第弐話 十文字鉄之助
「良い歳だろうに、火遊びとはな」
黄色い嘴をパクパクさせて呆れた様な声を紡ぐ、全体的に緑色の御仁。
身に纏っている白い洋装には見覚えがある。確か、南蛮の医者がこぞって着用する白衣ですね。
この緑色のおじさんが、この屋敷の主で、俺の首に包帯を巻き、今、顔面の火傷に処置を施してくれた御方。
名は、多比良清治。
鴨の様な嘴に、硬そうな肉で膨れた緑色の瑞々しい肌、指と指の間に張った水掻き膜からして……かの有名な【河童】さんですな……と喝破したのですがね、途端に正確には違うと否定されました。
キヨハル先生はなんでも、「ただでさえ薬学に精通する河童が、医学をも身に付けて進化した上位新種」だそうで。
その名も【医薬師河童】。なんだかすごい。
……と言うか、
「……火遊びと言いますか、あれ」
「【蒸丙塁】の幼体をからかって遊ぶなど、火遊び以外に何と言う?」
そう、キヨハル先生の口から、衝撃の事実が発覚しました。
スミレちゃん、恵麗巫系ではなかったらしく。
――【蒸丙塁】。
先生の説明によれば、火山地帯に生息する巨人の種族なんだそうで。
体内で炎を精製できる特性があるものの、幼体の内は制御が難しく、感情が高ぶると暴発してしまうとの事。
まぁ、恵麗巫系かどうかなんて些細な事ですよ。
例え種族は違えど、恵麗巫系だと言われても納得できる端麗さと愛嬌が、スミレちゃんにはあるんですから。
「うぅう……ごめんなさい……助けてくれようとした所を押し潰して殺しかけた上に……その、か、かわいいと褒めてくれたのに、御礼の言葉ではなく炎を吹き付けてしまうだなんて……」
部屋の隅で膝を抱くスミレちゃん。
未だにその顔は紅く、余熱なのか口の端から湯気が薄ら。膝に潰されて柔軟に変形し側面から溢れ出した乳房は素晴らしい。
「いやいや、こちらこそ調子に乗り過ぎましたって話ですよ。反省します。申し訳無い」
自分で自分の頭を軽く拳骨で小突いておく。
蒸丙塁の幼体を持て囃すのは、口から湯気が登り始めるまで。覚えました。次は上手くやりますとも。
「……しかし、不思議なものだな、その袈裟」
「ほい?」
不意に、先生が俺の袈裟の端を摘まみ上げた。
「蒸丙塁の噴炎は相当な温度だ。君が軽い火傷で済んでいるのは『炎熱耐性に優れているからだろう』と言う推測で終わるが、その服に焦げのひとつも無い理屈は測りかねる」
ああ、確かに。
炎に掠りもしていない返付床周りの垂れ幕はかなり焦げちゃってますが、俺の袈裟にゃあ焦げなんて無し、とあれば、疑問にも思うでしょう。
「この袈裟一式は、鍛冶師の親父が作ってくれた特別製なもんで」
「鍛冶師が袈裟を仕立てたのか?」
「ええ、これ、鉄製なんで」
「何? ……ああ、成程。そうか。それがあったな。納得がいった。薄平鋼か」
「お。よくご存知で」
流石は医者先生、博識でいらっしゃる。
薄平鋼は薄く伸ばすとまるで絹みたいに柔らかくなる鉄でして。
この袈裟は、その鉄を使って親父が作ってくれたもんです。
なんで袈裟なのかと言えば、「袈裟を着てりゃあ犬だろうと有り難がってくれるご時世だ。独りで生きていく事になった時にゃあ、色々便利だろうよ」との事。
俺のずる賢さは親譲りって話ですよ。
まぁ、ともかく。薄くて柔いとは言っても鉄製の服ですから。
そう簡単に焦げたりしませんし、破れる事もそうそうありません。
「薄平鋼は毛一本分程の些細な誤りで屑鉄になってしまう繊細な鉄だと聞く。加工にはかなりの技術が要るのだろう? それでまさか、袈裟一式を仕立てるとは……かなりの名匠とみた」
「そりゃあもう。親父は最高の鍛冶師でしたよ」
武器類は作らない分、生活に役立つ鉄製品の鋳造に関しちゃあ、親父の右に出る鍛冶師はこの世にいないと思います。
「君が良い父を持ったと言う事はよくわかった。……さて、処置は終わりだ。首も、聞いた話から想定していたよりは軽傷。だが、念のため今夜は泊まって療養していけ。飯も用意してやる」
「至れり尽せりって奴ですな。何だか申し訳無い」
「医者は誰ぞを救う生き物だ。もし仮にそれを抜きにするとしても、うちの居候を助けてくれた恩がある。気にする必要は無い」
居候、と言いますと、スミレちゃんの事で?
……本来は火山地帯に住んでいる種族の幼体が独り、こんな火山とは遠く離れた森にいるって事は、まぁ訳ありだろうとは薄々思っちゃあいましたがね。……詮索はしない方が良さそうだ。
「それと……おい、居候」
「は、はい……」
「今日の件で懲りただろう……もう、連中とは関わるな。有り難くもない、ただただ迷惑だ」
「うッ……ごめんなさい……」
ちょいと刺のある低い声で何やら釘を刺し、先生は部屋を出て行ってしまった。
……あ、飯について、言うべき事があったのに忘れていた。
ま、後で伝えりゃあ良いですかね。
それよりも、ちょいと気になるのは……、
「スミレちゃん。もし、問題が無ければ、『連中とは関わるな』ってのは何の話なのか、訊いても?」
俺としましては、余計な詮索はやっぱり趣味ではないんですがね?
先程、先生は「今日の件」と枕においてその話をした。
もしかして、スミレちゃんが空から降ってきて死にかけたのと、関係がある話なんでは?
……と、なると。
ちょいと確認しておきたい部分があると言いますか?
余計、とは言えない詮索な気がしまして?
「……【魔府威會】って、知ってますか?」
「ん? ああ……『浪士くずれのならず者達の集まり』、程度の話は聞いていますけれども」
腕自慢の武芸者は、警兵さんとか、貴族様お抱えの衛兵や師範なんぞをやるもんですがね。たまに諸事情あって、それらの仕事をやめなきゃあならない事がある。
そうして奉公先を失った武芸者は【浪士】と呼ばれ、俗な雇われの用心棒なんかをやって生計を立てるもんで。
しかし、中にゃあ武芸の倫理に反する野蛮なのもいて……そう言う連中は賊まがいな集団を作り、少々手荒に銭を稼ごうとする。
その集団を指して魔府威會と呼ぶらしい……なんて話なら、旅の途中、どこかで聞いた覚えもあります。
「この森の先にある町には、魔府威會が二つあったんです。先生も、元々はその町で町医者をやっていました」
……話の流れと、現状から察するに……、
「……先生は、その魔府威會同士のいがみ合いにでも巻き込まれたんで?」
「はい。その通りです。ある日、先生の所に、恐い顔をした魔府威會の方々がやってきて、言ったんです、敵対する連中の首領を仕留め損なったって。でも致命傷は与えたから、もし先生の所に来ても、絶対に治療をするなって」
「先生はなんと?」
「『患者じゃないなら帰れ』って、取り合わず、その方々を放り出して帰しちゃいました」
おお、そいつはかっちょいい。
「……その数時間後、あの方達が『治療するな』と言っていた、件の首領さんを抱えた一団が、先生の所に駆け込んで来て……」
「先生は、先の警告を一切無視でその首領を治療した、と」
こくり、とスミレちゃんが頷いた。
まぁ、先程の「医者は誰ぞを救う生き物だ」発言からして、そうするでしょうね。
例え悪党だろうと、目の前で傷付き助けを求めている患者ならば救ってみせる……医者の鑑って奴だ。
救われた悪党が改心しないとも限らない訳ですし? 「悪性は死ぬまで治らない」なんて信じるよりは、「命を拾った事により、これまでを悔いて改心する可能性」を信じる方が気分も良い。
ええ、ええ。良いと思いますよ。間違っちゃいないと思いますとも。
少なくとも、あーだこーだ理由を付けて患者を見捨てるよりは、実に医者らしいって話だ。
……しかし、まぁ、正しきが善く報われるとは限らないって話だったんでしょうね。
ここから先の話は、聞くまでもなく容易く想像できる。
片方の魔府威會の首領を救った事により、先生はもう片方の魔府威會の怒りを買っちまった訳だ。
「嫌がらせでもされた……って所ですか」
「……はい」
ならず者のする事なんて相場が決まってやがるって話で。
おそらく、先生への直接的な嫌がらせは勿論、きっと、先生の患者や、先生の近隣の者にまで、様々な嫌がらせを仕掛けたに違いない。
結果、先生は町から外れた森の中に、居住を逐われてしまった、と。
……って、待てよ。
「んじゃあ『連中と関わるな』ってのは……」
「色々と考えたんですけど、やっぱり納得いかなくて……今日、私、文句を言いに行ったんです。先生に嫌がらせをした魔府威會の方々に。そしたら『小娘は黙ってろや』って怒鳴られて、力持ちな方に森まで放り投げられてしまって……」
………………なんともまぁ、行動力のある事で。
思わず呆れちまう。
「だって、おかしくないですか!? 先生、何も悪い事はしてないじゃあないですか! それだのに、先生にずっと酷い事をして……!」
「……ああ、そうですねぇ。その連中は間違っているとは思いますよ」
やれやれ……ちょいと、スミレちゃんに近寄らせていただいて。
膝を抱いても俺と視線が並ぶその頭に、さっきよりはちょいと強めにコツンと拳骨をば。
「ぁいた……う?」
「だが、君も間違っている。そんな危険な事をするべきじゃあなかった。――危うく、死んでいたかも知れないと言うのは、わかっていますかね?」
「……………………」
先生が低い声で釘を刺すのも納得だ。
居候呼ばわりしているとは言っても、面倒を見ていると言う事は、先生だってスミレちゃんには愛着があるはずですからね。
……歳を食った大の男ってのはね、どうにもその辺、不器用なんですよ。
親父も、そうでした。
悪い事をした時よりも、危ない事をした時の方が、声を大に叱られ、そんで拳を堅くして拳骨をおみまいされたもんです。
もう二度と、絶対にそんな事はしないでくれ。
そう、必死に懇願する様な、悲痛な怒号……そして、愛する者が傷付く恐怖に怯える、震えた拳でした。
……保護者ってのは、そう言うもんなんです。
なにも、怖がらせたり痛めつけるために子供を叱っている訳じゃあないんですよ。
失うのが怖いから、心を痛めつけられたくないから、叱るんです。
「……でも、悔しいです……悪いのは、間違っているのは、向こうだのに、何もできないだなんて……!」
「まぁ、その思いは間違っちゃあいませんよ。そう言う時は、誰ぞを頼れば良いんです。間違った暴力を振るう連中がいるんなら、そいつらに拳骨かませるくらい強い誰かを」
「そんな方……いませんよ。先生に助けられた魔府威會の方々、先生を助けてくれる所か、さっさと町から出て行っちゃったんですもん……領主さん達に頼っても……」
「余程の事がなければ、魔府威會の検挙なんてしてくれないでしょうねぇ」
領主つっても、そこまで偉いもんじゃあないですからね。
結局、王様に一部地域の治政を任せられているだけの雇われ者だ。
当然、治安維持のために形成されている警兵団も、王様の権限で編成され、借り受けているだけ。要するに、警兵団ってのは王様の兵力。
魔府威會を検挙しようとして争いになり、警兵をすり減らしてしまうなんて、領主様からすりゃあ極力避けたい所でしょう。大金で雇っている腕自慢の私的な衛兵を費やす、ってのも、嫌うはずだ。
どうしようもなけりゃあ、そりゃあ兵を投じるでしょうが、町医者ひとりのためにそれを望めるとは思いませんわなって話。
「……世の中、上手くできていますねって話だ」
「……?」
丁度、至れり尽せりもどうかと思っていた所ですし?
本当、上手くできているもんだ。割と本気目に、神仏の導きってもんですかねぇ、なんて思いながら黒い錫杖を眺める。
「さて、そいじゃあスミレちゃん。ここはひとつ、この鉄之助さんが一肌……って、おう?」
嫌な気配がした――そう思った直後。
窓に嵌め込まれていた硝子板が、砕け散った。
「なッ……!?」
何か、投げ込まれ……ッ、火ィ!?
外から投げ込まれた陶器が床に落ちて割れて、火の手が――火炎瓶って奴ですか!?
「え、えぇええ!? わ、私、炎は出してませんよ!?」
「ええ、見りゃあわかりますともよ!」
水――は手近に無いし、消火は難し……って、おぉう!? 次から次に投げ込まれてきやがりますゥ!?
こりゃあ不味いッ……!
「スミレちゃん、ちょいと失礼!」
「ふぇ、きゃあ!?」
膝を抱いて丸くなってくれているから、持ち上げやすくて良い。
公然とスミレちゃんの太腿やら脇腹のプニプニ柔肉に触れている訳ですが――ああ、畜生!! 火の手め!! 楽しむ余裕が無い!! 堪能する時間が欲しい!! 時よ止まれクソがッ!!
「わ、わわッ!? ひ、久しぶりに抱っこされました……! えぇと、鉄之助さん、すごく力持ち、なんですね……?」
「おう、ありがとう。でもごめん、もうちょいと余裕をもって喜びたいから後でもう一回褒めてくださいますかねぇ!」
とにかく、火の手から逃げましょうってさぁ!
◆
「どっせいッ!」
「どすこいッ!」
途中で合流した先生と一緒に壁を蹴り破って、燃える屋敷の中から、ひんやりとした薄暗い森へと飛び出す。
……ふぅ……どうにか、スミレちゃんも先生も蒸し焼きにされずに済みましたって話ですよ。
ん? おお、何気に、屋敷の周りは綺麗に草が刈られて土が剥き出しになっていやがる。
流石は先生。放火を予想していた訳では無いでしょうが、万が一の火事には備えていたって事でしょう。
これなら、火の手が森に移って大惨事ってのは心配しなくて良さそうだ。
「あ、ありがとうございます、鉄之助さん」
「ん? ああ、ほいさ。どういたしまして」
まぁ、とりあえずですよ。窮地は脱しましたし、森林火災と言う二次被害の心配も無いとくれば……ここからはスミレちゃんを抱きかかえた手を然りげ無くもぞもぞすりすりしてお楽しみの時間――……と言う訳にも、行かなそうですな。
「スミレちゃん、下がってもらえます?」
速やかにスミレちゃんを地に下ろし、俺と先生の背後に回らせる。
「……さて、先生、ちょいと確認なんですがね――あそこで群れている趣味が悪そうな団体様は、先生の患者か何かで?」
「……何名かはそうだった者もいるが、今日は別件だろうな」
でしょうね。
スミレちゃんから大体の事は聞いているんで、大方の予想は付いちゃあいますが……、
「ぎゃっはっはっはっはっは! こいつぁどうも久しぶりだなぁ河童先生よォ! ご機嫌いかがですかァ!? どうにも微妙そうですなァ! 後ろのお屋敷は景気良さそうに燃えてますがねェ!?」
……ああ、聞いているだけで気分が滅入る、汚い笑い声だ事で。実に下衆的。
俺達の視線の少し先、わちゃわちゃと群れた団体様。
見た感じ、種族は雑多。獣耳を生やしたのから蜥蜴顔なのもいりゃあ、只人まで。
雑多な種族連中の混成集団、それも揃い揃って柄悪し。そんでもって、何名かはわかりやすく武装していらっしゃるときましたか。
まぁ……件の魔府威會でしょうね。噂をすれば影ってか。
状況を鑑みて、先の火炎瓶を投げ込んできやがったのは……ああ、間違い無い。この【匂い】、あいつらだ。
「……まさか、ついにここまで直接的な事をしてくる様になるとはな……鴉馬呑」
先生が不機嫌な声を投げかけたのは、先程不愉快な笑い声を聞かせてくれた大男。
集団の中でも一際上背があり、まるで血を吸い込ませて乾かしたみたいな赤黒い肌をしていやがる。
先頭に立っている事と、ちょいと上等そうな外套に、腹立たしいくらいに堂々とした佇まい……察する所、あれがあの集団の頭目ですかね?
「警兵に目をつけられない様に慎ましくビクビクするのは、もうやめたのか?」
「ぎゃはッ。相変わらず相手がイラッとくるツボを突くのが上手いねェ、先生よ。だが、まァ……はてさて? 直接的な事? 何の事やらサッパリだわなァ!」
先生にアバドンと呼ばれた血黒の大男が、ただでさえ上がりまくっていた口角を更に裂き上げた。それに応える様に、後ろの手下連中もゲラゲラと品の無ぇ笑いをあげる。
……成程、ありゃあトボける腹積もりって奴だ。屋敷を燃やした放火犯は自分らじゃあアリマセン、と。
――ふざけた連中だ。あんな【わかりやすいもん】を使っといて、俺に【嘘】を通せるとでも?
「ッ……またあなた達なんですかッ!」
ぅおっと…………ちょいとびっくり。
大きな体は伊達じゃあないってか、背後のスミレちゃんがとんでもない大声を張り上げた。
「おい居候、お前は黙って……」
「今までの嫌がらせも随分酷かったですけど! 今回のは酷過ぎる! 家を……先生の家を燃やすなんて!」
先生の制止なんぞ聞こえていないのか、スミレちゃんは猛犬が敵に食らい付く様な勢いで吠える。
……実際、聞こえていないっぽいですねぇ……興奮具合を報せる様に、口の端やら耳やらから蒸気が出ちゃってますし。
「あァ~ん? 昼間もだったけどよォ、相変わらずぎゃんぎゃんあんあんうるさい小娘だなァ……つゥか、あんだけの距離をブン投げられてよくも五体満足だな、おい。呆れる頑丈さだ。しっかし……家を燃やすゥ? 俺達がァ? 冗談がキツいぜェ。清らかで真摯な心構えでクスリ商売に勤しむ俺達がそォんな犯罪行為、する訳ないじゃんよォ。言いがかりも良い所だ。証拠あるんですかァ? 証拠はよォ」
「しょ、証拠……そ、そんなの……あ、無い……?」
ふむ、証拠ときましたか。
そんでは代わりまして、
「アバドン、でしたっけか。そちらの大将サン」
「ォん? なんだァ? お坊さんが何でこんな所にいやがる?」
お坊さんじゃあありませんがね。
その辺の話は置いといて。
「そっちの赤い着物の蜥蜴顔のと、茶色い毛むくじゃらの小さいのと、特徴の無い白服のおっさんと、そして大将。あんたらがあの火炎瓶を投げ込んだ実行組ですね」
「……ぁ?」
「悪いが、こちらは土くれだの鉄だの鉱石だのの匂いにゃあ、生来から敏感な鼻をしてましてね。あんたらからは、さっき投げ込まれてきた火炎瓶――陶器の残り香がする」
陶器独特の超高温で焼かれた土の匂い。自然じゃあそうそう有り得ないもんだ。特にこんな鬱蒼とした森の中じゃあ際立つ。嗅ぎ分け易いって話で。
「ついでに、あんたらの背後、森の闇の中に何やら大きな鉄の匂いがあるのもわかりますよ。香ってくる鉄の種類からして【絡繰】の類ですかね……はてさて、大層なもんの様ですが、一体何を持ってきているんで?」
「…………………………」
おう。目をひん剥いてわかりやすく驚いてくれてますね。
まぁ、獣鼻でも無い俺がずばりきちんと実行組を言い当て、後ろの仰々しいブツの存在まで看破したんですから、驚きもしますかね。
「……なんだァ、テメェ……」
「俺ですか? 名は鉄之助。旅の者です」
「他所者が首突っ込んでんじゃあねェよ。死にてェのか?」
おお、恐ッ。何の捻りも無い脅し文句ときた。
反論できなきゃあスゴむ、ほんと、典型的なならず者って感じですな。
「良いか? 他所者が何をどう言おうが、俺達は何も知らねェやってねェ。そちらの先生の屋敷が燃えてんのは、天罰だ」
「ほう、天罰」
中々に奇抜な事を言い出しましたね、この大将。
「ちなみに、罪状はどんなもんで?」
「身の程知らずな医者と、その飼い娘が調子に乗った、その罰だ」
……成程。
昼間、抗議してきたスミレちゃんに対して、見せしめにって所ですか。
真っ当な抗議に来た娘さんを殺しかねない方法で追い返した挙句、その世話になっている家を焼きに来た?
ほうほう、ほうほうほう……ああ、はい。了解了解、承知の助。どこまで下衆だこいつら。
「さァ、無駄話はここまでだ」
「!」
アバドンとやらが指を鳴らすと、森の薄闇の中から――さっきから背後に隠していたのは、そいつですか。
ありゃあ、いわゆる【重駆動絡繰車】って奴だ。家やらを建てたり壊したりする時に使われる近代大工道具。
車の頭に取り付けられた平たく厚い鉄の塊からして……均すか壊す用途の方、でしょうね。
名称はなんつったか……ああ、そう、あれは【撫流土動去鞍】だったか。
アバドンの部下が操縦する撫流土動去鞍が、腹の底を揺らす様な駆動音を鳴らしながらこちらに向かってくる。
「さぁ! 火事が森に燃え移っちまう前に、解体しなきゃあだよなァ!」
よく言う。先生の屋敷は森の木々を拓いて建てられ、周辺の地草も綺麗に刈られているってのに。
それは誰の目で見ても明らかに、森林火災への対策は万全って事だ。
だのに奴は何で、あんな事を言っているのか。
決まっている、大事な家が無惨に崩壊していく所を見せつける……そんな、ただのクソみたいな嫌がらせでしょう。
――くだらねぇ。
「ッ、そんな事、させま…」
「スミレ! いい加減にしろ!」
「せ、先生……?」
「どうせこのまま燃えて無くなるものだ。それに、壊された物は直すか補充すれば良い、それが出来るモノは、な」
……命ってのは、一度壊されたら直らない。替えも利かない。
屋敷なんて好きにさせてしまえ。嫌がらせなど無視しろ。命を危険に晒すくらいなら、我慢すれば良い。
それがきっと、先生の考え方なんでしょうよ。
ご立派なもんですよ。
――河童と言えば、薬学に通じている以外にも【剛力】だって有名。
先生は、きっと、戦おうと思えば戦える。抗おうと思えば抗える。
でもそれをしないのは、医者としての矜持なんでしょう。
医者は誰ぞを救う者。その手は命を癒すためにある。
だから、例えどんな下衆が相手でも、その手を以て傷つけるなど言語道断。
そんな立派が過ぎる考えなんでしょう。
間違っちゃあいない。先生はそれで良い。
先生と共に在るスミレちゃんだって、それに習えば良い。
だからここは、
「――【変質】、纏威・鉄腕無双」
もう我慢の限界がキている、俺の出番だ。
錫杖を鳴らして、走る。
目指すは一点、愉快豪快に唸りながらこっちに向かってくる、撫流土動去鞍のド頭。
建物を轢いてぶっ壊すための鉄塊に向かって、突っ込む。
そんで、【変質】させたこの腕を、堅く握ったこの【黒鉄の拳骨】を、勢い良くねじ込む!
そう、これは拳を勢い良くねじ込んだだけ! 【殴る】だなんて暴力的闘争行為ではございませんので、あしからずゥ!
「げ、ほぁあああッ!?」
撫流土動去鞍に乗っていた輩が、お似合いな間抜け声を張り上げた。
まぁ、重駆動絡繰を片手で止められる奴なんて少数派でしょうからね。
――拳骨をねじ込んだ鉄塊は、俺の目論見通り、大きくひしゃげて押し潰れた。拳先の感触、俺の拳は内部の機構にまできっちり突き刺さっている。
親父譲りの【拳骨説法】、悪党の駆る重駆動絡繰に負ける程、ヤワじゃあねぇって話だ。
んでもって、俺は足腰にも自身がある。既に【変質】も済ませてありますし。相手がどんだけ大きかろうが、押し負けるつもりは無い。
しばらくはその場に立ち往生して苦しそうに唸り続けていた撫流土動去鞍も、やがて一際大きな低い悲鳴をあげて、沈黙。……まぁ、普通に壊れたんでしょう。まさしく真に立ち往生したって事だ。
……絡繰に罪はありませんがね……後でどっかの工房を借りて直してやりますから、今はご勘弁。
「……え、ぇえええ!? 鉄之助さん!? す、すごッ、って言うか、手が、手が真っ黒けに!? それ、鉄……ですか……!?」
「ん? ああ、言ってませんでしたっけ?」
そう言や、名乗りはしましたが、種族名までは教えていませんでしたな。こりゃあうっかり。
「俺は――」
「体を鉄に変える者――【鉄丈郎】か」
おっと、先生に先に言われちまった。しっかし、それほど有名でも無い俺の種族の事まで知っているとは、ほとほと博識な御仁だ。
さて、先生の仰る通り、俺は鉄の化生【鉄丈郎】。
体を鉄に【変質】させたり、鉄器物を象って【変形】させたりする事ができる亜人です。
「丁度良いんで、きちんと丸っと名乗り上げますか」
悪党をぶちのめす前にゃあ、見得を切るのも兼ねて必ずやると決めていますし。
「――さぁさぁさぁ、何を隠しましょう、何を恥じましょう!」
胸をば大っぴらに張りまして、威を張り声張り、歌舞伎役者の気分でぐぐいっと!
「ここにおりますこの俺は――北の大陸【壊染】においてその名を知らぬ者無しと謳われた天下唯一・敏腕無類の大巨匠、鍛冶師・十文字斑雅が鍛え育てた最高傑作ッ! 十文字流鉄鍛術法および十文字流拳骨説法の継承者にして免許皆伝(自称)!」
ここらで一丁、豪快に景気良く震脚を一発ぶちかましまして! 不敵な笑顔を決めたらばッ!
聞いていただきましょう、この俺の名を!
「【鉄丈郎】の十文字鉄之助だァッ!」
◆
禍の国三大大陸、北の大陸・壊染。
禍の国三王の一角、狼王・降炎刕朧が統治する永久凍土の極寒世界。
十文字斑雅と言う只人は、その地にて二度、名を馳せた。
一度目は、壮年期。
彼は刀を鍛っていた。
ただ、父が刀鍛冶だったからと言う理由で、漠然とその人生を歩んでいた。
しかし、緩慢とした動機から始めた刀鍛冶稼業で、斑雅は大成する。
恐ろしい程に、斑雅と言う男は刀を鍛つ才に恵まれていたのだ。
その才覚は、異常の一言に尽きた。
彼が鍛えた刀は、決して毀れない。鋼鉄を斬り捨てても、刃は健常万全。
血脂にまみれても、捌けが良過ぎて振るっていればすぐに薄藤色の刃紋が輝きを取り戻す。
その様はまるで、血肉を啜って輝く怪奇の刀。
たったひと振りで、延々と、誰ぞを殺し続ける事ができる。
自らを用いて殺せ、殺し尽くせ。そう囁く様に、その刀はいつまでも輝き続ける。
斑雅の刀は、やがて【妖刀】とさえ呼ばれるまでになった。
――そしてある日、斑雅は目の当たりにしてしまう事になる。
自分が漫然と作っていた刀が、自分の知らない所で、どんな景色を作り出していたのかを。
その日以降、斑雅の刀が新造される事は無くなった。
斑雅の名は、時間をかけて徐々に徐々に極寒世界から消えていく。
しかし、その数十年後、彼の名はまた北の大地に馳せ広がる事になる。
それは、彼の晩年期。
永久凍土の世界で生きるには、多くの苦労がある。
それらを少しでも軽減できる様に、と、彼はその鍛冶の才覚をふるって多くの生活用品を鋳造した。
あらゆる鉄の性質を把握し、それらの鉄を優れた技術で鍛え、皆の暮らしを助け、豊かにする事に全霊を注ぐ。武器の一切を、作りはしない。
刀を作ってくれと訪ねてきた阿呆を、鉄鍋でぶん殴って追い返したと言う逸話まで残っている。
そんな、平和主義の頑固者になっていた。
かつて斑雅と取引をしていた問屋は、晩年の彼の夢を聞いた事があると言う。
その手に息子だか孫だかを優しく抱いて、頬のしわを増やして笑いながら、斑雅は語ったそうだ。
――「ワシは育てあげてみせる。たったひと振りで、延々と、誰ぞを助け続ける事ができる。そんな最高傑作を」