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百合  作者: 羽々斬
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続き

声が聞こえる。何を言っているのかはっきりとはわからない。ただ、今が朝で起こされているのだということはわかる。もう一度声が聞こえる。今度ははっきりと聞こえた。「ご主人様、起きて下さい。」かわいい声が頭上から聞こえる。目を開けると、窓からの太陽の光よりも彼女の美しさに目を細めた。「おはようございます。」青い瞳が私の顔を覗き込んでいた。「おはよう。」私は微笑んで答える。けれど彼女が微笑んでくれることは無かった。残念。あのかわいい顔を笑顔にすることがここ最近の私の目標だ。「お着替えです。」私の今日の服を持ってきてくれる。今までであったら、服を持ってきてはもらっていた。けれど今は違う。彼女に触れたいがためにわざわざ着替えるのを手伝ってもらっている。どこかの国の王女様かという程の待遇である。着替えを手伝ってもらっている時、彼女の肌と触れる時が何度かある。その時の胸の高まりは尋常ではない。今すぐ抱きしめたいぐらい。

彼女が私のもとにきて一週間が経った。 「安心して。私はほかの男たちと違ってあなたを乱暴に扱ったりなんてしないわ。私の家はあなたのような人達を救う活動をしているのよ。自由にどこかで生きても良いし、ちゃんとお給料もお洋服もお食事も出るから、私の家で働いても良いの。」一週間前、彼女を買って家に帰る途中の話だ。車の後部座席に座った私と彼女。彼女の左手を右手で包み込んだ。握り返すことはしてくれなかったけれど、彼女の温もりを感じることが出来ただけで充分に嬉しかった。「私は鴇田怜華というの。あなたのお名前は?」私は彼女の顔をしっかりとみながら問うた。「名前…は…ありません…」か細い声だった。けれど透き通っていて美しい。「そうなのね。ごめんなさい。」私は謝り、彼女の頭を優しく、優しく撫でる。「私がちゃんとした名前をつけてあげる。だから大丈夫よ。」彼女は微かに震えていた。怖いのだと思う。私の言うことには半信半疑の状態であろう。彼女を幸せに、私の力によって彼女を幸せにしてあげたい。この時私は改めて感じていた。「疲れているでしょう?ふかふかのベッドでゆっくり休んで。これから先どうするかは明日以降、ゆっくり決めましょう。名前も明日までにあなたに一番ふさわしいものを考えておくわ。」「…はい。ありがとうございます。」

小さな声だけど、彼女はしっかりと返事をしてくれた。 

屋敷につくとまず、執事に命じて、彼女のための服と食事を用意させた。急な要望であったため食事が出来るまでには時間が必要とのことで、私は彼女をお風呂に案内した。「ここがお風呂場よ。もし何かあればすぐに私を呼んでちょうだい。近くの部屋にいるわ。」そう言ってお風呂場を出ようとしたときに「あ、あの」と声が聞こえた。「どうかした?」彼女は目を伏せていた。明らかに私と目を合わさぬようにしている。どうしたのだろう。「私、お風呂の使い方が、分からない…です。」正直、本当に驚いた。奴隷であった人の扱いがどういうものだったかがはっきりとわかった瞬間であった。「い、一度だけで、良い…です。お願いします。お、教えて、下さい」そう言い、彼女は私に頭を下げた。私は思わず駆け寄った。そして、自分の思い描いたものとは違うけれども彼女を抱きしめた。悲しかった。とにかく悲しかったのだ。彼女の肌にふれても胸の高鳴りは感じられなかった。悲しさと、彼女を過去に奴隷として扱った人間への怒りが私を覆っていた。「頭なんて下げないで。あなたはもう奴隷ではないの。そんなことはしなくて良いの。私と同じ、一人の女の子なの。」抱きしめながら私は彼女に話しかけていた。私の思いがすこしで良いから伝わって欲しくて、必死になって言っていた。「はい…ごめんなさい…」「そのごめんなさいはどういう意味?」私は責めているのではないとわかってもらうために微笑みながら聞いた。「頭を下げてしまったことです」私は、気持ちが伝わったことが嬉しくて、怯えながらではなく、ちゃんと目をみてくれたことが嬉しくて、たまらなく彼女が愛おしくなって再び彼女を抱きしめて頭を優しく撫でた。どれだけの時間でも彼女を抱きしめたままでいれた。あたたかかった。柔らかった。安心出来た。やっぱり、私には彼女が必要なんだと感じた。

さすがにずっと抱きしめておくことは出来ないので惜しみながらもすぐに彼女をはなしてあげた。「お風呂、一緒に入りましょうか」私は自然と彼女にそう持ちかけた。言ってからはっとする。私は何を言ってしまったんだ!いくら使い方が分からないから教えるためとはいえ、好きな人とお風呂など… しかし、すでに言ってしまっている。覚悟を決めるしかない。「じゃあ入りましょうか。」私はそう言って服を脱ぎ始める。絶対に彼女をみないようにして。彼女が服(あのままなので服とはおよそ言えないが)を脱ぐ音が聞こえるが極力意識をしないようにして。どうせ中に入ったらみるのだが、今みてしまうと顔が赤くなってしまうことの言い訳が思いつかない。お風呂場の中ならお湯のせいとなんとか言い訳が出来る。

お風呂場に入り、目を彼女に向ける。眩暈が起こりそうだった。なんて綺麗なんだろう。正直私は、お風呂の使い方がわからないと聞いた時から、暴力を日常的に振るわれていた可能性を考えていて、痣がたくさんあるのではないかと思っていた。その予想は良い意味で裏切られた。傷一つなかった。とても滑らかだった。柔らかいのも頷ける。爪が少しでもあたるとたちまち切れてしまいそうなほど繊細にみえた。「どうかなさいましたか?」彼女は美しい瞳を向けてくる。私がぼうっと突っ立っていたからだろう。「なんでもないわ。さ、使い方を教えるわ。けれど、今日は一緒に入ったのだし、私が洗ってあげる。」堂々と言えただろうか。声が震えていたら格好悪い。私は、ただ彼女に触れたいだけだった。お風呂上りも髪の毛を乾かしてあげるつもりだ。楽しみ。 

使い方を一つ一つ教えてあげる。しっかりと彼女は私の話を聞いてくれる。これだけ真剣に聞いてくれるのだから色々な物事の飲み込みは早いのだろう。

お風呂上り、私は彼女の髪を乾かしてあげていた。彼女の髪を洗ってあげた時にも感じたが、触り心地が本当に最高だ。肌と同じぐらい滑らか。前にいた環境のせいで傷んでいたりするところはあるもののとても綺麗。 体を洗うときは大変だった。彼女のいろんなとこを近くでみてしまうので鼓動がおかしかった。あんなに近くでみてしまったのだから仕方がないと思うが。 お風呂の中でのことを思い出し、一人赤面していると、「お嬢様、よろしいでしょうか。」という声がノックとともに聞こえた。「ええ。いいわよ。」失礼しますという声とともに脱衣場に入ってきたのは白髪が混ざり始めた女性だ。彼女は桐屋といって、私が生まれる前から屋敷に仕えている。そして、私が幼い頃の教育係で、父から絶対的な信頼を置かれている。「お上がりになるのがいつもよりも遅いようでしたので、皆、何かあったのかと心配しておりますよ。」桐屋は私を少したしなめるように言う。確かにいつもと比べ2倍ぐらいの時間がかかってしまった。「それに、お嬢様、そのままでは風邪を引いてしまいます。なぜお上がりになった時にいつも通り私供をお呼びにならなかったのですか」「私には自分のことよりも優先すべきことがあったのよ。」「その方のことですね」「ええ。彼女は私にとって何よりも大切なものなの。美しい花が濡れたままなのは綺麗だけれど、可哀想でしょう?」桐屋はもう何も聞かなかった。きっとあの人は私が抱く思いに気が付いたはずだ。それでも何も言わないのは、私がお嬢様だからなのかそれとも

私のこの気持ちは何も変ではないと認めてくれているのか。後者であることを私は信じる。「桐屋」私は未だドアの前にいてくれている彼女に声をかける。「心配してくれてありがとう。あとでみんなには私からきちんと謝ります。それと、もう少しでこの子の髪を乾かし終わるから私のをお願いしても良いかしら?」「お任せ下さい」桐屋は柔らかな笑みを浮かべる。その笑みは子供の頃と同じだが皺が増えてしまった。けれど私を包んでくれるような優しさは変わっていなかった。

着替えを終え、遅い時間だがご飯を食べる。私はいつも通りの寝巻、彼女も私の寝巻を着ていた。彼女は全く自分の服を持っていないので全部私のものを貸している。無論、下着もなので、私の服を着ているという事実だけでも胸の高まりはすごいというのに今度は恥ずかしくて死にそうになる。 

本来ならば食事は城にあるような豪華で大きい部屋で食べる。だが今は23時。私が仕事をしている間に既に皆は食事をしている。なので今日だけ特別に私の部屋で食べることになった。 

運ばれてきた食事はさすがに夜も遅いので軽食だった。私が好きなサンドウィッチ。表には出さずに私が喜んでいると「あの」と彼女が私に話しかけてきた。「た、食べても良いですか?」「ええ。もちろんよ。足りなかったら言ってね。」「ありがとうございます。」そう言うと彼女はサンドウィッチを本当に美味しそうに食べる。今までほとんど無表情だったのに、こんな顔がみれて私は幸せだった。 

食べ終わると彼女はうとうとし始めた。とてもかわいい。思わず頭を撫でてしまった。すると彼女は私に撫でられたまま寝てしまった。寝顔も本当にかわいい。私一人では運べないので桐屋を呼んできて、とりあえず、使用人の部屋に運んでもらう。一緒に寝たかったが、そうなると私がどうなるか分からないし、桐屋以外にバレたら困る。

使用人のベッドも私が使用しているベッドと同じなのでふかふかで気持ちいい。彼女も既に寝ているが、よく眠れるはずだ。「それではお嬢様、おやすみなさいませ。」彼女を部屋に運び、桐屋は私の部屋まで戻ってきた。毎晩、桐屋は私におやすみを言ってくれている。「ええ。桐屋。おやすみなさい」私は自室で一人になる。つい数分前まで彼女が座っていたところに触れてみる。まだ暖かい。彼女の温もりをいつも感じていたい。それが叶う日がいつかきてほしいと思いながら私は触れる。 こうやって、彼女の温もりに触れていると、良い名が思い浮かぶかと思ったがなかなか思い浮かばない。何分間そうしていただろうか。彼女の温もりは薄れて、今は私の体温によって温かくなっている。明日には良い名前をつけるといったのだ。約束を破るような行為はしたくない。かといって、焦って適当な名前になるのも嫌だ。私が頭を抱えていると、お嬢様という桐屋の声が聞こえた。「どうしたの?」私はドアを開ける。「どうしたのではありません。今はもう日付が変わっていますよ。電気がついていたので何事かと思いました」

桐屋が少し厳しい顔をしている。この顔をしている桐屋には何をどう言い訳しても意味がないことは子供のころからの経験でわかっている。「ごめんなさい。もう寝るわ。」寝るわけにはいかないのだがそう答えるしかない。「はい。そうして下さい。ところで一体何故こんな時間まで起きてらしたのですか。」「そ、それは」私がすぐに答えられないでいると桐屋は軽くため息をついた。「今までお嬢様が夜更かしをされるようなことはありませんでした。何か重要なことがあるのではないかとお見受けしますが」先程までの厳しさがある顔ではなく、仕方ないなとでも言っているような優しげのある顔で聞いてきた。「ええ。まぁ」普通に彼女の名前を考えていたと言えば良いと思うがなぜか言えない。彼女のことを考えていたことがバレるのが恥ずかしいのだろうか。いつもの桐屋であればきっと、起きていた理由など聞かなかったはずだ。けれど聞いたということは何かに気がついているのか。もしかしたら、私の顔が変だったのかもしれない。「か、彼女のことよ。名前を明日までにつけると約束したのになかなか良い名が思い

つかないの」桐屋の顔をみながら言葉を発することは出来なかった。 もう私は彼女への気持ちを回りに隠すことを半分諦めていた。「さようでございますか。どのようなお名前をつけたいのですか?」「できれば花が関係していて欲しいわ。」「花ですか。なるほど。お任せ下さい。」桐屋はニッコリと微笑んだ。きっと彼女は気が付いた。私が彼女に花が関係している名前をつけたいのは自分の名に華があるからだ。「お嬢様、私は花に関しては知識があると自負しております。もうお忘れかもしれませんが、お嬢様が小さい頃よく花の名前や花言葉をお教えしていたのですよ。」言われて思い出す。庭に咲く花をみつけては名前を聞き、一緒に図鑑を読んでいたのであった。そういえば、図鑑をみていた時に教えてもらった花言葉のなかに…「桐屋、思い出したわ。確かあの時に-----

朝。いつもと同じ起床時刻だが、睡眠時間は少し短い。私が眠たい目をこすりながらベッドから起きるといつものように使用人の一人が服を持ってきてくれる。「ねえ。彼女はまだ寝ている?」私は服を持ってきてくれた使用人に聞く。「はい。ぐっすりと。」私がお起こししましょうかという申し出は断り私が起こしにいくと伝える。まだ朝食までには時間がある。いつも余裕をもって起床する習慣をつけておいて良かったと心の底から感じた。

使用人室が設けられている屋敷の二階(私が住む屋敷は3階建てで2階は全て使用人の部屋となっている。)は既にシンとしていた。もうみんな働いてくれているから必然である。そんな中、唯一、人がいる部屋に向かって私は迷わず足を運ぶ。心臓がうるさい。大したことのない距離なのにとても長く感じる。部屋のドアの前に立つと震えてきた。深呼吸をしてからノックをし、中に入る。とても良い匂いがした。彼女の甘い匂い。それのおかげでドキドキは少し落ち着く。彼女の匂いは安心出来る。家具もほとんどない殺風景な部屋。その壁側に置かれた唯一の家具であるベッドの上で彼女はよく眠っていた。とても綺麗でかわいい寝顔をしている。思わず頭をなでてしまう。愛おしくて仕方がない。「兎菖(とあや…」私は寝る前に決めた名前を小さくつぶやきながら頭を撫でる。髪の毛はふわふわでサラサラ。顔を埋めてみたくなる。起こさないといけないのにこんな寝顔をされたら起こすのが苦痛になってしまう。目が覚めてくれないかなと何度か頭を優しく撫でていると、綺麗な瞳が開いた。「おはよう。ぐっすり眠れたみたいで良かったわ。」私の頬は自然と緩む「おは、よう、ございます」身体を起しながら兎菖はまだ眠たそうに言う。かなりの疲れがたまっていただろうし、緊張もしていたからだろう。「さ、眠たいとは思うけど、着替えてちょうだい。そろそろ朝ごはんの時間よ。」そう言うと兎菖はすぐに着替え始めた。恐らく、時間という言葉に反応したのだと思う。前にいたところの影響で。

「よし、じゃ行きましょう。今日はご飯を食べた後にお父様のところに行くわ。そこで今後、あなたがどうするか決めるの。」わかりましたと彼女は答える。その目は昨日のように怯えてはいなかった。不安の色は少しみえるが、だいぶ落ち着いたとみえる。「それでね、あなたの名前を決めたわ」彼女の目が少し大きく開く。期待の色がうかがえる。「兎菖よ。とは兎、あやは菖」「と、あ、や」彼女は自分に付けられた名前を繰り返し言う。まるで初めての知った言葉を何度も言う幼児みたいだ。繰り返し言う毎に彼女の表情が柔らかくなっていっている気がする。「気に入ってもらえた…かな?」「はい。ありがとうございます。」彼女は、兎菖は、昨日までよりも緩んだ表情で答えてくれる。この顔の笑顔がみたい。みれた時はきっと私は目標を一つクリアしたことになるのだと思う。彼女の笑顔はきっと、一生忘れられぬ物となるのだろう。

朝食を食べた後、3階にある父の書斎に向かう。今日の朝食も昨晩のように兎菖はとても美味しそうに食べてくれていた。「兎菖は今後どうするか決めているの?」書斎までは少し遠いので話す時間がある。この後、わかることではあるが、先に知っておきたかった。「はい。」兎菖は迷わずはっきりと答えた。「どうするの?」私の声は少し震えていたかも知れない。ここで、外に出て自分で生きるといわれたら私がどう生きたら良いのかわからなくなる。「ここに残りたいです。」私はホッと胸をなでおろす。「良かった。これからもよろしくね。」「はい。」兎菖と一緒にいられる、それだけで私は飛び跳ねたくなるぐらい嬉しかった。

会話はそれっきりなく、程なくして父の書斎に着いた。自分の父とはいえ、やはり緊張する。こんな大きな屋敷の当主であり、奴隷を解放するために自らを奴隷を高値で買う代表人物に仕立て上げたすごい人だ。「お父様、怜華です。」ノックをしてから中に声をかける。「入って良いぞ。」威厳ある声が聞こえる。今は兎菖に関することなので父は私の仕事上の上司にあたる。そのため、ただでさえ緊張している私は軽く恐怖を覚える。「失礼します。」父は窓際に立ち煙草を吸っていた。兎菖は少し震えていたようにみえた私でも怖いのだから兎菖が怯えるのは必然だろう。「君か。怜華が連れてきたのは。」煙草を灰皿に押し付け、父は兎菖に向き合う。「私はこの屋敷の当主であり、怜華の父だ。達夫という。」「と、兎菖です。」「ん?使用人の話では君は名がないのではなかったのでは?」今朝つけたばかりなので父のところまで情報が回っていなかったのだろう。朝食の際に何度か彼女の名を呼んだが父は基本食事に同席しないため知る由がない。「私が付けました。屋敷に戻ってくる時に私が名前をつけると約束しましたので。」約束などせずとも私が名前をつけたでしょうがという言葉は飲み込む。「どんな字を書く?」「兎に菖です。」父は少し考える風な表情をし、やがてその表情は笑みに変わっていった。「なるほど。良い名だ。」父が笑みを浮かべることは珍しいので私は驚いていた。父には名前の意味がわかったのだろう。「さて、兎菖さん。君にたずねよう。君は、この屋敷にて働くか、外に出るか。どちらを選ぶ?」「ここにいさせて下さい。」兎菖は即答してくれた。それが私にとってとても嬉しいことだった。「そうか。ではそうしよう。衣食住全て保証する。きちんと給料も出る。仕事をしていてしんどくなったら遠慮なく休めば良い。」「ありがとうございます」「そして、だ。あとひとつたずねたい。」普段ならこんな事は聞かない。今まで何度も立ち会ったことがあるのでわかる。選択を聞くだけのはずだ。「君は先程、この屋敷に残りたいと即答したな。何か理由でもあるのか?」私がみてきた限りでは即答した人は今までいなかった。自由な外の世界にも魅力を感じるのだろう。だからこそ、即答をした兎菖に父は興味を抱いたのかもしれない。「それは…怜華様がいるから…だと思います。」自分の名前が呼ばれるドキッとする。私がいるから…?今すぐにでも抱きつきたくなる。ありがとうと言って頭を撫でたい。「怜華様は私に一番親切にしてくださいました。昨日は、お風呂の使い方がわからない私に嫌がる素振りもなく教えて下さいました。ごはんも頂き、そして今着ている服も怜華様がお貸ししてくださったものです。何より、名前を頂きました。だから、だと思います… 自分でもよくはわかりません。申し訳ございません。」心臓がうるさい。とてもうるさい。兎菖が私のしたことに対してあんなにも思ってくれていることが嬉しくて仕方がなかった。それに兎菖があんなに一気に喋ったことは初めてなので、驚きもした。静かな子だとばかり思っていたけれど、仲良くなれたらいっぱいお話してくれる元気な子なのかもしれない。兎菖の新しい一面を知れて嬉しくはあったが、反面、何も知らないということになるので悔しかった。「謝る必要はない。理由はわかった。君の希望通りこの屋敷で君を雇おう。そして理由を踏まえ、君を怜華専属としようと思う。」

声が出そうだった。本当に心臓に悪い。「怜華も君に兎菖という名前をつけるぐらいだ。大層気に入っているのだろう。怜華、問題ないな?」「は、はい」嬉しさで笑顔にならないように頑張って答える。「では、そういうことで。私はこれから仕事がある。このことは怜華から桐屋に伝えてくれ。」「はい。失礼します。」父の部屋を出て深呼吸をする。一気に色々あって大変だ。横にいる兎菖をチラッとみる。綺麗な肌、サラサラの髪、そして美しい瞳。そんな彼女が私の専属の使用人となる。一緒に過ごせる。嬉しくて嬉しくて仕方がない。「兎菖」私が呼びかけるとその美しい顔がこちらを向いた。「これから、よろしくね。」私は、今までで一番の笑顔で兎菖に話しかけたと思う。だって、兎菖も少し、ほんの少しだけれど笑って答えてくれたのだから。「はい」って。

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