急変
急に足の筋肉がビクンビクンすること。
あるある。
駅のホームで帰りの電車を待っていた。
ここは巷で言う橋の向こうで、人々にあまり良く思われていない場所。そして僕もつい最近までそんなイメージだった。
でもそんな悪い印象は、今現在、全く持って僕の中には無い。
この街はどこにでもある活気ある普通の街で、人々も、何もかもが至って普通の街。
それに黄泉路さんも住んでいる。
忌み嫌う理由なんて、一つも無い。
橋の向こう、なんて言葉で揶揄される謂れは無い。
まぁそれは所詮、僕がこの街の一面しか見ていないから、なのだろう。
僕の知らない、見えないところで、何か、どす黒い何かが渦巻いているのかもしれない。
だとしても、それはどこにでも可能性のある話で、普段生きる上でそのマイナス要素が表立ってこないのなら、それはそれでいいのではないだろうか。
充分目を瞑れる範囲である。
「はぁ」
今日は疲れた。
体力もさることながら、気疲れが半端無い。
つい一昨日まで黄泉路さんと会話したことすらなく、遠くから眺めるだけだったのに、今日に至ってまさかデートまで発展するとは、一週間前の僕なら全く信じなかっただろう。
まぁそれも良く出来た先輩のおかげなのだが。良い先輩を持ったものだ――って後輩の言う台詞ではないか。先輩に夢が叶うといいなと言われたが、しかしこれからどうしたものだろうか。
確かに黄泉路さんに話しかけることは、もう難しいことじゃない。これからは友達感覚で話すこともできる。はずだ。
だからと言って、何をどうして行けばいいのか。
それが僕には検討がつかない。
恋愛とは勝手に育まれていくものだと思っていたから、自らの意思で育てていくということに、不安を感じる。
どうすればいいのだろう。この先。僕にはそれが、検討がつかない。
僕はもう一度、大きくため息を吐いた。
――その時、ホームから見える踏切に、一台のパトカーが走り去っていくのが見えた。
大きな音と共に赤いランプを点灯させ、かなり急ぎ足で走り去って行った。
ホームにいた皆がそちらに目を向ける中、次は消防車が同じようにサイレンを鳴らして走り去っていく。
何か、あったのだろうか。
そんな僕の疑問を解消するように、すぐに次のアクションが起こった。
「ちょっと、あれ」
側に立っていた二人組の女性が、みんなとは別の方向を見ながら指を差していた。
僕はすぐに彼女たちの視線を追うようにそちらに視線を向ける。
建物の隙間から見える暗い空がぼんやりと赤く輝いていた。周囲もそれに気付き始め、ざわつき始める。あちらの方向に向かって行ったパトカーと救急車。そして夜なのに、ほのかに赤く染まる空。
「あれ、火事じゃない?」
間違いない、あれは火事だろう。
僕は納得しつつ、同時に心の中で焦りが生み出されていた。
あの方向は、黄泉路さんの家の方向だ。
もちろん方向が同じだけで、そうである可能性などほとんど低いのだろうが、それでも心配にはなる。
黄泉路さんに連絡を取ろうとも、しかし彼女はスマホを持っていないことを思い出す。
そのまま携帯を取り出した勢いで、僕は迷わずある電話番号にかけた。
それは大山先輩の携帯。
黄泉路さんとそう遠くない位置に住んでいる先輩ならば、事情を把握しやすいはずである。少なくとも、近くで火事があったかどうかくらいは、わかる。
何度目かのコール。しかし先輩は全く携帯を取る気配が無かった。
寝たのだろうか? かなりしんどそうだったから。
「うわ、やっぱ火事だって」
その声に僕が目を向けると、女の人がスマホの画面に視線を落としながら言った。
「うん。友達が。なんか、凄い燃えてるらしいよ」
「場所はどの辺?」
「あれだって、ほら、この間お祭りやってた小さい神社あったでしょ。あの辺り」
僕はそれを聞き終えるか否か、走り出した。
改札に向かって階段を昇り、駅員さんに言って改札を抜けさせてもらった。すれ違う人が皆、火事のあった方角を見つめる中、僕はその間を抜けるように走り、一気に駅を出た。
最近お祭りのあった、小さな神社。それはおそらくさっきまで僕がいた場所だ。そしてそこからは黄泉路さんの家もそう遠くないし、何より先輩の家がすぐ近くにあったはず。そして恐らく先輩はあの薬のせいで、眠りこけている可能性がある。それでいて携帯を取れない。
それらを一瞬で導き出して、僕は走り出した。何となくやばい感じがした。これはただならぬ直感だった。
走って火事の中心地に近づいていくと、次第に人が増えていっていた。野次馬だろう。詰まる所僕もその一人でしかないのだが。しかしある程度まで近づくと、道を多くの警察が封鎖してしまっていた。前に進めない。
野次馬もそこで足止めされているらしく、完全に道を断たれてしまったらしい。
それでもあの曲がった先にはさっきまで僕が先輩と喋っていた神社があって、そして先輩の住むアパートもその先にあるはずだ。
もう一度先輩に電話をかけたが、やはり先輩は携帯を取らなかった。
「くそっ」
そう舌打ちをし、どうしようかと顔を上げた時。別の人ごみの中に、艶やかな金色が、ひらり、と揺れたのを見た。
それは、金髪二つくくりの外国人の女。
今もあの時と同じように真っ赤なパーカーにランニングタイツで立ち尽くしており、彼女は鋭い目つきで火事が起こっている方向を眺めていた。
しかも変わらず無表情で。
彼女はすぐに身体を反転させ、その場を去ってしまう。
「ま、待って!」
僕は人ごみを押しのけるように、慌てて彼女の背中を追った。




