電車の中の恋
新章始めました。
今年もあと1年ですが、気を抜かずに頑張りましょう。
――最近、彼女の様子が変わった。
毎朝、学校に向かう電車の中で出会う彼女。
彼女、と言っても、残念ながら何も僕と付き合っている女の子というわけではない。
残念ながら。
彼女とは、いつも僕が通学に使う電車の中で一緒になる別の学校の女子生徒。
だから出会う、なんて図々しい話。
ただ視認するだけ。
しかも一方的に。
いつも通勤ラッシュでぎゅう詰めになる急行電車と違い、僕らの乗る普通電車は人と人が触れ合うほど混むことはほとんどない。僕はパーソナルエリアが広いため、そのぎゅう詰めがどうしても苦手なので、あえて時間のかかる普通電車に乗っている。そのせいで人より朝早く家に出ることになってしまっているのだが、それが幸いし、僕は彼女と巡り合うこととなった。
もちろん、一方的に。
先にも言ったが、彼女は僕と違う高校に通っている。初めて見たのはこの電車の中だった。席が空いているのにただ電車の扉に寄り添うようにして立ち、ジッと窓の外を睨んでいる。
鋭い、針のような目で。
パッと見だと怖くなるくらいのその目は、しかし怒っているわけではない。彼女の表情は常に無表情で、その顔から何らかの感情を全く感じさせない。だから怒っているわけではないのだろう。
しかしそんな無表情な彼女からは、どこか周りを拒否しているような、周囲に馴染んでいない感じが醸し出されていた。僕のようなパーソナルエリアが広いのとは違う、そう、パーソナルエリアが無い感じ。
どんな人間にもパーソナルエリアがある。
しかし彼女には、それが無い。
それは何も誰でも受け入れる、人当たりのいい人間ということではない。
むしろその逆。そこにいるのに、そこにいないような、そんな空虚さを感じさせる。その空虚さは、誰も寄せ付けない、いや、誰も寄ろうとすら思わない。
だから僕が初めて彼女を見た時、一瞬景色の一つだと勘違いして、目に留まらなかった。
彼女の存在そのものを意識するようになったのは、それから何度目かの出会いの時。
いつもの光景。しかしある日何気なく、彼女の存在が、目に留まった。
それが僕の人生何番目かの恋だった。
次の日から、ただの景色だった彼女の存在が、僕の視界のフォーカスになり、それ以外全てが、景色になった。
朝、彼女を見かける10分強のその時間が、僕の一番の楽しみだった。
電車の中を寡黙に佇む彼女の姿は、一枚の名画を見ているような、そんな気分にさせてくれる。背は僕と同じくらいで、女の子にしては結構高い(というか僕がちっさい)。そのせいか、線の細い彼女のスタイルは、女の子なら誰もが憧れるくらいのものを有していた。雑誌のモデルをやっていると言われれば、素直に信じてしまいそうなくらい綺麗だった。
ただ、愛想が足りないが。
も一つ言えば、胸が足りないが。
いや、僕は胸にさほど執着があるわけではないので、もちろん彼女の大きさでも充分だとは思うのだが、女の子としてはどうだろう。あくまで客観性を述べるのであれば、少し、物足りない気もしなくもない。
……自己嫌悪。
彼女が同じ学年だと知ったのは、僕が彼女に恋をしたその日である。
制服から隣のだとわかっていたので、同じ塾に通う友達に尋ねたらすぐにわかった。
僕は平均的なレベルの学校で普通科の2年。彼女は進学校で、しかも理系クラスだと知った。
文系である僕としては、知的な彼女はさらに神秘性があがって一層惚れた。
そんな僕たちが、わざわざ時間をかけて普通電車に乗って通学。しかも毎朝同じ車両。
この偶然が、何ともいえないくらい、僕を勘違いさせた。
奇跡を知らない僕が、よくある偶然を見て、これが運命だと、笑えるくらいの勘違いをしてしまった。
勘違い、と決まったわけではないが、僕はあまり暴走しないほうなので、それが勘違いであるというあくまで謙虚な思考をもとに、彼女への接触を踏みとどまった。
いや、嘘をついた。僕はただの臆病なのだ。
知り合いとも言えない状況の女の子に話しかけるほど、男ができちゃいない。
いやいや、待て。別に女の子をナンパできることが男としてできているかどうかではないだろうから、それは撤回しておく。
彼女に話しかけられない理由はいくつかあるのだ。
まず、話しかける理由がない。これは致命的だろう。何も話す内容もなく、女子に近づいてどうする。それでは本当にただのナンパではないか。
そして次に、話しかける状況ができていない。電車の中だ。混んでいないとは言え、周りに人はいっぱいいるし、いきなり知らない男が話しかけていい状況ではない。痴漢と間違われても嫌だし。
何より、話し掛けづらい。僕は別に女の子と喋るのが苦手なわけではない。友達もいる。
が、しかし、彼女は特別だった。
さっきも言ったとおり、周りを寄せ付けないというか、周りの存在を無いかのように振舞う彼女に話かけるのは、たとえ同性の知り合いだったとしても、難関だった。僕が頑張って話しかけても無視されるような、そんな気がする。
彼女はいつも一人だった。
あんなに綺麗な女の子が、誰も友人を持たず、そしておそらく彼氏すら持たず、ただ毎日を無為に過ごしている。そんなミステリアスさが、僕の興味をますます誘った。
しかしそれら全てが言い訳に過ぎないことは、僕自身も理解している。結局勇気の問題だ。こうやって理由を作って逃げて、それで自分を納得させている。
話す内容だって、考えればいくらでも思い浮かぶし、話しかける状況も、話しかけてしまえばそれがその状況になる。彼女が人を寄せ付けないと僕が思っているだけで、実際は話しかけてみれば愛想のいい子かもしれない。それも全て話しかけてみればわかること。
でも実は、僕が彼女に話しかけられない理由が、決定的な理由がある。
おそらく彼女は、僕と言う存在を、目の端にも捉えてはいない。
僕のように景色の一部にすらなっていないのだ。おそらくここにこんな色をした物体があること自体、彼女は気付いていない。
だから勘違い。
僕の一方的な恋。
だからここで僕が彼女に話しかけるというのは、街中で見も知らぬ異性に突然声を掛けるに等しいこと。そんな人間に誰が好印象を持ってくれるというのだろうか。
僕ならば絶対に距離を取るか、無視をする。
いや、その話しかけてきた人間が自分に好みの人間であれば、変わるかもしれないが、これまた残念ながら、僕は自分の容姿にそこまでの自信は無い。そして百歩譲って自分の好みであったとしても、いきなり見知らぬ男子に話しかけられれば、普通の女性は貞操の危機を感じ、距離を置くだろう。この年頃であれば、なおさらだ。それで学校か警察にでも相談されたら終わりだ。
まぁ結局、これも言い訳、なんだろうな。
そうやってうだうだと思春期の男子高校生らしく恋に臆病でいた毎日。
どうにかして、なんとか自分の存在を認識させようと、蟻んこのような努力を繰り返していたそんな頃。
僕は気付いた。
彼女の様子が、変わったのだ。
それは――大変気持ち悪い話で恐縮だが――毎日彼女を見ていた僕にしかわからないような、そんな些細な変化だった。
いつも鋭い針のような目で無表情に空を睨んでいた彼女の顔つきが、変わった。
鋭く細い目つきが優しく開き、本来の彼女のものであろうおおらかな目つきに戻っていた。それでも彼女特有の鋭さは変わらないのだが。ただ彼女の瞳があんなにも大きいのだと、初めて知った。瞳には確かに光が灯っている。
そして彼女のあらゆる感情を表現していなかったその無表情が、優しく微笑んでいた。それは微笑んでいるかいないか、微妙なくらいの微笑み。本当に微々たるものだ。ほんの少しだけ口角を上げ、何かを愉しみにしているような、生きていることに幸せを感じているような、なんと言えば一番伝わるのかわからないが、今までの彼女からは考えられない顔つきをしていた。
今の彼女からは、周囲の存在を無視するような、この世の全てを敵としているような、そんな印象は感じない。それは本当に、ただの可愛らしい女の子だった。
暗い色で彩られていた彼女という風景画が、明るい色を使った風景画に変わっていた。それはさながら、陰と陽、一対で一つの作品であるかのように。
そんな彼女に、僕は二度目の恋をした。
ミステリアスで、どうしても手の届かない、なんというか違う平面上を歩いているような彼女の存在が、ぐっと自分に近づいたような、そんな気がした。
ギャップ、というやつだろうか。
よくギャップに萌える、と言うが僕にはそれがどうにも要領を得ない感情だった。それは単純なる僕の女性経験の少なさからくる無知でしかないのだが、この時僕はその言葉の意味を全身で理解した。
しかしそんな彼女が、決定的に変わらない部分が一つだけあった。
それは、結局、彼女は僕を認識していない、ということだった。
瞳に光を宿し、顔を上げ、周囲の存在を受け入れるようになっても、彼女はやはり僕を見る事はなかった。本当に、一瞬も、目が合わない。僕はまだ彼女の中に、景色としても認識されていない。
それがどうしようもないくらい、わかった。
彼女は以前と同じように電車の窓から外を見ているが、しかしその彼女は前のように外の景色を睨んでいるのではない。
何か、別の何かに思いを馳せているような、そんな感じ。遠い目。
これが僕の、そして彼女の現状。
全ての物語が始まる直前。
そう、全てはこの異変から始まった。
The normal chapter ~The abnormity all the time~




