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その日の前に

作者: 掛世楽世楽

 その日、野暮(のくれ)今一(きんいち)は二日酔いで目覚めた。

 重い頭を振りつつ、洗面所の鏡に映る自分の姿に、目をみはった。



「なんだこりゃ」



 赤と青。

 二本の光が頭上にまたたいている。

 まるで棒グラフだ。



「まだ酔ってんのかな・・・あ、まずい。もうこんな時間」



 通勤は片道二時間を超える。

 急がなくては。今朝は大切な会議の準備があるのだ。


 妻と子供を起こさないように顔を洗い、手早く着替えて外へ出た。

 朝食はいつもの立ち食い蕎麦屋で済ませようと思った野暮は、最寄りの駅前路上で固まった。

 青と赤の棒グラフが、そこいら中に溢れている。


 誰もが他人の頭上に視線を絡ませ、すぐに目を伏せていた。

 まるで見てはいけないものを見た、と言わんばかりに。



「どうやら二日酔いのせいじゃないらしい」



 実に不思議な光景だった。

 駅構内、電車の車両、どこもかしこも棒グラフだらけ。

 こんな状況でも、とりあえず会社や学校へ行こうとする日本人は、本当に勤勉だと思う。


 他の国でパニックが起きているとわかったのは、同僚の竹中がスマフォの動画を見せてくれた時だ。



「おはよう。ニュース、見たか?」


「ああ、おはよう。いや、寝坊したんでね。まだ・・・」


「世界中で起きているらしいぞ、これ」


 そう言って、竹中は自分の頭上を指さした。

 赤と青がゆっくりと明滅している。


 日本は夜間だったが、アメリカやヨーロッパは昼日中に現れたのだという。

 今のところ健康被害などは発生していないらしい。



「いったい、何が起きているんだろう」


「さあな、全くわからん。各方面の専門家が集められて、対応策の検討が始まったとさ」



 そこへ上司の恵比寿が現れた。


「君たち、ちょうど良かった。今日からしばらくは自宅で待機してくれ」


「いいですけど、仕事はどうなるんですか?」


「保留するしかないだろう。つい先ほど、こいつが」


 と言って恵比寿課長は頭上のグラフを指した。


「病原菌かもしれないから、迂闊に歩き回るなというお達しが政府から出たようだ」


「でも、ニュースでは子供から大人まで、例外なく発生しているって・・・」


「そうだ。今さら慌てても仕方ない。要は交通機関が動くうちに帰れ、ということだろうな」


「はあ・・・」



 同様の判断を下した会社が多かったらしく、電車はラッシュ時並みに混雑していた。

 帰宅途中で寄った自宅マンション付近のコンビニは、食料品の棚がほとんど空になっている。おそらくスーパーマーケットも同じような状態だろう。


 野暮は帰宅してすぐに、テレビとネットで情報を集めた。

 交通機関、電気、水道、ガス、電話などのインフラは正常に機能しているらしい。

 買い占めを抑制するため、食料とガソリンは一度に一人二千円までという暫定措置が設けられたと発表があった。政府としては珍しく良い判断を下したと言えそうだ。一般市民が買い物を自制するなら、大きな混乱はないだろう。



 あらゆるテレビチャンネルやサイトで、青と赤の棒グラフについて論じている。

 意見の多くは病原体説だった。




「新種のウィルスでしょう。何らかの方法で発光していると思われます。色の意味? それはウィルスに聞いて欲しいですな」


「ロシア、もしくは中国あたりの生物兵器が、何かの手違いで世界中に散布されたに違いない」


「バイオテロだ。絶対にそうだ」




 宗教色の強い意見もある。



「これは最後の審判に他なりません。今ならまだ間に合う。私たちが主催する幸福の統一学会(・・・・・・・)へお布施しなされ。金額に応じて、救いの手が差し伸べられるでしょう。ホホホ・・・」




 宇宙人侵略という大胆な説もあるらしい。



「地球の探査艇による越境行為を止めるようにと、火星人がアメリカに警告していたのはご存知ですか? これはその報復ですよ。きっと人類は死滅する。みんな死ぬんだあああ」




 その他、ジャンル不明のもの。



「今こそ言おう。ノストラダムスの予言にある大王が降臨したのだ。1999年は事前警告に他ならない。ノストラダムス万歳!」




 未知の現象に動揺した一般市民が、世界各国で暴動を起こしたと、ニュースキャスターが告げている。



「ヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカ、アジアの各国で、未知の死病発生というデマが流されました。これに踊らされた民衆が、破壊と略奪にはしっています。

 国によっては軍隊が出動して、鎮圧を始めております。日本国内に過激な動向はありませんが、くれぐれも夜間の外出は控えてください」




 経済の混乱もすさまじい。

 世界中で株価が暴落し、急速な円高が進んでいるという。

 


 妻に連絡を入れようと思った時、携帯にメッセージが届いた。


(さくらの学校が臨時休校になったので、一緒に帰宅します)


 妻の会社も、娘の学校も休みになったようだ。

 この状況では無理もない。



「ただいま」


「おかえり。早かったね」


「あなたこそ、もう帰ってたの?」


「しばらくは自宅待機だってさ。一応コンビニで、缶詰とカップラーメンは買っておいたよ」


「助かるわ。わたしもキオスクで少しだけ買えたの。駅前の東横マーケット、入店まで二時間待ちですって」


「あたしも買い物手伝ったよ」


 小学一年生の娘が、誇らしげに胸を張る。


「えらいなー、さくら」


 野暮は思わず娘を抱きしめて頭を撫でた。

 子供がこんなに可愛いなんて、独身時代には考えられなかった。



「どうなるのかしらねえ」


 妻は少々不安そうだ。


「まあ、なるようになるだろ。インフラは問題ないみたいだし、大きな地震で被災したと思えば楽なもんだ」



 翌日、朝食の席で妻が面白い事を教えてくれた。



「昨日、さくらを迎えに行った時ね、子供たちの頭の上を見たら、似てるのよ」


「似てるって、何が?」


「頭の上に出ている棒グラフよ。大人より短いの。そして青い方が長いの」



 皆同じではないのか。



「ふうん」


「大人は人それぞれよ。気が付いた?」


「いや・・・」



 気にしていなかった。


 そういえば、妻と私は青と赤の長さに、あまり差が無い。

 よく見れば、少しだけ青が長いようだ。

 娘のさくらは、青い方が圧倒的に長い。



「寿命とか、健康が関係しているのかな」


「寿命なら大人が短いでしょう? それを言うなら年齢じゃないかしら。まあ、病気でなければ何でもいいけど」


「ふむ」



 それからは、テレビのキャスターや、政治家の棒グラフを注意してみた。

 確かに違っている。

 驚いたのは、コマーシャル出演者にも見えたことだ。

 野暮はそれを見て、アルバムを引っ張り出した。



「やっぱり・・・」



 写真にも青と赤の棒グラフが見えた。

 赤ん坊のさくらには何も見えないが、三歳頃の写真には、短いながらも青い棒グラフが見えている。年齢とともに、成長していると思ってよさそうだ。


 一部の有識者もその点に気付いたらしく、テレビのニュースで盛んに取り上げていた。



「お気づきの方も多いと思いますが、子供の方が押しなべて短い。これは何かを示唆していると、考えるべきでしょうね」


「何か、といいますのは?」


 アナウンサーがすかさず質問をする。


「例えばの話ですけど、その人の年齢と健康状態、と考えてはどうでしょう。過去から現在にかけてグラフは成長していますから」


「なるほど。赤い方が長い人は、おおむね高齢者のようですし、納得です。中には若年者で極端に長い人もいますけどね」


「むむ・・・」


 初老の有識者は、言葉に詰まった。

 しかし気を取り直して、負けじと反論する。


「または、普段の行いを示すとか」


「これはまた、随分と奇抜なご意見です。良く分かりませんね。その場合、青と赤の意味は?」


「良い行いと悪い行い、と考えるのが自然でしょう。」


「ははあ・・・なんだかオカルトめいた話です。仮説としては面白いですね。しかし、どうして急に見えるようになったのでしょう」


「それは、今後の調査を待つしかない。新たな病気、という可能性も捨てきれません」



 一番の懸念は、グラフが病気の前兆である可能性にあった。

 これが更なる悲劇の幕開けでないと、誰が言えるだろう。


 夜間でも光り輝き、実体は持たないが目に見える。

 放射線は検出されず、どのような物をかざしても反応はなく、消えることもない。

 あらゆる手段が講じられたにも関わらず、調査は一向に進まなかった。


 十日余りが過ぎ、実生活への影響がなさそうだと判断した人々は、徐々に元の生活へ戻り始めた。



「おはようさん。どうだ? おまえの家では」


 久しぶりに出社した会社で、竹中に声をかけられた。


「どうって?」


「今、評判だろう。その・・・」


 竹中は頭の上を指さして言う。


「善悪ゲージが」


「なんだって?」



 思わず聞き返した。



「善悪ゲージだよ。知らなかったのか」


「知らん。そんな名前なのか。これ」


「ああ。誰が名付けたか知らんが、ゲージの検証をしたテレビ特番では、そう呼ばれていたな」



 そのテレビ番組では、過去の偉人、各国政治家、重大事件実行犯などのゲージを検証したのだという。



「討論が面白いぞ。見ていないなら、検索すれば出て来るんじゃないか」



 ググるまでもなく、その番組はニュースで繰り返し取り上げられ、動画サイトにアップされた議論の様子は、一晩のうちに百万アクセスを超えていた。

 出演者は、心霊現象の専門家、物理学の教鞭を執る大学教授、精神科医、脳医学者、政治家、経済学者、プロスポーツ選手、芸人、俳優、歌手など、およそ考えられるジャンルを全て網羅している。



小月(こづき)教授、かねて心霊現象には否定的でしたが、今回の騒動をどう思われますか?」


 司会者の大御所芸人は、口元に笑みを浮かべて質問した。



「どうもこうもありません。わたしの専門は物理学ですから」


「小月教授にも、これは見えてますか?」


 司会者は頭の上を指した。



「見えてますよ。わたしは眼も耳もしっかりしてます」


「心霊現象じゃないんですかね、これは」


「だから、言ってるでしょう。わたしの専門は物理学。この青と赤の棒が何かなんて知りません。知りたくもないし」


 そこで心霊現象専門家が口をはさんだ。

 この手の番組には欠かせない、有名なコメンテーターだ。



「小月さんは卑怯だ。ずっと私たちのことを嘘つきだの、出鱈目でたらめだの言ってたでしょう。今こそ認めるべきです。この世には、科学で説明のつかない、不思議なことがあるのだと。

 見なさい、このゲージが証拠です」


苛埼(いらさき)さんは、何を言ってるのかな。わたしは存在の証明できないものを、否定しているだけなの。あなたが言う金星人とかUFOとか、そういう荒唐無稽なものだけですよ。わたしが認めないのは」


「金星人はいるの! まあいいでしょう。じゃあ、このゲージが不可思議だというのは認めますか?」


「認めるも何も、現に見えているんだから」


「ではきますが、このゲージは何だと思います?」


「何度も言わせるなよ。私の専門は物理学。ゲージのことなんざ知るもんか」



 議論は堂々巡りであった。


 女性アシスタントが、これまでの経緯を簡単にまとめて、説明している。

 世界中で同時に発生したゲージは、赤ん坊から老人まで、国や地域、民族や性別を問わず、あらゆる人の頭上に現れた。

 一見すると同じでも、個々人の長さに微妙な違いがある。

 撮影すると記録に残り、現象発生前に撮影された過去写真、過去動画にも出現している。




「ここで新しい事実をご紹介しましょう。VTRスタート」


 スタジオ中央の大画面には、飲食店でクレームをつける七十代の男性が映っていた。

 店員の態度が悪いと言って、怒鳴っている。



「これは、その場に居合わせた方の、スマフォに残っていた動画です。問題はこの次です」


 激昂した老人が、店員を殴りつけた瞬間だった。




「よく御覧ください。では、拡大映像をどうぞ」


 老人の頭上にフォーカスされ、ゲージが大きく映し出された。

 若い男性店員の胸倉を掴んだ直後から、ゲージに変化が表れている。




「なんだか、光ってから大きくなったような・・・」


「そのとおり。ゲージが増えているように見えます」


「まさか」


「いや、確かに赤いゲージが大きくなった」


 出演者は目を凝らして、何度も再生される動画を見た。




「不思議だ。どういう仕組みだろう」


「増えるという事は、減る事もあるのか?」


「減るところは、まだ確認されていません。

 もうひとつ、参考動画を入手しておりますので、そちらも御覧ください」


 それは交通事故の現場だった。

 歩行者天国に暴走車が突っ込み、二人の子供が倒れている。

 怪我人を介抱している人の頭上が拡大された。



「さっきより少し不鮮明だけどなあ・・・もう少し拡大できない? 

 うん、これなら見える・・・増えているみたいね。この人、青いゲージの方が長い。

 増えたのも青いゲージだけかな?」


「そのようです」


「ふーむ・・・」



 黙り込む出演者の中で、小月教授が口火を切った。



「これがなんであろうと、出自がわからない以上は議論しても無駄ですよ。

 増えたの減ったのと言ったって、目の錯覚かもしれない。単なる憶測でしょう」


「でも・・・」


 それまで黙っていた若手の女性俳優が、遠慮がちに発言した。



「わからないから放っておく、というのもどうなんでしょう。

 仮説を立てて検証するのが、科学なのかと思っていました」


 そうだそうだと苛埼氏が援護の声を上げる。



「小月さんは自分の赤いゲージが長いから、ここで議論を止めたいんだ。そうに違いない」


「なにを言ってんだ。バカバカしい」



 アシスタントは頃合いと見て、次の話題を切り出した。



「単なる憶測という小月教授のご指摘はもっともですが、ここでゲージについての仮説をご紹介しましょう。番組では仮説をもとに検証も行いました。では、ご覧ください」




 取材VTRは、世界各国で進む調査を紹介していた。

 しかし、物証のようなものは何も見つかっておらず、いずれも有識者の見解を中心に取りまとめたものだ。

 その内容は、以下のとおり。


 ゲージの表示される仕組みや原理は不明。

 人間以外の動植物には見られない。

 生まれたての赤ん坊にはゲージがない。

 年齢と共にゲージは成長すると思われる。

 死亡してもゲージは残る

 過去の写真や動画にも、ゲージが残っている。肖像画にゲージが出た例はない。

 ゲージの増える瞬間は動画等で確認されているが、減少は未確認。

 全体的傾向として、幼い子供のゲージは青が優勢で、成人、特に中高年は赤が優勢。

 これらのことから、属人的なステータスやパラメータを示しているというのが、現時点での有力な説である。



「ゲージの意味には諸説ありますが、参考までに、歴史上の人物を見てみましょう」


 司会者は、日本人なら誰でも知っていそうな人物の並んだフリップを提示した。

 上から坂本龍馬、マハトマガンジー、現総理大臣。



「坂本龍馬とガンジーの説明は要ります? 要らないですね? 

 この二人は青いゲージの方が遥かに長い。

 特にガンジーは、ちょっと例がないほど長いゲージです」


 出演者は皆、同意を示すように頷いた。



「次に今の総理大臣ですが、圧倒的に赤いゲージの方が長い」


 これにも出演者は頷いた。



「これだけじゃあ恣意的だとか、小月教授に怒られそうなので、こちらをどうぞ見てください」



 司会者が後方を手で示すと、ゲージ付き写真がびっしりと貼られた、縦横五メートル近いパネルが現れた。

 三段に分かれた上段には、歴史上の偉人、中段は重大犯罪者、下段は有名人と銘打たれている。




「上段は、偉人でググって上位に名前が表示された中から、本人写真を入手した百名です。中段も同様の方法で選びました」


「下段の有名人って、誰のこと?」


 若手お笑い芸人が疑問を呈する。



「スタジオに来ていただいた百名の方々です」


 聞いてないよ、という声と共に、出演者席がどよめいた。



「個別に見てもいいですけど、時間がかかるので平均値を出しました。それがこちら」


 司会者がフリップを出す。



「ジャーン。平均値はこうなりました」



 偉人の平均。青が73センチ、赤が21センチ。

 犯罪者の平均。青が12センチ、赤が114センチ。

 有名人の平均。青が31センチ、赤が39センチ。




「偉人と犯罪者は全て故人を選びました。

 スタジオの有名人は平均年齢が41歳。いろいろな方がいらっしゃいます。

 さあ、データから、なにが見えてくるでしょう。

 どなたか、ご意見があれば挙手してください。」



 数秒の空白があり、人気アイドルグループの女性が、恐る恐る手を上げた。



「はい、ABC99の白木さん」


「私には、青が良い行いで、赤は悪い行いを示している様に見えますけど・・・」


「ありがとうございます。貴重なご意見をいただきました。他にありますか?」


「バカな。これは名誉棄損だ。赤いゲージが長いだけで犯罪者と同列に扱われているじゃないか」


「小月教授の言う通り。これが何かを証明しているとは思えないぞ」



 反論した二人のゲージは、赤い方が圧倒的に長い。



「差別だ」


「まあまあ、これは単なるデータですよ」


 司会者がニヤニヤ笑っている。



「そうだ。ゲージの傾向を推測して何が悪い。そもそも自分のゲージだぞ」


「小月さん、オカルトは信じないんでしょう? 意味不明のゲージなんて気にしなければいい」



 そこからは喧々諤々(けんけんがくがく)の大騒ぎになった。

 収拾のつかない騒動が続く中で、司会者が強引に終了を宣言して、番組は終わっている。




「なるほどね。これが善悪ゲージの発端か」



 野暮は小さく溜息をついた。

 会社でも似たような場面が見られたのだった。


 上司の恵比寿は昔からパワハラの傾向がある。

 口は悪いし、部下の失敗にも容赦ない。

 だが、全てがダメというほどの悪人ではない。

 良い上司とは言えないかもしれないが、どこにでもいる中間管理職といった程度だ。

 野暮から見て、大きな問題は無いように思えた。


 しかし、そうではなかった事が今朝ほど判明した。

 前々から恵比寿に反感を持っていた若手社員数名が、恵比寿の頭越しに社長へパワハラを訴えてしまったのだ。

 直接の発端は、善悪ゲージにあった。

 恵比寿のゲージは、赤が青の二倍以上ある。圧倒的に赤の方が長い。

 若手社員はパワハラの事実を並べるとともに、長大な赤ゲージが裏付けになると訴えたらしい。

 恵比寿は上司として不適格だと、公に突き上げられてしまった。


 社長は返事を保留している。

 善悪ゲージの何たるかがあいまいなのに、と言ったらしいが、ゲージを抜きにしても事実は事実だと主張する若手の憤りは大きかった。


 妻の話では、学校でも同じような問題が発生しているという。



「いじめっ子っていうのかしら。

 そういう子の善悪ゲージを見て、逆にいじめる子が出て来たらしいの」


「ははあ・・・」



 ありそうな話だ。

 子供は、敵だと思えば容赦なく攻撃する。

 もちろん子供にもよるが、子供とはそういうものだ。

 純粋で理不尽。

 純粋ゆえに手加減も知らない。



「さくらには、いじめに関わらないように注意をしておかないと」


「それが、もう遅いの」


「どういうこと?」


 赤いゲージの長い子が「悪人、悪人」と言われているのを見かねて、


「そんなことを言う方が悪人だよ」


 と言ったらしい。



「やるなあ、さくら。正しい意見だ」


「それだけならいいけど」


 悪人の味方をしたと責める子供が出てきて、さくらは苦境に立たされているという。



「あー、そうなるのか」


「昨日、帰って来てからふさぎ込んでるの。なにか言ってあげて」


「わかった」



 たまの休みだ。

 公園にでも行って、一緒に遊ぶとしよう。



「近所の人に注意してね」


「ああ、例の人か。了解」



 ゴミステーションや公園に来る女性を待ち構えて、隣近所の悪口をいいふらす主婦がいるらしい。

 妻は毎週のように、そういう話を聞かされて、閉口しているのだ。仕事があるから急ぐと言っても、何かしら聞かせるまでは離してもらえないらしい。

 普通の住宅地とはいえ、たまにたちの悪い人がいるのは、仕方のないことかもしれなかった。



「さくら、公園に行こう」



 日曜の朝九時前は、公園内の人が少なかった。

 見上げると、爽やかな青い空が広がっている。

 どちらかと言えば引っ込み思案な娘は、使い放題の遊具に大喜びだ。

 滑り台を「一緒に」と強要されるのは、困りものだが。



「あ、タケシくん」


 さくらの視線の先に、一年生にしては大柄な男の子がいた。



「クラスメートかい?」


「うん」



 頭上のゲージは赤が優勢だった。青は一センチ、赤は五センチといったところだ。


「ひょっとして、あの子がいじめっ子なのか?」


「うん。でも、いまはちがうよ。さくらにはやさしいの」



 さくらはタケシくんに駆け寄り、話し掛けている。

 ちらちらと私を窺うタケシくんは、七歳とは思えないほど険のある表情をしている。


 野暮は興味をひかれた。



「さくら、お父さんも話していいかな?」


「いいよ」


「さくらの父親です。よろしくね、タケシくん」



 タケシは怪訝けげんそうな顔で、見上げていた。

 眉間に刻まれた皺が、大人の様に深い。



「お父さん、お母さんは?」


 無言で首を振った。



「今日はいないのかな?」


 今度は首をかしげている。



「お父さんとは、どんな話をするの? お母さんでもいいけど」


 タケシは首を傾げたまま動かない。

 しばらくして、もう一度首を振った。



「わかんない」


 やっと野暮に向けられた顔は、叱られる前の怯えた表情にも見える。



「お父さん、もういい?」


 さくらが野暮のスラックスをつかんで尋ねた。



「ああ、いいよ」



 さくらは口元をほころばせて、タケシの手を取り、砂場へと走って行った。


 おそらくだが、タケシは家庭でため込んだストレスを、学校で発散しているのだろう。

 膝の抜けたズボン、シミのついたシャツ、伸び放題の爪などが、そうした推測を裏付けている。

 小学一年生の素行が悪いなら、それは保護者の養育環境が悪いと思っていい。


 野暮はゆっくりと二人に近づき、かたわらのベンチへ腰を下ろした。

 二人の子供は嬉々として、砂のお城を作ろうとしている。



「あれ?」



 野暮は奇妙なことに気が付いた。

 子供二人のゲージが光を放っている。



「青いゲージが・・・」



 野暮の視線は二人の頭上に釘付けとなっていた。

 有識者の推測では、青いゲージは良い事をした時に伸びると言っていたはずだが、砂遊びには良いも悪いもない。



「あらあら、あんな子と遊ばせて。いいんですか? 野暮さん」


 声に振り向くと、噂の毒舌主婦が立っているではないか。



「おはようございます」


「見てごらんなさい。あの子、赤いゲージが大きいですよ。

 娘さんと遊ばせない方がいいわ。なにかあってからじゃ遅いわよ」


「大丈夫でしょう。うちの娘とは仲がいいみたいです」


「そうかしらねえ・・・」



 この女性、末の子供が家を出てからは、暇を持て余しているらしい。

 ふと頭上を見れば、女のゲージは青が10センチ余り、一方の赤は50センチを超えている。

 自分のことを棚に上げて、よくも小さな子供を悪し様に言えるものだ。

 野暮はあきれて二の句が継げなかった。



「おや・・・」


 タケシの頭上がまた輝いている。今度は赤いゲージの方だ。



「ほら、見てよ。男の子、赤いゲージが光ってるみたい。野暮さん、危ないんじゃないの?」


「ええ、そのようですね」



 砂遊びの間に、青と赤のゲージが両方輝いた。これは何を意味しているのだろう。



「・・・ふむ、面白い」


「野暮さん!」


「ああ、どうも。私たちは先に失礼します。では・・・」



 野暮は砂場に歩み寄り、タケシに話しかけた。



「タケシくん、朝ごはんは食べたかい?」



 驚いたようにタケシは野暮を見上げ、ゆるゆると首を振った。



「今からマックに行かないか? さくらも一緒に」


「やったあ! シェイク飲みたい。タケシくん、行こう。ね?」



 さくらはタケシの手を取り、すぐに立ち上がった。




 それから一年以上が経過した今日も、善悪ゲージ騒動は続いており、科学的根拠はいまだ見つかっていない。にも関わらず、赤いゲージが優勢な人を責めるような風潮は強くなっている。

 最近は国別、人種別の傾向がネットで議論の的になっていた。



 タケシに初めて会ったあの日、さくらとタケシの砂場に遊ぶ姿を見て、野暮の深層意識はあること(・・・・)に気づいていた。

 思うに、ゲージはその人が受けた賞賛と批判、または愛情と憎しみの累積ではないか。

 それは善悪と似て非なる物だ。

 多くの幼子おさなごにおいて、青いゲージが等しく優勢であるのは、その証左といえる。有識者の一部やネット上でも、同じことを指摘する人が出てきていた。



「さくらちゃん、おじさん。おはよう」


 若葉の出揃った朝の公園で、タケシが元気よく挨拶をしてくれた。

 今日も良い天気だ。



「おはよう」


 さくらが満面の笑みで挨拶を返した。

 気の強いタケシと臆病なさくらは、不思議と気が合うらしい。



「おはよう、タケシくん。一緒にマックへ行こうか。季節限定シェイクが出たんだよ」


 二人の子供は歓声を上げた。



 タケシのゲージは、赤と青の差が少しずつ減っている。

 最近になって野暮は、これら一連の出来事が、手ごわい偏見を克服すべく用意された試練のように思えてきた。

 人智を超えた何かが、人類を試そうとしている。そんな気がするのだ。

 いずれ、「赤いゲージが大きい=悪人」という説は覆ると思うが、そうならなかった場合には何が待っているのだろう。






「君、このスイッチをONにしたかね?」


 真っ白な髭を蓄えた男性が尋ねた。

 仕立ての良いスーツを上品に着こなしている。



「あ・・・すみません。うっかり触れてしまいました」


 スイッチの横には、「最後の審判1/5」と書かれていた。



「もう元へは戻せないなあ」


「本当にすみません」


 若い天使は平謝りだ。



「大丈夫でしょうか?」


「まあ、済んだことは仕方ない。次からは注意してね」


「はい」



 五つあるスイッチの上部に、真鍮製らしき大きなプレートがある。

 そこには、以下のような注意書きがあった。


注:使用に際して、下記のとおりとする。

 西暦三千年を過ぎてから順に押下のこと。

 一つ押下する度に地上の様子を確認し、必要に応じて5番目まで順に押下すること。

 ただし、その前に人類が絶滅した場合は、その限りではない。



「基本的に問題は起きないはずだ。人が愛と寛容さえ学んでいれば、ね」


 そう言って、男性はウィンクした。




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