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――某県某市。一面の田園に囲まれた一角にその建物はあった。
おそらく最初は小さな商店街だったのだろう。しかしそれに屋根が付き、壁が付き、増築に増築を繰り返した今となっては、その最初の姿を窺い知ることは難しい。いびつな雑居ビルの集合体。私が最初に受けた印象を正直に言い表すならば、そうなる。
建物に比して随分と小さい扉をくぐると、そこには茶葉を取り扱う商店が軒を連ねていた。
私達が到着したのは、ちょうど昼過ぎであった。手近な店の主に昼食をとれる所があるかと尋ねると、ここの上階に何店舗かの食事処があるという。
上階に上がる方法は3つあった。一つは大きな吹き抜けに設えられた円柱状の梯子で、1階から3階までを貫いている。ただし3階との接続部は四方を向いた鯨のモニュメントが邪魔をして渡れず、実質は2階までの移動手段だ。一つはエレベーターで、こちらは一般的なものだが百メートルばかり離れた位置にある。
そして最後の一つが、2階までのエスカレーターだ。
しかしこのエスカレーター、店主の話では相当な曰く付きであるらしく、なんでも神が憑いているのだという。上り下りの際に願い事を強く念じると、降り口につく頃にはその願いが叶うのだとか。
ほう、それは凄いと私がエスカレーターを見上げていると、不意に泥の塊がエスカレーターを滑り落ちてきた。したたかに地面に打ち付けられたそれは盛大に弾け飛び、私の服や荷物にもかかり大惨事である。
皆が驚愕している中、店主だけは平静そのものだったので何事かと尋ねると、なんでもこのエスカレーターに憑いた神はアップグレードな願いは喜んで叶えてくれるものの、ダウングレードな願いに対しては覿面に怒り天罰を下し、願ったものを泥人形に変えてしまうのだそうな。
私達一行は戦々恐々としながらも、しかし腹の虫には勝てずエスカレーターで2階へと上がることとした。
ところで、実は一行の中で泥をかぶったのは私だけだった。実に不快である。そこで私は閃いた。このエスカレーターの神に祈れば、泥で汚れた衣服も荷物もすっかり綺麗になるのではないか、と。
私は心中で念じた。「綺麗に、美しく」と。するとどうだ。あれほど泥まみれだった革靴やスーツが、みるみるうちにキレイになっていくではないか!
降り口につく頃には、汚れはさっぱり消え、なおかつどこか高貴な紫色の輝きを放つまでになった。まさに神のみ業である。
しかし、どこか妙だ。家族が私に向ける目が、不審の一色に染まっている。私は最初、泥をかぶる前より一層美しくなった装束に動転しているのかと思ったが、どうやら違う。視線は顔に集まっているのだ。
私はすぐそばにあった鏡を見た。そこに映っていたのは、面長の美系の顔であった。本来の私の顔とは、骨格レベルで違う顔だ!!
何ということか。神は私の持ち物だけではなく、私自身をも美形に作り変えてしまったのだ!
読者諸兄は、これをなんと喜ばしいことかと仰るお方もいるかもしれない。しかし違う。これは恐怖である。自らの顔が、意図せず全く別のものに変わってしまうなど、アイデンティティクライシスもいいところだ。私は青ざめた。顔の形が変わったせいで、喋ることすらも難しい。私はすぐさまエスカレーターに引き返して、元の顔へ戻してくれるように願おうとした。しかし、先程の泥人形の姿が目に浮かぶ。
――ああ、美形から元の不細工顔に戻してくれってこれ完全にダウングレードだよなァ……えぇ? 俺泥人形になっちゃうの???
私は頭を最大限回した。そして思いつく。よし、縦に長いから横にも広げればいい感じに釣り合いが取れるんじゃないか、と。
私はエスカレーターに足をかけ、必死に願った。「野生的な男前」になれと。
ほんの数メートルのエスカレーターが、長い長い時間に感じられる。しかし終わりはやってきた。降り口に足をかける。どうか、どうか……!
すがるような気持ちで鏡を見る。そこに映っていたのは……
顔の輪郭がいびつに歪み、美形と男前の長所が打ち消しあって生まれたバランスの狂った顔立ち。なんとも言えない不細工顔……。
そう。狙い通り、もとの顔に近しい形まで復元されたのだ!
私は大いに安心し、腹一杯に飯を食ってその不思議な建物を後にした。そしてあとになって、「ああ、どうせなら目の病気を直してもらえばよかったなあ」とひどく後悔したのであった。
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3日はなんの比喩でもなく一日中寝ていたので、当日夜の夢日記で茶を濁すことにする。