神
「なんなんですかっ! アレ!」
その言葉に、皇子代黎は歩みを止めた。
虹倉三紗季が血の溢れ出る右耳を押さえ、黎の近くでしゃがみ込んでいた。黎と黄泉路が話している隙にこちら側に逃げてきたのだ。
「よう。まだ生きてたか」
「生きてたかって、なんでそんな普通にしてるんですか!? 皇子代さん、もしかしてあの化物を知っていたんですか?」
黎はその問いに沈黙を返す。
「あれはなんなんですか。黄泉路蜜、なんですか? でも、明らかにおかしいし」
「なんでもねぇよ」
「へ?」
「あんなもんなんでもねぇ。ただの幻だ」
「ま、幻ってそんなの無理があーー」
『私は、神です』
その少女のような無邪気な響く声に、言葉を奪われる。
「喋った?!」
さっきまでただ笑うだけだった黄色い鎧が、突如喋り、自らを神だと名乗った。
――神、と。
「じゃあ、あなたが心道の神……? そんな馬鹿な、ありえない」
ミサキはは苦笑する。でもそれは、現実から目を逸らすための。
「そんなもんただの神話じゃ……」
『ご覧なさい。私がその神です』
黄色い神と名乗る鎧が、両手を広げてみせる。
ミサキは理解できないと同時、しかし今この状況を笑って飛ばせるほどの状況でもなかったため、ただその言葉を聞き入れた。なんとか理解しようと、頭を働かせた。
『この少女が願ったから、神である私がその願いを叶える。何か可笑しいことでも?』
「可笑しいつってんだろ。この邪気眼野郎!」
黎は苛立ちを隠さない。
ただその苛立ちが、逆に神の言葉の信憑性を高めていく。
『ふふふっ。信じるものは救われる。だから私は今この少女を救っている。それが私が神である証拠』
「ふざけんな! 救う? そいつは『一人になりたい』って願っただけだろ」
『だからこうして近づく人間を排除している。永遠に一人でいられるように』
「それでそいつが救われてるって、本気で思ってんのかよ、この――っ!」
その時、キュンッという不可思議な音が耳を通り抜けた。数秒後、黎が止めてあった背後の自転車が、ガシャンと音を立てて倒れた。振り返ってみると、自転車はまるで真ん中をレーザーを使って横に真っ二つにしたように、通常ではありえない壊れ方をしていた。三彩希は黎のわき腹を見て、制服が鋭く切れていることに気付く。
『私は神。救いを求める人間を救うのです。この少女が一人になりたいと、そう願った。だから私は彼女を孤独にしてあげる。それの何が間違いなんですか?』
「間違いだらけだな」
黎は先の脅しに全く怖じけることなく、一歩踏み出し変わりない強い言葉で言い切る。
「そんな考えることを放棄して、ただはいはい言うこと聞くのが正しいわけがねえだろ! その人間の考えが間違った方向に向かってるなら、その人間を正しい方向に導くのが救いだろうが!」
吼える。
神と名乗る、人を超越し畏怖すべき存在を前に、黎は吼える。
「何度だって言ってやる! この邪気眼野郎! 神なんてものは存在しな――」
しかし、その雄々しき少年を無慈悲にも神の刃が貫いた。
「皇子代さん!?」
「――い……」
黎のわき腹に後ろから刺さったその黄色い刃は、その向きからしておそらく、先ほど投擲したそれ。手を離れても遠隔で操作されたのだろう。黎はその刃をギュッと握り締めるもビクともしない。むしろ握った手の方が鋭い刃に切れてしまったほどだ。
そのまま黎はその刃に引き摺られるように、ズルズルと黄色い神の元へと引っ張られる。
『貴方は知らないのですか? 母の教えを』
「……か……」
『人はこの世に生を受けた瞬間から、その道を決められているのです。故に人間がその道を変えることなど不可能。であればその不幸に満ちた絶望的な道を、我々がその人間の願いを叶えることで少しでも和らげられたら、とそう思うのですが』
引き摺られていた黎が、黄色い神の目の前で、ピタリ、と止まった。黎は口から赤い血を流しながらも、掠れるような声で喋り続ける。
「そう……だな。人間ってのは、そう簡単に、変われない……だから、お前の言うことも、理解は、できる………」
『素晴らしい。良い子です』
「でも……だったらなんでこいつから笑顔を奪った?」
――笑顔。それは少女の処世術であり、少女を少女たらしめるもの。
そしてそれは少女が失ってしまったもの。
それは少女が封印したのでも、忘れてしまったのでもなかった。
神が、奪った――黎はそう言った。
『それが代償。それが対価。それが戒』
「戒……」
聞きかじった言葉に、三彩希はその言葉を復唱した。
『何も失わずに何かを得ることなどできはしない。それは当然の摂理。私という救いを得るために、この少女は何かを失う必要があった。それが、笑顔』
「なんで、そんなもんを……」
『この少女にとって一番大切なものです。戒無しに、神は人を救うことはできません。そしてそれをこの少女も承諾した。何か間違いでも?』
「それで……それでそいつは幸せになったのかよ? 一生笑えなくなってまで、そうしてまで得たものはあんのか?」
『孤独』
黄色い神は、一切の間を置かず、答えた。
何の迷いも無く、断言する。
「それが、あいつの本当に願ったものかどうかなんて、そいつの心に棲んでるならわかんだろ! そいつは本当に孤独を望んでたわけじゃない! 心の底じゃあいつか自分を受け入れてくれる存在を待ってたんだ! 普通の生活に戻りたかったんだよ!」
黎は目の前に差し出されていた黄色い神の右手を力いっぱい掴んだ。
『そんなことは知りません』
「なん、だと……」
『大事なのは過程ではなく結果。少女がそう願ったのなら、私はそれを全力で叶えるだけです。それが、神の勤め。神が神である所以』
「それで結局こいつの心を殺してんじゃねえかよ! 自分の親殺すことがこいつにとっての救いか?!」
胴に突き刺さった刃の痛みなどものともせず、黎は目の前の黄色い神に叫び続けた。
まるでそれが自分の宿命だといわんばかりに。
『それが、この少女の願いの結果ならば』
しかし、何を言っても黄色い神を名乗るその存在が、揺らぐことはない。
そう、それこそが神。
絶対的な価値観。絶対的な存在。
人の上をいくもの。全ての上をいくもの。
それは人の言葉には揺らぎはしない。
神に人間の理屈も言葉も通用しない。
「……だったら……そんなもんが神だって言うなら。そんなもんが救いだってんなら――」
だから彼は、言う。理不尽な神に対し、確固たる意思を持って、宣言する。
「――俺が否定してやるよッ!」
『ッ?!』
プツプツと音を立て、夕暮れ時を照らし始めたはずの周囲の街灯が一斉に点滅を始め、そして消えた。
さらに黎の手が――黄色い神の手を掴んでいたその手が――
黒く光った。
黄色い神は瞬時に黎の手から自らの手を引き離し、後方へと大きく離れた。
しかしその反射的に力いっぱい引き離した手の指が、黎に掴まれていた部分が――無い。
『な……』
神は混乱する。初めてその神の絶対的な余裕が、無くなる。その事実を理解できないでいると、黎の方から口を開いた。
「知ってるか? 人はその心に色を持つ。あんたらの教えだったよな?」
『……何が、言いたいんです?』
黎の身体が、胸の中心からドロドロと黒い何かに覆われていく。
「だったら黄泉路はやっぱり良い人間だよ。じゃなきゃそんな綺麗な心の色をしているわけがない。優しい人間の証拠だ」
『だからそれが何だと言うのです!』
「俺はそんなに優しくねえっつってんだよ! この寄生虫がッ!!」
黎の全身を、一気に黒が包み込んだ。




