第捌話 幽霊船
ああ、うたかたの夢。
弾けて消える。泡の幸福。
無数の海と夜を越え、集めた財宝もまさしく無数。
ああ、星の夢。
闇の中でしか輝けない。一時の興奮。
血にまみれ、命を踏み散らし、それでも集めた。
宝の山を、築くために。
ああ、定命の夢。
いずれ尽き果て、終わる幻想。
宝の山を築きながら、気付けなかった。
自分が溺れている事に。
ああ、朝が来る。
夢から覚める時が来る。
……結局、何がしたかったのだろう。何を求めたのだろう。
何を為そうとし、何を成したのだろう。
この山に、一体、何の意味があったのだろう。
登る事にも崩す事にも、さしたる意味や意義は無い。
そう、無いのだ。
いや、無くなってしまったのだ。
今や、ここに在るこれは、ただここに在り続けるだけの――まるで、墓標。
ああ、そうだ。墓標だ。
これは、哀れな夢の墓標。
血にまみれた、何の意味も無い、虚しいだけの墓標。
そんな物に執着し続ける事に、一体、何の意味や意義があるのだろう。
そう、きっと、何の意味も意義も無い。この宝の山と同じ事。
妄執はただ醜く、無意味に続く。
生きていても、死んでいても、変わらないのだ。
どこまで詰めても無意味で虚しい――ああ、我が海賊稼業。
船は進む。どこまでも。いつまでも。
うたかたが弾け、星が消え、定命が尽きて、なお。
……微々たるものでも良い。
我が生涯、それを具現するこの宝の山。
これに意味を、意義を――報いを求めて。
船は進むのだ。
◆
「鉄之助! すげぇ、すげぇぞ、この船の中! 見た事の無い絡繰がいっぱいある!」
「ほぉ、それはそれは。後でゆっくり見物さしていただきますよ」
いやぁ、はしゃぐ女子ってのは見ているだけで夥しい程の幸福感に襲われますね。
ウメちゃんはさっきから元気笑顔大爆発。潜水機動船の戸の内と外を行ったり来たりしては、機動船の上に座る俺に色々と報告してくれます。
まぁ、未知の絡繰に心躍る感覚は理解しますし、共感もしますがね……ちょいと、今は。
「あ、それとツバキのネーチャンから伝言。『依然このまま前進、で問題無し?』」
「ええ、問題無し。そう伝えてください。お願いします」
「おう!」
ウメちゃんが戸を閉めて、幾度目か、船内へ。
このまま真っ直ぐ。
航路としちゃあ、それで問題ありません。俺の鼻は、確かに感じ取っている。
距離が詰まるにつれて、匂いが鮮明になってきた。間違い無い、黄金や白銀、雑多な宝石類の匂いがぷんぷんしがやる。
当たり、って奴でしょう。
……しかし、何故でしょうね。
妙に、気が沈む。……こりゃあ、直感だ。この先にゃあ、ろくでもない何かが待っている。そんな直感。
未知の絡繰にはしゃいでいる気分じゃあねぇって話で。
「なぁなぁ! 鉄之助!! 何か気持ち悪い岩が積んであんだけど!? 趣味なのかな!? あれ、ネーチャンの趣味なのかな!? だとしたら妙に納得はできるけど理解はできねぇ!」
おう、またしてもウメちゃん登場。
そして何やらすごく失礼な事を言っている気が。
「気持ち悪い岩……? ああ」
船に積まれている岩、となれば、ひとつしかないでしょう。
「それはあれですか? 黒くてつるつるしている質感だのに、見てくれはブツブツや魚や海獣の骨の様な形が浮いて、なんとも不細工で不気味な……」
「そう、まさしくそんな感じ!! やべぇあれ!! ブツブツの集合体って何か、見てると鳥肌立つよな!?」
「一応、それ縁起物ですよ?」
「真面目で!?」
ええ、大真面目です。
「【万含団塊鋼】。簡単に言うと、海底鉱石の類です」
詳しく言えば、海の底に発生する凝結塊の鉱物で。
海底火山から出現した火山性鉱物や海の者の骨など、海の万物が凝縮されて含まれている代物です。
「大振りなのは貴重なもんで『見つけられるのは海に愛されている証拠』だとか言う、大昔からの伝承があるんだとか? 故に、海の寵愛を願い、お守りとして大きな万含団塊鋼を船に積む船乗りさんが多いんですよ」
壊染から恵土に渡る船にも積んであったんで、俺も訊いたんですよ、あれは一体何なんで? と。見た目はちょいとあれですが、下手物ってのは大抵美味いとも聞きますから。興味がね?
まぁ、縁起物と言う事で食べるのは諦め、以降も食べる機会はありませんでしたが……海の鉱物って事は、きっと塩の風味がきいてんでしょうね。いつか一齧りくらいはしてみたいもんだ。
「へぇー……流石はお坊さん、物知りだよな。勉強になる」
坊主ではありませんし、坊主の知識でもありませんがね。
親父や、旅先で知り合った方々からの受け売りばかりでパンパンに膨らんだ知恵袋です。
まぁ、実情はどうあれ?
俺の知る事が、前途多望な少女の生涯に微々とでも貢献できるのであれば、何よりですね。
「………………、!」
……っと。そろそろ、和やかな船旅はおしまいですか。
「ウメちゃん。ツバキさんに伝えてください。そろそろですよってね」
機動船の煌々たる爛噴でも拭い切れない闇の向こう。
薄らと、一際黒ずんで――影が見える。匂いも凄まじい。間違い無い。
「……こりゃあまた、大物だ」
これはこれで怪物級。しばらく眺めりゃあ首を痛める。
そんな巨大で、やたらにおんぼろな船が、そこには佇んでいた。
◆
「じゃあ、行こう。えいっ」
ツバキさんは随分と慣れた手つきで、大船に鉤付きの投げ縄梯子をかけ、甲板へ目指してよじよじと登り始めた。
……やれやれ、ここは男として先陣を切りたかった所ですが、提案する間も無かった。
性差があろうと、筋金入りの冒険家さんには敵いませんね。
引きずり下ろす訳にもいきませんし……仕方無し、となれば、
「ウメちゃん、お先にどうぞ」
「おう!」
用心の前出し棒役を取られたのであれば、背中を守る母衣役にでもなりましょうって話で。
それに、ツバキさんやウメちゃんが手か足を滑らした時のために、下にゃあ緩衝材が必要でしょう?
ふりふり揺れる可愛いお尻をじっくり眺められるのは、役得って事で。
と言う訳でいざ甲板へ。
登り切ってみると、ツバキさんは片手に持った小型爛噴の灯りを頼りに既に散策を始めていた。
帆柱を慎重な手つきで撫で摩りながら、何やら興味深そうに独りで頷いていらっしゃる。
「……うん、うん。この造りは南蛮諸国【剣朧島の国】で生まれた帆船――波安砕型船舶。帆柱に刻まれている製造年……三〇〇年も昔の老朽船だね。波安砕船は今でこそ禍の国でも標準的どころか型落ちですらある船種だけれど――三〇〇年前、禍の国で運用されていたとされる波安砕船は、記録上、とある海賊団のただ一隻だけ」
「難しい事はわかりませんが、察するに――大当たりで?」
「うん。【刳突苦船長の放浪船】……かつて、伝説の海賊クックとその一味が乗っていた船、【燕電覇空号】に間違い無い」
そりゃあ何よりだ。
「三〇〇年……三〇〇年も前の船が、こんなきっちり残ってるもんなのかよ? って、うきゃあ!?」
「おおっと!? だ、大丈夫ですかい!? ウメちゃん!?」
「ゆ、床が腐ってて……」
「きちんと拵えた木造船はとても長生きする。乗り手がいなくても、嵐に当たらなければ数十、数百年、船だけが浮かび続けていても不思議じゃないよ。まぁ、流石に到る所に難がきてるみたいだけれど」
そう言ってツバキさんが帆柱を軽くつまむと、つまんだ分だけ、木片が分離した。豆腐めいた柔らかさの様で。
こりゃあ、足の踏み場は細心の注意を払わなきゃあですな。
「つまり、このボロ船は、三〇〇年間、運良く激しい雨風を避けて海を彷徨い続けていたって事で?」
「その通り」
成程、まさしく放浪の船って訳だ。
下半身が甲板の床に埋もれちまったウメちゃんを抱き上げて救出しつつ、感心する。
「ありがとう、鉄之助……ふぅ、びっくりしたぜ……つぅか……驚いた反動で冷静になって、あれなんだけどよ……」
「?」
「廃屋とかもそうだけど……ボロい木造物って、暗闇で見るとこう……不気味だよな」
「確かに。幽霊とか出そう」
「ゆ、幽霊!? ネーチャン、ヤな事を言うなよ! アタシは幽霊とキレた母ちゃんだけは苦手なんだ!!」
ああ、そう言えばさっきも、機動船を見た時に「オバケなのか!?」と慌てふためいていましたね。
「大丈夫ですよ。幽霊ってのは、迷信……生存本能が発する未知への恐怖が生む幻覚だって話だ」
これまた受け売りなんですけどね。
火も無い原始の時代、闇ってのは夜行性でない多くの生き物に取って敵だったそうで。
闇の中にゃあ、闇に適応した外敵が潜んでいるかも知れない。そんな不安が、生存本能と結びついて、夜行性以外の生物は闇を忌避する様になった、と。
進化して知性を得た者にもその名残はあり、闇への――闇の中に潜む未知への恐怖をわかりやすく概念化、迷信として広く語り継がれている――それが幽霊である、らしいですよ。
要するに、幽霊ってのの大元は、見えない外敵の仮想定。闇に警戒せよと言う、遺伝子に刻まれた本能的教訓。
誰に教えられるでもなく赤子が乳房を啜れる様に、大抵の者が生まれながらに認識している恐怖の対象。
それが現代に蔓延る迷信的な幽霊の概念――後付けの知識によって拡大されていく。
……まぁ、詰まる所、実際に幽霊なんて存在がいるなんて事は、無いって……、
「……オォオオオ……オオ……オオ、オ……」
……ん? なんでしょう、風の音ですかね?
にしては、やたらに低い様な? まるで「亡者の呻き」とでも表現したくなる音だ。
「……ねぇ、鉄之助くん。幽霊って言うのは、迷信、なんだよね?」
「………………………………」
……ええ、そう、思っていたんですがね。
「ぁ、ば、ほ、へ、にゃ、てつにょ、しゅけ、あれ、あば、ぁばばばばばばば」
ウメちゃんが壊れた弓曳童子みたいになっちまった。
ああ、うん、はい。そうですね。
こんなわかりやすい幽霊、いるもんなんですね。
「オ。オオオオオォ、オオオオ。オォオオ」
唸るそれは、黒い煙の塊。形状は人型ながらに足は無し。ふよりふよりと宙に浮いている。視線の位置は俺とそう変わらないものの、恰幅は非常によろしい。
頭に当たる部分には黒煙の濃淡があり、髑髏の様な紋様が浮かんで見える。
そんでもって周囲には――蒼白に燃える無数の火の玉。あれが噂の火飛霊って奴で?
「幽霊、と言うより、魑魅霊って感じだね」
「冷静ですね、ツバキさん」
「幽霊よりも恐い連中と散々殺し合ってきたから」
それは結構。
では、最早震えすらしなくなって硬直したウメちゃんは背後に下げまして、と。
「ちなみに、どう思います? あれが幽霊でも魑魅霊でもどちらにしても亡者的な存在って所でしょうが……我々と仲良くできますかね?」
「無理かな」
ええ、でしょうね。あの雰囲気は、見るからに殺る気だ。
ツバキさんが鉄砲を抜いたのと、俺が鉄腕無双を発動したのはほぼ同時。
そして、向こうさんが腕の先から錆だらけの刃を生やして斬りかかってきたのは、それよりちょいと早かった。
まぁ、余裕で間に合いましたがね。
鉄腕を盾にしながら、ツバキさんの前へと踊り出て、振り下ろされた刃を防ぐ。
当然、俺の鉄腕、そんな古びた刃で穿てるはずも無し。
「お。ありがとう。鉄之助くん」
「どうも」
「オオオオォォォオオオオオオオオ!」
「……さて、こいつは話が通じなそうだ」
言語の壁とか以前に、知性の欠片すら感じやしない。
この感じは……獰猛な獣と一緒ですね。本能で衝動的にこちらを殺しに来ている。
となれば……、
「害獣として、処理さしてもらいますよ」
要するに……自衛のために迎撃さしていただくって話だ。
こちらに襲いかかる意思を無くすか、こりゃあたまらんと逃げ出すまで、拳骨をくらわせます。
蛮勇こじらせて死ぬまで退かない大馬鹿野郎だってんなら、意識を失うまで、拳骨をくらわせます。
つぅ訳で、錫杖を投げ捨てて空けた拳を振りかぶる。
「オラァ!」
って……えぇ!?
「んなッ……!?」
感触が、皆無。そこにゃあ何も無い。ただただ、俺の拳は、黒煙の体に入った。
急いで拳を引き抜くが、引き抜く感触も、拳への異変も無し。
本当に、ただ拳を素振りした、そんな気分だ。
「……!」
それを見ていたツバキさんが援護に動いてくれた。
俺の背後から横に出て、黒煙の体に向けて発砲。重なる銃声は五発分。
……しかし、放たれた弾丸はそのどれもが黒煙の体を素通り。黒煙の向こうにある船壁を粉々に吹き飛ばした。
「まさか……」
聞いた事はあります。基本、この世の者はあの世の者に触る事はできねぇ、と。
それができるのは巫を力を授かった一部の者や物だけである、と。
当然、俺にゃあ巫の力なぞ無く、ツバキさんの銃だって武器商が売っている普通の物品でしょう。
「ォオォオオ……!」
……っと。
黒煙の亡者が錆刀を振るって後方へ跳び、距離を取った。
まぁ、無難ですね。
こちらの攻撃はすり抜け、あちらの刃は俺にゃあ通じない。
となれば、膠着は必至。一旦距離を取るのは当然。向こうが取らなきゃあ、こっちがそうしていたって話だ。
「……オォ」
使えねぇ、そう吐き捨てる様に、亡者は錆刀を放り捨てた。
どうやらあの刀は、奴の体の一部とかではなく、ただ単に海賊船の遺物を体に巻き込む形で持っていただけの様だ。
…………ん? 待て。どうして?
「オオオオオオオオオオ!」
錆刀を放り捨てた亡者が、殴りかかってきた。
一見、意味不明。だって、この世の者はあの世の者に触れられない。普通に考えれば、逆もまた然りのはずだ。
そう、その、はず。あくまで、推測。
でもしかし、今、奴は――
「不味ッ」
んな馬鹿な話があるものか。けれども、そうとしか考えられない。
この新たな推測が正しければ――不味い。
だが、間に合わなかった。
腹の皮膚を鉄に変えるのは間に合ったが、ああ、間に合わなかった。
「づ、ァ、がっはァ……!?」
痛っ、ふんぎ、ぉおお……!?
「ッ、鉄之助くん……!?」
「オォォオオオオオ! オオォオオ! オオオオオ!」
……っ、は、あ……!
――揺らぐ意識の中、ツバキさんの驚愕と心配が入り混じった声と、亡者の自慢気な咆哮が聞こえた。
……や、って、くれたな……!
……ぶん殴られて膝をつくなんて、いつぶりだ……!
いや、今は、そんな事を考えている場合じゃあ、ないッ!
「ッ、ぐ……ツバキさん! ウメちゃんを連れて、逃げて、ください!」
「!」
こいつの攻撃からは、誰も守れない。そう、自分さえも。
――今、こいつは、俺の腹を殴った。
鉄に変質した腹ではなく……その内側、柔い臓腑だけを、殴ったんだ。
何故、そんな事ができるのか。
「こいつは……自分が触りたい物だけを選んで触れるんだ……!」
俺の拳やツバキさんの銃撃は、触らず。
錆刀や、俺の臓腑にだけは、触る。
そんな取捨選択をしているんだ。
理不尽極まるが、そうとしか、考えられない。
「オオオオ、オッオッオッオッ! オオオオオオ!」
――「正解だ。まぁ、気付いた所で何の意味も意義も無いがな」――そう、嗤われた気がした。