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10-2 溜息

 時は数時間前に遡る。



「はぁ。」


 レヴィが溜息を吐いた。


 レストにはその理由が簡単に察する事が出来た。ーーまぁ机の上の書類と、先日の事件を考えれば推理するまでも無いという意見はあるだろう、と彼は心の中で認めてもいた。


 机の上には報告書があった。ディメイングループのアーシャが、各店舗の全利益を持って失踪した事、その行方はようとして知れない事。そういう内容であった。


 それともう一つ。ヴェダについて。裏切り者である彼だが、情報は垂れ流すだけで、具体的に敵のアジトなどを知っているわけでは無かった。ただただ聞いた内容を報告するだけである程度の金が送られてくるという、楽な仕事だからと請け負ったのだという。


 ーーその時のレヴィの怒りようといったら、レストも思い出すだけで背筋が凍りつく感覚を覚える。壮絶な殺気。絶対に許さない。確実に生かしてはおかない。そういう感情が溢れ出しているのがレストにもよく分かった。レストとシェルフが止めなかったとしたら、間違いなくヴェダはこの世から消えていたであろう。


 その時は、食事のケーキ(散々な言われようであったが提供は続いていた)を渡す事で何とか怒りが収まった。騎士の誇りを汚した罪に対する怒りが、ケーキ三つで落ち着くのもどうなのだろうかとレストは思わなくも無かったが、機嫌が治ることが最優先されるべき事項であると判断した彼は、ただ静かにその様子を見つめることしか出来なかった。


 さて今の機嫌は、雷雨とは言わなくとも、小雨の降る憂鬱な梅雨の季節といったところであろうか。この世界、少なくともこのレピア国に梅雨は無いが、レストは生前の記憶を思い返した。


 とりあえず触らぬ神に祟り無しという言葉もーーこれもまた生前の記憶だがーーある。そろそろと静かに立ち去ろうとした時、


「失礼します。」


 という言葉と共に、騎士の一人、アファルが入ってきた。


 レストは嫌な予感がして立ち去ろうとしたが、出入り口は一つしかなく、そしてそれはアファルが邪魔で通れない。


「なんでしょう……。また面倒なことが……?」


 レヴィが力無く言うと、アファルが申し訳なさそうに言った。


「すみません。多分そういうことになります。」


 だが言わないわけにもいかない。アファルは続けた。


「町外れの幽霊屋敷、ご存知ですか。」


「噂には聞きましたが。」


 幽霊屋敷の噂はレストも聞いていた。西地区の外れにある、大きな屋敷。誰も住んでいない、いつからあるのかも誰もわからないというその屋敷には、夜になると呻き声や叫び声が轟き、誰もいないはずなのに光がチカチカと窓から覗き、そして誰かが歩くような音が響くのだという。更に、調査のために入り込んだ人々は、誰も戻ってきていないという噂までついている。


「幽霊なんて信じているんですの?騎士とあろう方が。」


「幽霊……ねぇ。魂がそんな風に現世に残るってのは、あんま信じたくはないけどねぇ。」


 いつもの二人、カーネリアともこの部屋に居た。


「いや、私が信じているというわけではなく。……その屋敷に、子供が入り込んでしまったそうで、親がその保護を求めてきています。」


 レヴィが苦い顔をした。


「それは……なんとも。」


 この世界は基本的に弱肉強食。弱い者は食われる宿命にある。だからこそ、親は子を守らねばならない。義務に近いものがある。そして、親の保護を離れてしまった子は、どうなったとしても誰にも責任は負えない。そういう世界であった。


「行かねばなりませんね。」


 だが騎士にとってそのような世界の摂理は関係なかった。救うべき命は救う。ただそれだけである。


「ですが、その。申し上げにくいのですが。……人が。」


 アファルは恐る恐る言った。レヴィは頭を抱えた。


「あー、もう。もう、人一人助けることも出来なくて何が騎士ですか!!」


「し、しかし、他方、アーシャ・D・メインの追跡、そして未だ続く魔物達の襲撃で、皆疲弊しているのも事実です。」


 このスラス都は広い。広いが故に、外界と接する範囲も広い。範囲が広いということは、攻撃を受ける可能性もそれだけ高まる。


 魔物達は基本的に飢えている。人を食らうことを生きる糧とし、また同時に悦びとしている。故に、人が集まるこの大都市に対し、魔物は容赦無く攻撃を仕掛けている。魔物に時間も日取りも関係はない。常にどこかの外壁が攻撃されているという事態が起きているのが、このスラス都の現実であった。


 そうした現実と戦うのもまた騎士の役目である。外壁が壊されれば、近くの家々は被害を受ける。下手をすれば、城にまで攻め込まれる可能性すら生じる。


「ああ、もう、もう。」


 レヴィが悲嘆に暮れて頭を机に落とし、ガンガンとその頭で机を叩いた。どうしようもない自分への戒め、そして何か考えが浮かばないかという足掻きであることは、レストも生前の記憶から大凡理解出来た。


「仕方ない。私が行きます。」


 そう言ってレヴィは立ち上がった。


「団長自らがですか?」


「ええ。今動けるのは私だけです。アファルさんも城の警備がありますし。」


「し、しかし団長にもしものことがあれば……。」


「お言葉ですが、私はそんなに頼り無いですか?」


「いえ、それは全くありません。ですが、そのーー」


 アファルはレヴィの足元を見ながら言った。


「足が震えてますよ。」


「い、え?そんなはずは、ないと、思いますが。」


 レヴィは強がりを言ったが、彼女の足は確かに小刻みに震えていた。


「……皆知ってますよ。団長が幽霊に弱いの。」


「幽霊じゃないです。その、私がどうにも出来ないものが怖いんです。」


 彼女、騎士団長レヴィ・トゥイーナは、普段から巨大な盾『イージス』を持ち歩いている。これは盾として攻撃を防ぐ一方、盾でありながらその縁は鋭く磨かれており、大地を切り裂き、敵を薙ぎ払うことも出来る、強大な力を秘めた魔具であった。魔法すら防ぎ、飛来する火球を真っ二つにする、そんなことも実現出来るのがこのイージスであり、そしてレヴィ・トゥイーナという騎士であった。彼女は最高の騎士として扱われており、その心と技、力に敵うものは誰一人居ないとされてきたし、実際のところ誰も敵いはしなかった。


 そんなレヴィだからこそ、彼女の力の及ばない、霊体や心霊現象が苦手であった。自分の力で乗り切ることの出来ない不可思議な事象には、いつも足を震わせ、誰かが自分の力で薙ぎ倒すことが出来る存在であると証明してくれることを期待していた。


 幽霊屋敷が噂のまま残り続けていたのも、実のところ騎士団の人員不足と、騎士団長たる彼女の恐怖心によるところが大きい。被害こそ時折出ていたものの、どうしても誰も動けなかったのである。


「で、ですが。今回は子供です。ーー子供は未来を支えてくれる柱になる存在。見捨てれば、私たちの未来も危ういこととなりましょう。行きます。ええ、行きますとも。」


 そうは言うが、彼女の足は言うことを聞かない。


 レストはそんな不甲斐ない姿を見て、カーネリアとシェルフに目配せをした。


 カーネリアは「またですか」という表情でレストを見つめた。


 シェルフは「仕方ないね」という表情を返した。


 そしてレストは、この部屋二人目の溜息を吐いた。


「はぁ。仕方ありません。代わりますよ。」


 するとレヴィは満面の笑みを浮かべた。


「本当ですか!!ありがとうございます!!」


「ま、子供を見捨てるってのはちょっとね。」


 シェルフが照れ臭そうに言った。


「当然報酬は頂きますわよ。」


 カーネリアが目の色を変えながら言った。


 その頭上にシェルフの平手が縦向きに打ち込まれた。


「ぐげぇ。」


「金の話は後。んじゃ行ってくるわ。」


「その代わり、アーシャさんの件はお願いします。」


「勿論です。ありがとうございます!!」


「よろしくお願いいたします!!」


 レヴィとアファルがペコペコと頭を下げるのを背にして、レストとシェルフはカーネリアを引き摺りながら部屋を後にした。

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