やっぱり好きだ
得難いとわかればわかるほど。
得たくなる。
あの夜から数日が経った。
あの後、本当に何もなかったかのように僕は日常に戻された。
先輩が殺された事件は再び連続首切り殺人犯の仕業として世間を騒がせ、その先輩が起こした火事は、放火魔による仕業とされた。
誰も、人外の仕業だとは言わなかった。
いつも通りワイドショーではその両方の事件の犯人が同一人物ではないか、という持論を、知ったような顔で専門家が喋っていた。火事を起こして警察の目をそちらに向けさせ、第五の殺人を行ったのだと。だから犯人は複数犯である可能性が出てきたと。
ちなみに、僕は何も喋っていない。
あの後、公衆電話から警察に連絡して公園が燃えているとだけ通報した。
本当は何も関わりたくない気分だったが、先輩をあのまま放置するのも悪いと思い、放心状態で警察に連絡を取った。それが僕が唯一先輩にできた、弔いだったから。
警察には名乗り出てはいない。
だってあんな話、誰が信じるというのだろうか。
あんな異常を、誰が受け入れられると言うのだろうか。
頭のおかしいやつと思われてしまうのがオチだ。
あとで聞いた話だが、先輩が一番に燃やした場所は、自分のアパートらしい。その次に僕らが喋った小さな神社を燃やし、そしてそれから次々と古い木造アパートを燃やしていったらしい。しかし幸いにも犠牲者はいなかったそうだ。元々古くて人がほとんど住んでいなかったらしい。
でもどうして先輩は自分のアパートを燃やしたのだろうか。先輩は、黄泉路さんを守るイロさんを引き離すために、放火で遠ざけていたと言っていた。しかしそれが自分の住まいである必要がない。というか黄泉路さんのマンションを燃やせば良かったのではないか。どうして自らの家を。
わからない。
結局、ほとんど全ては闇の中だった。
わかったのは、心道という宗教の存在と、それを信仰する人々が住まう村があって、そして彼らが神と崇めるのは人外と呼ばれる超常的な力を持つ鎧の存在。
そして、この世には、僕が関わるべきでない異世界が存在するということ。
先輩はその村の命令で黄泉路さんを狙い、過去の連続首切り殺人は、その村の人間が黄泉路さんを狙って返り討ちに遭っていたということ。
返り討ちにしていたのは、金髪外国人のイロさん。あの後どこに行ったのかは知らない。少なくとも遺体は発見されていないようだ。
そしてもう一人。あの黒い鎧。
男――だろう。声の低さからして、男であることはなんとなくわかった。あれは、黄泉路さんを守ってくれたのか、味方なのか敵なのか、何もわかっていない。しかし何であれ、僕にとっては関わるべきでない、異質な存在だということは理解させられた。ただ直感で、良い者ではない、とそう確信した。これ以上関わるべきでないと。
そもそも人殺しなのだ。
住む世界が違う。
上とか下とか、そういう意味ではなく。
ただあれら異常を普通とする世界とは、生きている世界が違うのだ。
あの黒い鎧に限らず、心道や村、そして人外。その全てに僕のような平凡が関わるべきではない。それだけは間違いがなかった。
1+1=2と同じ、明確な答え。普遍の真理。揺るぎようのない事実。
それに対応できるだけの能力を、僕は持ち合わせていない。
だって僕は、普通の人間なのだから。
「怪我、どうしたの?」
いつもの塾の帰り。玄関口で靴を履き替えていたら、黄泉路さんが僕にそう尋ねてきた。
僕は身体のあちこちに擦り傷と、顔には先輩に殴られた傷跡があった。その手当てのあとを見て、黄泉路さんが心配そうに僕にそう言ったのだ。
「ああ、ちょっとここ三日ほど旅行に行ってて、そこで調子に乗りすぎちゃって、怪我しちゃたんですよ」
「そうなんだ。だから三日も休んでたんだね」
「ええ」
僕はあの後、三日間塾を休んだ。心が疲労し過ぎていたのだ。身体はたいした傷ではない。ただ、何もする気が起こらなかった。
頭を異世界から日常に引き戻すのに、時間がかかったと言ってもいい。今では本当にあれは現実に起こったことなのか、と疑問に思うくらいだ。
周りは至って普通で、僕は夢を見ていただけなんじゃないか、って。でも塾に行くと先輩の姿は無く、やっぱり本当だったんだと、そう理解させられる。
「大変だったね。知り合いが亡くなったって。聞いたよ」
「え……ああ、はい」
「どんな人だったの?」
「憧れの、先輩でした。頭が良くて、人ができていて」
人として申し分ない人間だった。
普通――そう思っていたのに。僕は先輩のほんの一側面しか見れていなかった。
「連続殺人事件、か。早く犯人が捕まるといいね」
「……」
「ん? どうかした?」
あまりに意外で僕は間抜け面で黄泉路さんを見てしまった。
黄泉路さんはこの話は避けているのだと思っていた。だって、自分が殺人犯だと疑われている事件である。好んで話題にしたいわけがない。だから絶対にこのことに関して話をしないように避けていたのに、あっさりと、凄く自然に、彼女はその話題を口にした。
「え、いや、ほら、この話題は黄泉路さん、嫌かなって思ってたんで」
「ああ、それなら気にしないで。私、そのことに関してはもう気にしないって決めたの。周りからどう思われようが、何を言われようが、気にしない。だって私、犯人じゃないもの」
「です、よね。僕も、いやみんな別に黄泉路さんが犯人だとは思ってませんよ」
「ううん。いいの。思ってても。私は気にしないよ。だって――」
黄泉路さんは長い髪を耳に掛けながら、
「だって、私を信じてくれる人がいるから」
そう言って微笑んだ。
可愛らしい。とても綺麗な笑顔。
やっぱり僕は、彼女が好きだ。そう再確信した。




