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十五年前の今頃、祖父が死んだ。享年いくつだったかは覚えていないが、確か今上陛下の一個上だったか下だったはずなので、気になってどうかなりそうだという人は逆算してみてほしい。
祖父は銅器職人で、またヘビースモーカーだった。肺を患ったのは当然の帰結というべきか、肺癌で片肺を摘出していた。当時の我が家は7人家族で、そのうちほぼ半数の3人が癌で二つあって然るべきのところ一つを失っているという面白い状況だった。少なくとも当人たちは笑い話にしていた。祖父が肺、祖母が乳房、僕が眼球である。
片肺を失ってなおしぶとく強かに元気だった祖父だったが、その数年後。湯治に訪れていた宇奈月温泉の旅館で、しこたま騒いだ翌朝死んだ。残っていた片肺に穴が空いて、呼吸困難に陥ったのが死因だった。
正確には脳死状態になって数日しぶとく生を繋いでいたのだが、その期間の記憶は無いだろうとは医者の弁であるので、実質楽しい気分のまま旅館で死んだようなものである。
個人的には、実に羨ましい死に方である。それまで僕は自宅の畳の上派であったが、これを機に旅先での突然死も悪くないなと思い始めるに至った。
まあ、そうは言ってもまだまだ先の話ではあるが。
さて、前置きが長くなった。なぜ正月早々身内の死に様など語りだしたかといえば、今回その旅館に泊まりに行ったからである。更新が遅れたのはそのためだ。執筆用のタブレットを持っていき忘れたので……(言い訳
事の発端は昨年の12月初頭、祖母の突然の思いつきに端を発する。正月休みに家族で温泉旅行がしたいということで、僕はいちもにもなくこれに乗っかった。温泉などは久しぶりのことであったし、宇奈月温泉を訪れたのは遥か昔のことであったので興味があったのだ。
これに憤慨したのが弟である。かれは12月の中頃から期限未定の出張でドイツかエクアドルに飛ぶことになっていた。弟は最後までぶーたれていたが、そのぶん高額の給料をもらっているのだから諦めろやボケとワープアを地で行く僕は僻んだ。
まあ弟のことはいいのだ。置いておこう。
そんなわけで、我が家一行は4日の昼頃に高岡を発ち、高速をゆくこと1時間半ほどで宇奈月温泉へとやってきた。
まず驚いたのが、宇奈月温泉郷がずいぶんと山奥にあったことだ。北陸新幹線からアクセスの容易な平地にあるものとばかり思っていたので、これには面食らった。僕は生まれも育ちも富山県民だが、高岡の外に関してはさっぱり無知であることを思い知らされる結果となった。
宇奈月トロッコ鉄道の起点となる宇奈月駅前には、温泉の噴水がもくもくと湯気を上げていて観光地の風情を感じられた。
宿泊した旅館は、数年前に湯快リゾート化したらしく所々に古さが目立ったものの全体的に良い雰囲気があった。通された部屋も申し分なく、景色こそ望めなかったがゆったりと寛げる空間で、フロントと同階というのが便利で良い。
風呂は若干物足りなさがあったものの湯の温度、泉質ともに申し分なく概ね満足である。一回の宿泊に一回入ればいいな、程度の大浴場であった。
飯に関しては全く申し分なく、5段階の評価で4をつけて良い。懐石料理ではなく食べ放題のバイキング形式(今風に言うならビュッフェ)で腹を十二分に満たしてくれた。特にステーキが旨く、何度も何度も往復してしまった。コックから白い目で見られていたような気もするが、旅の恥はかき捨てである。ルールを破ったわけでなし、気にしたら負けだ。
翌日はチェックアウトギリギリまでダラダラし、黒部の道の駅で昆布をしこたま買い、新港の魚市場で昼食をとったあと、祖母が突然美味しいコーヒーが飲みたいと言い出したので喫茶店を探し回り、R156号線沿線の鄙びた喫茶店でお茶をして帰宅した。
帰宅直後から寝続けて今日の昼前にようやく起きたわけであるが、大変充実した旅行であった。機会があったらまた行きたい。
冬休み終了まで、あと一日。