第参話 鉄拳パンチ
「と、頭目……! 薄ら聞いた事がありやす! 北の方で噂になっていた奴だ!」
俺の名乗り上げを聞いて、アバドンの後ろに控えていた群れの何体かが狼狽え始めた。
「どこからともなく現れて、悪党を見付けてはその黒い腕で殴り倒し、警兵に引き渡して行く物騒な仏僧――通り名は【鉄腕坊主】! そいつが確か、なんたらムラマサのジュマンジテッチョーケだかジンマシンセンシュケンだったかって自信満々に名乗るって!」
「おう。まぁ。一部は違いますが、大体はその通り」
仏僧ではないし、鉄腕坊主だなんて通り名は初耳だし、「十文字斑雅の最高傑作・十文字鉄之助」が正しい名乗りなんですが、それより前の部分は大体その通り。
親父との【約束】のために壊染を旅立ち、この禍の国中央大陸、奔州・恵土に入ってからと言うもの……何の因果か知りやしませんが、行く先々でこいつらみたいなくだらねぇ下衆と縁ができちまうんで。その度に、まぁ、拳骨と説教を少々。
しかし、思い返してみるとほんとにもう、これで何度目ですかね?
……誰ぞに呪われてんだか、はたまた望まれてんだか……やれやれって話ですよ、全く。
――だが、悪い話じゃあない。
おかげで、こいつらみたいな間違いだらけの連中から、誰ぞを守り、助ける事ができるんですから。
最高じゃあねぇのって話ですよ。
今までいっぱい、可愛い女子にも、綺麗な女子にも感謝されてきた。思い返すだけで気分が良いったらありゃあしない。
旅のついでに善行を積んで、徳も爆盛りで、女子には持て囃される。最高。ほんと。
それに、こんだけ善く生きてんだ。死んだらきっと、親父と一緒の極楽浄土とやらに行けるでしょう?
大分先の話ですが、楽しみで。
……さて、と、まぁ、そう言う訳なもんで。
テメェらは俺の拳骨を喰らってからお縄につけ。
俺が積み上げる徳の塔の一部になれ……って話。
「チッ……そんな奇特野郎が……!!」
「俺の事を薄らとでも知ってんなら話が早ぇって話ですよ。どうします? 今すぐ反省して自分から警兵さんの所に駆け込むってんなら、普通の拳骨で済ましてやりますよ?」
沈黙した撫流土動去鞍から、鉄に変質させた右拳を引き抜く。
左手に持っていた錫杖は地面に突き刺して、っと。さぁ、両手を空けて準備万端。
何の準備かって?
一応、訊きはしましたがね? この手の輩が、これでおとなしく警兵さんの所に言ってくれる訳も無しって話で。
毎度、ならず者ってのは数揃えてきますから、両手で処理すんのが無難なんですよって事。
「……ケッ、おいおい、じゃあなんだァ? このままテメェをぶっ殺すつったら、どォする? 俺達全員と戦うってか?」
「はぁ?」
何言ってんですかね、この大将は。
寝言にしちゃあ目が開き過ぎている。
「俺は斑雅の最高傑作だって言ったでしょうが。戦うなんて野蛮な真似、しませんよ」
「あァ?」
……さては、親父の事をご存知無い? 無知ですな、ならず者らしい。
「……十文字斑雅……かつて壊染で活躍していた鍛冶師で、晩年は筋金入りの平和主義者を謳っていたと聞いているが……」
おう、流石は先生。当然にご存知でしたか。
「そう、その通り。俺はその平和主義者に育てられたんだ。その俺が、戦う? 冗談でも勘弁」
「じゃあ、どォするってんだよ? 戦わずして魔府威會をどうこうしようってか? 大間抜けの頓痴気野郎かテメェは?」
「決まっているでしょうが。拳骨くらわして、反省させるんですよ」
俺はただ、間違っている奴に拳骨を食らわすだけだ。
戦いはしない。ただただ、叱りつけて正す。親父から継承した、この十文字流拳骨説法で。
「……それ、要するに殴りかかるって事だろ? 戦ってね?」
……これだから、ならず者は。
「はっきり言わなきゃあわからないんで? 戦いってのは、同程度の連中が武力をぶつけ合う事だ。そちらサンみてぇなロクデナシと俺が同じ土俵の上にいるとでも? 舐めんな。俺の方がいくらか上等だ」
成体が幼体に対し、上の見地から説教をして正すのと一緒だ。俺が、これからする事は。
……お、ようやく、俺が全力で見下している事に気付いたご様子。
先頭のアバドンを始め、連中が青筋を浮かせ始めた。
「……上ッ等だ……! 坊主を痛めつけるのは気が引けてたんだが、こんなクソ生意気な野郎ならぶっ殺したってバチは当たらねェに決まってらァ! 行けや野郎共ォ!」
「「「「おぉぉぉぉおおおおおおおお!!!!」」」」
「ほいほい、どうぞどうぞ、列に並んでかかってこいって話で」
アバドンの号令を受け、手下の有象無象がそれぞれの得物を掲げて押し寄せてきた。
まぁ、こんな輩共、鉄腕無双だけで充分でしょう。
そんでは……拳骨とお説教の時間だ。
「無辜の先生やスミレちゃんへの不埒な所業、そんでもって、先程、俺の目の前で【嘘】を吐いた事、存分に反省しなさいってんだ!」
そちらサンのやった事は、拳骨一発で済ませられる範疇に無い。
だから、山盛りくらえ。
「十文字流拳骨説法、奥義――【拳骨万黎】ッ!」
黒鉄に変質させた両腕を、振るう。一発や二発の話じゃあねぇですよ。何度も、何度もだ。まさしく一万回の拳骨をするくらいの気概で、打ちまくる。
一発一発が銃撃よりも破壊力のあるこの俺の拳を、雨の様に浴びさせてやりますよ。
……そう言えば、南蛮の武器に、似た様なのがあったはず。次々に絶えなく何十発もの銃弾をぶっ放す武器が。
確か――ああ、そうそう【銃十輪具砲】でしたっけ?
この奥義は言うなれば【鉄拳の銃十輪具】って事だ。
「オラオラオラオラオラオラオララオラァッ! 俺の拳骨を浴びくらって反省しろや下衆野郎共ォォォォォォォ!」
「ごぶぁッ!?」「痛づッ!?」「ぎゃんッ!?」「へごすッ!?」「「「ぐわぐわぐわぐわぁぁあぁああああああッ!?!?」」」
――っし、このくらいで良いですかね。
鉄拳を止めると、どさどさと音を立てて次々に悪党共が地に落ちて倒れ伏す。
全員ぴくぴくと痙攣していますし、死んじゃあいない。よし、今日も俺の加減は冴え渡っているって話だ。
「す、すごい! 鉄之助さん、すごーい! めちゃんこ強かったんですね!? 正直ただの優しいおじさんかと思ってました!」
「おじッ……!?」
ちょ、スミレちゃん……!?
俺まだ二〇そこそこなんですが……!?
……ぅ、うん、まぁ、ええ、その辺の致命的な誤解は、後でじっくりと解消しましょう。
とにかく、これでオシマイ。あとは警兵さんの所に引きずっていくだけ――……ではないみたいですね。
「おやま。アバドンさんよ。ひとりそんな離れた所で何をしていらっしゃるんで?」
どうやら、部下達をけしかけただけでアバドン自体は高みの見物を決め込んでいた様だ。
全く、全員まとめてかかってきてくれりゃあ早い話を……。
「……テメェ、中々やるじゃあねェか。そこの医者と同様、坊主なんぞにしとくにゃあ惜しいくらいだ。ウチに来ねェか?」
「そいつはお誘いどぉも。ですがね、べったべたに褒めてもらったって魔府威會なんぞにゃあなりませんよ?」
そもそも、お坊さんでもないんですがね。
「ったく、本当、そこの医者と一緒だな、つくづく」
「!」
言いぶりから察するに――先生も勧誘した事があるんで?
成程。それを蹴った事への遺恨も、先生への嫌がらせに絡んでいるとみた。
「ところでテメェ、ウチの雑魚を散らしたくらいで図に乗るなよ?」
「……? ……、……!」
……ぉっと……ああ、まぁ、そりゃあそうか。
魔府威會なんてのは、そもそもがまともな組織じゃあない。武力任せに生きてきた連中が、誰に御されるでもなく寄り集まって徒党を組んだ集団だ。
つまり、魔府威會における上下関係の決定要因に、普通の組織の様な理知的要素なんぞ存在しない。
魔府威會における頭目とそれ以外の差は――純粋な武力のみ、って事でしょう。
「ふゥ……ゥんッ! ……ぶはァ……ぎゃはははは……!」
アバドンの血黒色の肌が、盛り上がる。身に纏っていた外套が、ビリビリと音を立てて破け、散った。
その額からは、乳白色――骨の色をした、二本の角が。
「――あんた、【鬼】系か……!」
「おォう。俺が直接手をくだすなんざ久しいからなァ……お祝い代わりに名乗ってやるよ、クソ坊主。俺は地獄のアァァバドンッ! 種族は【鬼】属、【岩掘鬼】だァ!」
血黒の肌は色味を増し、その筋骨にボコボコとした様相も相まって、まさしく岩石の如く。
体躯は、スミレちゃんよりも大きい……即ち、俺の倍以上ッ!
黒い眼球に浮かぶ紫色に濁った瞳は、視線が交差しただけでこちらを威圧してくる程に不気味……!
そして最大の特徴は、額から噴き出した、二本の白い剛角。
鬼系――久々に見ましたがね、例に漏れず……何と言うか……うん…………ちと、不味いかな?
「ほれ、俺にも拳骨をくらわしてみろや、鉄腕坊主さんよォォォォォォ!」
「んのッ――」
くる、鬼の、超怪力を帯びた拳が。鬼が本気を出した拳速は、音を置き去りにする。躱すのは難しい。
となれば――纏威・八方鉄尽、【変質】を全身に広げて防御を――
「ごぉぉぉぉおおおおおおおおるぁあああああああああああッッッッッ!!!!」
アバドンの咆哮――おそらくは、大地が物理的に揺れる程の雄叫び。
何故推測なのかと言えば、その雄叫びが響く中、俺は空を滑っていたから。
背中から撫流土動去鞍に突っ込んで、その巨大な車体を巻き込みながら、なおも森の中、吹き飛ばされる。
「か、はッ……ァ……!?」
……ようやく、呻き声と共に血痰を吐き出せたのは、ぶん殴られてから数秒後。
かの有名な恵土城の高さ程も横に吹き飛ばされた後だった。
「……ほんッと……鬼って奴は……これだから嫌いなんだ……!」
鬼の女子は露出に抵抗が無い子が多くて、最高に好いなんですがね……!
鬼の男はどうにも……永遠に好きにゃあなれそうにないって話で……!
……あー……もう、両腕も腹も、見事に凹んでますし、バッキバキに亀裂まで。しかも腹からの亀裂は首筋にまで走ってやがる。
俺の全身変質時の硬度、どんだけだと思っているんで?
赤ん坊くらいの大きさの火薬の塊と添い寝してても安眠できる程度にゃあ、防御力があるはずなんですが?
やっぱり、鬼の成体を相手にするとあっちゃあ、鉄腕無双や八方鉄尽じゃあ足りないか……となると【錫杖】か【袈裟】に頼る事になる訳ですが……派手に吹き飛ばされた今となっちゃあ、錫杖は遥かに遠く。
となれば、袈裟の方か。まぁ、【性質】的にも、今の状況で使うにゃあ丁度良い……しかし……あー、これ、俺の技量じゃあ直せないから使いたくないんですがねー……でも、こんな森の中じゃあ、他に手頃な所に【使えそうな鉄類】なんて……おう?
おう、おうおうおう、おうおうおうおう。
お誂え向きとはこれこの事で? やっぱり日頃から徳は積んでおくもんだって話ですか。
俺がもたれかかっているこいつは、俺に巻き込まれて一緒に吹っ飛んだ撫流土動去鞍、重駆動絡繰、即ち、鉄類の塊。
しかも、重駆動の絡繰にゃあ大抵、【あの鉄】も使われている。
「ははッ……神様仏様ってのは、袈裟を着ている奴にゃあ甘いらしい」
圧倒的感謝を以て――いただきます!
◆
「鉄腕坊主……威勢は良かったがァァ――まァ、俺が強過ぎって話だわな」
鬼の本性を顕にしたアバドンが、笑う、いや、嗤う。
遥か彼方へ吹き飛んでいった愚かな鉄の坊主を、嗤い下す。
「そ、そんな……鉄之助、さん……」
「…………………………」
アバドンの暴威に絶句するスミレと河童先生。
畏怖の視線など向けられ慣れたものと言わんばかりに、アバドンはその視線に構わない。
「だが、今の感触ゥ……殺せてはいねェって直感してるぜェ。そこそこはやりやがるって事だ。さァて……面倒だが……とどめ、刺しに行くかァァ……」
悪趣味な笑顔を満面に広げて、アバドンは地を揺らす一歩を踏み出した。
鉄腕坊主――鉄之助に、有言実行、とどめを刺しに向かうべく。
「……ッ、待て、アバドン!」
そんなアバドンの前に、キヨハルが立ち塞がる。
「ん? おォう。なんだァ、先生よ。次はテメェが俺と殺り合うってのかい? あァ、確かに河童のテメェなら、あの坊主よりも俺と良い勝負ができそうだろうよなァ」
「……私は河童である以上に医者だ。暴力はとうの昔に捨てた」
「ほォん? ……あァ~……じゃあ、もしかしてアレかァ? 自分が代わりに殺されてやるから、鉄腕坊主を見逃してくれェ、とかァ?」
「まさしく、その通りだ」
珍しく頭が働く様だな。
……と言う言葉を飲み込んで、キヨハルは頷き、肯定。
要求を通すために、アバドンの機嫌を損ねない様、言葉を取捨選択したのだ。
「せ、先生!! そんな……!!」
「おォォう。ぎゃはははは……! テメェ、本当にくだらねェなァ。目の前の命を助けるためなら死んでも良い、ってかァ? 医者としての矜持だなんだと、いつもいつも、理解できねェ事ばっかりしやがる」
「ああ、そうだな」
貴様如きに理解できるとも思っていない。
……キヨハルはまたしても言葉を飲み込み、肯定。
――これから先の未来。自らが生きる事で助けられる命を、自らが死ぬ事で助けられなくなる命を思うと、胸は傷む。
だがしかし、自分がこれから助けるはずだった命を、他の誰かが助ける可能性はゼロではない。
そして今、目の前の命を助けられるのは、自分以外に有り得ない。
この選択に間違いは無いと、キヨハルは立つ。
「ふむ、ふむふむふむ……あァ、良ィぜ。テメェの矜持自体はくだらな過ぎて理解できねェが、命賭けでも事を為そうって姿勢は好い。男として理解するぜェ。あいわかった。それで手打ちにしてやるよォ」
「いや、勝手に話を進めないで貰えますかね?」
「……あァん?」
不意に、投げかけられた声。
それは、アバドンの進行方向、キヨハルの背後、即ち、鉄之助が吹き飛ばされた方向から。
鉄之助に巻き込まれた撫流土動去鞍が飛んだ軌道にそって刻まれた道を歩いて、現れたのは――
◆
ちょいちょい……ほんの数十秒、お時間をいただいている間に、妙な方向に話を進めないでくれませんかね。
「君は……!」
「鉄之助さん!!」
「よう、テメェ、鉄腕坊主……おう、随分と元気そうじゃあねェか。予想外だぜ」
「そりゃあまぁ」
傷……と言うか亀裂を直すにゃあ、充分な時間と【飯】をいただきましたからね。
今、袈裟の内から俺の全身を覆う黒鉄の表皮にゃあ傷の一点もありゃあしねぇはずですよ。
と言うか、【今の質】的に、亀裂なんてそうそう入り得ない。
「さて、鬼の旦那よ。ちょいとお待たせしちまいましたが、説教を再開しましょうか」
「ぎゃはッ、ぎゃはははははははは! おいおいおい! こいつは大物だァ! 俺を鬼と知って! 俺の暴威を実際に味わって! まだんな事が言えるときやがったかッ!」
アバドンがゲラゲラと大声をあげて嗤う。嫌になるくらい、腹の底を揺すられる声だ。
……ええ、まぁ、そうですね。鬼と正面切って対峙するなんざ、正気でやる事じゃあない。大笑いも納得だ。
ですがね、俺だって、無策って訳じゃあないんですよ。
見せてやりますとも、あんたら鬼が誇る超怪力にだって勝るとも劣らない、鉄丈郎の【本領】を。
「待て、君! こいつに勝つなど不可能だ! 鉄丈郎について詳しい訳ではないが、君達の種族の特性は『体を鉄に変質・変形させて武装や防具化する事』と『鉄を喰らう事』くらいなものだろう!?」
「ん? ありゃま、先生。流石にそこまではご存知無い?」
「……何?」
「安心してくださいって話ですよ」
さ、そこを退いた退いた。巻き込まれちまいますよって。
「ぎゃはははははは! んじゃあ、行くぜェ勇敢な鉄腕坊主サマよォォォ! さっきよりもほんの少し強めに殴るからァ! せいぜい死ねやァァァァ!」
「誰が死ぬか」
少なくとも親父よりは長生きするって決めてんですよ、こちとら。
アバドンの拳が、来る。
「どぉぉおおるぁぁああああああああ! ――……って、あ?」
――ふぅ。
先程はまぁ、してやられましたがね。二度も同じ手でやられる間抜けがいるかって話ですよ。
「な、んじゃ、そりゃああああ!?」
「鉄の体が……波打って……!? まさか、衝撃を殺したのか!?」
ええ、その通り。
本来ならわざわざ説明してやる事もありませんが、ここは先生のために、少し言葉にしておきましょうか。
「先生の言った通り、鉄丈郎の特性の主だったもんは、体を鉄に変える事と、鉄を主食とする事――ですが、そんだけじゃあございません。鉄丈郎は、『食った鉄の【性質】を顕著にして体現する』」
堅い鉄を食えばより堅い鉄に変質でき、柔い鉄を食えば柔い鉄に変質できる。
まぁ、食った鉄を消化し切るまでの時間制限付きですがね。
「そんで、今、俺が食ってきたのは『重駆動絡繰にゃあ必須の鉄』。金属とは思えない軟性を持ち、耐衝撃に優れた鉄、【繰軟鋼】。強い衝撃を機体全体にかけ続ける重駆動絡繰は、これが無きゃあ成り立たないと言っても良い」
つまり、だ。
「今、俺の体は、繰軟鋼と同じ性質を持った鉄に変質しているッ!」
纏威・八方鉄尽、改め――纏威・柔巖要塞、とでも言った所でしょうかね。
「ッ……! 面白ェ! なら、衝撃を殺せなくなるまで殺すつもりで殴るだけだァ!」
ええ、まぁ、森羅万象何事にも限度はある様に、繰軟鋼にだって限界ってもんはあります。
「当然、限界まで好き勝手させてやるつもりゃあありませんとも。それまでに、拳骨くらわして、終わらせる」
「そうかァい! じゃあやってみろや! テメェの小さい拳で、俺をぶん殴り飛ばせるならなァ!」
鬼はただ超怪力ってだけじゃあない。その超怪力を御す脅威の肉体強度も厄介――ですがね。
「発条ってのを、ご存知で?」
「あァん?」
あんたからじゃあ袴や袖のせいで、見えていないでしょうが――実は俺ね、今、腕と足をぐるっぐるに捻って【変形】させて、発条状にしていたりするんですよ。
発条ってのは、力を加えると、それを吸収・蓄積する事ができる形でね。
そんで、その蓄えた力は、放出するまで消えたりはしない。
アバドン、あんたの一撃、それに含まれていた力は、俺の体を波打って、四肢の発条を押し込み、力を蓄積してくれている。
この意味が、わかりますかね?
「バネだかハネだか知らねェが、それがどうしたァ?」
――狙うは、立派な角を生やしたその額。
腰を沈めて、足の発条に、乗る。
さぁ、今度こそ、拳骨とお説教の時間ですよ!
「ちょいと早口で行きますよ……【十文字流十訓奨】が有り難き教え、その壱『嘘を吐くな』! その弐『驕り高ぶるな』! その参『慈愛をばら撒け』! その肆『思慮深く在れ』! その伍『どんな辛苦も忍耐せよ』! その陸『何でもかんでも欲しがるな』! その漆『正しく在る全てに敬意を払え』! その捌『悪徳を許すな』! その玖『己を研鑽し続けろ』! その拾『誰ぞを助ける鉄の刃であれ』! さぁ旦那、あんたは一体いくつの教えに反しているか、じっくり自分で考えて反省しやがりなさいませって話だ!」
「ごちゃごちゃうるせェなァ! なんだそりゃあ!?」
拳骨の後じゃあ聞ける状態じゃあないかもなんで、先に説教ですよ。
説教の内容が大味過ぎる? そりゃあ大雑把にもなるでしょうよ。アバドンの、こいつらのやっている事は論外甚だしいにも程がある。大前提から間違ってんですから、大きなくくりで広く正しきを説く所からになっちまうのは当然も当たり前って話。
――さぁ、ともあれ言葉を以ての説教はこれで終い。次は拳だ。
アバドンが拳を放つ前に、跳ぶ。
アバドンの拳の威力を利用した跳躍と、この拳。
そこに更に俺自身の全力全霊も、込める。
くらえ。一発集中、あらゆる間違いを正し切る勢いで打つ渾身の拳骨説法。
「十文字流拳骨説法、奥義――【鉄拳正切】ッ!」
「なッ…ゴォアッッッ!?」
手応え、充分ッ。
右拳を、心地良い痺れが突き抜けたッ!
白い破片が舞い散る。
アバドンの剛角を、俺の鉄拳がへし折り、砕き散らした証ッ!
「づが、ァ、馬鹿…ア……」
眼下、アバドンの巨体が、崩れ落ちた。
白目を剥いて、もう立ち上がる気配は微塵も無し。
「――っしゃあ!!」
説教、完遂!!