落着。そして不穏
関西弁の刑事が一番怖い。
「いってきまーす」
とても気だるそうな声で、とあるマンションの一室の扉が開かれる。そこから出てきたのは目つきの悪い、黒髪の少年だった。
「らっちゃい!」
黒髪の少年の背後から、可愛らしい見送りの声が聞こえた。少年の妹である。少年は何かを考えるようにしばらく沈黙したあと、
「行ってきます!」
と元気に手を上げて返し、扉を閉めた。
少年は自転車通学である。しかし今日はとある事情から自転車を壊してしまい、徒歩通学。ただそれを忘れていて、つい自転車通学の時間に合わせて準備していたため、この時間に通学するのは少し遅い。というか遅刻である。ただ急ぐのが面倒くさかったので、今日はいいや、とゆっくり登校することに決めた。
道を駅まで歩いても、同じ制服の人を見かけない。やはりこんな時間に登校しているのは自分だけのようだ。それでもまだ通勤ラッシュ。満員の電車に詰め込むように入る。
以前、痴漢に間違えられた主人公が無実にも関わらず、無情にも有罪にされてしまうというなんとも欝な、そして男にとっては恐怖でしかない映画を見てから、満員電車は苦手になった。痴漢に間違えられないようにしなくてはと、とにかく両手を上げる。
とはいっても所詮その間川を越えて一駅である。数分でその苦しみからは解放された。
改札を出、もはや学生など自分以外いない通学路を歩く。
そこで少年はふと思った。
「あ~しんどっ! やっぱ自転車の方がいいな」
以前と全く逆のことを言っていた。
結局そういうことなのだ。人は自分の選んだ道以外の方が良く見えるものだ。
隣の芝は青い。そういうこと。
ただ本当に良いかどうかは別。だからそんなことを気にするだけ無駄。結局自分で選んだ、今、目の前にある道を行くのが一番速くて、良いのである。
人はどちらにせよ、前に進まなければならないのだから。
そこに人以外の存在を見つけてすがることに、なんの意味もない。楽しかろうが、辛かろうが、それを受け入れて進むしかないのだ。その道こそが、幸せである。
なんて格好良く考え事をしていると、学校の校門が見えてきた。
もちのろん、閉まっている。
「校門って開いてるよな? 普段」
「なんや兄ちゃん、遅刻かいな」
校門を飛び越えようとした少年を、そんな声が呼び止めた。その声に振り返ると、そこには見覚えのない初老の男性が立っていた。そのおじさんはどこか刑事ドラマで見た事のあるような五十代後半くらいの男。不気味な作り笑顔を浮かべ、目つきが悪く、焼けた肌に刻まれた無数の皺がその歩んできた人生の激しさを物語っている。そんないい感じに白髪が入ったその男が、こっちに向かってゆっくり歩いて来る。
「なんやそんな驚いて。後ろから急に声かけてすまんな」
「……いえ。それで、何か用ですか? えーっと」
「警察や」
その男は、胸ポケットから取り出した警察手帳を掲げて言った。
「警察が、僕に何の用ですか?」
「とぼけんなや。要件わかってるやろ?」
言いくるめるように、その刑事は口火を切る。
黎がそれに言い淀んでいると、
「最近ここの学校の生徒が連続して襲われとる惨殺事件についてや。朝ニュース見たやろ? いろいろ聞き込みしてんねん。ちょっと話聞かせてや」
そう言って、刑事はにはは、と笑った。
「……それ、今ですか? 遅刻しそうなんですけど」
「こんな時間に登校しといてよう言うわ。どっちにしろ遅刻やろ? すぐ終わるから、ええやろ? な?」
「失礼な。まぁ良い言い訳になりそうなんで協力しますよ」
黒髪の少年は、渋々と言った感じで足をかけた門を下りた。
刑事は機嫌良さそうに笑い、ポケットから手帳とペンを取り出した。
「君、名前は?」
「蒼海清水です」
少年はそんな名前ではない。とりあえず嘘をついた。それが自分の悪い癖だとも理解はしているが、とりあえずだった。
「おうみ、きよみず……綺麗な名前やなぁ。被害者の子のことは知ってるんか?」
「被害者って誰でしたっけ」
「なんや、今朝のニュース見てないんか」
「見ましたよ。獅子座が1位でしたね」
「知るかアホ。なんでやねん。被害者の名前出とったやろ。ほら、えーっと」
刑事は思い出すために手帳をめくって確認した。
「そう。虹倉三彩希や」
それと二人の男の名前を付け加える。
「虹倉……ああ、同じクラスですね」
「同じクラスかいな!? 君、リアクションうっすいなぁ」
「え、なんかすみません」
「悲しいとかないんか」
「引っ越してきたばっかだったので、そんなに親しくないんで」
「ああ、そうらしいな。沖縄から一人引っ越してきたって」
「なんで殺されたんですか?」
「それを今調査中や。でも、間違いなく先日のバラバラ事件と同一犯やろな」
「容疑者がうちの学校に?」
「せやな。今のところ、ニュースでも報道してた通り、日本史の教師の橙堂ってのが第一容疑者や。今も行方をくらましてる。でも現場に残されてた車の後部座席から虹倉三彩希の靴の跡と、トランクに彼女の指紋と毛髪が残ってたさかい、まず間違いなく犯人は橙堂やろな」
「あーあいつ変な奴でしたからね」
「やっぱそうなんか。みんな口揃えて言うなそれ」
「だったら、その橙堂を追いかければいいんじゃないですか?」
「今追いかけとる。こっちはこっちで引き続き新しい証言の聞き込みを行っとるところや」
「ジドリを一人で? もう誰もいないのに?」
黎がわざとらしく周囲を見回す。確かにそこには、黎と刑事以外の人間は誰もいない。
「あなたは、その判断に、納得がいっていないみたいですね?」
「……君、怖いなぁ」
少年の指摘に、刑事が一瞬驚いたあと、不敵に笑う。
「ジドリなんて用語よう知っとるな」
「最近刑事ドラマにハマってて」
「そうか。本心突かれてドキッとしたわ。まるで心が読まれてるみたいで」
「なんでも聞いてくださいよ。面白そうなんで話せることは話しますよ」
気が変わったかのような少年の提案に、刑事は少しそれを訝しむように睨みつけた。当然だ。提案してきた目の前の少年から、好意的な印象を全く受けないのだから。
「ほなお言葉に甘えさせてもらって。君、黄泉路蜜は知ってるな? 同じクラスやろ」
「もしかして、今回の事件も黄泉路の仕業だと? 殺され方が同じだから?」
「なんや、随分話が早いな」
「昨日、そう言って学校に乗り込んできた人がいたので」
既にその話は警察に知られているようで、刑事は特に驚きもしなかった。
「人には無理な犯行ってことで、容疑者から外れたんじゃなかったでしたっけ?」
「それは3年前の事件や。今回はまた別や」
「でも、手口は同じなんですよね? だったら結論は同じでしょう」
「まぁ、そやけども……でもな、駅前の件も、ほんで昨日の川辺の件も、あの子が深く関わっとる。無視はできんやろ」
「でもあなた以外の警察は、無視して橙堂を追っている」
少年はそう冷たく言った後、
「いつまで黄泉路を苦しめるんですか?」
と問うた。
冷静に。言い換えれば冷たく。




