刃
まあ現実ではしちゃいけない。
皇子代黎が教室に入ると、そこはまるで五分後に全員死ぬとでも宣告されたかのように、全員が呆然と立ち尽くし、気まずい雰囲気と共に静まり返っていた。遅れて教室に入ってきた黎に、全員が一斉に視線向ける。
明らかに何かがあった様子に、黎は気まずそうに視線を左右に振る。
「全員、今日はホームルームは無しにする。一時間目の授業の準備をしてなさい」
クラスの担任である武村は、いつにもなく真面目な態度で言った。担任の言葉を聞いて全員がしんみりと動き出したその流れに乗って、黎は自身の机へと向かう。
「最悪のタイミングで来たね、黎ちゃん」
と、美登里が囁いた。
「なにがあった?」
そう訊ねながら、教室の後方を見た。すると、担任に肩を抱えられるように厚化粧に授業参観のような格好をした女性がいる。彼女は酷く動揺していて、泣いているようだった。
「黎ちゃん、ニュース見てないの?」
「え、なんでだ? また増税か?」
「なんでよ。昨日そこの駅で殺人事件があったんだよ?」
不穏そうな言葉に、黎は眉根を寄せる。
「殺されたのはうちの生徒で、その一人はほら、一昨日クラスに来た短髪金髪の3年生」
「あの面白い人か」
黎の記憶には、ギャグに敏感に乗ってくれる意外といい人というイメージしかなかった。
「そう。あのおばさんは彼の母親だよ」
「あのババア、それを黄泉路ちゃんのせいにしたんだよ!」
と、追い打ちのように答えたのは蒼海である。黎はもう一度その母親に視線を戻した後、その傍に立つ橙堂に視線をやった。
「……なるほどな」
すべてを理解したように、黎は小さくため息をついた。
「黎ちゃん。何考えてるかわかんないけど、お願いだから揉め事は止してよね」
真っ先に気づいて止めたのは美登里だった。そう先手を打ってくる。
「おいおい、人をトラブルメーカーみたいに言うなよ」
「まさにそう言ったつもりなんだけど」
「ひどいな……わかってるよ」
黎のその言葉に、美登里は「ならいいんだけど」と少し安心したようだった。
「それに別に、どうでもいいだろこんな事件」
何気なく。
本当に何気なく、黎が鋭い刃を放った。
それはあまりに何気なくで、誰もが一瞬、それが刃だと気づかなかった。
いち早く気づいたであろう美登里が、小さく息を吐いて首を振るう。そして一瞬遅れて、周囲のざわつきが止まった。しん、とそんな音が聞こえたくらい、黎の言葉に全員が黙った。
「今、今なんて言ったのッ!?」
そしてそこから一拍おいて、耳が痛くなるほどの金きり声では叫ぶ声があった。
それは教室後方、金城の母親の声。彼女は支える武村の手を振り払い、猛牛のごとく椅子や机を押しのけて、黎の元まで詰め寄ってくる。もの凄い剣幕で。
「今なんて言ったの!? もう一度言ってみなさいよ!」
女優だったら名演技だというくらい、彼女は息を荒げて迫った。黎の鼻に彼女の香水が酷く匂う。彼はあからさまに不快そうに鼻を押さえながら、
「どうでもいい、って言ったんですよ」
「ひひ、人が死んだのよ! 私の息子が殺されたのッ!」
胸倉を掴もうとする彼女を、しかし武村と美登里が間に手を入れ抑えた。
「皇子代! やめろ!」「黎ちゃんっ!」
その言葉は黎に向けられる。そんな彼らの必死の制止を無視し、黎はその高い背丈から圧迫するように、そして蔑むように金城の母親を見下ろした。
そしてしっかりと、明確な悪意を持って吐き捨てた。
「知るかよ。あんたには息子でも、俺にとっちゃただの他人だ」
「お前……お前ェッ!」
「じゃああんたは地球の裏側で死んだ人間のために泣けるのか? 貧しい国で飯も食えず死んで行く子供がいても、今日も笑って飯食って過ごすんだろ?」
「もうやめろ! 皇子代!」
ついには担任の武村が黎の体を両手で抑えつけた。だが抑えるべきは黎の口だった。それでは彼の刃は止められない。
「それと何が違う? 自分の息子だけは世界中に悲しんでほしいのか? それで無実の女の子を犯人呼ばわりして、それで彼女を追い詰めて、死なせて、そしたら満足か?」
「あいつは、あの女は殺人犯よ! 犯罪者の両親の血を引いた、生粋の殺人鬼! だったら死んで当然よ!」
「っ……」
ピクリ、と黎の耳が反応を示す。
そして周囲を見渡し、その中に呆然と状況を見守っている三彩希の姿をみつけた。彼女はこんな状況にも関わらず、手持ちのカメラを向けていた。
「ふざけんな。だったらあんたの馬鹿な息子も殺されて当然だろうが」
黎の刃に、一層鋭さが増した。心無い言葉に、金城の母はその顔を歪める。
「まさか自分の息子が、誰からも好かれる人格者だとでも思ってたのか?」
「皇子代っ!」
「黄泉路の親が犯罪者で、あいつが人殺しで当然なら、あんたの息子は屑で、殺されて当然で――」
ぱしんっ――乾いた音が響く。武村が、溜まらず黎の頬を手のひらで打っていた。
彼女ははたいた自分の手をぐっと握りしめた後、興奮を落ち着けるように黎を見る。
「叩いたのは悪かった。謝る。でも度が過ぎるぞ皇子代。冗談や反抗期じゃ済まない。お前の言葉は、人を死に追いやる」
「それは、そこのオバサンに言ってるんだよな?」
「いい加減にしろ皇子代! 金城さんだって、気が動転してるんだ……だから、許してあげてくれ」
「気が動転してる? 笑わせんなよ」
しかし、それでも黎は止まらない。まったくもって、止まる様子を見せない。
彼は追い打ちを掛けるように言う。金城の母の、派手な色をしたスーツの襟首を思い切り掴んで引き寄せた。
「だったらこの服装は何だ? だったらその厚化粧は何だ? だったらこの香水の匂いは何だッ! 気が動転してる? だったらこんな馬鹿みたいな準備してる余裕なんか無いだろうが! 自分の子供が殺されて、涙が枯れるほど哀しくて、そんな人間が自分の子供が殺された次の日に、馬鹿みたいに身なり整えて犯人糾弾しに来るのか!? 自分がどう見られるかなんて、いちいち気にするのか!?」
さっきの勢いはどこへやら、彼女はただその言葉を唖然と聞き続ける。そして見る見るうちに、その表情を青く染めていく。
「確かに哀しいだろうな。あんたのその涙が嘘だなんて言わないさ。でもな……結局あんたの息子への愛なんてのは、その程度のものだったんだよ。息子を殺した犯人を糾弾することよりも、事件の真相を究明することよりも、あんたはまず自分の身なりを整える事を選んだんだ」
それはあまりに厳しい言葉だろう。誰もがそう思った。
しかし黎は許さない。そんな些細な隙すらも、見逃さない。徹底的に糾弾する。徹底的に打ちのめす。
「違う……私は、そんなつもりは……!」
「だったらできるだけ長く息子の側にいてやれよ。それが一番やるべきことだろ」
黎は最後に静かな声でそう諭すように言った。金城の母は、かくん、と力無く膝から崩れ落ちた。そして声も出さず、ボロボロとその場で泣き始める。
「武村先生。金城さんをとりあえず職員室に」
静まりかえる中、そう言ったのは橙堂だった。武村はその言葉に従い、力の抜け切った金城の母をなんとか立たせ、ゆっくりと教室の外へ消えていく。
それを見届けたあと、橙堂が振り返った。
「ふう。貴様確か、蒼海清水だったかな?」
「はい。僕は蒼海清水です。二+二=五です。はい」
「ええっ!?」
と黎の言葉に、蒼海が悲しそうに驚きの声をあげた。
「くだらん戯言はいい。この状況、茶化している場合か?」
「え、『Sunday』の次の日、ですか? そんなの『Tomorrow』に決まってるじゃないですか」
「ええっ!?」
と、再び蒼海が叫ぶ。自分はそこまで馬鹿じゃないと憤慨し、「『Sunday』の次は『Yonday』に決まってるだろ」と言った。思っていた以上に重症だった。
そんな馬鹿なやりとりを橙堂は飽きれ気味に睨みつけ、
「蒼海、言葉使いというものに気をつけろ。世の中には言って良いことと悪い事がある。貴様は、自分では正義のつもりだったんだろうが、あれは暴力以外のなにものでもない。あんなことを平然とやってのけるのは心が穢れている証拠だ」
「心が穢れてる、ね」
「そうだ。君はそういう人間だ。そしてそれは変わることはない」
「じゃあ先生も変わることはないんですね」
黎は相手の言葉を利用し、手玉にするように笑う。得意気に威張り散らしていた橙堂は、一層鋭い目つきで黎を睨んだ。
「じゃあ何ですか? 罪もない人間を、ただ疑わしいからというだけで、人前で人殺しと罵る事は正しいんですか?」
「疑わしいだけではこんなことにはならん。黄泉路が否定をしないからこうなる」
「あいつが人を殺せる人間に見えますか?」
その言葉に、橙堂は大げさに首を二、三度横に振った。
「見えないな。見えない。だからこそ怖い。一見安全そうな人間に見えて、心がどす黒いというのが一番性質が悪いんだよ。そういった人間から身を護るために、そういった人間の存在を教えることが、子供たちのためになるとは思わないか?」
「思っても無いくせに」
「思っているさ。私は教師だぞ?」
「生徒の名前も覚えてないのに?」
「なに?」
「俺は皇子代黎です。蒼海じゃありません」
「は? ……貴様ァ……」
黎の言っている意味に遅れて気づき、ニヒルな顔つきに焦りに似た怒りが浮かび上がる。周囲の生徒達が、くすくすと笑った。
「度が過ぎたな皇子代……貴様の処分を職員会議にかけることにする。今日は帰って家で沙汰を待て。明日には連絡する」
怒りに顔を染めあげた橙堂は一転、勝ち誇ったように笑って言い、
「大人を舐めるなよ」
そう吐き捨てて教室をあとにした。
「……黎ちゃん」
後ろから、美登里がそう言って黎を慰めようとすると、しかし黎はそれを振り切って教室の後方へと視線を向けた。
だがそこに、三彩希の姿はない。
「美登里。俺は大人しく家に帰る。後はよろしく頼む」
「え、え? 黎ちゃん!?」
黎は慌ただしくそれだけ言い残して、教室を飛び出た。




