第拾伍話 阿毘遮迦
「マガツチ、解脱のためならば手段を厭わぬ貴様の思想は、危険極まる」
何故だ。何故、誰も理解せんのだ。
「金衣を脱げ。貴様を除く黄金僧正、総意を以て、貴様を破門とする」
どうして、理解を拒むのだ。
……成程、あいわかった。君達は――否、貴様らは、解脱などする気が無いのだな。
仏の道になど興味は無いのだな。
そうに決まっている。
差し詰め、袈裟を、権威を着る事だけが目的なのだろう。
解脱どころか……輪廻に、浮世にしがみついているのだろう。
そうに決まっている。
何と卑しい、卑しい、卑しい。
醜怪に極まる、不愉快だ。そんなに輪廻が恋しくば、すぐさま戻るが良い。永劫、涅槃を遠目に卑しく在り続ければ良い。
外道には、それがお似合いだ。
拙僧に、真に解脱へ向かう者に背き、我が仏道を塞ごうとする愚か者ども。
邪魔だ、邪魔だ、邪魔だ。
退く必要は無し。踏み潰して通るだけの事。
――……しかし、ああ、何と言う事か。
拙僧は、金衣を、存在意義を奪われた。
煩わしい事に、憎たらしい事に、悍ましい事に――巖鉄宗を騙り、その権威に目を焼かれた外道亡者どもには、法力によく似た魔羅の庇護があった。
ああ、そうとも、連中の力は、拙僧の法力とは似て非なるものだ。
何故か? 決まっている、外道が御仏の――涅槃に入った先達の恩寵である法力を得る、またはあやかれるはずなど、無いからだ。
魔羅の手先によって、我が金衣は剥奪されたのだ。
屈辱。理不尽。最悪。
我が仏道が外道連中の濫妨狼藉によって阻まれ、終わるなど――悪夢どころの話ではない、地獄の心地だ。
吠えた。哭いた。呪った。やがて己が血の溜まりと絶望に沈み、最早もがく力すら尽きかけた。
……その時、聞こえたのだ。
――「世を呪う者にこそ、此方は祝福をもたらそう」――
不思議だった。呼ばれる様に、吸い寄せられる様に、拙僧は這っていた。もがく力すらもう残っていなかったはずだのに、爪が剥げる程に、腹の皮が擦れて出血しても尚、地面を掴み掻いて、進んだ。
――「そうだ、此方に応えろ。此方を見つけろ。此方を手に取れ」――
導かれし場所は、打ち捨てられた小さな祠だった。
何かを封じているらしく、法力の残滓がまとわりつく札があちこちに貼られていたが――経年による劣化か、それとも、内に在る何ぞに侵蝕されて朽ちたのか――そのどれもがぼろぼろに擦り切れかけていた。
――「殺し足りぬ、殺し足りぬのだ。ああ、当然でしかない。此方は殺すために在るのだから。ならば、存在続く限り、殺し足りる事など有り得ぬのが道理」――
祠に祀られる様に封じられていたのは、ひと振りの刀。
薄藤色に怪しく光る、奇々怪々な刃。
聞いた事があった。妖刀だ。北の大陸で作られ、海すらも渡り、全世界で猛威を振るった殺生剣。
延々と、ただ命を奪う事だけに特化した、まさしく妖刀。
刀として、武器として、命を奪う存在として、その極致に在るモノ。
不自然に煌くその輝きは、まるで蛍が尻の点滅で仲間に意思を伝える様に、拙僧に語りかけてきた。
――「呪う者よ。殺したい者がいるのだろう? 其方が殺すべき者がいるのだろう? ならば丁度良い、実に丁度良い。此方を手に取るべきだ。そうすべきだ」――
どれだけ優れていようと、刀は刀、ただの物。そのはずだのに。
この妖刀は、当然の様に語りかけてくる、囁きかけてくる。
……ああ、そう言う事か。
思わずその柄に触れてしまった時、拙僧は理解した。
この刀はやはりただの刀。ただ優れているだけの刀だ。
しかし、この刀は、呪われている。
ただ優れているだけの刀が、幾千幾万の命を吸った事で、ただ呪われた。今までこの刃に葬られた怨嗟の声が、道連れを求めている。生者を妬み、屠る事に狂騒必死。そのためだけに、今もここに在るのだ。
醜い、禍々しいにも程がある。
――だがしかし、これ以上は無く役に立つ。
さぁ、取り戻すぞ。金衣を、巖鉄宗の僧としての証を。
そのために、この妖刀はいくらでも利用できる。
殺しなど言語道断? 馬鹿を言うな。
この世に、ただの一度も、草や小虫を踏み潰した事の無い者がいるとでも?
気付かぬ内に、誰しもが、雑草や蟻虫を踏み殺す事はある。
それと何も変わらんよ。
拙僧は仏道を邁進する。
その歩みが、どうしようもなく避け難く、路傍の外道を踏み潰してしまうだけの事だろう。
そんな瑣末な事を咎められては、誰も解脱など叶うまい。
しかし、涅槃に入った先達は存在しているのだ。つまりは、そう言う事。その程度は、許されるのだ。
だから、問題は無い。
――「くひは、ひははは!! 好い、好いぞ!! これは期待以上の者を拾った、いや、拾われた!! 此方に刻まれた剣術――殺生術の全てを授けよう!! 存分に、その道を邁進し続けるが良い!!」――
言われずとも、だ。
殺す、踏み潰す、全員、全員、邪魔する者は皆ッ!
この妖刀を以て、斬り捨てる!
――…………さて、これで、巖鉄宗は浄化された。金衣も無事、我が元に戻った。
真に解脱を目指す宗派は、真に解脱を目指す拙僧だけになった。
煩わしいだけの邪魔立てが無くなったのは最高に良い。幾分もやり易い。
では、改革を始めよう。
生まれ変わった巖鉄宗に相応しい総本山を、聖地を見つける。
あてはある。
今は空位である天金僧正に至った先達より聞いた話。
御丹雫村だ。
金属類を司る仏、辮杯如来様の恩寵を授かった血族がいる場所。
真なる巖鉄宗の聖地として、これ以上はあるまいて。
物のついでだ。その血族が産み落とす奇跡の金属で、辮杯如来の尊像も仕立てるとしよう。聖地の象徴とするのだ。
さぁ、さぁさぁさぁ。
行こう、仏の道を。解脱を目指し、涅槃へ到達するのだ。
外道に用は無い。連中など、愚かしく卑しく、輪廻を彷徨っていれば良い。
ひた走ろう、仏門の本分。
ああ、拙僧は今、万物の何よりも正しく在る!!
◆
「有り得ない、在るはずが無い! この刃に斬れぬものなど、在り得ないはずだろう!? なぁ!? なぁ!? なぁぁぁッ!?」
誰に問いかけているのやら。まぁ、ともかく無様なもんだな。先程までの悠長な風格はどこへやら。
唾を散らして吠えたてながら、猛獣みてぇに斬りかかってきやがる。
……しかし奇妙な事に、太刀筋は我武者羅滅多って訳でもない。
クソ僧侶の狂乱した様子とは相反する様に、剣の動きだけは、的確に急所を狙って技を放ってくる。
あの異様に疾い居合斬りもそうだが、僧侶にあるまじき剣術の冴えだな。違和感が強い……だが、その辺りの理由は正味どうでも良い。
無駄だ。
例え妖刀の刃に優れた剣術の腕が乗っかろうと――陽比王顕堂を破れるものか!
俺と斌秀盧合鋼、親父の最高傑作であるふた振りが最高の調和を果たした姿が、これだ!
いくら斬り付けてきても、無駄、無駄無駄無駄ァ!!
それどころか……気付いてねぇみたいだな。焦りの余りに忘我夢中と言う所か、本当、無様なもんだ。
何で、俺がさっきからテメェの斬撃をただただ鉄腕で防ぐ一方なのか。
――斌秀盧合鋼はひと打ちで緋色に変色する程の発熱を起こす。
それを考え無しに何度も斬り叩いたらどうなるか、想像もできねぇもんかね?
「くそ、くそくそくそ、ぐあッ………………ッ、ぁ……?」
汗の滝が目に流れ込んで、ようやく、気付いたらしい。
もう遅いけどな。
「よし、良い具合に温まってきたって所だ」
まるで、真夏の真っ昼間みてぇだろ? テメェが滅多打ちにしてくれたおかげで、俺の斌秀盧合鋼の皮膚は爆熱。夜闇を完膚無きまでに拭い去り、熱気で景色を歪ませる領域にまで至った。
こんだけ体が温まりゃあ、充分以上。
灼熱に滾る拳を、堅く握る。
「テメェのやった事は、拳万ですら生温い」
だから、燃える拳で万発分を越える一発を、ぶちかます。
「拳骨も説教も、じっくりたっぷりでやってやる。さぁ、反省しやがれ!」
「ッ、ぁ、うぉあ、くッ、豪錬武ゥ!」
おう、蛆虫みてぇにうじゃうじゃと、法力の岩石人形が地面を穿って湧いてきやがった。
成程、こいつらを壁にして、術士であるテメェは高見の見物を決め込む……って言うより、俺から少しでも離れたい、ってか。
平時の俺であれば、苦労しただろう。一体を叩き散らすのにつき三発は鉄拳をぶち込む必要があっただろう。このぐちゃぐちゃに入り乱れて津波の様に降りかかってくる岩石人形共を突破する頃には、テメェを見失っていただろう。
「人形に説教は必要無いな。十文字流拳骨説法、発展奥義――【緋拳】!」
今、俺の拳は緋色に滾っている。豪熱……否、獄熱の鉄塊だ。ただ振り回すだけでも、この熱波は爆発する!
一薙ぎで、討ち払う。岩石人形の壁を吹き飛ばし、砕き散らし、熱波で燃やし尽くす。
「……なッ……」
「よう、久しぶりだな」
正確には、岩石人形の壁に阻まれてから瞬き二・三度ほどの時間ぶりのはずなんだが……いやはや、随分と老けたな、クソ僧侶。焦りからくる心労か? おかげで久々の対面かと勘違いしてしまった。
「こんな……我が、法力が……理不尽だ……!」
「ああ、正気から見れば狂気がそうである様に、狂気から見れば、正気とは不可解で、理の通らないものだろうよ」
だが、「それで良い」などとは言わないさ。
尽力しよう。
「……もしかしたらテメェにも、微塵程度にゃあ良識って奴が残っているかも知れない」
「……何……?」
「説いてやる。――俺が振るう十文字流拳骨説法は、信じる願いだ」
「………………いきなり、何を言っている……?」
「言っただろうが。お説教さ」
おとなしく聞いていろ、どうせ、テメェじゃあ俺に敵わないんだから。
「どれだけ助け様が無く見える悪党だろうと、せめて、せめてほんの少しでも、己の罪を省みる心が残っていて欲しい。そしてその心があるのであれば、どうか、どうかほんの少しでも、胸を傷め、そこから最期の一瞬まで、正しく生きる事を心がけて欲しい」
それが、親父が……『ただの拳骨と一緒に説教をするだけの行為』を十文字流拳骨説法だのと仰々しく命名して、俺に託した想いだ。
つまり親父は、俺にこう言ったんだ。「悪党ですら助ける鉄の刃であれ」と。
「だからクソ僧侶。俺は、テメェを信じて、願う。決してその罪が許される事は無くとも、獄中で、処分を受けるその直前までに、反省する余地があるかも知れない、と。被害者達へ、せめてもの祈りを捧げる心を取り戻せる可能性はあるかも知れない、と。そして、それが償いになるはずはなくとも、それでも、自身が悪事を働き、これからその罰を受けると言う意識を正しく持つ事はできるかも知れない、と」
だから、この説教と、これから、この拳骨をくれてやる。
……正直に言えば、俺は、テメェなんぞ今すぐここで殴り殺してやりたい所だ。
それでも俺は、親父の最高傑作として! 十文字流拳骨説法をテメェにくれてやるんだッ!
「ッ……ほざくな、魔羅の手先がぁぁああああああ!」
クソ僧侶が妖刀を振り上げて斬りかかってきた。
そうだな、普通に受けても良いが……親父と妖刀の尻拭いはしておこうか。
「十文字流拳骨説法、発展奥義――【沁拳真羅刃打】!」
額に向かってきた藤色の刃を、両側から、緋色の拳で挟むが如く叩き撃つ。
べきり、と景気の良い音を立てて、妖刀がへし折れた。
「――――」
クソ僧侶は、声にすらならないと言ったザマ。
まぁ、そうだな。見た所、テメェはこの妖刀に大きく頼っている風だった。それが通用しないどころかべっきりだ。言葉も失うだろうさ。
「……悪いな、クソ妖刀」
妖刀自身にゃあ罪なんて無いだろうが……あんたは、存在そのものが平和を脅かしちまう領域に達しちまっている。
どうか安らかに。妖刀としての生を、ここで一旦、終えてくれ。
大丈夫。勿論、屑鉄になろうと、無下にゃあしないさ。親父に知れたらあれだし、ツバキさんに知れても叱られそうだ。
あとで必ず、有効に使うとも。
今は――
「さぁ、歯を食いしばれ。そして、できるだけ多くの事を考えて――悔い、改めやがれッ!」
説教は以上だ。そんでは、くらえ。
全身全霊、渾身至極……全ての間違いを正し切るこの緋色の鉄拳!
「十文字流拳骨説法、発展奥義――【鉄拳正切・阿毘遮迦】!」




