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取り敢えず記憶を無くし落ち込む王子、ルークをほっとけない。
「あの…? 王子、ルーク様…? 」
未だ机に突っ伏し、頭を抱えているルークにおずおずと声をかけた。
「…なんだ? 」
顔を上げるが目がどこか虚ろだ。
「と、とにかく今日はお休み下さい。明日王宮から迎えが来ます。それまで狭苦しいですがお休み下さい」
「眠れそうにないな…」
「眠り易い様にハーブティーを淹れましょう。身体も温まります。あ、その前にお湯を使いますか? サッパリすれば幾らか気が落ち着きますよ?
」
「湯、か…。しかし何の着替えもないが」
戸惑うルークに 「それなら大丈夫です。私が縫った物ですが、服があります。流石に下はありませんが、上はあります」
「何から何まで申し訳ない…」
「いえ、気にしないで下さい」
にこりと笑い、ルークを湯殿に案内した。
子爵家の屋敷としては簡素な物で、台所を横切った所に湯殿があり、アニシアの住み易い様にされていた。
「身体を拭く布と、着替えを置いておきますね」
湯殿に消えたルークに声をかける。
「申し訳ない…」
本当に情けない声が返ってきた。
気にしなくてもいいのに。でも少しでも不安が取れたらいいな。そんな事、無理だろうが…。
湯で身体を流したルークは、アニシアの淹れたハーブティーを飲み、勧められるままアニシアの寝室に入った。
「私は下のカウチで眠ります。何かあったらベルを鳴らして下さい」
「ああ。本当に済まない…」
はにかんだ様に笑い、ルークは寝室のドアを閉めた。
「はー。疲れた…」
アニシアは緊張していた。幾ら記憶が無くとも王子相手に粗相はできない。
できるだけもてなしたはず。
自分も湯を使い後片付けをし、夜着に着替え毛布を引っ張り出しカウチに身を沈めた。
さて、明日は王宮からの迎えが来る。最後まできちんとしなければ…。
重たい頭で明日の事を考えた。
翌日、ルークが起きる前に朝食の準備を整えたアニシアは、ルークを呼びに行った。
「おはようございます。お目覚め下さい」
ベッドから少し距離を取り声をかける。
「ん…」
モソモソと掛け布が動く。
「おはようございます。朝食ができておりますよ? 」
もう一度声をかけた。
「ん? あれ? ここは…」
「お目覚めですか? 昨日の事、覚えていますか? 」
アニシアの顔を見て、ぼんやりしていたルークが飛び起きた。
「ああ、そうか…! 済まない。よく寝ていた…」
「それは良かったです。さぁ、お支度をして食事にしましょう」
「ああ…」
ゆっくりベッドから降り、支度を始めようとしたルークを見て慌ててドアを閉めて下に行った。
「恥じらいとか、ないのかしら…」
「おはよう。アニシア」
「ふふ。さあ、席に着いて下さい」
何処か所作なげな雰囲気のルークを見て、何と無く可愛いと思ってしまったアニシアは、直ぐに頭を切り替えた。
王子相手に何を考えてしまったのか。
少し赤くなった頬を誤魔化す様に話題を振った。
「正午までにはお迎えが来るそうですよ。王宮に戻り次第、記憶を戻して貰えるかと…」
「…そうか。それなら良いのだが…」
「でも王子様とこうして食卓に着くなんてないですから、私には良い思い出です」
「…それなんだが。アニシアはずっと此処で暮らすのか? 」
パンをキレイに千切りながらルークは尋ねた。
「私は魔女です。生まれは子爵家ですが、もう両親も居ません。結婚の予定もないですし、爵位を継ぐ者ですが、その内に爵位も返上しようかと…」
「まだ若いだろう。相手も出て来る…」
「まさか。変わり者の私に行く宛はありせんよ」
「……」
何と無く嫌な空気が漂った様な気がした。
アニシアは自分に相手が現れると言われ、胸の奥が痛んだ気がしたが、気のせいにした。
「それより。王子が中々表に出ないから、皆お顔が分かりませんでした…」
「その理由も記憶が戻れば解るだろう。自分は確かに昨日狩をしていたし、普通の生活を送っていたはずだ…」
「そうですね…」
何となく微妙な朝食が終わり、アニシアのお茶を飲んでいた時、王宮から迎えが来た。
「王子! ご無事で何よりでございました! お怪我はありませんか? 」
「あ、ああ…」
何処かよそよそしいルークの態度は仕方がない。記憶が無いのだ。
「それでは戻りましょう。アニシア嬢、世話をかけました」
「いいえ。私は何も…」
チラリとルークを見たが、難しい顔をしていたので、迎えの使者に笑顔を向けた。
「早く記憶が戻る事を祈っています…」
「それでは…」
そう言って礼をすると、馬車にルークを乗せるとあっと言う間に去って行った。
「行ったか…」
アニシアは屋敷に入ると何となくガランとした様な気がしてならなかった。
寂しい訳ではない。元々一人で住んでいたではないか…。
朝食の食器を片付け、洗濯をし、部屋の掃除をした。
それでもふと、玄関を見てしまう。
たったの一晩。誰か人が居ただけでこれ程まで違うのか…。
気持ちを切り替え、編み物をしようと毛糸の入っている棚を開けた瞬間。
机の上が一瞬光った。見ると手紙が一枚置かれていた。
アニシアは差出人を確認し、目を大きく瞠り、直ぐに封を開け中を読んだ。
『アニシア嬢
この度は誠にお世話をお掛け致しました。
王子ルーク様におかれましては、王宮の術師、魔女が記憶を呼び戻そうと致しましたが、どうにも記憶が戻らなく、お恥ずかしいばかりでございます。強いては差し出がましいのですが、何卒お力をお借りしたく、書を認めさせて頂きました。
内密に事を進めたい折、ご容赦下さいませ。つきましては明日にでも王宮に参られ、お力をお貸し頂きたいと存じます。何卒ごよろしくお願い申し上げます。
王宮執事 シュワルツ
』
手紙を読み終え、アニシアは暫し固まってしまった。
王子の記憶が戻らない?何故?だって王宮には優秀な魔術師や魔女がいるし、それに自分など役に立つ訳などない。
けれどこれは断れない事案なのだろう…。自分に依頼してきたという事は、相当困っていると言うことだ。国の大事にもなりかねない…。
王宮に出向くなんて嫌過ぎるが、ルークの事が気になるし、どんな形であれもう一度会えるのなら…。
アニシアは自分など役に立つ事はないと前置きしながらも、伺います。との返事を返した。
「さて…」
鞄に身の回りの物を詰め込み、支度を始めた。
別にドレスなど必要ないだろうが、みっともない格好もできない。
アニシアは簡素だが、それなりに見える服も鞄に詰めた。
直ぐに帰るつもりだ。余り荷物は多くない方がいい。
ある程詰めると、転移魔法で荷物を王宮に送らせてもらう。
明日身一つで王宮に行けばいい。
どうにも複雑な気持ちは拭えないが、アニシアは覚悟を決めた。