黄色い笑顔
「The Yellow Chapter」はこれにて完結です。
刀のように鋭い目をした少女は、教室の一番後ろ、窓際の席に座っていた。
少女の席からは窓の下に、校門が見える。今朝一番に登校してきてから、少女はずっとその校門を見ている。ある少年が登校してくるのを待っていたのだ。
しかし昨日同様、その少年はまだ現れなかった。
今教室では朝のHRが行われている。しかしその少年の席、ちょうど教室の真ん中に、彼は居ない。欠席だろう。皆そう思っている。
それでも少女は校門から目を離さない。
信じていたから。少年との約束を。
少女には、昨日の記憶が無かった。
昨日、と言っても学校にいた時の記憶はある。HRの時間に教室を飛び出し、いつもの川辺に逃げた。そこで何時間も何時間も、一人で泣いていた。
そこで、誰かに出会った。そこから記憶がない。
でもなんとなく、とても悲しいことがあった気がする。そして泣いていた気がする。それはなんというか、今朝見た夢を思い出せなくなるのと、同じ感じ。思い出そうとすればするほど、記憶が薄れていく感じ。
でも、一つだけ覚えていることがあった。
その時、その黒髪の少年と喋った。その内容はあまり思い出せないけれど、彼は泣いている自分にとても優しい言葉をかけてくれた。その時の言葉だけは、覚えている。
少女がその言葉を頭の中で反芻していると、学校に近付いてくる人影を見つけた。
朝から何度も何度も思い浮かべた姿だ。見間違えるわけが無い。
担任から少年の名前が呼ばれる。が、返事は無い。少年は欠席扱いにされた。その後すぐに少女の名前が呼ばれる。同時にガタッと、椅子を思い切り引く音が響いた。教師、そしてクラスの全員がその音の方を一斉に見る。教室の一番後ろ、窓際の席。
そこに静かに座っていたはずの寡黙な少女が立ち上がり、そしてそのまま走り出した。
少女の姿はすぐに教室の外に消える。
「お、おいっ黄泉路! どこ行くんだ!」
担任の呼びかけにも応じず、少女は廊下を駆ける。
「ちょ、ちょっとタイムだ。すぐ戻ってくるからそのまま待ってるように!」
昨日と同じ事が起こり、担任は慌てて少女を追うように教室をあとにした。
案の定教室はざわざわと、ざわつき始めてしまう。
「今度はどうしたんだろ?」
爽やか微笑のイケメンが言った。
「おいっみどっち! 黎が来たぞ!」
先程まで少女が居た席の窓から外を覗き、元気いっぱいの少年が言った。その声にクラス中の生徒たちが、ゾロゾロと窓際に集まり、校門を見下ろした。
そこには校門を乗り越え校内に入る黒い髪の少年の姿があった。
「やっぱ遅刻だ遅刻!」
元気いっぱいの少年は大変嬉しそうにそう笑った。
「あれ、黄泉路さん?」
と、微笑を讃えた少年が気付いた。
全員が窓の下に目をやると、校門を入ってすぐのところで、皇子代黎という少年と黄泉路蜜という少女が向かい合って立っているのが目に入った。
◯
刀のように鋭い目をした少女――黄泉路蜜は珍しく走ったため、息が乱れていた。校舎にもたれ掛かるように立ち、しかし下を向かず、その目は正面にいる黒髪の少年を捉えている。
「お、おはよう」
黒髪の少年――皇子代黎はそんな少女に少し戸惑ったように挨拶をした。
「うん。おはよう」
息を整えて、黄泉路はそう返した。
「なんでそんな疲れてんだよ。っていうかもうHR始まってるだろ?」
「抜けてきた」
「いや、そんな打ち上げの途中で抜けてきたみたいな言い方されても……」
授業が始まっているにも関わらず、校舎の外にいる二人の生徒に気付いたのか、校舎のいたるところから、二人を見る視線がどんどん増える。
「約束、したでしょ」
そんな視線など全く気にも留めず、黄泉路は言った。
「あ? ああ、あのまた明日ってやつか。そんなの教室でいいだろ」
一方、黎はその注目が恥ずかしいのか、さっさと会話を終わらせたいらしい。スタスタと早足気味に黄泉路の方、つまり昇降口の方へ近寄っていく。
「それもあるけど、それじゃない」
「は?」
黎にとって、それはあまりにも突然だった。
バッと、黄泉路の方から黎に近付き、その距離を一気に縮める。
そして――唇が――触れ合った。
数秒間の沈黙。二人だけではない。学校全体が沈黙した。
交わりあう二つの唇は、まだ離れない。
黄泉路はしっかりと黎の背中に手を回し、彼との感触を確かめた。
そしてその決別を惜しむかのように、二人の顔がゆっくりと離れる。しかし黄泉路は黎の首に回した手だけは離さなかった。黎があまりの衝撃に、固まっていると、
「俺は一生あんたを離さない……そう言った」
と、沈黙を破るように平然とした面持ちで、黄泉路が言った。
「そ、それは、友達として……だな……」
「言ったもん」
少女は可愛らしく小首を傾げ、そして上目遣いに言う。
「後悔、させないでよね」
そして――――少女は、優しく笑った。
笑顔を失くした少女が。
笑顔を捨てた少女が。
笑顔を奪われた少女が。
――――笑った。
「……」
黎は見とれていた。彼女の笑顔が、こんなにも輝いているとは、思わなかった。
この笑顔を救えてよかったと、心から思えた。
上の方からひゅうひゅうとそんな二人を野次る声が聞こえていた。見上げると黎たちの教室から、彼の友人たちが窓から乗り出して茶化しているのが見える。そこだけではない。いろんなところから茶化す声が飛んでくる。
黎はそれを見た後、もう一度黄泉路に目線を落とし、
「はあ……了解」
と、至極面倒くさそうに、そして照れくさそうに言った。
二人は並んで下駄箱に向かって歩き出す。と、昇降口の玄関に、厳めしい表情で半眼で睨みつける武村の姿があった。
「ほう、皇子代。遅刻してるくせに同伴出勤とはいい身分だな、おい」
「ちょ、まっ――」
「来い。生徒指導室だ。昨日サボった分もな。退学はないが停学は覚悟しとけ」
「えぇっ!?」
「黄泉路はさっさと教室戻って一時間目の準備をしてろ。今日の英語は小テストだぞ」
「はい先生」
また、いつものくだらない毎日が始まる。
それはもしかしたら、怒りたくて、泣きたくなるようなことかも知れないけれど。
でも、それでもいいじゃないか。
そんな毎日が送れるだけで、幸せだ。
黒い髪の少年、皇子代黎はそう考える。
この日常を得るために、犠牲にしたものはあった。
黎はいくつもの選択をし、捨ててきた。
それは決して、褒められたことではないだろう。
善と悪で言えば、悪だったこともある。
しかし思う。
これでよかったのだと。
いや、思うしかない。
そして突き進むしかない。
今はただ、この少女が笑っていてくれるなら。
それで俺も、幸せだ――と。
ここまでお読みくださった方に感謝を。




