第拾肆話 捲土重来
「その……あなたと一緒に、あの恐いお坊さんが持ってきて、『全てたいらげよ』って言うから……死体を食べるのはやっぱり気持ち悪くて、先にそちらをいただいてしまったって言うか……」
……不味い、目眩がしてきた。
いや、本当に、洒落になっていない。最近洒落にならない事が多かったが、その中でも最大級ですよ、これ。
あの錫杖を、この子が、ユリちゃんが、食べちまったって……そんな……お、ぉおう……こいつは……。
「…………えへへ…………」
ああ、困った様に笑う少女の可愛さよ。
普段なら微笑ましい限りですが……笑えない。今は本気で笑えない。
……否、待て。馬鹿か俺は。
ユリちゃんも被害者だ。あのクソ僧侶に脅されて仕方無く食らうしかなかったのだ。
微塵たりとも、彼女が責められる道理も、彼女を責められる道理も無し。
大体そもそもの話をすれば、【あれ】に頼らずともクソ僧侶をぶん殴って終わらせられる程度の甲斐性も無い俺がね、ほとほと情けないって話でして。
つぅ訳で、俺がこの子に負の感情を向けるのは、筋違いも甚だしい。
「あ、あのね……少し堅みが強くて食感はいまいちだったけれど――味的にはすっごく美味しかったよ!?」
……焦り過ぎて混乱しているのでしょう。弁明のつもりだろうけれど、弁明になっていませんね。
しかし、【あれ】を「少し堅みが強い」程度の感想で済ませるとは……鉄産巫女の唾液と歯は鉄丈郎よりも遥かに優れている様ですね……ちょいと羨ましい。
ま、その辺は今はともかくとして。
「大丈夫ですよ、ユリちゃん。君は間違っていない。君は君ができる最善を尽くしてきただけです」
ユリちゃんはあのクソ僧侶に「逆らえば村の者に危害を加える」と脅されていたんでしょう?
そして、ユリちゃんにゃあ野郎の脅迫を突っぱねて通れる力が無かった。
だから、村の者を守るために自分にできる事を、その最善を選んだんだ。
「断言します。君の行為が、意思が、間違いであるものか」
間違っているのは、あのクソ僧侶だ。
悪いのは、悪党ひとりの処理にすら手こずる甲斐性無しのこの俺だ。
だから、ユリちゃんが反省する事など、ひとつも無い。
「……あなたは……鉄之助は、優しいんだね」
「ええ、そう在りたいと思い、日々努めていますから」
まぁ、そうやって接するのは善良な者に対してのみですがね。
……さぁ、目下、問題は大問題。
親父の妖刀で武装したあのクソ僧侶を、厳しく、したたかぶちのめすにゃあどうすれば良いか……。
気合と豪運に任せるつっても、全くの考え無しで行くって訳にゃあね? そりゃあいくらなんでも無謀ってもんで。「勢いと運さえありゃあ成功する」、そんな策を考えるのが、「気合と豪運に任せる」って事だ。
さて、世の中にゃあ絶対なんてない、それが常です。
とすれば、妖刀がどれだけ凄まじくとも、打ち破れない事は無い。
不意打ち……は手っ取り早く済みますが、意味が薄い。
俺は、ただあいつをぶちのめすだけじゃあ駄目なんです。そんなやり方じゃあ、平和主義の面目が潰れちまう。
あくまで徹頭徹尾、正面から拳骨をくらわす。そうでないと駄目なんです。
……難儀なもんですよ、平和主義ってのは、ほんと。
悪党ぶっ飛ばすのにもいちいち理屈こねくり回して「これは戦闘じゃあありません」って主張しなきゃだし、こうして手段だって選ばなくちゃだ。
っと、愚痴っている場合じゃあねぇや。
具体的にどうしますか……【あれ】に代わる金属を探す?
しかし、【あれ】に匹敵する金属を見つけるってのが無理難題も甚だしい。村の外まで視野に入れて広くくまなく探せばそら可能性はゼロではありませんが……この体調不全の状態で村周辺に展開されている豪錬武の警備を突破できるか、怪しい。
突破のために適当な金属を摂取して回復を図ろうにも、ここいらの金属はあのクソ僧侶がせしめて全部ユリちゃんの腹の中。
自然回復を待つにも、クソ僧侶がユリちゃんの様子を見にここへ来たらそれで終わっちまう。今度こそ、確実に、堅実に、殺される。
…………ああ、それに大体、豪錬武に手を出す事がそもそも駄目だったか。また、村の者に迷惑がかかってしまう。
あれは駄目……これも駄目……それすら駄目、ときましたか。
やれやれ、今まで経験してきた苦境の中で一・二を争う程に悩ましい局面だ……!!
「あッ、そうだ!」
おう? 俺がうんうん唸りながら暗中模索していると、不意にユリちゃんが大声を。
何やら、とてつもなく笑顔が弾けていますね。……まさか、妙案が?
「錫杖を食べたのはついさっきだから、まだ間に合うかもだよ!」
……間に合う? とは、一体。
あ、いや、やはり説明は結構。なんだか嫌な予感が――
「そいッ、もがぃッ」
年頃の娘がなんて事を!?
そんな大口かっ開いて、自分の指を喉の奥まで突っ込むだなんて!
……って言うか、うん、やっぱりそう言う事!?
「待った! ユリちゃん待った! それは確かに可能性としてはありかも知れませんが! 色々と、色々と問題がッ!」
止めねば、それだけは、止めさせなければ――
「……ぉおぼぇろろろろろろろろろろろろろろろ……」
――間に合わなかったよ。
ああ、ああ……俺は今、一体、何を見せられているのでしょうか。
ぼて腹を抱えた少女が、畳一面に、その……嘔吐物を、吐き散らしている。それも、御自らの意思で。
「ふぅー……ふひぅ、ぷはぁー……意外と苦しかった……あ、この辺の奴だ! 間違い無いよ! だって私が吐いたんだもん! どの辺のがいつ頃に食べたものかなんてすぐわかるよ! えへへ!」
そうですか、得意げな笑顔が可愛らしくて何より。とりあえず手拭いをどうぞ。
「お。ありがとう! 鉄之助は気が利くね!」
ええ、はい、どうも。……で? 俺は一体、どうすれば良いんで?
いや、薄々わかりますよ? わかっていますとも。いや、いや、でもね? 流石にね?
嘘は許さない鉄之助さんでもね? こればっかりは「嘘です☆」と言って欲しいと言いますか?
「ささッ! どうぞ、熱い内に食べて!」
「……正気を疑わせていただいても?」
「ええ!? 何で!? めっちゃ引かれてる!? 確かにばっちいけどさ!? あの恐いお坊さんを倒すには、鉄之助がこれを食べるしかないんでしょ!?」
認めたくない、そのでろんとした液体に塗れて半ば蕩けた黒片の群れが、俺の、俺の親父の形見だなんて。
「ほらほら! 一気にぐいっと行こうよ! 皆を助けるためだよ!?」
「……うぐッ……!」
お、おのれ……今、それを言いますか、ユリちゃん……!
元気いっぱいに黒片をかき集めてくれちゃってまぁ……!
確かに、俺は過去に「女子の物ならばへその垢だって食える程の女好き」――そう謳った覚えもあります。
ええ、まぁ、実際、へその垢までならどうにかいけますでしょう。自信ありです。決して嘘ではありません。
……しかし吐瀉物は流石に……!
――ですが、ユリちゃんの言う通り。
これを食えば、クソ僧侶をぶん殴り、村の皆様を助ける事ができる。
……ええい、わかりました。わかりましたとも!
自棄っぱちに、全力で両手を叩き合わせて、合掌ッ!
「――いただきます!」
南無三ッ!
◆
座敷牢を破り、社の外へと出ると、不気味に薄く笑う三日月が浮いていた。
月明かりに闇を払われた境内は、申し訳程度に木々を切り拓いてはいるものの、管理は雑の一言。
砂利の面積よりも雑草溜まりの面積の方が多いですね。
……まぁ、仕方無い。ここに暮らしているのは、ユリちゃん独りと言う話ですし。
早くに両親が他界してしまって天涯孤独になっても、この社に住み続けてきたと言う。
幼い少女が独りで整然と保てる程、社の管理と言うのは楽ではないでしょう。
「…………、! ほう、生きていたのか」
――いた。
境内の中央、でんと据えられた巨大な御神岩の上で、座禅を組む金綺羅袈裟の派手クソ僧侶。
深編笠を外して、素顔を晒してやがりますね。
……ほう、これは、少々意外。
「……ふん。醜い面だと、嗤うかね? 火を用いた苦行に気を入れ過ぎた結果だ。誇らしい負傷なのだが、中々理解はされないものでな」
俺の表情から大雑把に心境を読み取った様ですね。
不機嫌そうに顰められたその顔の右半分は、赤黒く焼け爛れた痕があった。
右の瞼は焼け落ちちまったのか、ぎょろりと目玉が剥き出しだ。
……にしても、見当外れな問いかけで。
「いえ、面構えに関しちゃあ、それほど悪くない部類では?」
世間様はどうか知りませんが、私見を述べるのであれば、多少皮膚が剥げているだけで醜いなぞとは思いませんよ。
むしろ、特徴的で良いんじゃあないですか? 行きずりの関係でも顔を覚えてもらえそうだ。羨ましいとまでは言いませんが、便利は便利でしょう。
俺が意外だと思ったのは、面構えが若い事に関して。
俺と同年代くらいか、ちょい下も有り得る感じですね。声や口調から、もっと老輩な面を想像していたって話で。
……まぁ、それはさておき……、
「ただ……面はどうあれ、中身がどうしようもないってのは致命的だ」
切り替える。
テメェのその面に、鉄拳をぶち込んでやるべく。
「纏威――」
全身に、変質を広げる。
「……外道は学ばないな」
呆れた様につぶやいて、クソ僧侶が妖刀の柄に指をかけた。
「居合――瞬断斬」
昼間と同じだ。
いつの間にか俺の眼前に立ち、いつの間にか抜刀していて、いつの間にか斬っている――なんて、そうは問屋が下ろさねぇって話だ。
「…………、……!」
「黄金僧正ってのがどれだけ上等かは知らないが、決めつけは良くないな」
何もかも、あの時と同じだと思うな。
疾いとわかっていりゃあ、警戒して反応もできる。ややあてずっぽう気味ですがね。
まぁ、変質は全身に広げている。腕で刃を受け止められなくても、袈裟が斬られるだけで俺に負傷は無いさ。
ええ、今の俺の肌を斬るなんざ、例え妖刀でもできやしねぇってんだ!
「何故……斬れない……!? それに、腕が、緋色に……!?」
月明かりを受けて一段と怪しく煌く妖刀の刃紋。それを受け止めた俺の鉄腕が、刃との接触部から徐々に変色していく。
熱した鉄の様に、黒から緋色へ。
「鉄丈郎は食った鉄の性質を顕著にして再現する。それくらいはご存知だろ」
「……ッ……!」
妖刀を振るって俺の腕を弾き、クソ坊主が後退した。
「……その反応……見たまま、高熱を帯びているのか……馬鹿な。一度、刀で叩いた程度で被熱変色を起こす様な高い発熱性質を持つ金属など、聞いた事が無い……そんなものは、存在しないはずだ……!! 大体、それ以前に……この妖刀で斬れない金属なども、存在しないはずだ!!」
おう、吠えたな。昼間っから腹立たしい程に余裕をこいてくれていたが、ようやく、焦りが見えた。
「ああ、言う通りだよ。たった一打ちで緋色に変色する程の発熱性質を持ち、あの妖刀の一太刀でも傷ひとつ付かないだなんて、そんな金属は自然界には存在しねぇ」
存在しないとしても、必要だったんだ。
こうして妖刀を持つ悪党と対峙する事になった、その時のために。
「っしェァ!」
両拳を、打ち合わせ、叩き鳴らす。
激しい金属音に続いて、急激な発熱で発生した突風が鳴いた。
俺の全身に、緋色の変色が、豪熱を帯びる証が拡大する。
……傍から見りゃあ、差し詰め「夜闇を切り裂く緋色の怪人」って所か。
体が、熱い。血が滾る、肉が踊り出す。鉄が、燃える。
これが、天才なんて表現すら生ぬるい最高鍛冶師である親父が考案し理論構築した、最強無敵の鉄丈郎究極形態。
理論上、普段の俺が三人揃っても追随できない身体能力を発揮できる。
「――混乱したままじゃあ、説教が耳に入らねぇだろうから、教えてやる。俺が食った鉄の正体を」
親父は、想定した。「そんな事は起きて欲しくない」と願いながらも、俺のために、あらゆる悲劇を想定して、備えてくれた。
そのひとつが、あの黒鉄の錫杖だ。
あれは、とある【特殊極まる金属】を、ただの黒鉄で包んで加工した代物。
その【特殊極まる金属】ってのは……言うなれば、対妖刀用の切り札だ。
高い発熱性能で俺の体温をぶち上げて身体能力を向上させ……そして、妖刀ですら穿つ事のできない頑強さを顕現させる。
無類の発熱性質と、無敵の堅度を誇る――【合成金属】。
それを食らい取り込んだ俺が、妖刀使いと対峙――そして打ち破る事を想定して、親父が作り出した最強物質!
「その名は【斌秀盧合鋼】ッ! 十文字斑雅が晩年に作り上げた、ふた振り目の最高傑作だ!」
――纏威・陽比王顕堂!!
さぁ、覚悟しろ、クソ僧侶……それと、品行不良な駄目兄貴ッ!
「拳骨とお説教の時間だ!」




