ただの人
自分がただの人だって理解した時。
なんだか人生がどうでもよくなる。
先輩が去っていった方向へがむしゃらに走っていくと、ところどころ争った跡を見かけた。車や木々が燃え尽きていて、それが真紅の鎧のせいなんだとわかる。それらを目印に追いかける。
神、天使、悪魔、化物、救世主、光、闇。もうほんとどれでもいい。
とにかく、人の外にある、超越的な力。
人外。
それを追求することに、意味はない。
そこまで踏み込む気はさらさらない。
今はただ、逃げ去った先輩と、どうしてか命を狙われる黄泉路さんのことだ。
場所はどんどんと暗がりに入って行く。次第に争いの跡を見つけるのが困難になった。
その時、僕の目の前を何か黒いものが横切った。
それを左から右へ、目で追う。
「黒い、蝶……?」
黒い蝶だ。それがふわふわと宙を舞っている。
こんな時間に? 珍しい現象に、自然と視線で追いかける。
するとその蝶はまるで僕を導くかのように、ある方向へと飛んでいく。
「あ」
導かれた先に、緑色のフェンスで囲まれた公園があった。しかし普段はついているであろう電灯がついておらず、真っ暗だ。先ほどと同じ現象。僕は確信を持って、恐る恐るその場へと近づいていく。
田んぼを挟んで外から見る分には、何もないように見える。正面に周り、入口を塞ぐチェーンをまたいでそしてその公園の中に足を踏み入れた。そしてその小さな公園の中央。大きな木に寄りかかるようにして座る先輩を見つけた。
でもそこに首は乗っていない。
「先輩ィ!」
叫ぶ。
嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だ。
もしかしたら、それは先輩と同じ鳴動の制服を着た別人なのかもしれない。その僅かな期待にかけるように、体が自然と一歩踏み出す。
だが即座に止まる。
首のない先輩のその前、そこに、黒い何かが立っていたから。
何か。
それは本当に、瞬時には何か理解できなかった。
黒い陰――目を凝らしてようやくそのシルエットが明らかになる。それと同時に、僕は目の前のそれを知ってしまったことを後悔した。
黒くて黒い、もはや光など一切届いていない人型のその鎧のような存在は。
「人外……?」
絞り出すように声が出る。
それが意思疎通の測れるものか、僕の本能が試したのだろう。
だだそれは、首をこちらに向けるだけで喋らない。
右腕からは一本の鋭い刃が飛び出ていて、そこからはまだ生々しい血がしたたり落ちている。そして暗がりの向こうには、先輩の首らしきが見えた。連続首切り殺人犯は、イロさんじゃなかったのか。僕の中でまた一つ謎が浮かび上がる。
しかしそれを考える時間も与えられず、黒いそれが近づいてくる。
だが不思議と、真紅の鎧のような圧迫感や恐怖感はない。
近づいてきているのに、近くにいないような違和感。手を伸ばしても、掴めなさそうな。
「お前は、誰だ?」
問う。恐れなくても、この中には先輩と同じく人間が入っているはずなのだから。
瞬きした次の瞬間には消えてしまいそうなほど希薄なその存在に、僕は全神経を集中させる。逃がさない。逃がしてはいけない。
「お前が、先輩を殺したのか!?」
「だったらどうする?」
「っ!?」
声が、返ってきた。それは確かに人間のそれで、おそらく男のものだろう。耳の奥を撫でるような不快な音だ。
慌ててスマホを取り出す。写真を撮ろうとするが、なぜか電源が切れている。こんな時に……!
「どうしてここにいる?」
耳元で、背後からの声が響く。
「う、ああ!」
背筋に悪寒が走り、反転して逃げようとした瞬間足がもつれて転んでしまった。
慌てて顔を上げ、それを視界に捉える。数秒目を凝らしてやっと、黒い鎧のシルエットがはっきりする。いつのまに背後に移っていたのか。情けなくも、公園の入り口を塞がれる形となってしまった。
「お前が、連続首切り殺人犯なのか?」
「ああ」
あっさりと認めた。こんなにもあっさり。
そうか、こいつが。
「お前は、誰なんだ? 黄泉路さんを、守っているのか?」
事件の核心を知ろうと僕がそう叫ぶと、しかし黒いそれは何も答えない。
ただ黙殺する。
まるで僕の声が、すべて吸収されてしまっているかのようだ。
するとその黒い腕を目の前にかざした。
それだけで、僕の目の前の地面が横一線に激しく燃え上がった。しかしそれは先輩のような真紅の炎ではなく、黒い炎。黒くてもそれは確かな熱さを有しており、僕は反射的に後ろに後ずさることしかできなかった。
僕と黒い鎧との間にできた黒炎の壁。僕のような一般人には、おいそれと飛び越えることのできないもの。それを分かっているのか、黒い鎧は反転してゆったりとした動きで向こうへと歩き出した。
「ま、待って!」
ダメ元で叫ぶと、黒い鎧はその足を止めた。止めてしまった。
黒炎の向こうで首だけがこちらを振り返る。
「何もできないなら、何も喋るな」
「……っ」
「何も語らず、何も聞かず、何も知ろうとするな。何も持たない人間が、何かに干渉しようとするな。迷惑だ」
何を言っているのか。それは判然としなかったが、でもそれはきっと黄泉路さんと大山先輩、そしてこの事件にまつわることを言っているのだと理解する。
僕みたいな平凡が、異常に関わることを警告している。
してくれている、とも言えるのか。
「そんなこと、僕は、先輩も黄泉路さんも、どっちも助けたくて……」
「それでどっちも助けれなかったんだろ?」
「っ!」
そうだ。
僕は結局、誰も助けられてはいない。
黄泉路さんも、先輩も、助けていない。
ただその周辺でわーわーと叫んでいただけで、傍観者にしかなれていない。
僕は結局、無関係なのだ。
「そこの男は選んだ」
黒い鎧は首のない死体を指さす。すると同時に先輩の死体が激しく黒炎に包まれた。
「でもお前は、何も選べない」
今度は僕を指す。
刹那、僕も燃やされるのではと背筋が凍った。
「失うことを恐れて、ただ茫然と立ち尽くし、周りの環境が勝手に変わるのを見てるだけ。変わったものに、自分にはどうしようもできなかったと言い訳をして、逃げ続ける。すべては神の意志なのだと、諦める」
本当に、くだらない――黒い鎧はそう告げて終わった。
僕は、なにを言い返そうにも言葉が出てこず、ただその黒い鎧をにらみつけた。黒い鎧は再び踵を返し、立ち去っていく。殴り飛ばしてやりたい気持ちがあふれ出てくるが、体が動かない。目の前の不可解な黒炎にも近づけやしない。
心のどこかで、早く去って行ってくれと、叫んでいる僕がいた。
「ほらな、やっぱりお前は選べない」
そう、まるで失望したように、心を見透かしたように、軽蔑した追い打ちの言葉が飛んでくる。 反発するように立ち上がるが、燃え盛る炎の壁の向こう、黒い鎧は暗闇へと消えていく。一度瞬きをすると、もはやすでにそこにその姿は見当たらなかった。黒い鎧が消え去った証拠か、周囲の電灯が一斉に息を吹き返した。
「……」
安心からか、一気に身体の力が抜け、お尻から再び地面に崩れ落ちた。
そして、残ったのは確かな敗北感。
僕は、何の力もない、普通の人間だった。
それを、思い知らされた。
今夜、僕がのぞき見てしまった異世界は、それはやはり僕の手には負えない世界だったのだ。興味本位で覗くべきではなかった。
あの黒い人外が言った通り、いや、言われるまでもなく。
結局僕は何も選べず、何も干渉すらできず、ただ状況を見ているだけの傍観者だった。
ただの人だったのだ。
そしてそれが僕に与えられた、人生。
そう、諦めてしまう自分にひどく虚くなった。




