純だ。
二人の連携にラグがあるのなら、それを無くせばいい。
ロアに剣技と魔法のどちらも付与すればきっと、かつての英雄にだって勝てると思った。
上手くいくかはわからない。
全身を魔力に変換して、その上でロアに宿る。
宿るって表現正しいのかな。どうだろ、わかんないや。でもとにかく、ロアに魔力と魔法を付与するのならばきっとこれが最適解だ。
その結果どんな影響が出るのかはわからないけれど────わたしは、ロアに生き残って欲しい。死んで欲しくない、幸せになって欲しい。
こんな私の事を見捨てないで、人生全部捧げるなんて言ってくれた男の子。
大好きな幼馴染、かっこいい男の子、言いたい言葉は沢山あるけど…………うん、そうだね。
幸せになって欲しい、が一番かな。
もし失敗して【私】が消えてもロアは勝てる。
ロアが私のことを(たぶん)大切に思ってくれてるのと同じく、私だってロアのことを大切に思ってるんだ。死んででも刺し違えるなんてこと許さないからね。
私はロアが居なくちゃ生きていけないけど、ロアは周りに沢山の人がいる。いくら私の事を特別だって言ってくれてるとは言え、みんなを置いて死ぬことなんて選ばないでしょ?
だから、まあ、その。
もし失敗したら────…………ごめんね?




