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クオリア~十人十色の異聞奇譚~  作者: 色川玉彩
1 The normal chapter ~The abnormity all the time~
88/90

先輩。ご報告があります。

つらい。

でもしゃーない。

「そう、ですか……それなら、安心ですね」

「うん」


 僕等は定期券を使って改札を入ろうとした。

 すると改札を入ったところに車椅子に乗った男の子がいて、どうやらホームまでの短い昇り坂を上手く上れないで困っているようだった。

 その車椅子の人を助けようかと思ったが、よく見るとその人は脚が不自由なわけでなく、表情から重度の精神的な障害を負っているらしく、僕はそれを見て助けることを躊躇した。


 できれば、あまり関わりたくない。

 そんな、一瞬の抵抗。

 失礼極まりないが、それでもどうしようもなく感じてしまった抵抗。

 僕がそんな醜い抵抗心を見せて躊躇していると、


「大丈夫ですか?」


 黄泉路さんが、その車椅子の人に近寄ってそう声をかけ、車椅子を押して坂を上ってあげた。

 すると、すぐに近くのトイレから保護者らしき人が出てきて、「すいません、有難うございます」と会釈をしてくれた。どうやらトイレに行っている間、外で待たせていたらしい。我慢できなかったのだろう。

 黄泉路さんと保護者は少しだけ会話をして、そして別れた。


 僕らはホームの奥のいつものベンチに座る。僕は自分が卑しい気持ちを持ってしまい、何もできなかったことを恥じていた。黄泉路さんに、ダサいところを見せた。でもあそこで助けて、それはそれで僕は卑しいのではないだろうか。


 だって、それは黄泉路さんに良く思ってもらうための、打算的な行為でしかないのだから。関わりたくないな、ってそう思った時点で僕はダメなんじゃないだろうか。

 そのあとどんな善行を行ったって、僕が卑しい人間であることには、変わりない。

 だから躊躇なく行動できた黄泉路さんは、本当に素晴らしい人なんだと思う。


「わかってる。今のは、偽善だよ」


 僕の視線をどう受け取ったのか、黄泉路さんが突然そう言った。おそらく僕の目がそう彼女を疑っているように見えたのだろう。僕は慌てて取り繕う。


「いや、別にそんなことは思ってないですよ。本当に凄いな、って感心してたんです」

「ううん。いいの。私は初め、できれば関わりたくないって思った。それは本当だよ。それが普通」


 普通。

 それが、普通。

 そう、僕も、普通なのだ。


「でもね。そうだと、自分の行為が偽善だってわかっていても、助けるの。そう私は自分で決めた。だってね、だってそれが私のできる最大の善意だから」

「黄泉路さんの、最大の善意?」

「そう。根っこから善意で始められる人間なんていない。普通は初めに嫌な気持ちや面倒な気持ちを持つんだよ。でもそれは普通で、当たり前。でもそれを理解した上でそんな自分を冷笑して、分かった気になって、結局何もしない。そんな自分が、もっと嫌。それが偽善だってわかってても、それでもだから何だって、そう思って善意を行う。ううん。行える。そんな人間になりたいって、そう決めたの」


 なんて立派な考えだろう。僕は素直に彼女の言葉に感心した。


「自分が偽善だと理解していても、ですか……でもそれは、なんていうか、良い人って、言えるんですかね。なんと言うか、打算的で卑しい人間に思えませんか?」


 そう。僕のように。

 自分のことしか考えていない。

 そんな人間。


「ううん、違うよ」


 彼女は僕を真っ直ぐに見てそう言った。

 あっさりと、僕の卑しい考えを、否定した。

 彼女は、凄く優しい声で言う。


「自分の行為が醜い偽善だって、それをわかっていても、それでもなお行動を起こせるかどうかが、その人の良し悪しを分けるんじゃないかな」

「……わかっていても、行動できるか、どうか……」

「そう。それにね、私の本意が何であって、それが偽善だったとしても、それを受け取った人が助かって喜んでくれるなら、それでいいんじゃないかなって、そう思うもの」


 私は、そう教えてもらった。と黄泉路さんは続けた。

 その時の微笑が、何とも言えないくらい、美しかった。

 それは僕には絶対に向けてくれない笑顔。

 僕が知ることの無い彼女。


「私はね、信頼する前に、信頼される人間になろうって、そう決めた。自分を信頼してくれる人を待つんじゃなくて、まずは信頼されるように頑張ってみようって。そうすれば、きっと信頼しあえる関係を築けるはずだから。私も変われる、はずだから」


 ああ、そうなのか。

 だから、僕の誘いを受けたのか。


 僕と言う他人を、肯定することから始める。

 彼女はそうすることが大事だと、学んだ。


 そして彼女は変わったのだろう。あの冷たく無の存在だった黄泉路さんが、周りの存在を受け入れ、ただの可愛らしい歳相応の女の子に変わった。

 だから僕はその、彼女の実験体の一つでしかなかったのだろう。

 僕を受け入れることで、自分も受け入れてもらおうと。


 確かに。それならば、大成功だ。

 僕は彼女を殺人犯だなんて疑うことも無くなり、ただ彼女は正しいと、そう信じ込んでいた。僕は受け入れられることで、彼女を受け入れることができた。


 ――でもそれは、所詮、練習台。


 僕は、彼女の変わるための練習台に、選ばれただけだった。

 そう理解すれば、思い当たる節がある。彼女は頑張って、無理矢理僕と関係を築こうとしているようだった。何とか変わろう、と。

 だから僕は彼女の特別には、成り得なかったのだ。

 初めから、そのチャンスすらなかった。

 

 そしておそらく、彼女が変わる、変わろうと思ったキッカケを与えた誰かが存在する。

 僕ではない、もっと、彼女と近い誰かが。

 それを、僕は感じ取った。

 理解させられた。

 だから、僕は訊いたんだ。


「黄泉路さん」

「なに?」

「黄泉路さん、塾に通ってるのは勉強を教えてあげたい人がいるから、って言ってましたよね?」

「うん」

「それは、友達ですか?」

「え、友達……なのかな。うん、友達だと思う。今は、まだ」


 案の定、彼女は少し恥ずかしそうに頬を赤らめ、視線を泳がせる。


「黄泉路さんを信じてくれる人って言うのも、その人なんですね」

「そう。あの人が信じてくれてるなら、私は他の誰からどう思われても、気にしないでいられるの」


 本当に、愉しそうに、彼女はそう言った。


「凄い、信頼関係ですね。その人ってどんな人なんですか?」

「どんな、人……えっとね」


 今あきらかに、彼女の目つきが変わった。

 少し大きく開き、気のせいかきらきらと輝いている。


「なんていうか、言葉では上手く表せないんだけど、とっても優しい人なの。怖いけど、優しい。怖いって言ってもね、それは表面上だけで、悪さをするわけでもないし、無条件で人を傷つけるわけじゃない。でも時にはとっても攻撃的になって、人を傷つけちゃう時もあるんだけどね。でもそれはいつも友達を、弱い立場の人を守るためで、私もそうやって助けてもらったんだけどね。でも――」


 そう。普段寡黙な彼女が、突然ゼンマイを巻いたブリキの人形のように急ぎ足で話すことがある。それは、いつもその誰かのことを話すときだった。

 僕を見ずに、ただ独り言のように話し、次から次へと言葉が生まれてくる。


 もっと伝えたい、もっと話したい、って。

 本当に嬉しそうに、話す。



 僕はそんな彼女の笑顔が、大好きだ。



 でも僕が大好きな彼女の笑顔は、僕に向けられることは無い。

 それはいつも、僕の知らない誰かに向けられている。

 彼女の表情が、嬉しそうな顔に変わったのも、そういうことなのだろう。

 明日も学校でその誰かに会う。

 それが嬉しくて、愉しくて、顔から笑みが自然とこぼれる。

 そしてそれは、やはり僕ではない。

 そう。



 ――彼女は、恋をしている。



 そうだ。

 初めから、気付いていたことだ。


 そして彼女と話し、付き合っていく上で、ほとんど確信に近いものを得ていた。

 彼女は僕以外の誰かに恋をしているんだ、って。


 先輩。

 貴方の言うとおり、僕はそれを気付いていながら、気付かないフリをしていました。

 いや、認めたくなかったんです。

 知らなければ、認めなければ、僕は、絶望を知らなくて済むのだから。

 自分の恋が、実らないなんて事を、理解せずに済むのだから。


 だから、僕は逃げた。

 向けられた現実から逃げて、自分に都合のいい面だけを見て、自己満足に浸っていた。

 そんなもの、何の意味も成さないのに。

 結局、現実にぶち当たるのに。

 ぶち当たって、粉々に吹き飛ぶのに。

 嫌な現実を、後回しにしていただけなんだ。


 先輩。

 僕は本当に、馬鹿です。

だって結局、僕は今回の件で、何も得られなかったんですから。


「黄泉路さん」


 ひたすら話し続ける黄泉路さんをそう言って制止させた。

 黄泉路さんは、はっと我に返ったように僕を見上げた。僕は初めてしっかりと、彼女と目を合わせて訊いた。


「黄泉路さんは、その人の事、好きですか?」


 答えはわかっている。

 そんなもの、訊くまでもないこと。

 でも、ここでちゃんと、ケジメを付けておきたかったんだ。


「うん。大好き」


 ――笑顔。

 彼女は、僕に向かって、今まで一番の笑顔を見せてくれた。

 本当に、眩しいくらいの、こんなに笑うんだって、そんな笑顔。

 可愛らしい、もっと彼女が好きになってしまう、そんな笑顔。

 これが本来の彼女なんだなって、そう思った。

 



 先輩。

 僕は、失恋しました。





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