クソ仕事で生きていく
秋葉原のメイド喫茶に忍び込む。時刻は午前三時。これが俺の仕事。この仕事を初めてそろそろ一年か。
秋葉原の街は夜が早い。いかがわしい店が少ないというのもあるんだろう。
メイド喫茶というのはセキュリティが甘い。薄い手袋をつけた手でライトを持ち、更衣室に潜入。暗闇の中で女の化粧品の匂いがする。
このメイド喫茶に忍び込むのはこれで三回目。前回の潜入時に仕掛けた盗聴機をチェック、盗聴機はそのままで発見されてはいないようだ。
今回仕掛けるのは盗撮機。カメラを仕掛けるのは慎重にしなければならない。カメラから映るアングルが重要だが、カメラのレンズというのは発見されやすい。
着替え中のところを撮影するベストアングルにして、発見しづらいように隠ぺいするには。毎回、ここが悩みどころではあるが、ここを上手くこなしてこそのプロの仕事、か。
壁に埋め込むのは音も立つし時間もかかる。何処に仕掛けるかを考える為に前回、前々回にはこのメイド喫茶の更衣室とトイレを調べた。いきなり謎の小物類が増えれば当然、怪しまれる。もともとそこにあるものの中に仕掛けなければならない。
『仕事というのは慣れてきた頃にうっかりミスをしやすいものですよ』
社長の注意を思い出す。この一年、大きなミスは無く、この仕事をする自信はついた。だからこそ、この仕事を続けるには気を引き締めないと。
いかに丁寧に短時間で済ませるか、作業に集中し過ぎて人の接近に気がつかないというのが不味い。
これまでいろんなところに盗聴機、盗撮機を仕掛けてきた。メイド喫茶、パブ、キャバクラ。他には学校、病院、ファーストフード店。
女が制服に着替える職場が多い。しかし、飛行場や警察、銀行あたりはセキュリティが厳しい。できればこのあたりも需要があるのでシェアを伸ばしたい、と社長は言うが、俺にはちょいと無理だ。何処までできるかの線引き、というのは経験でだんだんと身に付いてきた。
夜中に忍び込むのも慣れて緊張しなくなってきた。習うより慣れろ、というやつか。
更衣室とトイレの盗聴機をチェックして、口でライトをくわえて手早くカメラを仕掛ける。腕時計で作業時間を確認。二ヶ所に仕掛けるには邪魔も無く最速記録を更新。よし。仕事は無駄無く手早く効率良く。
仕掛けたカメラが見つからないように、高く売れる絵が撮れますように、と軽く手を合わせてメイド喫茶の外に出る。
この仕事は実際の仕事時間は短い割りに給料がいい。ありがたい。
前にやってた清掃の仕事は酷かった。時給だけ見れば良さそうだとやってみたが、移動の時間は給料が出なかった。
事務所に集合してバンで移動、清掃の仕事を終えたらバンで事務所に帰還。
片道三時間で往復六時間。清掃の仕事だけなら二時間で終わる。八時間と拘束されて一日働いて、貰える時給は二時間分の二千四百円しかない。移動の時間は仕事をしていない、ということで時給が出ない。
一日働いてこれか、やってられるかこのクソ仕事、と辞めたが世の中を見渡せば俺を雇うところは、何処もそんなクソ仕事ばっかりだ。今どき労働基準法なんて律儀に守る仕事なんて、日本には無いだろう。上の階級にはあるらしい、と噂では聞いたことはあるが、俺は見たこと無い。
っと、いかん。慣れて余裕ができたからか、仕事中に余計なことを考えてしまった。
リュックの中から靴を取りだして履く。指紋対策には手袋、靴あと対策には靴を履かずに靴下で潜入。こういうところはちゃんとしないといけない。後で面倒を減らすためにも。
ライトをリュックに入れて、夜の秋葉原を静かに歩く。メイド喫茶から離れたところに停めたバイクに跨がり、オフィスに戻る。無事に会社に戻るまでが仕事の内。
社長が出勤するまでオフィスで仮眠をとることにしよう。
俺がやってる仕事も人に言えないようなクソ仕事だが、給料もいいし金を貸せという威張り腐った先輩もいない。頭のおかしい上司もいなくて給料の滞納も無い職場なんて初めてだ。
『私もノウハウがある訳では無いので、仕事の仕方はお任せします。ただ、どのように作業を進めているか、どんな道具が必要か、問題が起きたときなど、報連相はちゃんとして下さいね』
きっちりできれば仕事は任せる、という職場も初めてだ。どうも俺はあの社長に信頼されている、らしい。上手い具合にやれてはいるのか。実際にやってみて、俺に忍び込んで盗聴機を仕掛ける才能があったことに俺が驚いてる。なんだこの才能? 他に活かせないのか?
そして仕事を任される、というのも悪い気はしない。いや、やってることは違法なんだが。悪事なんだが。
上手く使われているのも解ってはいるが、このクソ仕事よりマシなクソ仕事は見つからない。
働いて金を稼がないと生きてはいけないのだから、自分にできることはちゃんとやっていこうか。
……盗聴機を仕掛ける仕事をちゃんとやる、っていうのもおかしいか? 俺もいろいろ麻痺してきたか? 悪いことして悪い気はしない、なんて。
◇◇◇◇◇
「おはようございます」
「おはようございます、社長」
オフィスに戻りソファで仮眠。起きて顔を洗ったところで出勤してきた社長と朝の挨拶をする。細身でキリッとした社長が、仕事の前の一服と紅茶を淹れている。
「村河君も飲みますか?」
「いただきます」
目付きの鋭い社長だが、紅茶を飲むとその目が細くなり柔らかい表情になる。なんでも社長はカフェイン中毒でカフェインが切れるとイライラする、と言っていた。
温かい紅茶を飲みながら、昨夜、盗撮機を仕掛けたメイド喫茶の話をする。何処に何ヵ所仕掛けたか、どんな作業の仕方をしたか。
「電源を確保するのに手間取りましたが、これでバッテリー交換する必要は無いです」
「手慣れてきましたね」
「そりゃまあ、一年やってますし。それに今月は数が多かったから」
世の中には暇な金持ち、なんてのがいる。羨ましいことだ。そんな暇を持て余した金持ちはおかしな趣味に目覚めて、金を払ってでもメイド喫茶の更衣室やトイレを覗きたい、とか言い出す。学校の更衣室での未成年者の着替えを覗いてハァハァしたい、というのもいる。
そういう奴等が金を払うからこの仕事は成り立っている。そして需要があるようで今月は仕事が多かった。夜中にバイクで移動してあちこちに仕掛けた。数をこなせば慣れもするし、技術も上がるというもんだ。
俺もこれで盗聴機を仕掛けるプロ、か?
「だけど、始めて一年で仕事が増えましたね、社長」
「そうですね。それでちょっと人を増やそうかと考えてますが、うちは大っぴらに求人募集もできませんし。村河君、誰か良い人材に伝はありませんか?」
「じゃあ、俺の姉貴はどうでしょうか?」
「村河君のお姉さん、ですか?」
「男の俺だと忍び込み難いところは女の方が良さそうだと考えてました。俺が女装することも考えてはみましたが、ちょっと難がありますね」
「村河君は本当に仕事にマジメですよね。ふむ、確かに女性の方が、更衣室やトイレに仕掛けをするには良いですか?」
「他にも、コスプレのイベントなんかで参加者のふりして中に入るとかできそうじゃないですか」
「なるほど、幅が広がりますね。ところで村河君のお姉さんは、今はお仕事されているのでは? 副業を考えているんですか?」
「それが、姉貴の職場でちょっと問題があって」
社長の淹れてくれた紅茶に口をつける。俺は紅茶よりはコーヒーが好きなんだが、社長の拘りのあるこの紅茶は美味しい。今ではここで紅茶を飲むことも多い。
先を促す社長に姉貴から聞いた話をする。
「姉貴の働いてるとこなんですが、課長が急にいなくなって仕事が上手く回ってないんです。その課長が今まで一人で、派遣とバイトを仕切っていたんです。で、その課長がいなくなって課長の代わりができる社員がいなくて、姉貴の職場は今、グッチャグッチャだって」
「その課長、何がありました? 事故か病気ですか?」
「警察に捕まったって」
「警察、ですか?」
なんでもその課長、仕事が休みのときには空き巣を副業にしていたという。これまでは捕まらずに上手くやっていたが、ついに現行犯で逮捕されてしまった。
「空き巣を副業に、ですか。働き方改革で残業に厳しくなり、副業をしないと収入が足りなくて暮らしていけない、という人も増えましたが」
「姉貴の話では、その課長、真面目ないい人だとか。なんでも子供が二人いて、上の子を大学に入れるにはお金が足りなくて」
「子供の養育費の為に副業で空き巣を。まぁ、今の日本では中古品売買が広まって、個人で盗品をネットで売る人も増えましたが」
「課長の給料では子育ても厳しいってことなんでしょうけど、その会社もその課長がいなくなったら困るっていうなら、副業しなくてもいいくらいの給料、出せなかったんですかね?」
「今の時代には厳しいでしょうね」
働き方改革で残業に厳しくなってからというもの、副業をする人が増えた。結果、今の日本人の労働時間はだいたい十四時間。一日で七時間の仕事、かける二だ。
しかし、誰もが本業を疎かにせずに副業を順調にこなすのは難しい。空いた時間を上手くやりくりして個人のスキルを活かして稼ぐ。
そんな都合良くできる人ばかりじゃ無い。確かに空き巣なら空いた時間に自分のペースでできる。
その課長は自分が苦労してるから、子供には大学を卒業して公務員にでもなって欲しかったらしい。と、姉貴が言っていた。
「で、姉貴の職場はこれまで仕切っていた人がいなくなり、わやくちゃに。逮捕された課長の代わりの正社員が碌に現場を知らないのに、なんとか五時までに終わらせろ、と大声で喚く。そんな無茶に付き合ってられるか、と嫌気の刺した派遣が三人辞めて、さらに人が減ったという」
「悪循環が加速してますね」
「姉貴が、身体が持たないからもう仕事を辞めたいって。残業禁止で五時までに終わらせろ、ってなってて今じゃ休憩時間も無しに。皆、サービスお昼休み労働です」
「七時間休憩無し食事無しですか。それではミスもふえるでしょう」
「姉貴と同じ職場、ってのは俺もちょっとイヤはイヤなんですが。ここなら姉貴も安心して働けそうなんで。どうですか社長?」
「わかりました。一度、面接しましょう」
「お願いします」
「では、こちらが今月のお給料の明細です。今月は仕事が多かったその分、上乗せしてますよ」
社長の出した封筒を受けとる。中から明細を取り出して見る。ん? いつもと違って明細が二枚ある?
「いつものお給料にくわえて今月はボーナスです」
「……俺、ボーナスなんて貰うのは初めてです」
「仕事にやる気を出してもらうには、仕事に遣り甲斐があって給料が良いこと、ですから。あとはこんな仕事なんで、村河君に私が信頼されないと」
「いや、この仕事が無くなると俺が困るんで」
違法でも稼げる仕事は手離せ無い。社長にも良くしてもらってて、こんないい職場は無い。チクったりするもんか。
社長は目を細めてニコリと笑う。
「私も村河君がいないと困りますから。これからもよろしくお願いします」
言ってペコリと頭を下げる社長。なんだろう? いままでこんな風に人に頼りにされたことが無いから、なんだか嬉しい。しかも人生初のボーナスだ。
「社長、俺こそこれからもよろしくお願いします。でも、ボーナスなんて、ほんとにいいんですか?」
「令和になってからボーナスを出す会社なんて少なくなりましたけれど、昔は普通にあったものですよ」
「でも、それって昭和の話でしょう?」
「私が昔、働いていたところはアルバイトでもボーナスが出たものですよ」
それっていつの時代の話だろう? 社長は老けては見えない。まだ三十代なんじゃないか? 社長を見ると紅茶を飲みながら、昔を思い出すように天井を見上げる。
「私がかつて働いていたところでは、社長のワンマン経営でしたが、アルバイトでもボーナスがありました」
「ずいぶんと儲かってたとこなんですね」
「いいえ、その社長が左翼だったんです」
社長が左翼だとボーナスが出るのか? 昔の日本の会社ってどうなってんだ?
「村河君も知っての通り、日本の教科書の出版会社は左翼関係者が多いのです」
「いや、初めて聞きました」
「そうですか? 教科書、参考書の出版関係はたいていは左翼なんです。思想が左側じゃないとそこでは働いていけませんね。ただ、私が働いていたころに見た社長は立派な人で、私はその人の真似をして村河君にもボーナスを、と考えたわけです」
「はあ」
「やる気、出ました?」
「はい、それはもう。でもなんで左翼だとボーナスを出すんですか?」
「労働者に正当な報酬を、というのが当時の社長の考えでした。信念を持って経営していたわけで、その社長の経営理念を支えていたのが、左側の思想だったんです。ですが、私がこれまで働いてきて、本当にいい職場だと思えたのはあそこだけですね」
「社長が今ここで社長やってるってことは、じゃ、その会社は、今は?」
「本社の経営陣が無能で、外資系の企業に本社が買収されました。それで私の働いていたその子会社は無くなりましたね」
ちゃんとやってるいい会社って、そうやって潰されて消えていくんだろうな。生き残るのは碌でもないとこだけだ。
「……なんでちゃんとしてるところは消えていって、クソな会社が残るんでしょうね?」
「人件費を削って利益を出しているから」
やっぱそうなのか。
「と、言うと、なるほどそうか、と思われがちですが、そう簡単なものではありません」
「違うんですか?」
社長は薄く微笑んでいる。この社長はインテリでいろんなことを知ってる。たぶんクイズ大会とか出ると上位入賞するんじゃないか?
お喋りが好きなのか、俺に分かりやすく教えてくれる。
俺も社長から俺の知らないことを教えてもらう話は好きだ。この社長が盗聴機を仕掛けて売る仕事を思いついて始めた。
この仕事が順調で利益も増えている。社長の発想と知識があってこそで、こんな稼ぎかたを思い付けるんなら真似したい。
「人の労働時間が増えるのはテクノロジーが進歩したからですよ」
ん? どういうことだ?
「納得いかない顔をしてますね、村河君?」
「テクノロジーが進歩したら、労働時間が増えるっていうのは、逆なんじゃないですか?」
「村河君と同じことを考えた人もいます。経済学者ケインズは、二十世紀末までに技術発展によって、イギリスやアメリカのような国では週十五時間労働、一日あたり三時間労働になるだろう、と予言しました。二十一世紀の今、周りを見渡してみてどう思います? 村河君?」
「どう思うって、週十五時間労働で食っていける奴なんて、見たこと無いですね。一日十五時間労働が当たり前、というのはいますけど」
「そうですね。つまり、自動車、電車ができて通勤が便利になる。コピー機、パソコン、ファックス、携帯電話、などなど仕事に便利な道具が普及するほどに、人の労働時間は増えていきます。これは産業革命以降の歴史が証明しています」
「仕事に便利な道具が増えたら、仕事が楽にできて早く終わって、作業する時間が短くなるんじゃないですか?」
「そして空いた時間に更に仕事を入れる訳です。簡単便利になった作業からは、得られる利益もその分少なくなりますから。これで先進国と呼ばれる国では、共働きが増えて労働時間が増えていく、ということになりました」
社長の言うことに首を捻る。技術が進歩するほどに、人は忙しくなるというのがよくわからない。逆なんじゃないのか?
「納得できない、という顔をしていますね? 社会人類学者デヴィッド・グレーバーの著書に『Bullshit Jobs: A Theory』というものがあります。Bullshitというのは直訳すれば牛の糞、意訳すればクソッタレ、畜生、とかになりますか。本のタイトルは日本語にすれば、クソ仕事:その理論、となります。何故クソ仕事が増えるのかを説明してます」
「クソ仕事、ですか」
「グレーバーはクソ仕事の代表として五つの職業を上げています
① 『Flunkies』受付係、秘書、ドアマンなど、自分が重要な人物だと思わせるためだけに存在する職。
② 『Goons』ロビイスト、企業弁護士、テレマーケター、広報など、雇い主のために相手を攻撃する職。
③ 『Duct Tapers』出来の悪いプログラムの修正など、そもそもあってはならない問題の手直しをする職。
④ 『Box Tickers』パフォーマンスマネジャー、社内広報誌のジャーナリスト、休暇のコーディネーターなど、内向きの職。
⑤ 『Task Makers』中間管理職やリーダーシップの専門家など、無駄な業務を生み出す職。
二十世紀では、金融サービスやテレマーケティングなどの新しい情報関連産業、それから企業法務、人事、広報といった管理系、いわゆるホワイトカラーの仕事が拡大しています。グレーバーによると、ロビイスト、PRリサーチャー、テレマーケティング担当者、企業弁護士などは、消えてしまってもたいして困らないし、むしろいなくなった方が社会は良くなるかも知れない類の職、と言っています」
「いなくなった方がいい職業が増えているんですか?」
「イギリスの調査会社が調べたところ、労働者の37%が『社会に対して意味のある貢献をしている』とは思っていないことが解りました。『自分の仕事が有用だ』と思っているのは50%で、残りの13%が『分からない』と答えています」
「日本だけじゃないんですか。ブラック企業って」
「日本のブラック企業はちょっと違うんですが。労働者が権利を訴えるか、黙って我慢するか、というのは日本と欧米とはかなり違いますね。技術が進歩して、しなくてもいい無意味な仕事が増える例としては、そうですね。ある会社ですが、社長が仕事をひとつ増やしました。社員全員にパソコンを支給し、社内メールで仕事の報告をすることで連絡をスムーズに、誰にでも見れるようにしました」
「報連相をしやすくしてスムーズにしたんですか」
「そして社長は社員全員の社内メールの内容をチェックする、という新しい仕事が増えました。仕事時間のかなりの割合で、パソコンに向かってメールを読むという仕事です。そしてこれまでしなくても問題の無かった、無意味な仕事に時間を取られるようになりました」
「その社長、何やってんですか?」
「しなくてもいい二重チェック、三重チェックをすることで、無意味な仕事が増える一例です。人はしなくてもいいような無駄な仕事を増やすのが好きなんですよ。そして増えた仕事は減らしたく無い。日本が戸籍とマイナンバーの二重管理になっているのも、行政が仕事を減らしたく無いからです。戸籍を廃止してマイナンバーのみとすれば、経費も人件費も抑えられる筈なのですが。こうしてホワイトカラーの書類仕事は増えていきます」
「わざわざしなくてもいいことを増やさなくても」
「看護士、介護士、保育士、道路工事に電気工事、バスの運転手、清掃員などなど。社会に貢献していていなくなれば困るのが明らかな人達ほど賃金が安く、社会的には恵まれない立場に置かれています。反面、エアコンの効いた室内でハンコペタペタする人は、いなくなっても困りませんが高給取りが多いですね。金融サービス業、企業弁護士などは年収は高いですが、社会貢献度でいうならいなくなっても困りません」
「なんだか、ホワイトカラーが収入を守る為に無意味な仕事を増やしてるみたいな……」
社長が紅茶のお代わりを淹れてくれる。
「グレーバーは一般市民が仕事で忙殺されることにより、反乱を防ぐことに繋がるとも言います。貧富の差が広がれば、上位階級が平和に安心して暮らす為に、下層階級が仕事で忙しい方が良いと。生産性が上がり労働者が自由な時間が増えれば、デモや暴動が増えると。無駄な仕事が増えるのは経済的には無意味なことでも、政治的には意味がある、ということです」
日本も正規雇用と非正規雇用という新しいカースト制度ができている。前に働いていた清掃の仕事じゃ、社員がパートのおばちゃんを蹴っていたが、パートは泣き寝入りするのが当たり前、という雰囲気の職場だった。
仕事が忙しくて、暴動する暇も無い、か。そして投票に行く暇も無いから、投票率も下がるわけだ。
まあ、俺には政治のことなんて難しくて解らないし、関わりたくも無い。時間のムダだ。
「それに仕事というのは、ただ収入を得る為だけのものでは無いのですよ」
「そうなんですか? 俺は金が欲しくて働いてますけど」
「給料にくわえて、遣り甲斐があって働きやすいという方が良くないですか?」
「それはそうですね」
社長が薄く微笑み俺を見る。俺、なんか試されてる? 社長が口を開く。
「仕事というのは宗教活動でもあります」
「そんなの初めて聞きました」
「そうでしょうね。日本では宗教と言えばうさんくさいもの、という風潮ですから。ジョン・ロックが社会契約説で、労働者階級の担う労働の苦しみは、それそのものが善であり気高いものである、と訴えました。マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』的に言えば、働くことを通じて、自分は救われるべきものである、という神の恩寵を確信できると。この考えがプロテスタントの倫理観となり、労働そのものに意味がある、という現代の労働観に繋がっています」
「そう聞くと労働って、宗教じみていますね」
「金という神を崇め、金を稼ぐ為の労働という祈りを欠かさない、そんな敬虔な信徒を拝金主義者というわけです。経済社会の中で無神論者など一人もいませんよ。誰もが金という神を信じてますから。そして働くのに忙しくて他の宗教に余所見をしてないだけです」
「それだと、無人島でゼロ円生活をしてる人だけが本当の無宗教、ってことになりますね?」
「全ての人が、金に価値は無いと信じることができれば、金に価値は無くなりますよ」
社長が財布から一万円札を取り出してピラピラと振る。
「これなんて一万円、と書かれただけの只の紙切れですから。でも多くの人がこの紙切れに価値がある、と信じているから経済は成り立ちます。多くの人々の信仰により成立するものなど、宗教でなければなんだと言うのでしょうか?」
「でも、金に価値が無いってなると困りますよ」
「金に価値が有ることで成り立つ、金が全ての世の中ですからね。なので資本主義社会では、利益の最大化が重要。その為に本来はコストの最小化を追求するものなんですが。現代も利益至上主義の企業の中でも、無くても困らないクソ仕事が増えて、給料が支払われ続けてます。それは、仕事がどれだけ無意味だとしても、規律を守って長時間働くこと自体が自らを価値づけるのだ、という現代の労働倫理観があるからです」
「なんだか、バカらしいような気もするんですが。無駄なことして、それで自分に価値があるって」
「だから信仰、なのですよ。これからもAIやロボットが発達し、さらにテクノロジーが進歩すれば、人の労働時間は更に増えることになるでしょう。祈る時間が増えることになります」
「しなくてもいい無意味な仕事を増やしても、ですか?」
「技術が進歩して働く時間が減るというなら、技術大国日本で何故、人手不足という状況が改善されないのでしょうか? 逆に深刻になってますよ」
言われてみればその通りだ。今では外国からの移民を受け入れて人手を確保しようとしている。
「うちでは従業員も少ないので、無駄な仕事を増やすつもりはありませんが。それでも注文が増えて忙しくなりましたね」
盗聴機を仕掛けてもの好きに売る。金を払ってでも覗きをしたいというのが、けっこういるらしい。
そして社長は二つの会社を経営している。ひとつは仕掛けた盗聴機、盗撮機の売る会社。
もうひとつは仕掛けられた盗聴機、盗撮機を探して見つける探偵会社だ。こちらの方が客は多い。
自分達で仕掛けておいて、知らぬ振りして依頼者の家や職場の盗聴機を探して見つけて処分する。
これも盗聴機、小型カメラというテクノロジーが進歩して産まれたクソ仕事か。
「自前で仕掛けて自前で発見回収と、一見マッチポンプですが。穴を掘ることで収入を得て、その穴を埋めることでも収入を得る。長期間利益を出し、仕事を続けるには自分達で需用を作ることが肝要です。テレビも自動車も大量生産して、欲しがる人全てが入手してしまえば、新品は売れなくなりますからね」
「今じゃ、食料品以外、中古で買うのが普通の世の中になりましたからね。新品で買うなんて金持ちの贅沢ですよ」
「誰も新品を買わないから、リサイクルショップばかり増えましたからね」
社長は、さて、と言い、空になった紅茶のカップを持ち上げる。
「欲しがる人に欲しがる物を、手軽で便利に提供する。金が全ての世の中では、金を稼ぐ手段はなんでも良し、です」
銃も自動車も欲しいと言う人がいるから売れるわけで。銃も自動車も、これで人が死んでもそれは買って使う奴の責任だ。作って売る方は知ったことじゃ無い。
「村河君、盗聴機と盗撮機を仕掛けた位置の判る図面を出して下さい。探偵の方に送りますから」
「はい、これです」
「来週中にやって欲しいのがこのリストです。順番はお任せしますが、必要経費は早めに出して下さい」
「細かい道具はもう揃えたんで、ちょっとした改造もできますよ。これで前より経費を抑えて、使いやすい小道具が使えます」
「村河君のようにいろいろできる技術者と出会えたのは幸運ですね。なぜ村河君が働ける企業が無いのか不思議です」
「そりゃ、俺は何の資格も持って無いですからね」
「仕事に必要なことを独学で学ぶ姿勢が素晴らしいですよ。おかげで助かります」
「仕事にマジメだけが取り柄ですから」
「お姉さんにはこちらで仕事をするつもりがあるなら、一度、私に電話するように伝えて下さい」
「はい、解りました」
労働というのはお祈りらしい。道理で皆、熱心に毎日やってるわけだ。俺としてはそんな自覚も無く、金に祈ってるつもりも無いが、端から見ればやってることは狂信者と変わらないのか。
それでも金を稼がないと生きてはいけない世の中だ。
生きていく為には金を稼ぐ、そのために働く。
俺は今日も明日も、夜中に侵入して盗聴機を仕掛け続ける。その為にパーツを揃えたり、隠す為の小道具を作ったり、家のリフォームの仕方なんてのを勉強して、盗聴機と盗撮機の良い仕掛け方なんてのを研究する。
テクノロジーが進歩する度に、人は考える時間を失う程に忙しくなる、か。確かに技術が進歩して人が楽になるなら、人手不足も無ければ、社畜なんていう言葉も無いだろう。
と、なると自業自得というものだろうか?
人は自ら、自分達を苦しめる為に技術を進歩させているのだろうか?
「社長、どうすれば人は楽して生きていけるようになるんですかね?」
「それが解れば、そのように努力するかもしれませんが。ですが誰も何もしていない、というわけでは無いですよ」
「何かいい方法があるんですか?」
社長は片方の眉だけ上げた妙な顔をする。
「武装勢力の資金源になる紛争鉱物を買いつける。テロ組織のマネーロンダリングや資金提供に都合のいい仮想通貨を売買し、暗号資産の市場を活性化させる。と、まあ、世界のテロ組織の利益になることを知らずにしている人は多いですね」
「それ、テロ組織が元気になって、無差別テロが増えて碌でも無いことになるんじゃ?」
「紛争や戦争が起きれば、それは新たなビジネスチャンスが訪れます。かつて日本はベトナム戦争のいざなぎ景気で稼いだ国ですから」
酷い話だ。戦争になったらなったで、新しい仕事と金儲けが増えるっていうのか? 仕事とは別のことに悩まされそうだ。
社長は洗ったカップをしまって薄く笑う。
「基本的に利益とは、自然から奪った物を売るか、他人から奪った物を売るか、これ以外には有りません」
まったくもって、最低なクソ世界だ。
そんなクソ世界で、俺は今日もクソ仕事を続けて生きていく。
金という神様へ、労働という祈りを捧げながら。