第拾弐話 妖刀
御丹雫村は、四方八方を山に囲まれた超絶辺鄙な、ど田舎村。
駐屯している警兵すらいない。事が起きれば山をいくつも越えて他の村町の警兵の所に駆け込む必要がある。
まぁ、こんな山奥も奥の田舎村、村の者は皆が家族みたいな所で、事など早々起きはしない。なので問題などほとんど無かった。
――【あいつ】が現れるまでは。
「おとなしくしろ。そしてただ協力せよ。協力せぬのならば反抗せずとも殺す。反抗すれば当然に殺す」
深編笠で顎まで隠し、細部まで何もかも金綺羅色の派手袈裟を着た僧侶。顔は見えずとも、その地鳴りの様な声から男であると容易にわかった。
当然、村の者達は相手にしなかった。
いきなり現れた変な奴が何か言っている、と嗤いすらした。
そして、殺された。
男は、巫の奇跡を授かった上級僧侶――【法力使い】だった。
その法力で生み出した【岩石の怪物】を無数に従えて、村の男衆を攻撃した。
村の男衆達は必死に反抗したが、敵う目は無かった。
何せ、男の武器は【岩石の怪物】だけではない。
法力の一種を纏わせたと思われる、異様な斬れ味の刀も持っていたのだ。
岩石の怪物を掻い潜って男の喉元まで迫った者もいたが、武器にしていた鍬ごと、豆腐か何かの様にあっさりと両断されてしまった。
「ああ、そう言えば、何者か名乗るのを忘れていたな。だから刃向かうのか。うむ、これはこちらの落ち度であった」
男はそう言って、村の者達の死骸を踏みつけながら平然と名乗り始めた。
「拙僧は【巖鉄宗】が黄金僧正。名を迂地と申す。喜べ、この村は【聖地】に相応しい」
マガツチと名乗った男曰く、巖鉄宗とは「金属こそがこの世で最も完成された存在と信仰し、修行を重ねて肉体と魂をその境地へ至らせる事で解脱を図り、涅槃へ入る」と言う思想の宗派。
「聞いているぞ、この地には【辮杯如来】の恩寵を授かった巫の血族が在ると」
辮杯如来とやらが何の事かはわからないが、如来と言うからには仏様の類だろう。
そして、この御丹雫村において「巫の血族」と形容できるのは、【鉄産巫女の一族】――今では、志路鐘山の社に末裔の少女が独り暮らすだけの種族のみ。
「その血族はどこだ? 隠し立ては反抗と見なす」
死の恐怖をちらつかせて、マガツチは適当な村の者に鉄産巫女の居所へと案内をさせた。
去り際、
「ああ、そうだ。全員、この村から離れる事は許さない。周辺に【豪錬武】――この法力傀儡を放っておく。拙僧の言う事に逆らう事も無論反抗だ。許されると思うな」
実質、村外の警兵に助けを求める術を封じられた。
……やがて、マガツチは村へ戻ってきた。
案内役にされた者は、村に戻る途中でマガツチを暗殺しようとして返り討ちにあったらしい。
その者のぐちゃぐちゃになった生首を放り捨てて、マガツチは自身に、巖鉄宗に抗う事の愚かさを、鼻笑いを交えて説いた。
「さて、もう流石に、拙僧に逆らう愚か者はいないだろう。……うむ。良い事だ。自ら解脱の可能性を捨て輪廻に戻るなど愚か極まる。それでこそ知を持つ者」
次に、マガツチはこう要求した。
「この村にある金属類、全て拙僧に献上せよ。武器類や農具、裁縫の針にいたるまで、全てだ」
そんな、武器や農具を奪われたら、狩猟も農耕もできなくなるではないか。
そう声を上げた者達は即座に殺されたか、四肢を刎ね飛ばされた。
「まだわかっていないのか。愚昧、愚劣、愚極。いい加減にしろ。煩わせるな。言ったはずだぞ、協力せぬのならば反抗せずとも殺すと」
腕を斬り落とされてのたうち回る者の鼻から上と下を斬り分けながら、マガツチは村の者達全員に、言った。
「拙僧に従え。拙僧に尽くせ。拙僧のためだけに生を振る舞え。さすれば遠くない未来、【聖地の民】として報いをくれてやる」
◆
――……何だ、そのふざけた野郎は。
「……オラの父ちゃんと兄ちゃんは、【あいつ】が村に来た時に殺された」
一体、何を思えば、そんな暴虐ができるのか。
「母ちゃんは、婆ちゃんの形見の髪留めを隠そうとしている所を【あいつ】に見つかって、それを庇った妹と一緒に殺された……!」
「……ッ……」
「オラは……怖くて、震えて……何も……できなかった……!」
「…………悔しかったでしょう」
ああ、悔しいだろう。わかるとも。俺だって、今、悔しい。
俺の知らない所で起きた事、俺にはどうしようもなかった事。
だとしても、どうしようもなく、悔しく、腹立たしい。
暴虐が、理不尽が、非道が、間違いがまかり通っていた事実が、臓腑を煮えたぎらせる。
当事者でない俺でもこんな心情だのに――それを目の前で看過するしかなかったこの少年の悔しさは、想像に容易く、そして想像を絶する。
「我慢の限界だ」
纏威・鉄腕無双。
変質させた両腕で、木の格子を握り潰して、砕き散らす。
「うぇえ……!? あ、おい……!?」
「少年、俺が出て行った事は、しばらく内緒で。皆様を混乱させるのはしのびない」
そのマガツチとか言うクソ僧侶のせいで、村の皆様は精神的にとてもまいっている事でしょう。
少しでも不安を助長する様な事は、したくありません。
「そして、約束しましょう。そのクソふざけた野郎は、たらふく拳骨ぶち込んだ後で、きっちりお裁きを受けさせてやる」
悪党をとっちめては警兵に引き渡して行く、噂の鉄腕坊主。面目躍如といきましょう。
「…………ん?」
何だ……? 妙に騒がしいと言うか、嫌な気配がする……?
――ッ、まさか……!
「クソがッ……!」
蔵を飛び出し、急げ、走れ。
話によれば、俺がこの村に入る前に蹴散らした岩石の怪物は、マガツチとか言うクソ僧侶が法力で作った物。
だとすれば、岩石の怪物が何者かに吹っ飛ばされた事は、クソ僧侶も気取っているはず。
不味い……!
事情を知らなかったとは言え、非常に不味い事をしてしまった。
きっとクソ僧侶は、岩石の怪物が吹っ飛ばされた事を、村の者の反抗か、外部からの侵入者があったと考える。
前者ならば当然、見せしめの殺戮が起きる。
後者ならば、その侵入者を探す。しかし、村の者はきっと、俺の事をクソ僧侶には言えない。
クソ僧侶の仲間だと思い、黙って捕縛し、監禁していた者の事など、言えるはずがない。
反抗の意思がまだありますと自白する様なものだ!!
つまり……クソ僧侶がどちらと解釈しても、村の者には明確な否定も肯定もできない……!
間に合え……間に合え!
「ひぃッ、知らな、知らなぃ! あんたがいない間、特に変わった事は無かった! 本当なんだ、信じてくれよぉ!」
「ほう? では、野山の獣風情が拙僧の豪錬武を退けられると? 面白い与太話だ。気に入った。投げ銭代わりにこいつの強さを体験させてやろう」
深編笠に帯刀、細部まで金綺羅に輝く派手な袈裟。
無数の岩石怪物を従えて、泣き崩れる村の者を虐げるひとりの僧侶。
――テメェかッ!
「ん……? ッ!」
ちぃッ! 取り巻きの怪物が邪魔だ、自動でクソ僧侶の盾になりやがった!
「……僧侶? 装いが違う、巖鉄宗ではないな。いきなり殴りかかってくるとは――待て、その腕は、何だ?」
「答える義理が無ぇ」
もう一発――なんてけち臭い事は言わない。取り巻きの怪物が皆砕け散ってテメェに当たるまで、殴り続けてやるだけだ。
錫杖を投げ捨てて、両拳を空ける。
「十文字流拳骨説法、奥義……【拳骨万黎】ッ!」
「野蛮な」
どの口が言いやがるッ!
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラッ!!」
鉄拳を放って、放って、放ちまくる!
ッ……クソ! 多いし、意外としぶといな、この怪物!! 豪錬武だったか!?
村に入る前に出会したのはもっと骨の無い奴だったぞ!? いや、まぁ、この手の式神だの傀儡だのは術士から離れる程に鈍り弱化するもの、つまり、現状がこれの本領か……!
――ッ、ふっは……!
息が切れた、一旦、跳び退って距離を取る。
……どうにか豪錬武は全部潰せたが……肝心のクソ僧侶には一発も届かなかったか……!
まぁ良い。次で終わらせる。
「ひ、ひぃぃぃいいい!」
クソ僧侶に襲われていた村の者が、足腰をがくがくさせながら四つん這いで逃げ出した。
助かる。また豪錬武を出されて、村の者に差し向けられでもしたら、守りに撤しなければならなくなる。
「……成程、君が、豪錬武を退けた侵入者……その腕、鉄だな。まさか……鉄丈郎か?」
「! ……流石だな。知っている、と」
少数部族で無名な種族なんだが……まぁ、巖鉄宗とやらの教義を鑑みれば、俺らの事は知っていて当然って筋もあるか。
「拙僧は巖鉄宗なる宗派の者。階級は最上位の黄金僧正。鉄丈郎――この世で最も真の解脱に近い存在よ。拙僧の下で巖鉄宗に」
「入門しねぇ」
阿呆か。ただでさえ、禁欲推奨の仏門に入るなんざ御免なんだ。それをテメェみてぇなのと同門になれ、と?
馬鹿な言は獄中で独り寂しく言いやがれ。
「その様子……村の者を殺そうとした事に腹を立てているのか? それもかなり鶏冠にきている様だな。先程から、僧の身とは思えない目付きに言葉遣いだ。短慮はよろしくないぞ、鉄丈郎の君。不純物を取り除くのは必要な事だ。鉄を鍛える様にな」
「……不純物?」
「うむ。巖鉄宗の黄金僧正である拙僧の庇護を拒むなど、そんな外道は、この【聖地】に要らぬ。この地は辮杯如来の恩寵を受けし血族が生まれ育った場所。この地に在るべきは、巖鉄宗の門徒として真の解脱を目指す者のみ。即ち、先達である黄金僧正である拙僧を畏敬し尊敬する、敬虔な信徒のみだ」
…………ああ、成程。説明どうも、了解だ。
「気狂が」
おかしいとは思ったんだ。宗派が何であろうと、仏門の徒が平然と殺しをやるなんぞ。
魔府威會やらが殺しをやるのは、理解も納得もできないが「連中の様なならず者ならやり兼ねない」とは思う。しかし、僧侶だぞ、有り得ない。
もし、騙りの僧侶でなけりゃあ――そいつは、気が狂っている。
最上位の僧だってのに、同門の旅連れがいないのも、良い証拠だ。
こいつは、同門の者にすら理解されなかった異端児。付き者になってくれる後輩がひとりもいない。……そう見るのが自然だろう。
「……何をどう解釈してそう思ったのか、理解に苦しむな」
「ああ、獄中でゆっくり考えろ」
やらかした事を考えりゃあ斬首確定だろうが、それでも、悔い改める時間はもらえるはずだ。
解脱を目指す敬虔な僧侶気取りにこう言うのは酷かもだが……輪廻に戻って来世で励め。
「やれやれ……ほとほと、僧の割に血の気が多いな。これだから外道まがいな別宗派は」
クソ僧侶が刀の柄に指をかけた。
確か、法力を纏わせていると思われる、とてつもない斬れ味の刀だったか。
だから何だ。例え法力がどんな上等なもんだろうが、俺の鉄を穿てるものか。
「纏威・八方鉄尽!」
全身変質、最大堅度でいく。
斬れるもんなら斬ってみろ、その前に、笠に隠れた鼻っ柱に拳骨を――
「……あ?」
待て。おい。どう言う、事だ。
「居合――瞬断斬」
いつの間に、俺の眼前に立った?
いつの間に、刃を抜いた?
いつの間に――俺を、斬った……!?
「がッ、ァ……!?」
左脇腹から、切り上げる形で――んな、馬鹿、な……!?
いくら法力つったって、そんな、俺の、鉄を、すんなりと……、
「ッ……!?」
――悪い冗談だ。
クソ僧侶が抜いた、その刃は、薄藤色の刃紋が照っていた。
俺は、その刃紋を知っている。親父に、教えてもらった事がある。
「……斑雅の、妖刀……!?」
――十文字斑雅が生み出した、ひと振りで延々と誰ぞを殺し続ける事ができる殺生剣。
その刃は、撫でるだけで鋼鉄をも斬り分ける。
親父が生み出してしまった、俺の兄貴達。その、ひと振り。
「必要な事だと、他に仕方の無い理だとわかっていても、多少は胸が傷むな。鉄丈郎を殺すのは」
軽い言葉の後、突かれた。土手っ腹に、ひと突き。――あっさりと、背を貫けていくのがわかった。
「……クソ、が……!」
不味い、意識が、ぶれる。変質が、保てな、ッ、……駄目だ、まだ落ちるな……! まだ、暗転……するな……!
こんなクソ僧侶を……放っておいては、駄目、なんだ……!
約束、だってした……必ず、裁きをッ、受けさせると……!
このまま……死にでも、したら、ッ、ぐ、ぅ、嘘吐きになっちまうじゃあ、ない、かッ……!
だから、まだ……――――――




