黒い風
第一章
《序曲〜風〜》
風が吹いた。
一瞬、生温いその風が体を覆った。吐き気がした。
遠い過去、同じ様な風の吹く日に、二度と思い出したくない、悪夢の様な日の事が鮮明に走馬灯の様に脳裏に巡り、どうしようもなく信じられない様な大声で脳裏に巡るビジョンを打ち消したい一心で叫んだ。無駄だった…。
―ああ、終わった…。
高校生の頃、ちょっと大人の世界に幻滅しながらも期待していた17才、高校三年生の初夏。
一瞬で地獄に陥れた、あの日の出来事。あれを思い出さなくなるまでに10年以上もの歳月を要し、自分を偽り続けて来なければならなくなった、この人生は何だったのか…。
見えない敵、忍び寄る気配、絶え間なく続く恐怖感。目には見えない、絶対の恐怖。
あの日も今日と同じ、梅雨入りしたばかりの鉛色をした空の日だった。事の起こりは、いつも通りの日常から始まった。
普段と何も変わらない、今日もいつも通りの日常がはじまろうとしていた。普段通りではないなんて、この時は思ってもみなかった。
私が通っていた高校は市内でも比較的外れの、のどかな場所に建っていた。
電車とバスを乗り継いで、いつもの様に登校した後、つまらないホームルーム、つまらない授業を受け始めた、1眼目開始直後の事だった。
廊下側の一番後ろの席に座っていた私の耳に、今まで聞いた事のないノイズが聞こえて来た。
ズー…、ズー…。
何かを引き摺る様な微かな音が、だんだん近寄って来る。
どうして今日はこんなに静かなんだろう?
不意に静まり返った校舎内にも疑問に思った。
ズー…、ズー…。
さっきより近づいて来ている。音の発生源は、廊下ではなくその向こうの校舎の壁越しの様な気がした。嫌な予感がした。この教室は四階建ての最上階。しかも東西に長い校舎の一番東側にある。奇妙な音は、やがて気配の様にリアルさを増して近づいて来ている。でも、その方角から何かが近づいて来るなど、絶対にあり得ない。
私の周囲の子達も、何かに気付きはじめた。一人、また一人、廊下側の磨りガラスの向こうが気になり出し、チラチラと様子を伺っている。
「何か、変な匂いしない?」
隣の子が不意に呟いた。窓の外の気配はもう、今はこの教室の裏側に移動していた。背中がゾクゾクする。気配は真後ろから少しずつ、左の方に移動している。ズー…、ズー…。という引き摺る様な音に変化はない。視線を左にやった。
イヤ!窓が開いてる!閉めたい!閉めに行かなくちゃ!でもどうやって!?
今は授業中、立ち上がる事さえできない。
誰か、早く!
心の中で、この事に気付いている誰かが、席を立って窓を閉めてくれる事を願った。
ああ、もう駄目だ…!
左端まで気配が移動したのを感じた瞬間、異臭のする生温い風が教室の中へ吹き込んだ。
「何だ?」
教室の左斜め後ろから吹き込んだ風は、教卓で熱弁していた教師の所まで届いたらしい。異臭にしかめた顔で問題の一番後ろ端の窓の所まで大股で闊歩して行き、窓の外を覗き込んだ。
刹那、何者かに引っ張られる様に一瞬で教師は落下した。生徒達が騒然となった。
「キャー!!」
この教室は四階にある。落ちた者が助かる筈もない。けれど、それを確認できない。窓の外には、まだあの気配がある。二の舞になる恐怖を押さえつけ、席を立ち上がると、その窓に手を恐る恐る伸ばして閉めて、鍵もかけた。
「窓閉めて!」
思い切り叫んだつもりだったが、恐怖で震えていた。
クラスメイトのおかげで、教室の窓は全て閉める事ができた。
でもまだ、恐怖の気配は私の直ぐ後ろにあった。何かがいる。それだけでも恐怖、それ以上、それ以下でもない。だが、窓から入り込むかもしれないという不安だけは取り除かれ、少し安堵したのか大きな息を吐いた。
突然、目の前にいた窓際一番後ろに座っていた子が、土嚢を落とした様な鈍い音を立てて崩れる様に倒れた。
周囲の子達が後退りをして、その子から離れる。後ろには気配、前には倒れたクラスメイト。足元に倒れた彼女を見て、一瞬で鳥肌が立った。そこには、変わり果てた容姿の遠藤朝子が倒れていた。
真っ黒な出来物が、顔面、腕、そしてスカートの下の両脚にびっちりできて倒れ、そして両目を見開いたまま息絶えていたのだ。
「朝子ちゃん?」
彼女とは通学途中に一緒になり他愛もない会話しかした事のないくらいで、特別仲の良い関係ではなかったが、彼女の変わりぶりに足がすくんだ。足が震え、あまりの恐怖に声も出ない。それでも、動かない足を無理に引き摺り、行動を起こす。
「朝子ちゃんをこのままにしておけないよ。」ロッカーから体操服を出して来て、手に巻き付けながら、心の中で朝子に謝った。
(このブツブツがうつるかもと思ったら、素手で触れない。ごめんね。ホント、ごめん!)
体操服を手袋代わりにして、朝子の両腕を上げさせ、廊下まで引っ張った。何人かが彼女への謝罪の言葉を呟きながら、自分と同じ様に体操服を手袋代わりにして手伝いに来てくれた。私も含め、人手が5人になった。
朝子は痩せている方だったが、人間を引き摺るという行為自体がやってはいけない行為だと心の中で思っていたから、仲間が増えて少し気が楽になった。
「とりあえず、保健室に連れて行こう。他にもいるかもしれないから…。」
手伝いに来てくれた生徒の中に、クラス委員の相沢由衣がいた。
廊下に出ると、騒然となったうちのクラスとは真逆の、静けさに寒気がした。
梅雨入りしたばかりのジメジメした空気の中で、自分達の教室と同様に窓がぴっちりと閉められていた。
何かが起こったんだ。
と、そこにいる全員が直感した。何かの答えを知りたいという気持ちが湧き出て来た。でも、他のクラスの中を覗く気にはどうしてもならなかった。“怖い”という感情が邪魔していた。授業を行っている筈の教師の声さえしない。静まり返った校舎に、変わり果てた姿のクラスメイトを引き摺る音だけが虚しく聞こえる。最上階の教室から一階の保健室までは、どうしても階段を使わなければならなくて、息絶えた彼女を失礼にも鈍い音をさせながら引き摺った。
保健室には、誰もいなかった。治療用の皮張りの冷たい寝台に何とか乗せ、手袋代わりにして使った体操服を保健室のゴミ箱に突っ込んだ。
「遠藤、ごめん…」
委員長相沢が呟きながら、そこにいる人間を集めようと手招きをした。
「とりあえず、教室に戻ろう。」
相沢の提案に、同意した私達は小走りで教室に戻る途中、さっきは気付かなかった少しドアの開いた教室が気になった。足を止め、怖さと好奇心の入り雑じった複雑な感情を感じながら、その隙間を少しだけ拡げて中を覗き込んだ。
「ヒッ!」
声にならない悲鳴が、口から飛び出た。驚愕して後退りをした。そんな私に気付いて、少し先まで行った相沢が、戻って来てその教室を覗き込んだ。
「ここも同じ…。」
息を飲んだ。先程、保健室に運んだ(?)遠藤朝子と同じ様な黒い吹き出物ができた教師や女子生徒達が、教師の中で無造作に転がって息絶えていたのだ。
「早く戻ろう、鷲尾!」
私より先に我を取り戻した相沢が、私の右腕を掴んで走り出した。恐怖で凍り付いた重い足が、何度ももたついて転びかけた。
教室のある階まで上がったら、教室前の廊下に人だかりができていた。
「相沢!どうなってるの?何かわかった?」
帰って来た私達を見て、何人かが尋ねて来た。相沢は肩で息をしながら、
「無事なのは何人要るの?」
廊下に出ている生徒を数えて、教室の中にいる生徒を数えようとドアを開けて凍り付いた。
「相沢達が出てった後、バタバタと倒れたんだよ。もう怖くて!」
他の教室と同様、変わり果てた姿のクラスメイトが何人も床に転がって息絶えていた。
「移動した方が良さそうだね。」
相沢のおかげでようやく我に返った私は、自分の鞄を持って廊下に出た。
「体育館が良いかも。トイレも給湯室もあるし!」
バスケ部の田伏美緒が提案した。反対意見もなく、そこにいる全員が賛成した。
無惨にも変わり果てたクラスメイト達が教室内の足場を悪くしていたが、各自で荷物を持ち、小走りで体育館へ移動した。途中、校庭で体育の授業を受けていただろう他の学年の肢体が校庭で転がっているのが視界の端に見えたが、見て見ぬふりをした。
無情にも、1眼目を終えるチャイムが鳴り響く頃、体育館の全てのドアや窓の施錠が終わり、舞台の前に生存者全員が集まった。
第二章
《継続する恐怖》
体育館に避難してから、しばらくの間誰も喋ろうとしなかった。
無理もない。あれだけの惨劇を見てしまったのだ。
私も例外ではなく、まだ手足が謎の震えに襲われていた。
沈黙を破ったのは、相沢だった。彼女は舞台に腰掛けながら、ゆっくり話はじめた。
「この学校で、恐らく生き残っているのは、ここにいる3年C組の半数私達20人だけ。皆、先生も生徒も遠藤みたいな症状で死んだと考えて良いと思う。原因は、はっきりはしないけどあの気配と臭い風…。」
彼女の声は、いつも私達に不思議な力をくれる。だんだん、震えが止まって来た。
「私達、死んじゃうのかな…?」
小柄な女子が震える声で呟いた。
「今はそんな事より、生き残る方法を考えたら?」
少し苛立って、真下直美に一喝した。
「鷲尾さんて、冷たい。クールじゃなくて鬼畜。」
真下はいつも何かと私に突っかかる。いつもの事だから、私も慣れっこになっていた。
「鷲尾の言う通りだと私も思うよ。ここにいる生き残りは、教室を斜めに切った半分。どうやらあの風が原因みたいなんだけど、どうして風が吹いただけで死んだのか…。」
相沢の問いに応える様に、皆は少しだけ考えてから言葉を放った。
「毒ガスは?」
「細菌兵器とかもあるんじゃない?」
口々に可能性を発するクラスメイト達。それを止めたのは化学部所属、学年成績トップの新田千尋だった。
「あり得ない。」
眼鏡を左手で直しながら、彼女は言葉を続けた。
「うちのクラスは、四階にあるんだよ。それらを窓から入れるなんて、人間技じゃない。不可能よ。」
彼女の言葉は、そこにいる誰もが納得するものだった。
「とりあえず、あの臭い風で死ぬ可能性が高いみたいだから、外には出ない方が良いみたい。それから、単独行動もしないで。トイレも必ず誰かと行くようにしてね。」
相沢の“とりあえず”は、いつも的を得ているから、誰も反発しない。
体育館に避難して来て皆で集まってから、少し気が楽になっていたのも束の間、またあのノイズが遠くの方で聞こえた気がした。
「相沢、ごめん!」
顔の前で右手人差し指を立てて静かにするようにジェスチャー、左手でノイズが近づいて来る東の方角を指差した。引き摺る様な音は、気配と共に体育館の屋根で一度止まった。
全員が天井を見上げ、不安な顔をしている。体育館の天井から吊り下げられた照明が、ゆらゆらと揺れている。しばらくして、また気配は動き出し、体育館の北側へと遠退いて行った。
「あれを教室でも感じなかった?」
全員に問いかける。半数が挙手した。
「あれが原因かもしれないのは、わかった。でも、それだけじゃあ先へ進めない。」
「待って、相沢。これ以上、先へ進まない方が良いかもしれない。誰かが学校の異変に気付いて助けに来てくれるまで、今のままここでじっとしてた方が良いって事もあるんじゃない?」
また相沢の語尾を奪って発言した私に、賛成してくれそうな顔をしているのは一人もいなかった。
「冗談じゃない!このままあの気配と音に脅えて、殺されるのを待ってろっていうのか?だったら、鷲尾一人でここにいろよ!」
ボーイッシュなベリーショートが印象的な、根岸恵佳が怒鳴った。
「原因がはっきりしないまま、行動するのは頭が良いとは言えないって!何かがわかるまで、ここにいた方が絶対良いって!」
全員が納得してない表情をして、冷たい視線を私に送っている。
「ねえ、蘭那。あんたの言いたい事は、わからないでもないけど、このままじゃあ孤立しちゃうよ?」
生き残った仲間のうち、唯一の友人矢口紅がスカートの端を引っ張って小声で言って来た。そういう紅も、今の私の発言には賛成していないみたいだった。
唯一、賛成したのは相沢だった。
「何かがわかるまでここにいるっていうのは賛成だね。」
相沢は、他の皆をぐるっと見回してから言葉を続けた。
「皆は鷲尾の事がまだわからないから、信用できないのも無理はないかもしれない。でも、遠藤が倒れた時に鷲尾が真っ先に行動したし、避難する時も他のクラスの様子も、鷲尾がきっかけだった。周りがよく見れる、感じる奴だと私は思うよ。」
相沢は、舞台から降りて来て、私の背中を二回タップしてその場に座った。
そう。私、鷲尾蘭那は、この私立女子高校に先月編入して来た、云わば新参者。まだクラスメイトとの距離がある存在。そんな私に、誰も賛同しようとしないのは、当然の事かもしれない。そう皆、自分の事で頭がいっぱいなのだと思う。
空気が読めない訳じゃない。ただ、クラスメイトの不穏な死を見て、現実とは思えない悪い夢を見ている様な気がしてならない。
―夢なら醒めて!
何度も、何度も、何度も心の中で叫んだけれど、何も変化はなかった。そう。今、起こっていることは、まぎれもない現実―リアル―
少し皆から距離をとって座った私の所に、紅が来てくれた。
「蘭那、さっきはごめん。自分の事しか考えられなくて…。でも、怖いの。怖くて怖くてたまらないの。」
紅の正直な気持ちだろうと思った。
「皆、同じだよ。私だって、怖い…。」
自分に黒いブツブツができて、死ぬのを想像したくなくてもしてしまう恐怖。このまま学校の異変に、誰も気付いてくれないかもしれないという恐怖。何を考えても、全てが悪い方へと向かって行くような恐怖へと、あの得体の知れない気配が私達を誘う。
「また来た!」
誰かが、小さく叫んだ。一瞬にして静まり、全員が息を殺して気配が近づいて来るのを感じようとしている。
田伏が、北側の窓の方を指差している。ズー…、ズー…っと引き摺る様な音が、だんだん近づいて来るのを感じる。窓のすぐ側まで来ただろうと感じたが、体育館の磨りガラスには影さえも写らなかった。気配は、ゆっくりゆっくりと移動し、体育館の東側を通り過ぎて遠退いて行った。
「プハァッ!」
こんなに長い時間、息を止めていた事なんて今まで一度だってなかった。息を吸うのを忘れるくらいの恐怖。無理もない。あと何度、この恐怖から解放されるまでに、この寿命の縮む思いをしなければならないのだろう。それまで、生きていられるのか、それとも…。
あの気配が何なのかがわかれば、ここから出られる。でも、知る為には出るしかない。矛盾している事は、十分わかっていた。
真剣な顔つきで、相沢がこちらへ来るのが見えた。
「ちょっと良い?」
嫌な予感がした。頷いて、彼女の次の言葉を待った。
「外に出てみようと思ってる。」
嫌な予感は、見事に的中した。今、一番やってはいけない事を彼女は口にしたのだ。
「無謀過ぎるよ!」
反対しながらも、彼女を完全に思い止まらせる言葉が見つからない。
「皆あれに脅えているし、何かわかったらすぐに戻って来るからさ。」
まだ決定ではなさそうな口ぶりに安心したものの、今彼女を止めなければ出て行ってしまう不安は消えないままだった。
「何か外に連絡を取る方法…!携帯は!」
不可思議な出来事のおかげで、女子高生の必須アイテムをすっかり忘れていた。私だけでない、ここにいる全員が、鞄やポケットに入ったアイテムを忘れていたのだ。
「蘭那、私のは圏外だ…」
ピンクのラインストーンのデコ電を握り締めて、紅が力なく呟いた。
「私のもダメ。」
ため息混じりで、相沢も脱力していた。
他のクラスメイトは?期待しながら周囲を見回したが、期待はどうやら裏切られた様だ。諦めながら、自分の携帯を鞄から出してみる。…!三本立ってる!
「生きてる!」
信じられない気持ちで、110番に電話する。
「あの、S女子高に通ってるんだけど、今学校で事件か起きてて、何百人も死んじゃって!助けに来て!」
何から伝えたら良いのかわからず、感情に任せて叫んだが、電話の向こうの警察官には伝わらず…。
『いきなりそんな事を言われても困ります。教職員からの通報もないし…。』
「先生も皆死んじゃって!お願い、信じて!」
『君、クスリでもやってるんじゃないの?まあ、やってないにしても、事件が本当に起きてから電話しなさいね。』
“プツ!”
「待って!切らないで!」
叫びも虚しく、電話は一方的に切られ、その後の携帯は圏外となってしまった。
「最後の望みだったのに…。」
悔しくて涙が出そうになった。スカートのポケットに携帯を押し込んだ。
視線を上げると、全員がこっちを見ている。何かを期待しているのだ、今の電話によってもたらされる吉報を…。正直、言いにくかったが、結果を伝える事にした。
「信じてもらえないまま、切られた…。ごめん。」
その言葉に、全員の表情から期待が消えた事はいうまでもない。
最後の望みが絶たれた今、あの気配から逃れる術はなくなった。黙ったまま、考え続けた。
「あの気配に、暗号っていうか名前付けない?」
沈黙を破って、誰かが提案した。
「それ良いかも!ナイスアイディア、波田!」
相沢が波田裕美に賛成した。
クラスの中では、波田は少し変わった趣味を持った子としての印象が強い。大抵の子は、怪談やホラー、オカルト話は、夏の風物詩くらいにしか考えていないが、彼女にとってはそれが日常だったりする。
「“サイレント・キラー”っていうのはどう?」
「長いよ。暗号っぽくないし。」
また、“あの気配”がいつ近づいて来るかわからない為、小声で話しはじめた。
「それに、引き摺る様な音がするじゃん。“サイレント”じゃないよ。」
否定的な言葉は、いくらでも出て来ていた。少し離れた所から、私は黙ってそんな様子を見ていた。
今は参加すべきではないと、ただそんな風に思った。それよりも、今日の出来事について、色々考えてみようと思い、鞄の中から赤いエナメルの表紙が付いた手帳を出して、朝から起こった事を手帳に書き出す事にした。
まず、最初の風が1限目開始15分頃。それから、2回目に近づいて来た時は、2限目開始直後。そして次が、2限目終了間際。
左手の腕時計を見ながら、箇条書きにしてみる。
9:15―最初の風
10:00―接近1回目
10:45―接近2回目
45分おきに動いてる?偶然?それとも必然?
手帳とにらめっこしているうちに、左手の腕時計は“次の45分目”に近づこうとしていた。
まさか、本当に来る?それとも…。半信半疑だったが、あれが近づいて来るかもしてないと、神経を集中していた。
「ビンゴ…。」
まだかなり遠いのか、小さく“ズー…、ズー…。”っと、引き摺る様なノイズが聞こえて来た。
予想が当たって、嬉しくないのは、今日がはじめてだ。どうせ当たるなら、もっと嬉しくなるような事が良かったな…と、考えながら相沢に手を振った。彼女が気付いたのを確認して、ノイズが聞こえて来る方向を指差した。
「皆、静かに!テラーが来る!」
小さく相沢が叫ぶ。話をしていたクラスメイト達は、一瞬で静まり返った。
ノイズがだんだん近づいて来る。
体育館の東側から近づいて来て、西側へゆっくりゆっくりと通り過ぎて行くのを、静かに感じ取っていた。気配が完全に消えるまで、5分くらいかかった。手帳に“3回目接近”を書き込んで、視線を戻すと、誰かがすぐ前に立っていた。見上げると、手帳を覗き込んだ相沢だった。
「やっぱり、冷静に周りが見れてるね、鷲尾。」
私に向けた顔は、笑っていた。
「そうそう、皆で相談して、あの気配を“テラー”って呼ぶ事にしたんだよ。」
“テラー”と言われて、思い付く言葉は一つしかなかった。
「…恐怖?」
「そういう事。簡単だし、当たってると思うんだよね。」
あの悪寒、底知れぬ恐怖を考えると、あながち間違ってはいないなと納得した。
「テラーね。覚えておかなきゃ。」
手帳に“テラー”と、書き込んだ。
“テラー”は、あの風だけで何百人もの虐殺を可能にしている。(中には転落死が約一名)一瞬にしてなのか、45分かけてじっくり殺したのか…。
何度も体育館の周りには来ているが、中には侵入して来ないのは何故だろう?実体がある?妙な話になるが、例えば幽霊なんかなら壁でも窓でも通り抜けて来れそうだ。でも、入って来ないなら、それが不可能な実体があるからかもしれない。安易な考え方かもしれない。けれど、今はそれ以上は考えつかなかった。
それから、テラーが何を目的に動いているのかも、考える為、進行方向も書き加える事にした。
1回目―西から東
2回目―東から北
3回目―北から東
4回目―東から西
書いた事を見ていて、一文字書いてない事に気が付いた。“南”がない。
南側には行っていない。不意にテラーの行動が不思議に思えた。現在地である体育館から、南には行っていない。行かないだけなのか、行く事ができないのか。
もしかしたら、南に逃げたら安全かもしれない。安易だけど、それを考えてしまった。でも、どうやって?問題は、山積みだ。見えない相手を、どうやって出し抜くのか、風より速く走る事なんてできない。逃げるも何も、何を対象に逃げれば良いのか。無理だ。すぐに考えが行き詰まって、頭を抱え込んだ。どうすれば、どうしたら良い…?
「学校の見取り図みたいなのって、体育館に掲示してる所あるかなー?」
独り言のつもりで、呟いたのを隣にいた紅は聞いていてくれた。
「生徒手帳持ってる?後ろのページの方に、載ってたような載ってなかったような…。1年の時は持ち歩いてたけど、今はうちの机に入れっぱなしだからな〜、記憶が曖昧…。」
苦笑しながら、彼女は教えてくれた。
私だって、紅の事は言えない。通学用の鞄に入れっぱなしにしているのだから。鞄の中を捌いて、生徒手帳を出すと、後ろの方からペラペラ捲ってみた。
「あった!」
何となく、体育館の南側に何があるのか知りたかった。知ったところで、風より速く走る事なんてできないから、どうする事もできないが…。
「教会?」
体育館の南側には、学校の教会があった。
忘れていたが、ここはキリスト教関係の宗教学校。編入試験を受ける時に、“神様は信じない”私がとても悩んだ原因がそれだった。編入してから、一度も足を踏み入れた事のない場所だった。
テラーは教会が怖い?それとも、何か他の理由があるのだろうか?短時間でまとめた少ないデータだけでは、それ以上の解答が出て来なかった。それでも、望みをかけて教会までの道を調べてみる。校庭沿いの、剥き出しの通路があるだけだった。無理なのは、わかっていた。わかっていたけれど、まだ“生き残りたい”という欲が消えないでいる。
「ねえ、期待しないで聞いてくれる?」
恐る恐る、紅に尋ねてみる。
「何か、わかった?」
皆から少し離れた場所で、他のクラスメイトには聞こえないように、先程書いた走り書きと生徒手帳の見取り図とを照らし合わせながら説明をはじめた。
「だから、テラーの行かない南側に教会があってね、そこへ避難してみたいの。45分おきくらいにテラーが来るなら、北側へ移動して行った時、ダッシュで避難する。体育館に避難して来た時みたいに、短い時間なら、全員で行けるかもしれない。どう思う?」
「可能性出て来たね。」
紅は、笑顔で頷いてくれた。
残る問題は、これをどうやって他の皆に説明するかだ。変に期待されても、失敗した時に責任をとらされても困る。あまり喋るのは、上手な方ではない。さっきの電話で、嫌という程痛感させられた。
「まだ皆には、言うのやめておこうね。パニックになり兼ねない。」
悩んでいた私に、紅は今の段階での解答を出してくれた。
考え事をしていると、45分はあっという間に経ち、またテラーがやって来た。恐怖を感じ、緊張しながらも、ゆっくり過ぎる程遅く流れる時間を、受け流せる様になっていた。
テラー接近を、手帳に書き加える。
「12:15―5回目―西から北…。」
また南には行かなかった。偶然でも、これだけ行かないとなると、テラーが避けている様にしか思えなかった。
ようやく望みが、小さな望みだけれど、見えて来た気がした。それによって安心したのか、お腹がすいて来た。こんなに切羽詰まった状態にも関わらず、空腹を感じている自分が、可笑しくてたまらなかった。でも、空腹なのは私だけでない様だった。
「コンビニに行く!?」
驚いた相沢の声が、体育館のアリーナ中に響いた。この状況下では、驚くのも無理はない。
「うちらいつも、買い弁だから。腹が減ると、苛々するし…。」
相沢の所にいたのは、根岸達5人だった。
「外に出るのは、危険過ぎるよ。コンビニって言ったって、自転車で行っても10分はかかるでしょ。うーん、困ったな…。これ、弁当ない子達で分けて。」
黄緑色の巾着袋を、根岸達に差し出した。
「別に、そういう意味で言ったんじゃないよ。」
「お腹が減ると、苛々するんでしょ?」
そう言っている相沢も、苛立っているのが少し離れた場所にいても感じた。
「はいはい、ごめんよ。弁当持ってないのは、何人?」
田伏が絶妙なタイミングで会話に混ざり、手の甲にボールペンで何かを書いていた。「今のところ、5人かな?」
少し呆れた口調で、相沢が応えた。
「相沢、一緒に来てもらって良い?舞台裏の部室に行きたいんだけど…。」
「良いよ。行こう。」
立ち上がって、相沢と田伏は連れ立って舞台裏向かった。ちょうど私の前を通った時に、田伏が呟いた。
「8人分か、足りるかなー?」
弁当を持ってないのは、罪にはならない。それぞれの家庭の事情があるだろうし、今時期は食中毒の心配もある。だから、別に何とも思わなかったが、母親の口癖が一瞬頭を過った。
「私が生きている間は、母親としてできるだけの事をしてあげるからね。」
いつも未来に不安な事があると、母がそう言って励ましてくれている。幼い頃から、何度も聞いた母の口癖。
舞台前に2人が帰って来た時、田伏は抱え切れない程のカップ麺を持ち、相沢は白い湯気の立つ黄金色の大きなヤカンを持っていた。「何?そんなんあるの?」
「これは、購買が休みの土日の部活用。コンビニ遠いから、行くのめんどいじゃん?」
少し恥ずかしそうにしながら、弁当を持ってないクラスメイト達に配っていた。
「サンキュー…。」
さっきまで苛々していた筈の根岸が、耳まで真っ赤にして礼を言っていた。
田伏のカップ麺が、不意に入った亀裂を埋めた。
「まあ、この先どうなるかわからないけど、『腹が減っては戦はできぬ』って、昔の人も言ってたじゃん。」
カップ麺にお湯を注ぎながら、田伏は言った。
周囲が落ち着いて来たので、鞄の中からお弁当の入った紺色の巾着袋を出して、昼食をとる事にした。
束の間の休息。空腹だった割りには、あまり食べられなかった。おにぎりを1つ食べただけで、片付けて鞄の中に突っ込んだ。食欲のない私を、紅が心配そうに見つめているのに気が付いて、笑顔で応じた。
皆が食べ終わった頃、また“次の45分目”が近づいて来ていた。
予想通り、テラーはゆっくりとやって来て、ゆっくりと去って行った。
手帳に、“13:00―6回目―北から東”と書き加えた。
だいぶデータが揃ってきた。そろそろ、皆にも話して良い頃かもしれない。けれど、どう言ったら上手く伝えられるのか不安になって来た。
手帳を眺めている私の所に、相沢がやって来た。
「鷲尾、さっきのデータを見せてもらっても良い?」
自分の生徒手帳とボールペンを持参した彼女は、急いで書いているとは思えないきれいな字で書き写した。
「何かの役に立ちそう?」
自信がないわけでもなかったが、相手の様子を伺う。まだ、避難の事は言わない方が良さそうだ。
「まだ、役に立つかはわからないけど、私達の“戦いの証明”かな?」
戦いという程の事はしていない。息を潜めて、テラーが通り過ぎるのをただひたすら待っているだけなのだから。
相沢は、一通り書き写すと礼を言って、また皆の所に戻って行った。彼女も、まだこの事を皆には話す気にはなっていない様だった。生徒手帳を無造作にポケットに突っ込んで、全く別の会話をしていた。
第三章
《希望へ…》
7回目のテラーが、東から西へと通り過ぎて行った。その後しばらくして、根岸達のグループが連れ立って、どこかへ行こうとしているのに相沢が声をかけた。
「どこ行くの?」
「トイレ!」
そう言って、舞台の反対側にあるドアに向かって歩いて行く後ろ姿を見送った。何の疑いもなく、私は彼女達を見送ったが、相沢はまた彼女達に声をかける。
「根岸、ミーティングするから、早目に戻って来て!」
「OK!」
笑顔で根岸は振り返った。
一人で行動するなという、ルールに従ったと思える行動。幾度となく、テラーが通り過ぎるのを息を殺して待ち、繰り返される寿命の縮む様な恐怖感を共有し、ようやくまとまって来たと思っていた矢先の事だった。
いくら待っても、帰って来ない先程のグループを、5人一組で探す事になった。舞台裏組、玄関ホール組、二階組に分けられた。
相沢が、何となく気付かれないよう、“次の45分目”までには全員で集まれるよう、2時半までには戻る様に、皆に声をかけた。
私と紅は二階組に入れられたので、他の三人と一緒に舞台裏の階段から二階応援席や、証明装置の間、放送室などを見て回った。けれど、目的の根岸達の姿はどこにもなかった。
「戻ろっか?」
一通り見た後、紅が皆に声をかけた。
体育館アリーナの舞台前に戻ると、舞台裏組が戻って来ていた。
「どうだった?」
私達に気付いた田伏が、声をかけて来た。それには、紅が応えた。
「いなかった。そっちは?」
「ダメだね。どこ行ったんだ、アイツら…?」
困った表情を浮かべる一同。誰もわからない、答えが見つかる筈もない。
体育館のトイレは、舞台とは反対側のドアの向こうにある。現在、皆がいる所からは完全な死角。そこには、トイレと体育で使用する更衣室、シャワー室、そして玄関ホールがあるだけだった。
「相沢達も遅くない?」腕時計を見る。2時25分。今、ガヤガヤと行動して、テラーに見つかるのは怖い。
「相沢の言ってた2時半までは待とうよ。」
咄嗟に皆の足を止めてしまった。何か怪しまれたかもしれないと思った。そのせいもあって、今度のテラーをやり過ごしたら、わかっている事を皆に話してみようと思った。
予定通り、テラーは静かにやって来た。2時30分、西から東にゆっくりと通り過ぎて行った。
「行こう、相沢達を探しに。」
アリーナの右端の扉から出て、玄関ホールへと足を踏み入れた。静まり返ったホールには、誰もいなかった。目の前には更衣室。その隣にシャワー室、トイレと並んでいる。そして、一番左端に、玄関のドアがある。私達は、更衣室から順に、見て行く事にした。
「いないか。」
更衣室内のロッカーの中や、掃除道具入れも確認しながら、ぞろぞろと集団は移動する。シャワー室のカーテンの裏も、誰もいなかった。トイレの個室も全部開けて、いないのを確認し、玄関口まで来て、一同は足を止めた。
「何だって、こんな事に…。」
惨い光景だった。
体育館の中で、唯一透明ガラスの付いている箇所が、玄関口の扉だった。その向こうに、さっきまで一緒に時間を過ごしたクラスメイト達が折り重なる様に倒れているのが見える。
恐らく、トイレに行っただろう根岸達は、玄関ホールで話をするうち、学校から出て、助けを呼びに行くとか、逃げ出せば安全かもしれないとか…思ったかどうかはわからないが、居場所を求めて体育館を出る事になったんだと思われる。そんな後ろ姿を見た捜索班が、慌てて連れ戻そうと追いかけて行った時、8回目のテラーがやって来たのだろう。
生死の確認は、怖くて行けれなかった。
生き残っていた私達をまとめてくれていた、相沢がいなくなった穴は大きい。次に反発者が出たら、もう誰も止められない。私は開いた玄関のドアと鍵を閉めて、アリーナに戻った。
また人数の減った不安が、私達全員を寄せ集め、手の届く様な近場に全員が座っていた。
私は決心して、皆に話しかけた。
「ねえ、聞いてくれる?」
クラスメイトを失った悲しみで、黙ってうつ向いている子、泣いている子もいたが、生きる可能性の為に私は皆に声をかけた。
「え?何?聞くよ。」
一番最初に反応してくれたのは、真っ赤な目をした田伏だった。彼女はタオルで顔をゴシゴシ拭いて、私の方を見てくれた。
「今じゃないとダメなの?」
真下がぼやいた。彼女は泣きの最中だったが、時間が限られているので、この際無視する事にした。
「一番大事な時だと思う、嫌でも、聞いててね。」
一回深呼吸してから、本題に入った。
「今のところ、わかっている事から話すね。テラーと名前を付けた気配が、この体育館に近づいて来るのが、大体45分おき。それで、テラーの進行方向にも注意していたら、テラーは何故か南側には進まなかった。今までの8回全部。」
私はノートの空きページに書き込みながら説明したところ、ほとんどの子が、覗き込んで話しも聞いてくれている。
「それで、紅とも話したんだけど、今より南側の教会に避難しようと思ってる。」
そこまで言って、皆の顔を見回した。
「根岸達の二の舞になるんじゃないの?」
文句を言うのは、いつも真下だ。
彼女は、小さくて可愛いタイプの子で、何かとチヤホヤされているせいか、私から見たらわがままなのだ。
「根岸達は、このテラーの法則を知らなかった。相沢は、知っていたから2時半までに戻る様に言ってた。今一番心配なのは、数時間ぶりに犠牲者が出て、テラーが私達がまだ生き残っている事に気付いているかもしれないという事。だから、できるだけ早く、ここから脱出したい。」
「私は賛成。」
挙手して、田伏が同意してくれた。他の子も、だんだん手を挙げてくれて、最後に真下が手を挙げた。
「どうすれば良いの?鷲尾。」
「できるだけ早くと言っても、あと何回かはテラーを見送らなきゃならないと思う。東か西から北側へ移動した時がチャンスだと、私は考えてる。でも、ここからは自分の責任で行動して欲しい。もしかしたら、出て行かない方が安全かも…と、私も少しは思ってるから。」
正直な気持ちを打ち明けた。
皆、それぞれがどうするのか考えはじめた様だった。
「北側へ移動した時か…。覚えておかなきゃ。」
田伏が荷物を片付けながら呟いた。彼女は、バスケットシューズに履き替えていた。
「上靴じゃ、走りにくい。」
彼女はニカッと笑って、私に言った。流石、運動部といったところだ。
変な緊張感が、全員を襲った。次にテラーは、どの方角に進むのか。ここへ残るのか。それとも、外へ出て可能性にかけるのか。
沈黙のまま、次のテラーが来るであろう時間が近づいて来ていた。
「本当に来た…。」
45分おきという法則を知った子達が、驚きを隠せないでいる様子だった。
テラーは相変わらず、重いものを引き摺る様なノイズをさせ、ゆっくりと近づいて来る。東側から近づいて来たテラーは、進路を北側へ変えて通り過ぎて行った。
テラーの気配が完全に通り過ぎ、消え去るのを待って、私は立ち上がった。
「行こう、教会へ…。」
皆に声をかけた。残ると言い出すクラスメイトもいるかと思っていたが、そんな事はなく、全員で向かう事になった。
体育館の南側のドアは、アリーナから直接出られる場所にあった。自分の荷物を小脇に抱えて、呼吸を調える。
「途中で止まるな!一気に走り抜け!」
田伏が気合いを入れるように、全員に声をかけた。私はドアの鍵を開け、勢い良くドアを開けた。
全員が一斉に飛び出した。教会までの距離は、200m弱。グランドの向こう側だ。
上靴のまま外へ出た私達は、全速力で教会へ向かう。
『ミイツケタ…』
頭の中に、急に飛び込んで来た低い声に驚いて、私は足を止めてしまった。辺りを見回したが、それらしい怪しいものは何も見つからなかった。少し遅れを取ったが、気を取り直してまた走り出した。
教会が視界に入った。教会の周囲は、木々が植えられていて、時期の紫陽花が満開だった。
「あ!」
もう少しという所で、真下が転倒した。申し訳ないと思ったが、彼女の横を走り抜け、追い越して走り続けた。真下の声に気付いた田伏が、引き返して彼女の所へ駆け寄った。
走るのが速い子達は、もう教会へ着いて扉の所で私達後続者達が来るのを待ってくれていた。
「着いた…。」
私は5人目だった。肩で息をする私の耳に、また低い声が聞こえた。
『ミイツケタ…。』
「何か言った?」
周りの子の反応を見るが、全く感じていない様子だった。
「速く!」
紅が後続者達に声をかける。
怪我をしたのか足を引き摺って走る真下、その手を引く田伏。文化部の波田と新田、そしてポッチャリ系の稲石美奈子が全速力で走る。
あと少し!
グランドの向こう側で、砂が舞い上がったのが見えた。
「風が!」
紅が、彼女達の後方を指差して叫んだ。
「閉めろ!」
田伏は、何かを悟ったかの様に、私達に向かって叫び返した。
「早く中へ!」
諦め切れない私は、他の子が閉めようとする扉を止めて、手を伸ばした。まだ、着かない。
「間に合わない!!」
紅によって扉は閉められた。
閉めた途端、強い風が扉に吹き付けた。砂ぼこりが、扉やステンドグラスに当たる軽い音がした。
しばらくして、扉の向こうからノックする音がした。
「着いたけど、くっさい風をまともに浴びたから、中へ入るのはやめとくよ。」
田伏の声だった。続いて、真下の声もした。
「鷲尾、今まで意地悪言ってごめんね。」
半分泣いている様な声だった。
涙が知らず知らずのうちに溢れ出て来た。
後悔?そんな言葉では言い表せない感情が胸の中で渦巻いていた。
「蘭那のせいじゃないよ。ただ、運が悪かっただけ…。」
紅が扉の前で泣き崩れた私に、声をかけてくれて肩を抱いてくれた。
“私のせいじゃない”という言葉が、胸に引っかかった。本当にそうだろうか?
「残ったのは5人か。牧野、溝口、矢口、鷲尾、私。何だ、教室の右っ端じゃん。」
森永が呟いた。確かに、ここに無事たどり着いたのは、私の席の周りの子達ばかり。生存者は、牧野梨子、溝口茜、森永早織、矢口紅、私だった。全校生徒550人、教職員も入れて総勢600人の内、たった5人。
扉一枚で隔てられ、生死を分かつこの現状に、感情が追い付いて来ない。
扉の向こうで、さっきまで一緒にいた彼女達が、崩れる様な音を立てて倒れて行くのが聞こえた。
助けられなかった悔しさの念と、生き残った嬉しさとが入り雑じって、気分が悪くなり嗚咽が止まらなくなった。
第四章
《テラーとは…?》
教会に逃げ込んで、気分が悪くなり、私は不作法にも長椅子に仰向けで寝転んでいた。
牧野が中央奥のキリストの十字架の前に膝ま付いて、黙って祈りを捧げていた。それに続いて、私以外の人間は十字架の前で祈っていた。私には不可解だった。
「ねえ、神様って信じたら助けてくれるの?」
愚問だとは思ったが、他の4人に尋ねる。でも、すぐには答えは返って来なかった。どうしても信じられなかった。神様は不公平だと、常に思っているからだ。…いや、母が言っていたから?
神様はいつも見守っていてくれるかもしれないが、いざというときは手を貸してはくれない。その逆に、悪魔は常に傍にいて、不幸になる様にちょっかいをかけてくる。そんなイメージが頭の中に染み付いていた。
ようやく落ち着いた頃、“次の45分目”が、また近づいて来た。
テラーは、教会に近づいて来るのか、来ないのか…。強い風が吹く音がした。扉を閉めた教会の中には、吹き込んでこそ来なかったが、砂や小石がステンドグラスや扉に当たり、散って行く音が聞こえた。
「来ないね。」
圏外のままの携帯電話の時計を見つめながら、紅が呟いた。
あの恐怖の気配が近づいて来なかった。それだけの事なのに、教会にはテラーを寄せ付けない何かがあるのだと思ってしまった。
“3時15分―10回目―風が吹く”
手帳に書き加えながら、椅子に寝転んだまま、考えに耽った。
「ねえ、蘭那。」
不意に紅が話しかけて来た。上体を起こして、彼女の次の言葉を待った。
「私達は、小学部からずっとこの学校で育って来たから、神様はいるものだと思ってる。」
紅の正直な気持ちだろうと思った。
「気にしないで。信じているものを、信じ抜くのも良い事だと思うよ。私はただ、ママが“神様は信じない”人だから、ちょっと信じられないだけ…。」
私も正直な気持ちを話した。
「蘭那のお母さん、何かあったのかな?だって、困った時は“神頼み”でしょ?」
「その“神頼み”で、助けてもらえなかったんだって。」
紅の言っている事は間違ってはいかなったが、私は母の話を省いて結論だけを言った。
「私は助かったクチかな?」
溝口が会話に混ざって来た。
「助けてもらったの?神様に?」
半信半疑で彼女に聞き返した。
「うん。中学部の時に、交通事故で意識不明の重体。これがその時の傷。」
夏服の上着を捲って、背中の大きな縫い傷を見せてくれた。
「入院中、うちのママが、あそこのマリア様に何度もお願いしに来たって言ってた。」
彼女は、十字架の右隣のマリア像の方を向いて、話してくれた。
この世の中に、神様に助けてもらえる人もいるんだ…と、心の中で呟いた。それと同時に、どうして母の時は助けてもらえなかったんだろうと、不思議に思った。
「私も、小学部の時に助けてもらったと思ってるよ。」
森永も会話に混ざって来た。
「溝口程じゃないけど、私は小っちゃい時ひどい喘息持ちでね。入退院を繰り返してたの。最後にたどり着いたのは、この学校の付属病院。縁あってこの学校に転入してからは、一度も喘息が出てない。今では、陸上部の長距離レギュラーよ。」
軽い宗教の勧誘みたいだな…と、思いながら彼女達の話を聞いていた。いつの間にか、教会にたどり着いた全員が、私の周りに集まって来ていた。
「私は幼稚舎からこの学校に通っているから、日曜日のミサにはいつも出てるよ。ママが病気の時には、キリスト様にお祈りしたわ。まあ、ただの風邪だったけどね。」
牧野の話は前者に比べたら大きなものではなかったが、信じているという気持ちは伝わって来た。
「じゃあ、今度は私の番ね。」
紅が口を開いた。
「高等部に入ってすぐの、オリエンテーションで登山で帰りに道に迷っちゃつたの。」
「それって遭難?」
「そうなんです。」
下らない冗談も、この状況下では可笑しくてたまらなかった。
「日が沈んで、足も疲れて来て、『もうダメだ、歩けない!』と、思った時、お守りで持っていたこの十字架を握り締めたんだ。」
携帯ストラップになっていた十字架を見せてくれた。今月に入って機種変更したのに、ストラップは変わらなかった事を不思議に思った事を思い出した。
「そしたら、一本の道が見えたっていうか、その道だけ光が差して…。それで無事に助かりましたとさ、チャンチャン。」
思い出だから、かなり誇張されているかもしれないが、皆の話に感心していた。
「神様も、やる時はやるんだぁ。」
私らしくない言葉が、出て来て自分でも驚いた。
「人生で、一度あるかないかだと思うけどね。」こんなにも、神が人間に手を貸している事を、私は今まで知らなかった。いや、知ろうとしてないだけだっただけなのかもしれない。偶然と言ってしまえば、全ては片付けられる。でも、神に助けてもらったと思えば、幸福を感じる事ができる。
「蘭那のお母さんに、何があったの?教えてもらった事ある?」
興味津々で紅が聞いて来た。他の3人も聞きたいらしく、私の顔をじっと見つめている。
「私が生まれる時の事なんだけどね…。」
渋々、話しはじめた。
「私、本当はクリスマスね日が予定日だったの。」
「キリストと同じ日だね。」
「うん。だけど全然出て来なくて、それから9日目に陣痛がやっと来たんだって。」
私も母に聞いた話だから、どこか他人事の様な口調に自分でも可笑しかった。
「いよいよ、出産!っていう時に、私の心音が急に弱くなって頭に吸盤みたいのを付けて引っ張り出されたんだけど、仮死産っていうの?呼吸してなかったから、産声をあげなかったんだって。助産婦さんが私を逆さまにしてお尻を叩いたり、口や鼻からチューブを入れて羊水を吸い出したりしたんだけど、7分くらい呼吸が止まったままで、だんだん紫色になって来て、ママは神頼みをしたの。『神様、どうかこの子を助けて!』心の中で祈ったんだって。でも、待っても時間が過ぎて行くだけで、産声をあげない私に、最後のお願いをしたの。『悪魔でも良い!この子を助けて!』そしたら一声『フエ…』て出たんだって。」
私の話を聞いて、4人がものすごく引いているのを感じた。
神様を信じている彼女達に、この話はしてはいけない話だったかもしれない。
私はそれ以上話すのをやめた。彼女達は、キリスト教信者で聖書に書いてある事が全てだ。それに、これ以上話をしても亀裂を拡げるだけなのはわかっていた。口論しても仕方ないと、私が勝手に決め込んだだけかもしれない。何か話そうとしたら、彼女達が信じているものを否定する言葉しか出て来ない様な気がしたから…。
全員が黙ったまま、“次の45分目”が静かにやって来た。先程と同様、強い風が吹き、砂ぼこりを巻き上げているのが聞こえた。
黙ったまま、手帳に“4時―11回目―風が吹く”と書き込んだ。また気配は近づいて来なかった。やはり、何かあるのだ。テラーが近寄りたがらない何かが…。
「今日、放課後に行事なかった?」
不意に溝口が口を開いた。
「ああ、来週から夏の大会の予選が始まるから、それの激励会があったね。」
帰宅部も強制参加の学校行事。どうやって抜けようか、昨日まで考えていた事を思い出した。
「でも、今は陸上部しか応援できないね。森永しか、運動部いないもの。」
牧野が言った。私はさっきの話を聞くまで、森永が陸上部という事さえ知らなかった。
行事は、総勢600人がグランドに集まって、運動部のレギュラーに選ばれた子達が“全力で頑張ります”みたいな事を言った後拍手をする、を繰り返すものだと、紅が教えてくれた。皆より、自分が冷めている事に気付いていた。先月編入して来たばかりで、何か部活に入った訳でもない。私はまだ、この学校に愛着さえ沸いていない。温度差があるのは、当然かもしれない。
この緊迫した中では、神様の話以降盛り上がる会話などなく、先のわからない不安な時間を黙ったまま過ごすしかなかった。
牧野はまた、キリスト像の前に座り込み、祈っている。でも、今はそうする事しかできないのだろう。私の中にもある苦しい感情を、精神世界のものに委ねたくなる気持ちだけは理解する事ができた。
12回目のテラーも風が吹いただけだった。
どうして?何故?答えの出て来ない疑問だけが頭に浮かんで来る。
出生時の話をしてから、皆が私から距離をとっている事に気が付いた。当然の事かもしれないが、淋しかった。一緒にいる事で、恐怖を和らげている事を知った。今までも勿論怖かったが、今はその何倍も怖い。紅だけでも良いから、傍にいて欲しかった。
キリスト像の前に私以外の皆は集まって祈り出した。
お願いと、お祈りはどう違うのか。いまいちわからなかった。だから、私は助けてもらえなかったのだろうか?それがわからないから、私は彼女達の所には行かれなかった。沈黙のまま、“次の45分目”が近づいて来ていた。私が手帳に“13回目”と書いた瞬間、頭から足の先まで、傾いた気がした。そして、下から突き上げる様な衝撃が貫いた。
「地震!?」
誰かが叫んだ。他の4人が、すぐ近くにあった祭壇テーブルの下に潜り込んだ。私も行きたかったけど、見る限り定員オーバーで、誰かの手や足があちこちから出たり入ったりしている。辺りを見回したが、これといって潜り込めそうな所が他になかった。
ああ、もうダメかもしれない。
激しい揺れの中で、そう思った瞬間、甲高い声が頭の中に飛び込んで来た。
『この中へ!』
声のして来た方を見ると、マリア像があり、足元の観音開きの物入れがゆっくり開いているのが見えた。訳もわからないまま、その中へ滑り込んだ。横向きに座って膝を抱え、ちょうど入れる狭い空間だった。半信半疑だったが、神様は私も助けてくれたのかもしれないと思った。
物入れの戸を閉めようとした時、ガラスが割れる音と、何かが崩れる音がしたので、怖くなって急いで戸を閉めた。地震と崩壊がおさまるのをその中で待った。
しばらくして、地震の揺れはおさまった。あちこちで、まだ崩れる音がする。
他の4人は無事だらうか。急に心配になった。
「よし、紅達の所に行こう。」
小さく呟き、戸を押した。だが、固く閉ざされていて開かなかった。物入れの前に何かが落ちて来て、戸が開かなくなってしまったのかもしれないと、思うしかなかった。
真っ暗で、自分の手足も見えない闇が急に怖くなった。怖くて、怖くて、抱えていた膝をもっと強く抱いた。
ズー…、ズー…。
沈黙を装っていたテラーが、近づいて来るノイズが微かに聞こえた。
「やだ、来ないで。」
小さく呟いた。ここには、恐怖を和らげてくれる友達も、希望も光も何もない。今日、一番怖いと思った瞬間だった。
『ヒャーッハー!ようやく消えたぜ!忌々しいキリスト像の結界め!地震で一緒に崩れやがった!』
頭の中に、また声が飛び込んで来た。地震の時に聞いた声ではない。教会へ向かって走っている時に聞いた、あの声だ!
真っ暗で見えないが、全身に悪寒が走り、鳥肌が立った様な気がした。
『教会なんぞに、逃げ込みやがって!この小娘!』
誰に言っているの?私?それとも、他の4人のうちの誰か?
頭に飛び込んで来るこの恐ろしい声が指している人物が、自分でない事を願ったが、気配が近づいて来る方向が、自分の方だと気付くのに、そう時間はかからなかった。
『13番目の悪しき者よ、止まりなさい。』
今度は、地震の時に聞こえた甲高い声が飛び込んで来た。私が助かったのは、この声のおかげだ。
『邪魔をするのか?マリア!!こいつは、契約の日を迎えたのだ!その小娘の魂は俺のものだ!』
『お前が契約したのは、この子ではなく母親。この子に手出しはできません。』
契約?魂?母親?心当たりがあり過ぎて、恐怖で頭が混乱する寸前だった。
『その小娘の母親は、契約違反だ。娘が二十歳まで生きられれば良いからと、娘の誕生の日から、1年ずつ娘に寿命を入れる契約をしたが、もともと長く生きられない女だった!6年足りねえ!あきらかに契約違反だ!』
低い声は、とても怒っていた。
ママが長く生きられないって本当なの?この中から、声の主達に問いかけたかったが、恐怖のせいか声すら出なかった。
『それでも、お前は今日多くの無実の者達の命を奪った。地震が起こる事は運命。だが、生き残る筈の者達の命まで奪うは、許されぬ行為ぞ。』
甲高い声と低い声とがぶつかり合う。信じられない様な事が起きているのだと、確信した。『どうせ生き残っても、たかが12人!寿命もそんなに長くねえ!それがなんだ!…あー…。』
怒鳴っていた低い声が、急に黙った。
『契約者が、心臓発作だ。契約は続行だ。気が変わった。今日命を縮めて死んだ奴の分の寿命を、小娘に入れてやる。そんなに長くはねえが、精々生きろ。また来るぞ、小娘。』
『待ちなさい!』
甲高い声か叫んだ後、もう何も聞こえて来る事はなかった。何もかもが静まり返り、何の気配もしなくなった。
真っ暗な物入れの中に閉じ込められたままの状態だったが、神様はいるかもしれないと少し思った。そして、面白い事に自分が聖母マリアに抱かれて眠っている夢を見た。夢を見ながら、深い眠りについた。
第五章
《終演》
覚えているのは、急に光が差し込み、オレンジ色の人達に抱えられて救急車で運ばれた事くらいだろうか。次に、目が覚めた時は、天井もカーテンも、壁も布団も真っ白な場所だった。
「蘭那?」
久しぶりに聞いた懐かしい声のする方を見ると、黒い服を着た父が小さな椅子に座っていた。
「パパ、お葬式?」
「ママの告別式だったんだよ。」
「ママの?」
父の言葉を聞いて、ある会話を思い出していた。「心臓発作で?」
「そうだよ。『蘭那が学校から帰らないから迎えに行ってきます』って、ママからメールをもらった。ママは車で迎えに行く途中、地震でかなり驚いて、発作が起こって田んぼに突っ込んで事故を起こしたみたいなんだ。救急車で運び込まれた先の病院で、医者が言ってたよ。」
父は、悲しそうだった。
「でも、どうして心臓発作だとわかったんだい?」
父に言っても、信じてもらえない気がして、喋る気にはならなかった。
神様が助けてくれたかもしれないと思っていたが、どうやら違うらしい。私は、母に助けられたのだ。
涙が止まらなかった。悲しかった。怖かったし、情けなかった。一度に色んな事が起こり過ぎて、頭の中は混乱していた。
病院で目覚めてから、眠ると夜叫が起こる様になった。叫んだ自分の声が大きくて、驚いて目を覚ます。そのせいで、退院まで個室へ移された。父が会社帰りに寄ってくれる時だけ、手をつないでもらっている間だけ、安心して眠る事ができた。夜叫は、退院してからも半年くらい続いた。
しばらくして、わかった事だが、私がマリア像の下から発見されたのは、テラーの事件から3日後の事だったらしい。
震源地が近く、地震で学校の建物は全壊。
マリア像だけが無事だったそうだ。
戸の隙間にスカートの裾が挟まっていたおかげで、発見できたらしい。学校内の生存者は、私一人だった。学校の人達を死に追いやったのは、まぎれもなくテラーだったが、誰も信じてはくれないだろうと、私は黙る事を心に決めた。大きな地震で、市内でもたくさんの人が亡くなったり、怪我をしたりした。私も、その中の一人を装った。
退院後、教育委員会のはからいで市内の高校に編入が決った。私はまた余所者扱いされながらも通学し、卒業もした。大学へも行った。就職も、そこそこの所へ行けた。あの日の悪夢を見て汗びっしょりになって飛び起きたり、思い出して吐いたりする事も何度もあった。けれど、年を重ねていく間に、だんだん少なくなり、やがてなくなっていった。
今では、もう30歳になった。仕事も慣れてつまらなくなって来ていたし、先月には3年付き合った彼にも振られて、人生に嫌気がさしていた。しかも昨日は、上司に嫌味を散々言われたので、このまま会社に居座ってお局街道まっしぐらに進んでやる!と、昨晩やけ酒をしてしまった。それが悪かったのか、頭が痛い。
梅雨時期のどんよりとした鉛色の空が、余計に頭を重くしている気がしてならなかった。この季節の鉛色の空も、ジメジメした空気も大嫌いだった。
いつもの様に出勤する為、私は地下鉄の駅を降りた。
またいつもと変わらない日常がはじまるものだと決めつけていた。昨日、嫌味を言って来た上司に、どんな仕返しをしてやろうと考えたり、1日の仕事の段取りを頭の中でイメージしたりしながら、駅から会社に向かう。この交差点を渡れば、会社は目と鼻の先だ。いつも青で渡れる信号が、今日に限って赤だった。仕方なく止まって、青になるのを待つ。
“ビュ〜!”
風が吹いた。
臭くて、生温い風が体を覆った瞬間、吐き気がした。
過去のあの日が、悪夢の様なあの日が、一瞬にして甦って来た。
脳裏に映し出される、友人の死に顔、そして、恐怖感が一気に甦った。
「わー!!」
信じられない様な大声で叫んだ。脳裏に映る、地獄絵図をかき消したくて…。
一緒に信号待ちをしていた人々が、変な顔で私を見ているのはわかっていたが、そんな事はどうでも良かった。周囲を見て、誰も倒れてないか、黒い吹き出物ができている人はいないかを見る方が忙しかった。
ふと、ビルのガラス窓にうつった自分の姿が目に入った。
「ああ、終わった…。」
顔面や手足に、黒い吹き出物ができはじめていた。一気に全身の力が抜けてしまい、その場に座り込んだ。
朝からの頭痛がだんだん引いていき、気が遠くなって行く中、どこからかあの低い声が聞こえて来た気がした…。
『ケイヤクカンリョウ…』
はじめて、小説を書いてみました。集中していたせいか、下書きから投稿するまで1週間かからなかったです。でも、はじめて書いたせいで、文章を読み慣れている方からみたら、お粗末なものだと思います。でも、頑張りました。最初から最後まで、緊張感の続くお話になったかな?
苦情、感想、その他もろもろお聞かせください。よろしく、お願いします。