先生、首が
「見つけた」
激しく息を切らしながら、三彩希は前方を睨みつけた。
ほとんど人の通らない、古びた橋の上に一台の白いSUVが停まっている。そしてそのすぐ傍、橋の欄干近くに、同じく全身を白で塗り固めた男が立っていた。男は、三彩希の声にゆっくりと振り向いた。
「……探しましたよ、橙堂先生」
「なんだ? 虹倉。こんなところに。テストのことなら教えんぞ」
「とぼけないでください、先生」
三彩希はカバンから心道について書かれた本を投げた。
「森の中にあったあなたのプレハブ小屋を拝見させていただきました」
「……」
「あなただったんですね、連続殺人犯は」
三彩希の言葉に、しかし橙堂は特に驚いた様子も見せない。しかしその無反応が、なによりの答えになる。
「シャーロック・ホームズにでもなったつもりか、虹倉? 妄想はネットの中だけに留めておくものだ。現実にそれを持ち込んだら……その責任は取れるんだろうな?」
「責任?」
「そうだ。君もあの皇子代のように、学校にいられなくなる。そのことを熟慮した上で続きを話せ」
明確な脅しだ。しかし三彩希は意を決した表情を崩さない。
「心道という宗教、大変興味深かったです。知れば知るほど、狂ってる」
「ふんっ。宗教とはみな狂っているものだ。いや、人間は狂っていると言い換えたほうが適切か」
「無辜なる心……それを探しているんですね?」
「ほう。そこまでたどり着いたか」
「ええ。私はずっと、黄泉路蜜が、神への供物として両親を殺したと思っていました……いえ、そう信じたかった」
彼女が、黄泉路蜜こそが真犯人だと。そう願っていたのだ。
それは嫉妬に違いない。
「それらしいヒントを見つけて、まるで自分が唯一真相への細い糸を見つけ、手繰り寄せている気になっていました。ドーパミンがドバドバでしたよ」
皇子代黎の言葉が、今になって突き刺さる。他人を追い詰める、その代償を払えるか。
これは完全に自分の失態だ。
「でも違った。心道における神との対話には、無辜なる心が必要。それが、黄泉路蜜」
三彩希の推理を、橙堂は背を向けたまま聞いている。
「無辜なる心となるためには、解脱、つまりあらゆるものからの脱却が必須。かつて信徒はそのために、家族や仲間を死に追いやり、洞窟に閉じ込め、本当の意味で孤独にさせようとした。そこであなたは、黄泉路蜜の両親を殺し、黄泉路蜜から家族を奪った」
三彩希が問い詰めるように言い切ると、しかし橙堂は特に身じろぎはしなかった。
不穏に、立ち尽くす。
「そうやって少しずつ、黄泉路蜜を物理的にも精神的にも孤立させていき、彼女が無辜なる心となるのを待った。そして周囲から完全に孤立した今、あなたは仕上げにかかった」
「仕上げ?」
「あなたは黄泉路に近づく不穏分子である金城らも殺し、それを黄泉路蜜に押し付けて追い詰める。周囲が黄泉路蜜がおかしくなったと思い込めば、その後黄泉路蜜が行方不明になっても、さほど唐突感はなくなる。自暴自棄になっての失踪ではないかと」
「行方不明? なんのためにそんなことをする?」
「無辜なる心となった黄泉路蜜を、生贄に捧げるために」
そう、それこそが橙堂の目的。
「黄泉路蜜を生贄に捧げれば、あなたは神との対話ができる。そして神の力を得る。そんなありもしない夢物語をあなたは追いかけている」
「ふ、ふふふ……あっはっはっはっはっ!」
三彩希の推理に、橙堂は高笑いした。
「頭がおかしくなりましたか? いえ、そもそもおかしいんですよね。あなたの言動にも納得がいきます」
言いつつ、三彩希はカバンの中に忍ばせていた暴漢スプレーを手にする。と、ようやく橙堂が三彩希を振り返った。そして不敵に笑う。
「私が、神の力を得る? 途中までは良かったが、とんだまぬけだなぁ、シャーロック」
「え……」
「図書室で君を心道の本に導き、真相までの道しるべを示してやったのに、がっかりだよ。虹倉三彩希。君は所詮、わき役だったというわけだ」
「私を、誘導していた?」
「気づいていないと思ったか? 君が私の車に乗り込んでいたのを? 見たまえ」
橙堂が首で指したのは橋の下。三彩希が顔を覗かせると、そこには黄泉路蜜の姿があった。しかし彼女に群がるように、二人の男がいる。
「あれって……セカサンの、タイラさんとボコさん……」
見知った人物の姿。しかし何故こんなところに?
そう疑問に思った瞬間だった。
「……え」
タイラの首が、胴体から切り離され宙を舞った。首はその身体の向こう側に、ゴロゴロと木から落ちた林檎のように転がって、止まった。そしてやっと身体のほうが力を無くし、べちゃっ、と嫌な音を立てて倒れる。
一瞬だった。瞬きして、目を開けたら、もう首は飛んでいた。
それは、人の仕業ではない。
あまりに異常なその光景は、まるで映画のフレームを一つ一つ丁寧に見ていくように、ゆっくりと、そしてはっきりと目に写った。その異常さに、脳がいつものようにスムーズに映像を処理できなかったのだ。
タイラの身体が倒れたのを見きって、ようやく三彩希はその首を切った対象に目をやる。
それは黄泉路蜜――なのだろう。そう推測することしかできない。
なぜなら――。
――人はこんな一瞬で、髪の色が変わるのだろうか。
黄泉路のその髪は、艶やかな黒から透き通るような鮮やかな黄色に変わっていた。髪だけではない、瞳の色も黄色く変色している。
――人の腕から、刃は生えるのだろうか。
黄泉路の左腕から、黄色い刃が突き出ている。おそらくその刃で先輩の首を切り落としたのだろう。よく見ると、彼女の左腕全体が黄色い何かで覆われているのに気付いた。
そして一番脳裏に焼きついたのが彼女の顔。
――人は、人を殺して、笑っていられるのだろうか。
黄泉路のその顔は、確かに笑っている。正確には優しく微笑んでるように見える。
しかしこの状況で、人の首を切り落としておいて、人はそんな顔ができるのだろうか。
異常なその笑顔に、しかし何故か三彩希は見蕩れてしまっていた。
それくらい、綺麗で魅力的な笑顔だった。彼女の端正な顔が良く引き立って見えた。
「……なんなんですか、あれ……」
「あっはっはっはっ! 素晴らしいぃ! 見なさいあの美しい輝きを! あれこそが神の力……神鎧!!」
「……じん、がい……?」
信じがたい。しかし、今目の前で起こっていることは、まごうことなき現実だ。
すると、もう一人、小太りのボコが逃げるように川辺を走り出した。しかし、数歩走り出したと思ったら、まるで全身の接続部が外されてしまったオモチャのように、ボコはその巨体を崩して、赤い液体となり地面へとぶちまけられた。
一瞬にして、バラバラにされてしまった。
「そんな、あれ……」
「夢物語? 違うさ! 神は現実に存在する! 私が神の力を得ようなどとおこがましい! あれこそが、黄泉路蜜こそがそれに値する選ばれし心だったのだよ!」
神の力を前にして、橙堂は見せたこともない興奮しきった表情をで叫ぶ。
「ずっと追っていた! 神を! 3年前のあの狂気染みた事件から、目を付けていた! 私の長年の研究は今ここに証明された! さぁ、神よ! 世界を、この穢れた黒き世界を浄化したまえッ!!」
橙堂は、恐怖に動けない三彩希の両肩を後ろから掴んだ。
「さぁ、虹倉三彩希。君の出番だ」
「え?」
「私が君をここに誘導した理由は一つだ、あの神の姿を映像に収めるんだ」
「な……いやです、離して!」
「君の動画の波及力には目を見張るものがある。あの姿を世界中に知らしめて、世界の浄化を伝えるんだ」
「な、ないんです! カメラは……全部壊れてて……!」
三彩希の告白に、橙堂は驚愕してその手を離した。
「……なん、だと……? 馬鹿な、じゃあ何のため君をここに導いた!?」
「先生!」
「この感動を、世界中に伝えるために君は存在するのに!? この奇跡的な瞬間を捉えないでなんとする!?」
「先生ッ!!」
「なんだうるさいッ!?」
「首が」
「へ?」
「首が、飛んでる」




