第壱話 大きな美少女
鉄の心を持った助平になれ。
それが俺、鉄之助の名に込められた願い。
――冗談です。
それはさておき。
「……そろそろ色気が欲しいもんですなぁ……」
遊郭なんぞにゃ程遠い。辺りに広がる鬱蒼とした木々の密集、即ちは森。
当然、俺以外にゃあ誰ぞの気なんぞ無し。女子なんぞ夢のまた夢。
ああ、本当にもう。
いい加減、女子と戯れたい。
きゃっきゃうふふした後でしっぽり的な意味で。
……袈裟を着込んだ分際が言って良い言葉じゃあねぇって?
いやいや、俺は坊主でも僧侶でもありませんからね?
袈裟を着てんのは、これ着てると勝手に勘違いした皆々様が、これまた勝手に色々とご厚意をくださりますからね。有り難いし便利っつぅ話で。
騙り? とんでもない。
冗談や皮肉はともかく、嘘だけは吐かない主義なんで。
嘘ってのは吐くと拳骨を万発くらわなきゃあいけないんですよ? ご存知でない? 洒落になりませんよ拳万は。
俺はですね、袈裟を着て笠をかぶって黒鉄の錫杖をついてシャンシャン鳴らしながら歩いているだけ。
自ら僧を名乗った事は一度も無し。念仏だって唱えた覚えは一切皆無。笠に多少隠されてるとは言え、頭だってザンバラだ。
まぁ、思わせぶりであるのは否定しませんが? 騙りはしていないと胸を張って断言しますよ。臆面も遠慮もございませんとも。ええ。
大体ですね? 俺みたいな健全な若者が禁欲生活だなんて、まさしく苦行も苦行。特に女子をそう言う目で見るなとか? 頭おかしいんで? 絶対に無理です。はい。
……さて、と、まぁ……そんな性欲に従順かつ、民草の信仰心を利用してずる賢く旅する鉄之助さんなんですがね?
ちょいと今、困っておりまして。
鉄の心を持つ助平な鉄之助さんとしましては?
さっさとね、どこぞの村町に入って茶屋娘さんのお尻をこう、ぺろんとね? 不意の事故的なアレで撫で回して、心身共に回復を図りたい所なんですよ。
ここまで割と長旅なんでね。疲労困憊、足は鉄の棒って奴で。
しっかし、
「はてさて……ここは一体全体、どこなのやら」
地球、なんて漠然とした答えが欲しい訳じゃあございませんよ?
当然、「ここは禍の国の中央大陸、奔州・恵土」なんてのも無粋な答えだ。
やたらに薄暗い森、なんて見りゃあわかる答えも求めちゃあいない。
俺が訊きたいのはですね?
そんな小僧共が仲間同士でからかい合う様な事ではなくてですね?
本気の奴です。卓があるなら腰を据えてじっくり話し合う様な本気の疑問。
――ここ、ほんとにどこなんで?
二日前から、もうずっと似た様な木々の乱立を眺めながらてくてくてくてく、てくてくてくてく……嫌になっちまいますよ。
行脚僧じゃああるまいし、旅路は楽しみたいってもんだのに。
やれやれ……おや、あんな所に女体めいた艶かしいくねり具合の木が。
あー……こんなもんにでもついつい無性に抱きつきたくなっちまう程度には、ほとほと気が滅入ってきちまってますよって話。
「……遭難って奴ですかねぇ……」
いやぁ、手製の不細工な羅針盤を野猿畜生に持ってかれたのが不運の始まりと言いますか?
あの後、「まぁ、真っ直ぐ歩いてりゃあ次の村に着くみたいですし? いざとなりゃあ天道様の動きで方位を見りゃあ良い」なんて楽観したのが運の尽き。
真っ直ぐ歩いていたつもりが、いつの間にか道を踏み外している。
生きてりゃあ、よくある事ってもんだ。
そんでもって、見上げる枝葉の天井、その隙間から見える空。
頼りにしていた天道様は……昨日からずーっと、曇天の中にまさしく雲隠れ。
あてが外れるなんてのも世の常。
備えよ常に、とはよく言ったもんだと思います。
楽観は楽で楽しいもんですが、タメにゃあならんと。現在進行形で身に染みてますよ。
……はぁ。
後悔ってのは、どうしていつも先にゃあ立ってくれないんで?
鉄之助さんはもうね、艶かしい木に頬ずりしながら世の不条理に対して溜息ですよ。
――……ま、ぐでぐでっとくだを巻き続けても状況は進展しやしないってのも、これまた世の常。
気を取り直して、歩くとしましょう。とにかく森を抜けなきゃあ話にならない。
しかしやはり、あてもなく歩くってのはねぇ……合理的じゃあないですし、精神衛生的にもよろしくない。
ここは……錫杖を倒して行く先を決めるとしましょうか。
ええ、運任せですとも。
幸い俺は袈裟を着ていますし? 神仏様も、俺の事を敬虔な僧侶と勘違いして救ってくださるやも……だなんて下心。
さぁ、錫杖、頑張れ錫杖。
手をパッと放しまして、黒鉄の棒が指し示す先を見守………………直立しやがった、この野郎。重力が仕事をしていない。
ある意味では神仏の御技とも思える奇跡ですけれども?
「なんでい、なんだよ、なんですか? 上にでも行けってんですかい?」
錫杖が冗談を言うなんて世も末だ……なんて呆れつつ、なんとなく見上げてみると、
「きゃあああああああああああああああああああああああああッ!?!?」
「へ?」
空から、ありゃあ…………女子ッ!?
しかも、ただの女子じゃあねぇですよ、燃え盛る炎みたいな紅い頭の女子だ。瞳も紅く、肌は日に焼けたみてぇな土くれ色、耳は鏃みたいに尖っているときた。
ありゃあ、おそらくは只人じゃあなく【恵麗巫】っつぅ種族の娘だ。
話にゃあ聞いていますとも。恵麗巫系の子は皆が皆、美人だってね。いつか絶対に会ってやる、絶対に懇ろになってやる、そう誓った鉄之助が、何を隠そうこの俺です。
色鮮やかな毛色と瞳、鏃耳、整った顔とくりゃあ、もう恵麗巫以外にそう有り得ないってもんだ。
しかも……おいおい、なんて肢体をしていやがりますか。毛色に合わせたのか赤地の着物を着ておりますが……乳が襟に収まりきっていなァいッ! 素敵な谷間が見える……見えるゥッ! ヒャッハァァ! 尻も安産型ァッ!
何故に空から美少女がッ!? なんて疑問はどうでも良い!
今、重要な事、それは――
「死んじゃうぅぅぅぅぅううううう! だ、誰かたしゅけてぇぇぇえええええええ!」
随分な高さからいらっしゃる様子。このまま放っといて地面とごっつんこと行けば、あの妙に嗜虐心をそそられる端麗な泣き顔が台無しになっちまうッ!
そうは鉄之助が許さない、許しはしない。断じて。
例え自分が死ぬ事になってでも、女子は救う。
これは男として性を受けた身として、もはや宿命だ。
しかも俺は「女好き」と自らを称して通る者。ここであの子を見捨てるなどと言う選択肢は、そもそも存在し得ない。
だが、どうする? 受け止めるなら、腕を【変質】させた方が……?
いや、却下。それじゃあ俺は無事で済んでも、あの子がタダじゃあ済まない。
こうなりゃあ、腕の一本や二本は捧げてやりましょう。単純に受け止める!
「え!? あ、お坊さん!? た、助けてきゅ、くれるんれすか!?」
「勿論ッ! ああ、勿論ですとも! 鉄之助お兄さんに任せなさいって話ですよ、お嬢ちゃんッ!」
さぁ来い、いざ来い、どんと来い。
なんなら乳から俺の顔に向かって――……ん?
ちょいと待った。
なんだか、おかしくないですかい?
その……何と言うか、縮尺が。
目測、何か、あの子、超、大き――
「お願い、しましゅ!!」
「ちょ、え、待ッ」
望みは叶った。
襟からはみ出す程の大きな乳が、俺の鼻っ柱にふにっと当たった。
ああ、大きい、すごく大きい。
問題は、予想を遥かに越える程に大きい乳であったと言う事。
――首の骨から、聞いた事の無い音が聞こえた気がした。
そのまま、圧倒的質量に、押し潰される。
不味い、首を【変質】――間に合ッ、
「くぴゃッ」
思わず、絞め殺される鶏の様な声が出てしまった。
「ぁいたた……うぅ……あッ! わ、私、生きてる! 怪我してない! やったー! ありがとうございます、お坊さん……って、あれ?」
…………………………ああ、男なら、「乳に溺れてみたい」なんて思った事が一度くらいはあるでしょう。
俺もあります。小童の頃に。きっと、あの頃の願いが、今更ながら神仏様に届いちまったんですかねぇ。はは……何と言う時間差……笑えない。これ。
「きゃあああああ!? お坊さんが、白目剥いてるゥゥゥーーーッ!?」
――俺を容赦なく乳の下敷きにしたその子は、俺の倍以上も背丈のある、巨人でしたとさ……ぐはッ。
◆
「今日からテメェは【鉄之助】と名乗れ。ワシのガキにしてやる。光栄に思うんだな」
親父は、鍛冶師だった。武器以外なら何でも鍛つ……なんて、偏屈な鍛冶師だった。
「ぅ……? てつぉけ?」
「……おいおい、言葉から教えなきゃあってか……チッ。世間様に出せる様な言葉使いなんざ、苦手も苦手なんだがな……うぅむ、困ったな……」
偏屈で不器用なジジィだったけれど、その性根は、とても穏やかで、優しい人だった。
武器作りを請け負わないのも、争いなんてどんな理由があろうと「間違っている」と考えていたから。
口は悪いが、真っ直ぐで、渋い男。
男なら、憧れて当然。
俺は、親父が大好きだ。
しかも、渋い上に、必死こいて俺の面倒まで見てくれたんだ、愛さない訳が無い。
「よし、クソガ……じゃあねぇ、鉄之助くんよ。すやすや眠れる様に、クソ話……じゃあなくて、御伽噺を聞かせてやる…りましょう、って奴、ですよ」
毎夜毎夜、親父は俺のために、不慣れな丁寧語を不器用に使いながら、色んな話をしてくれた。
大半が、どこぞかで聞いたうろ覚え話を大雑把な想像で補完したらしい、適当な話だった。
でも、その中でひとつだけ、きちんとした話があった。
「【鈩姫】――まぁ、いわゆる人型の【化生者】、最近じゃあ【亜人】っつぅんだか?」
鈩姫は、まだ亜人への差別や弾圧があった古い時代、世間様では化生の類とされていた種族。
しかし、その頃から、親父の様な鍛冶師達には、神様の様な存在だと崇められていたのだと言う。
「鈩姫は、最高品質の玉鋼を産んでくれやが……産んでくれ、ます」
「うんでくれます?」
「おう……じゃあなくて、そうです。ワシがクソを……いや、鶏が卵をポロンって出すみてぇに、それはそれは良い玉鋼をポロンってすん……です」
「いいたまはがね、って、おいしいです?」
「んー、ワシは鉄を食わ……食べない、です、から? その辺は知ら、り、ません。だがまぁ、何に限らず、質の良いモンは美味いと相場が決まってやが、ります」
「……たべてみたいます!!」
「あぁん? ふざけんじゃあ……おふざけじゃあないですよ。もしも奇跡が起きて鈩姫の玉鋼が手に入ったんなら、ワシが弄り回すに決まってんだろうがですよ」
「けちんぼです」
「何とでも言いやがれですよ」
「おれが、それ、みつけて、おやじにも、わけてやるますよ」
「……ぶはッ! ははは! そいつぁトんだ良い子ちゃんだ!」
「とんだ?」
「最高に良いって事だよ。親に孝行すんのは、良い事だ。テメェは間違っちゃいねぇ。期待しててやるよ……ます」
満面の笑顔で、親父はわしゃわしゃと俺の頭を撫でてくれた。
無数にある親父との尊い記憶、そのひとつ。
ただの約束だ。
◆
「――ほぁあああ!?」
今ッ、昔の思い出が、回り灯籠が如くッ!
往生際じゃああるまいし、縁起でも無いッ!
なんたってこんな……あ、そうだ。
そう言えば、俺、突然に空から降ってきた巨大過ぎる乳房に首をやられて……、ありま? ここ、どこで?
さっきまで俺が寝転んでいて、今は尻を置いているこいつぁ……厚みのある布団、それが台の上に乗せられているもんだ。
覚えがある。確かこいつは、南蛮渡来の寝具【返付床】とか言う……厚みのある布団が台の上に敷かれていて、そこに眠る奴。
台には返しが付いていて、地を這う者は登って来れない――つまり、これのおかげで夜寝ている時に虫や小獣に耳やらを食まれる心配が無いって便利用品だ。
森の中や近隣で暮らすなら必須級だって聞いてますよ。
んで、辺りを見回せば白い垂れ幕が俺を完全包囲ときた。
それにこの、どこからか漂ってくる奇妙奇天烈な匂いは、薬の類……医者先生か薬師様の屋敷、ですかね?
「!」
ふと、首に手をあてがってみると……包帯が巻かれていますね。
うん、丁寧な巻き方だ。慣れた仕事、医者による処置と考えるのが妥当ですね。それも中々に腕の良い医者先生とみた。
となれば……考えられる事は多くないってもんです。
巨大な乳房に首をやられて失神した俺を、あのお嬢さんが最寄りの町医者に連れ込んでくれた……って所でしょう。
いやぁ、色んな意味で助かった。
命も拾えて、森からも出れて、一石二鳥って奴ですよ。
お、傍らの壁にお気にの黒錫杖が立てかけられておいでで。笠も一緒だ。
いやぁ、それもこれも、この錫杖さんのおかげですよって話だ。
神仏ってのはぶっちゃけ妄想の産物だと思ってたんですがね、こうしてきちんと森の外まで導いてくれたって事は、実はいらっしゃるんで?
ほんと、有り難や有り難や。袈裟を着ていて良かった。これからもよろしくって所で。
とりあえず返付床から降りまして、この屋敷の主さんに御礼でも言いにいきましょうかね。
と言う訳で、垂れ幕をバサーっとめくって……、
「………………………………」
垂れ幕をめくると、窓があった。
木戸ではなく透明な硝子板が嵌め込まれた、近代的な窓。
その窓から透けて見える向こうには……おお、何と言う大自然。薄暗い森が広がっているではありませんか。
「まだ森の中かいッ!!」
へし折ってやろうか、この錫杖。
ぬか喜びさせるの良くない。本当に良くない。
と言うか、何だ、一体、何がどうなっていやがりますんで? え? 森の中の屋敷って事で?
……ああ、成程、だから返付床か。ああ、うん、はい。そこだけは合点がいきましたとも。
「よいしょ……あ!」
「ん? あ!」
ふと、背後から聞こえた息使いに振り返ってみると――土くれ色の素敵乳房……じゃあなくて、あの子だ。
空から降ってきた、あの恵麗巫系らしい巨大な赤髪お嬢ちゃんが、反対側の垂れ幕をめくって内に入って来ようとしている所だった。
……いやぁ、本当に、大きいですな。乳房もそうですが、全体的に。本気で俺の倍からある。やや前傾姿勢だってのに、天井に頭を擦っちゃってますよ。
俺もこの歳になって、ここまで完璧につむじを見下ろされる日がくるたぁ予想外。
しかし、悪くない。むしろ良い。
だって、改めて見ると最高じゃあないですか。
小さい事が悪いと言う訳じゃあございませんが、大きい事は良い事だってのは相場がお決まりで。古来より先達は「大は小を兼ねる」とおっしゃりますし。
君は間違っていない。うんうん。
「お坊さん、目が覚めたんですね!? よかったー! 思いっきり潰しちゃったから、もう駄目かと……」
「ええ、まぁ。やたらに丈夫なのも取り柄のひとつでして」
正味、俺も一瞬は駄目かと思いましたがね。
この屋敷の医者の腕もあるでしょうが、間一髪、首の【変質】もかろうじて間に合っていた様で。首への衝撃を削れたらしい。
いやぁ、しかし、喜びに胸を(物理的に)弾ませる大きな女子ってのはなんとも眼福ですなぁ。
先程は嗜虐心をそそられる泣き顔でしたが、笑顔も中々どうして。素敵に眩しいと言いますか? これは反則的。そのむちむち巨大な肢体で下の心を、その素敵に輝く笑顔で上の心をガッチリ掴む算段ですか? なんと凶悪な組み合わせ。最高かよ。
男のこの身とこの心……抗えませんねぇ、これはもう。
……おや、丁度目の前に返付床が。
これは添い寝してもらう運命でしかない……と思いたい所でしたが、ちと発育が過ぎるお嬢ちゃんにゃあ、この返付床は尺不足も甚だしい。こりゃあ残念。
「先程は危ない所を助けていただき、本当にありがとうございました。申し遅れましたが、私は炭麗と言います」
おや、丁寧なお辞儀で。お辞儀したって俺より頭は高い訳ですが、それは置いといて礼節まで完備ときた。
こりゃあ良い嫁さんになるに違いない。根なし草まがいなこの分際でなけりゃあ、どうにか努力して俺がもらいたいくらいだ。
「ええ、ええ。丁寧にどうもサンで。俺は鉄之助、旅の者です」
「旅の僧侶さんなんですね!」
勿論、肯定はしませんよ。そいつぁ嘘になっちまう。
まぁ、否定もしませんがね。
「しかし、スミレちゃんですか。綺麗でありつつ可愛らしい、お嬢ちゃんにとてもお似合いの名前ですな」
「へ、ぁ、そ、そんな事はないですよう! お世辞はやめてください……その、苦手なんです……」
「世辞? いやいや。俺は生憎、そう言った気遣いのできる男じゃあございませんよ?」
育ての親が偏屈で不器用だったもんでして。
まぁ、冗談や皮肉はよく言う軽口屋な部類ではありますが? 世辞ってのは、生来から口にした覚えが無い。
「嘘です……私みたいな大きくて醜怪な娘には不釣り合いな名前だって、自覚はあるんですから……」
おや、うつむいちまった。
しかし、「醜怪」ね。間違ってもこの子には合わなそうな言葉ですが……ふむ、成程。察するに、その大きな体故に色々と、嫌な思いをしてきたんでしょうな。
亜人への弾圧なんてほとんどなくなったつっても、一部にゃあ未だ、亜人を化生者でくくる輩もいやがりますし。
きっとこの子は、その手の輩と多く接しちまったんでしょう。
差別主義者から見りゃあ、その大きな体は良い的だ。
……それはさておき、聞き捨てならない事が一点。
「スミレちゃんよ。まぁ、君が何をどう考えるかは、自由ですよ。誰ぞのろくでもない言葉を間に受けて、自分を卑下するのも、世の中に対して卑屈に構えるのも自由。それは間違っちゃあいませんとも。でもしかし、ひとつだけ。間違っている所があるんで、指摘しておきましょう。……ちょいと、こっちに顔を近付けてもらっても?」
「……?」
うん、印象通り、素直な良い子。
頼んだ通り、身を屈めて、顔をこっちに近付けてくれました。
んじゃあ、ちょいと失礼して。その額に一発、痛くはしない様に、軽くコツンと。
「ひゃわッ……ぃ、いきなり何をするんですか……?」
「拳骨って奴ですよ。間違ったら拳骨を喰らって正されるのが筋ってもんで」
「そ、そう言うものですか……?」
「そう言うもんだって、俺は聞いていますよ」
親父流でね。まぁ、呪いみたいなもんです。
痛いか痛くないかに関わらず、「拳骨を喰らった」ってのが「言葉だけでは済まされない重大な叱責を受けている」と言う自覚を促すんだそうで。
まぁ、親父の拳骨は毎度絶対に痛かったもんですが。
「それでは……イイですかい? さっきスミレちゃんは、俺の言葉を嘘だと決めつけたでしょう?」
「は、はい……」
「確かに、俺はずる賢い男ですよ。『言うべき事を言わない』って事は多々ありますとも。……ですが、誓って『言っちゃあいけない事を言う』なんて事は無い。つまり、絶対に嘘は吐きません」
誰ぞを笑わすための冗談や、誰ぞを発起させるための皮肉ならともかく。
嘘ってのは、ただ誰ぞを騙すためのもんだ。そこには誰ぞの不幸がついて回る。そんなもんを自発的に吐くだなんて、趣味が悪いにも程がある。
だから、嘘を吐くのは「間違っている」。親父だってそう言っていた。
「詰まる所ですね? スミレちゃんは何気ないつもりだったかもですが、君は今、会って間もない――よく知りもしない俺を【嘘吐き】だと決めつけた様なもんですよ? そりゃあ、よろしくないでしょう。嘘吐きってのは、最悪の蔑称ですから。よく知りもせず相手を侮辱するなんて……ねぇ? そう言うのはですね、思っても、ちゃーんと相手を見極めるまでは言葉にしちゃあいけません」
「ぅ……あの、ごめんなさい……」
「納得してもらえたのなら、何より」
「……お坊さんの説教は、よく身に染みる気がします……」
僧じゃあないんですけどね。
まぁ、そこは先の申告通り、「言うべき事を言わない」俺のずる賢さって所で。
嘘ではございません。思わせぶりな服装と態度なだけです。誰も不幸になっていない上で俺には利益があるのですから、万事良好と言う奴で。
しかし、そうですか。袈裟を着ている奴に説教されると、効き目が違ってくると。
本当に便利な服ですよ、こいつは。重宝しますわ。
「あ……でも、そうすると、さっきの言葉は……」
「ん? ああ。ええ、勿論、本心ですとも。醜怪? とんでもない。俺はスミレちゃんの事、とても愛い女子だと思いますよ」
顔立ちは端麗でありながら、ついつい「ちゃん」で呼んでしまう愛嬌が残っていますし、体が大きいのもとても良い。好い。どこもかしこも大きくてとても素晴らしい。それに礼節は弁えていて、非常に純朴素直。
やれやれ……どこに非の付け所があると? 親父との約束を果たした後だったらば、すぐにでも旅生活はやめてこの子と家庭を築きたいくらいですよ。
「ひわ、ぁ、その……えぇと……」
……おや、何やらいちいち大きなお胸やら何やらを揺らしながらあたふたし始めましたね?
頬も赤くしちゃって、口もモゴモゴと……これは……「嬉しくは思いつつも、どこか気恥ずかしい、顔から火が出てしまいそう」と言った感じの表情……ずばり、照れていますな?
ほほう、ほほぉう、ほほほほぉぉうッ!
中々、そそる照れ顔ではございませんか。もっと照れさせたくなりますよ。
先程の嗜虐心をくすぐられる泣き顔と言い、この子、中々に光る物を持っていると見ました。
となれば、男として、するべき事はひとつでしょう。
「スミレちゃん、かーわーいーいー☆」
「はひゃ!? ちょッ、な、なんですかその軽薄な調子は!? って言うか、その、正面から目を見てそんな事を言われますと……!」
「やーん、だって超☆かわいいんですもの。本当の事なんだからいくら言ったって別に悪かないでしょう? と言う訳で……かわいい!! かわいいよスミレちゃんかわいい!! かわいい!! ハァハァかわいい!!」
「ひ、ひぅぅう……」
ふぉぉぉ、まぁまぁまぁ!
耳まで赤くしちゃって可愛さがとどまる所を忘れてどこまでもォッ!
おやおや、おやおやおやおやぁぁ?
口の端から湯気まで出しちゃって、どんだけ照れてしまっているんで!?
何やらパチパチと炎が燃え盛る様な音まで………………ん?
「きゃ、ぅ、か、勘弁してくださいぃ!!」
「かわ……って、何で炎ぎゃああああああああああああああああッ!?」
この日、俺は初めて知った。
照れが限界を越えた女子は、顔からではなく口から火を出すのだと。