人外
外人
は差別用語らしい。
すっ、とイロさんは腰の後ろから白い懐刀を抜き出した。
目の前の赤い火に照らされて、その綺麗な白い刀身がきらきらと輝く。
「な、何するつもりですか……?」
「何って……殺すけど?」
「え?」
「ん?」
固まって見つめ合う。
僕の反応は間違っていただろうか。至極全うなリアクションのように思う。
うん、間違っていない。
「だってほら。止めないと、被害が広がっちゃうよ?」
「いや、そうなんだけど……別に殺す必要は無いというか、って待てよ、殺すって、やっぱりじゃあ今までの連続殺人犯もイロさんが犯人だったんですか?」
「あ」
「あ、って!」
何だそのつい洩らしちゃった、みたいなのは。
いくら美人でも許せることではない。
「いやいや。冗談さ」
「嘘だ!」
「ほら、私がなんて言ったって信じない」
「それは……確かにそうですけど……」
もごもごと僕が弁明できずにいると、イロさんはふと笑って、未だ取り乱すことなく落ちついた様子で刀を持ち直す。
「あれは……あれはなんなんですか?」
そんなことより。
イロさんが殺人鬼であるかどうかなど些細なことよりも、今はあの、真紅の存在が。
「なんだと思う?」
「なにって……鎧を着た人ですよね?」
そうとしか説明できない。
「でも、ボディスーツ、なのかな? 鎧にしては軽そうな……体のラインにぴったり沿っている感じがする……」
暗がりかつ、炎のちらつきが激しく、正確にその質感を把握できない。
鎧のようでいて、何かのヒーロースーツのようなものにも見える。
どちらにせよ、異常な存在だけど。
「さぁ。なんだろうね。私も答えは持ち合わせていないよ」
「え?」
「あれを悪魔だと呼ぶ時代もあれば、天使だと叫ぶ時代もあった。化け物だと恐れる国もあれば、救世主だと崇める国もあった。そして闇だと目を背ける人間もいれば、光だと追い求める人間もいた。ただ今では、そうだな、先ほど説明した心道なんかでは、神とも呼んでいる」
「神……」
「そう。さっき教えた、心の神がその人間の願いに呼応して与える導き。あるいは力、と呼んだ方がわかりやすいかな」
「神の、力?」
僕はとんだ異世界に来てしまったようだ。
神? スーパーパワー?
正直、笑うところなのか迷う。どこかにカメラがあるのでは?
「だが歴史を見ればその呼び名は様々だ。時代と地域によって千差万別。だから私はあれをなんと呼べばいいのか分からないし、おそらく誰も答えを持ち合わせていない。心道の信者でもないのだから、神と崇める必要はない。だったら君の好きにすればいい。君は、あれをなんと呼ぶ?」
そう問われて真紅のそれを見つめ直す。
それはふらふらとよろめいて、傍にあった電柱にその身を預けた。そしてその顔らしきを持ち上げ、その真紅の瞳と目が合った。気がした。
ゾクリ、と全身に悪寒が駆け抜ける。
「オオオオオオォォォォォォォ!!」
突然、真紅の鎧が天高々と雄叫びをあげた。
まるで猛獣のようなその叫びにおののくと同時、周囲の木々が一斉に燃え上がった。まるで真紅のそれの怒りに呼応するかのように。
「やれやれ。これ以上放っておいたら焼け野原になってしまうね」
痺れを切らしたかのように、イロさんは懐刀を片手に走り出した。
態勢を低く保ちつつ、それでいて僕の全力疾走よりも早く、音もなく真紅の鎧に向かっていく。一歩が大きい。みるみる内に距離を詰めていく。
真紅の鎧が、近づくイロさんの華奢な身体を鷲掴もうと手を伸ばす。
しかしイロさんはその手前で軽やかに上空に跳ね、放物線を描いて真紅の鎧の背後に回った。そうして落下すると同時に、その懐刀で真紅の鎧の背中を縦一線に切りつけた。
――が、鎧の固さに刀が弾かれる。
イロさんの手から離れた刀を真紅の鎧が奪い取ろうとするが、イロさんが真紅の鎧の膝を後ろから思い切り蹴りつけ、真紅の鎧はその身をがくんと地面に落とした。その隙にイロさんは真紅の顔を蹴りつける反動で宙を舞う刀の方に跳び、キャッチする。そして左手でキャッチしたそれを、器用にその場で投げて右手に移した。
「硬いね。なかなか厄介な方だ」
まるで幾人も切ってきたかのような口ぶりでイロさんは笑う。
「ちょ、待ってください! いきなり殺しあわないで! ついてけてない!」
息をつく間もなく繰り広げられた攻防。
しかしまずは頭の中を整理したい。
「どうしていきなりこんなことになってるんですか?」
「なんだ。まだ理解が追いついていないのか?」
「はい?」
「これが、今夜の連続放火の犯人だ」
そうなのか? そう確認するように見た真紅の鎧は、その顔がすべて鎧の奥に隠れているから表情が掴めない。
何も表情がわからない。本当にあの中に人が入っているのか。わかるのは、それが大きく息をして上下に揺れていることだけだ。
すると、その真紅の鎧がその手をイロさんに向ける。その瞬間、イロさんの足元の地面が一気に燃え上がった。しかしイロさんも即座に反応を見せて飛び上がり、後方に跳ねてその炎上から逃れる。だが飛びのいた先でも同じように勝手に炎が燃え盛り、イロさんはカエルのように何度かその場を飛び跳ねて避けた。
――と、最後に跳ねた瞬間、その先を待ち伏せしていたかのように真紅の鎧が先回りしていて――いつの間に移動していたのか――その拳でイロさんを殴りつけた。イロさんは短い懐刀でそれを受けたが、その軽い身体は呆気なく吹き飛ばされ、パチンコ玉のように僕の方へと飛ばされてくる。
避けなきゃ――そんな瞬間的に適切な行動がとれるわけもなく、僕はただ手で自分の前身を塞いだだけだった。ただの反射的な行動。
すると、飛んで来たイロさんは、宙でその身をねじってこちらを向き、前に差し出した僕の腕を掴んでまるで鉄棒の大車輪ように90度回転し上空へと飛び跳ねた。そしてまるで重力などないかのようにふわりと回転して地面に着地する。むしろイロさんの身体を支えきれなかった僕の方が地面に転んだ。
もう言葉も出なかった。
僕のような凡庸百パーセントな人間には、言葉で表現するのも不可能だ。
異世界――イロさんが冗談で言った言葉の意味を、今身を持って理解し始める。西洋国家のような世界に降り立ち、チートなスーパーパワーを持ってその世界を圧倒する。そんな理想的な異世界ではなく。
ここは、僕らの世界のほんのすぐ隣にあった異世界で。
ここは、興味本位で覗いていい世界じゃない。
ここは、僕がいていい世界じゃない。
普通が、興味本位で立ち入ってはいけない世界。
早く帰らなければ。
帰ってテレビを観なければいけない。
僕の居場所はリビングのソファの上なのだ。
「さっきの質問を変えようか?」
思考回路が逃走を始めていた僕を、現実に引き戻すかのようにイロさんが尋ねてきた。
「君は、あれがなんに見える?」
悪魔か天使か。
化け物か救世主か。
闇か光か。
はたまた、神か。
「僕には、わかりません……あんなもの……」
何かわかりたくもない。
というか、早く家に帰りたい。
脳が考えることを避けている。
「ただ一つ」
そう、茫然とする僕を見て、イロさんは薄笑いを浮かべた。
「ただ一つ、あの存在にふさわしい普遍的な呼び名がある」
それは?
「人外」
「じんがい……?」
「そう。あれは、『人』の『外』にあるもの」




