第拾参話 鉄産巫女
――ああ、クソ、何が、どうなった?
暗い、体も、重い。
俺は、死んじまったんで……?
「……錫杖、とっても……しかった……うぅ、やっぱり、……っちも、食べなきゃ……のかな?」
…………? 少女の声……?
声だけで可愛らしい、小花の様な少女だろうと想像できます。そんな耳褒美な声。
「食べなきゃ、あの恐い……に、……が、きっと酷い事を……うぅ……やだなぁ……を食べるなんて、気持ち悪いなぁ……」
何の話だか皆目見当が付きませんが、何かしらにお困りのご様子。
お嬢ちゃんがお困りとあれば、こうしている場合じゃあねぇですよ。
いや、お嬢ちゃんの前にも助けなきゃあいけない村があるんで、順番は後回しになりますがね?
とにかく、まずは起きなきゃあ、話にならねぇってんだ!
――視界に薄火色の灯りが満ちたのと同時。
耳に、柔くて濡れた感触が、触れた。
「え?」
直後、がりっと。それはもう全力で、がりっと。
――「耳を齧られた」と理解するまでに、数秒の間がかかった。
「ほでゅあぁ!?」
「ほぁあああ!? 生き返った!?」
何!? 何!? 意味わかんなって、痛づぅあ……!? 腹とか胸とか色々と痛ッ……! 耳も痛い!
ッ……そうだ、俺、あのクソ僧侶に親父の妖刀で斬られて、刺し貫かれて……!
……こいつは……傷の周りだけ、変質したまんまだ。意識を失う直前、変質は解けちまったはずだのに……まさか、気絶した後、俺は無意識に再変質して、無理くり傷を塞いだのか……?
そうとしか、考えられないでしょう、この現象。やれやれ……往生際の悪い生存本能と鉄丈郎の頑強かつしぶとい性質に感謝ですわ。
……まぁ、傷が塞がっていると言っても、それは表面的な話で、鉄の皮膚の内側は滅茶苦茶に痛いんですがね。……上体を起こすだけでもしんどい……。
って言うか、ここどこ……?
んでもって、今俺の耳を齧ったのは誰……って……。
「こ……こんばんわ……? え、えへへ?」
「……え、ええ。どうも、こんばんわ? ……おう?」
引きつった笑顔で俺に挨拶してくれたのは……声色からの想像通り、可憐な少女。漆を塗った様な艶のある黒髪に、吸い込まれそうと言うか吸い込まれたい闇色の瞳が特徴的。
黒地に白い花びらを散らした洒落着物を着流しにしており――
「………………ええと、おう、これはまぁ、ご懐妊、おめでとうございます」
お嬢ちゃんのお腹は、見事な程にぱんぱんに膨らんでいた。
一体何ヶ月目でしょうか……この少女、童顔なだけで、やれる事はやれるご年齢と体だったらしい。
……そんでもって……ここは、座敷牢って奴で……?
部屋の内装自体は割とよくありそうなもんですが、戸が木格子で、外から厳つい木製錠前を嵌められちまっている。
窓は無し、光源は部屋の隅で灯る頼りない蝋燭のみ。
少女妊婦の挨拶からして、時間帯は夜なんでしょうが、わかんね……って、いや、待て。そもそも何で、俺はこんな所に?
クソ僧侶に捕まった? おかしいでしょうよ。クソ僧侶に俺を生け捕りにする理由は無し。大体、斬り方と刺し方からして殺しに来てましたし。
首を刎ねるなどの明確なとどめを刺されていないのは……おそらく、俺は死んだと思われたからだとして……で、何で、死んだと思われたのに、座敷牢に入れられているんで?
「ぁ、あのう……もしもし? ずっときょろきょろしてるけど、大丈夫?」
「? ああ、はい。えぇと、お嬢ちゃん? それとも奥さん?」
「ん? ええと……その選択肢なら、お嬢ちゃんが適切だと思うよ? 私、結婚してないし。って言うかそもそも、まだ一四歳だから結婚は無理だし」
「……………………………………」
一四、歳? え? ちょ待、未婚? え?
……で、そのお腹……だと……!?
「そのお腹の子の父親は誰なんで?」
緊急案件だ。事案だ。拳骨しなきゃ。
「ぁ、いや、その、さっきから誤解してるみたいだけど、私、妊娠してる訳じゃないよ?」
「何でそんな公序良俗に反する様なクソ男を庇うんです!?」
「えぇぇ!? 全力で優しい嘘だと思われている!? 嘘じゃないよ!? ほんとだよ!? 私は妊娠なんてしてないよ!?」
じゃあなんです? 食べ過ぎて太ったとでも言うつもりで?
「これはいっぱい食べたから……」
言った。
「いや、無理があるでしょうよ……ただ太っているってんなら、腹だけに肉が集中するもんですか」
「その、太ってるって訳でもなくて……そう言う体質で……」
「体質?」
「うん。私ね、普通のご飯なら大丈夫なんだけど、鉄とか金属を食べるとお腹に溜まって、それがいっぱいになったら、良い玉鋼を産む……そう言う種族なの。えへへ……ちょっとヘンテコでしょ?」
「!!」
それって……、
「鈩姫……じゃあなくて、鉄産巫女!?」
「あ、うん。知ってたの? 私は鉄産巫女一族の末裔、名前は結鈴」
「おう、俺は鉄丈郎の鉄之助です……え、本当に、鉄産巫女?」
「うん。そだよ。えへへ」
ぽんぽん、と大きなお腹を叩きながら、少女――ユリちゃんが微笑む。
おう、童顔笑顔とぼて腹の不協和音がすごい、なんだか不安になる。
「……鉄や金属を食べると腹に溜まって、良い玉鋼を産む……」
ああ、確か、クック船長の航海日誌にも、似た様な事が書かれていましたっけ。
……成程、全部、納得がいった。
クソ僧侶が村の皆様から金属類を取り上げたのは、ユリちゃんに食べさせて、玉鋼を産ませるためか。
そんで、死んだと思った俺をこの座敷牢に入れたのも――同様。
「…………ユリちゃん、もしかして、俺の事、比喩抜きで食べようとしたんで?」
「うッ、それは……」
ユリちゃんが俺の耳を齧ったのは、そう言う事でしょう。
あのクソ僧侶……俺の死体(死んでませんが)を、ユリちゃんに食わせるつもりだったんだ……!!
「だって、あの金綺羅の恐いお坊さんが……言った通りにしないと、麓の村の方々に酷い事をするって言うから……私だって、死体を食べるなんて嫌だったけれど、仕方無く」
「あ、いや、責め立てている訳ではなくて、軽く引いただけです」
「引いてるじゃん! 私だって本意じゃなかったんだってばー! ……鉄丈郎ってどんな味なのかなー、とか少し気になりはしたけど。……えへへ」
やだ、ちょっと恐い。この子、恐い。
……まぁ、それはひとまず置いといて、とりあえず、ですよ。
ここがどこで、何故に俺がここにいるのかと言う目前の疑問は解決したって話。
鉄産巫女が暮らす山の社とやらなんでしょう。んで、俺はユリちゃんが良い玉鋼を産む糧にされる所だった、と。
クソ僧侶が鉄産巫女の玉鋼を求めている理由は……まぁ、わかりませんが、御尊像か何かの素材にでもするつもり、とか? ……正味、あんま興味ねぇや、その辺。どんな素敵な理由があったとしても、あのクソ僧侶の所業に納得なんてできませんし。
「まぁ、あれです、一歩間違えりゃあ食い殺される所でしたが……命を拾えたのならば、現状これ以上は無い好都合」
ならば、やるべき事は決まっている。
今度こそ、あのクソ僧侶に拳骨をたらふくぶち込む。
鈩姫がどうの鉄産巫女がどうのは、それが片付いてからだ。
「さぁ、行きますか。あのクソ僧侶を正し切るために」
「えッ、ぁ、あの金綺羅の恐いお坊さんと戦うつもりなの!?」
「戦いませんよ、平和主義なんで。ただぶん殴りに行くだけです」
「いや、だとしても……実際、返り討ちにされたんだよね?」
ええ、まぁ。なのでここにいるんだろうと言われれば、はい。
そりゃあ無論、「言うは易し、実は難し」ってのは承知の上ですよ。
身を起こしただけで腹の傷は滅茶苦茶に痛みますし、何より、クソ僧侶が持つ妖刀――流石は親父の全盛期仕事。聞いていた以上の難物。
こちらの体調は不全、あちらの武装は苛烈。
――ですが、打開策はある。
俺を誰だと思っているんで?
俺は、十文字斑雅の最高傑作、十文字鉄之助。
そう、斑雅の妖刀――その脅威を、それがもたらす絶望を、一番よく知っている男が育てたひと振りだ。
「目は、希望はあるんですよ。……さて、とりあえず、ここが山の社だってんなら……まずは一旦、村に降りて【錫杖】を回収しましょう」
「……錫杖?」
「ええ。外見は単なる黒鉄……ですが、格別の逸品でしてね」
この派手に切れ目が入っちまった鉄袈裟と同様、親父が俺のために拵えてくれた形見のひとつ。
あの錫杖は、親父がこういう事態を想定し、丹誠を込めて作っておいてくれたもんです。
「あの黒鉄の錫杖が、俺の希望です」
逆に言うと、【あれ】が無けりゃあお手上げでした。持ち前の気合と豪運に任せて突撃するしかなくなっていた所で……いやはや、本当、親父にゃあ感謝してもしきれない。
……いや、そもそも親父が妖刀なんて難物を作らなけりゃあって話なんですがね? 過ぎた話はもう仕方無い。
「……黒鉄の、錫杖……あ、うん。えへへ、えへへへへ」
「? どうしました? 何ぞ急に笑顔がひきつり始めてますけれど?」
冷や汗までたっぷりかいちまって。幼いと言ってもやはり、汗にまみれる女子の姿は胸やらどこやらにきゅんときますね。
「それ……多分、私がさっき食べた奴」
……………………………………。
「……なんですと?」




