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 彼はまた、夢を見ていた。

 今朝見ていた夢と同じ物を。

 だが今見ている夢は今朝とは違い、本来ならば有り得ない夢だった。

 目の前に居るのは、彼と良く似た面立ちの男性と、シルバーブロンドのセミロングの髪に、黄金色に輝く瞳を持った女性。

 だが男性の方は、全身に深い傷を負っていた。

 そんな男性の姿を視界に収めながらも、女性は微笑みを向けている。だがしかし、その瞳からは、悲しみだけが溢れていた。

 そんな女性の腕に抱かれるのは、小さな、小さな子供。

 傷付いた男性は二人の姿を見て、満足げな笑みを浮かべていた。

「母さん、父さん……」

 そう呟いた彼は、子供を抱き上げた女性と同じ場所に立っていた。

 彼の記憶の中にあるのは、小さな自分を抱いて微笑む両親の姿しかない。だが今目の前の二人から感じるのは、心が張り裂けんばかりの悲しみだった。

 それなのに微笑みを見せる両親の姿に、彼の表情は歪む。

 無論、彼の記憶の中にあるのは、幼い頃の記憶、というよりも写真から得た記憶の方が遥かに色濃い。

 だが心が、覚えていた。

 否、思い出させてくれた。

 忘れ去ってしまった筈の、幼き日々の記憶を。

 だからこそ、手を伸ばす。

 絶対に届かないと分かっていても。

 しかし、もう少しで手が触れそうになった時、女性はシルバーブロンドの髪を靡かせ瞳から涙を宙に舞わせながら、スレンダーな肢体からは想像も付かない程の速度で焔色に染まった場所から一気に飛び出して行った。

 同時に彼も何かに引かれるようにして、彼女に着いて行く。

 そして、子供を下ろして彼女が何事かを囁いた瞬間、何か柔らかい物で金属を叩く音が辺り一帯に響きわたり始めると、彼を除いた全ての光景は、急速に色褪せて行った。

 堪らず彼は再び手を伸ばすと、力の限り叫ぶ。

「母さん、僕は――!」

 そこで周囲の光景は完全に消え去り、暗闇だけと成ってしまった。

 何一つ伝える事の出来なかった彼は、臍を噛みながら体を震わせる。

 周囲にはあの音だけが、夢の終わりを告げる様に鳴り響いていた。

 徐々に意識が浮揚するのを感じだ彼は、夢が終わってしまった事に、肩を落とす。と同時に、ゆっくりと目を開けながら、現実世界でも響いている音のする方へと視線を送った。

 そこには鉄格子を拳で軽く叩きながら、彼の姿を見詰める人物が立っていた。

 彼は筵から身を起こして、その人物を見る。

 それはあの部屋で見た、神父の姿だった。

 盆を片手に持ちながら、神父は仮面の奥にある瞳で彼の事を見詰めていた。

 そして、彼が完全に起きた事を確認した神父は両膝を付き、手にした盆を牢内に置いた。

 盆の上には小さなパンが二つと、水の入った木製のコップが載っていた。

 彼は数瞬だけそれに視線を注いだ後、神父に視線を移すと、その頭が小さく縦に動いた。

 緩慢な動作で彼は盆に近付き、恐る恐る手に取り立ち上がる。それを見た神父も、立ち上った。

 そして彼は会釈をすると、筵に戻って行った。

 神父はそれで満足したのか、一つ頷くと牢の前から離れて行ったが、何を思ったのか途中で立ち止まると後を振り返った。

 その視線に気付いたのか、彼は顔を挙げながら口に含んだ物を慌てて飲み込み、にっこりと微笑んで再度、会釈を返す。

 釣られて神父も頭を垂れた後、踵を返して振り向く事無く外へと出て行った。

 質素な食事が終わると、彼は盆を牢の外に置いて筵に戻ってまた、考え事をしていた。

 暫くそうしていたが、再び横になると瞼を閉じるのだった。



             *



 彼が次に目覚めたのは、体に伝わる振動に因ってだった。

 強制的な目覚めの所為か、彼の意識は幾分朦朧としていたが、薄っすらと開かれた瞳に飛び込んで来た二つの人影が急速な覚醒を促した。

 緊張で身を強張らせながらも彼は目を細めて、人影の確認をする。

 一人はしゃがみ込んで彼の様子を眺め、もう一人はその傍らに立ち、鈍く光る何かを手にしている様だ。

 何だ? と思いながらも彼は更に注視すると、それは短剣だという事が分かった。

 無防備な自分を前にして、何故そんな物を手にしているのかは分からないが、薄明りに照らされた顔は、苦笑している様にも見えた。

 様子を窺っていた男は立ち上がると、掌を上に向けて何度か上下に動かす。

 その仕草は、立て、と促している様だった。

 無論、この場では誰に対してなのかは明白である。

 彼がそれに従い立ち上がると、短剣を手にしていた男が素早く後に回り、両腕を取り手首を縛り上げた。

 逆らう素振りすら彼は見せないが、表情は困惑を色濃く映し出していた。

 そんな彼の背中を軽く押して牢から出る様に男は促す。そこには麻袋の様な物を肩に掛けた、大男が立っていた。

 ただその男は、非常に申し訳なさそうな表情を彼に向けながら、何事かを口にしていた。

 無論、彼は何を言っているのかは分からない。

 だが何事かを謝っているのだ、という事は、大男の態度から伝わって来た。

 大男が何事かを謝罪をした後、他の二人に何かを伝え、踵を返して外へと続く鉄扉を開け放ち、牢屋から出て行く。

 その様に彼は首を傾げるが、また背中を押されて後を追う様にして三人も出て行った。

 そして彼は、言葉を失った。

 世界はまだ、闇に包まれている。

 だというのに、草木――否、地に生える全ての植物が淡い輝きを放っていた。

 淡く儚いその光景に、彼も知らない心の最も深い場所で、何かが弾ける。

 そして、彼の瞳から一筋の滴が零れ落ちた。

 彼自身、何故涙を流したのかは、分かっていない。

 だが、これが感動から流れたものではない事だけは感じていた。

 牢屋から出た瞬間に足を止めて闇に沈む景色に涙する彼を、大男は不思議そうな表情で眺めていた。

 彼はその視線に気付くと瞼を硬く閉じ、唇をきつく結んだ後、一呼吸だけ深く息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。

 再び瞼を開けた彼は落ち着きを取り戻し、それを見た大男は小さく首肯して二人の男を促し、彼は軽く背中を押されて歩き出した。

 弱々しい月明りに照らされた村の家屋は、陰の部分をより一層闇色に染め抜き、今にも何かが跳び出して来そうなほど、不気味だ。

 そんな闇夜に沈む人気の無い村の中を無言で行く、四人の足音だけが響いていた。

 何処まで行くのか、と脳裏に疑問を浮かべていた彼だったが、やがて村を突き抜けて目の前に広がった景色を見て、眉根に皺を刻む、

 四人が向かう先には、黄泉への入り口へと続いている様な気がする森があったからだ。

 だがしかし、彼は知っている。

 そこが何処なのか。

 昨日の朝、彼が居た――いや、現れた場所だ。

 先頭を行く大男は、臆さずに森へと向かって突き進み、三人もまた、その後に着いて行った。

 大男は森の入り口で一旦立ち止まると振り向き、彼を含む三人を見やってから頷くと、直ぐに向き直り森の中へと踏み入る。

 そんな大男の行動に彼は戸惑いを見せたが、後ろに居る二人のうちの何方かが強く背中を押したので、仕方なく森の中へと足を踏み入れた。

 彼は木の根に足を取られながら、暗い森の中を三十分ほども歩かされる。

 すると突然、前を行く大男が止まった。

 釣られて彼も止まり、後ろの二人も足を止めた。

 大男はゆっくりと振り向き、彼の目の前に肩に掛けていた麻袋を静かに置く。

 同時に、彼は戒めを解かれ自由にされた。

 手首を解す様に彼が軽く揉んでいると、大男は麻袋を指さした後、森の奥を指し示した。

 それを彼は不思議そうな目で見ていたが、大男は一つ頷いた後、元来た道を戻り始め、他の二人もその後に続いて行き、彼だけがその場に取り残された。

 三人が見えなくなった後も彼は暫くそちらを向いていたが、溜息を一つ吐くとしゃがみ込んで麻袋の口を開けた。

「食べ物と――こっちは水、かな?」

 麻袋の中を探った彼の手は、表面が少し湿った革袋に触れていた。

 そして、再び三人が去って行った方を向いて、

「村から出ろって事なのかな? でもなんで、森なんだろ?」

 疑問を口にした。

 直後、微かに弦を弾く音が聞こえたと思ったら、視界の片隅に金色の光が走る。

 それを目に留めた彼は、慌てて身を沈めた。

 暫くの間、地に伏せていた彼だったが、何も起こらないと分かると、恐る恐る上半身を起こしながら、光の走った方に目を向けた。

 そこには、微かな月明りを受けて金色に光る見事な毛並みを持った、大きな狐が居た。

 口には矢を咥え、顔は彼の背後へと向けられ、唸り声も上げている。

 釣られて彼もそちらを見るが、何も見えなかった。

 彼と金狐はどれくらい、そうしていただろうか。

 五分、いや、十分ほどだろう。

 不意に狐は咥えていた矢を放り投げた後、彼の方へと顔を向けた。

 燃え盛る炎の様な紅の瞳と、静謐な湖面を思わせる深く蒼い瞳、額から鼻に掛けて伸びた白い線、そして、月明りを受けて光る金毛。垂れたしっぽはふわっと膨らみ、毛先だけが白く染まっていた。

 余りの見事さに彼は目を奪われていた。

 故に、狐が近付いて来る事にすら、気が付いていなかった。

 彼が我に返った時には既に狐は眼前に迫り、慌てふためく彼の事を、まるで品定めでもしているかの様な視線で眺めていた。

 一頻り眺めた狐は、フン、と鼻を鳴らして踵を返し、森の奥へと歩き出す。

 余りにも人間臭い仕草を見せた狐に彼は驚きはしたものの、色々な事が一変に起こった所為か、深く考える事は無かった。

 それよりも、視界の中を遠ざかる狐の姿に彼は慌てて麻袋を肩に担ぐと、急いで狐の後を追い掛けて行った。

 彼は何とも思っていない様だったが、幾つか疑問が残る。

 狐が咥えた矢は、明らかに彼を狙った、という事と、誰が何のために彼の命を狙う必要があったのかという事。 

 そして何故、狐が現れ彼を救ったのか。

 偶然にしては都合が良過ぎて、裏で何かの意思――いや、誰かの意図が働いている、としか考えられないのだった。

 

    

         *



 狐はたまに足を止めては後ろを振り返る、と言う仕草を繰り返していた。

 その行動からは、周囲を警戒している様には見えない。

 だが、狐から少し離れた位置を彼が歩いている事を鑑みると、後方を気にしているのだと分かる。それは(あたか)も、彼が迷わずに着いて来ているかを確認している様でもあった。

 その事に気付いているのかいないのか、彼は黙々と歩いていた。

 一人と一匹が時間にして二時間程も歩いた頃、辺りが漸く明るくなり始め、森の中にも日の光が射し込み始める。

 この時期の明け方はまだまだ冷え込むが、それでも夜明けの空気が爽やかな事には変わりなく、彼は清々しい森の空気を胸いっぱいに吸い込みながら、無事に朝を迎えられた事に感謝していた。

 それから更に三十分ほども歩き彼に疲れが見え始めた事、天空から射し込む光の中に浮かび上がる、一つの建物が目に留まった。

 巨大な木々の隙間から見える建物は、余りにも小さく思えて、彼は知らず知らず呟いていた。

「あれは――小屋?」

 直後、森に生える下草がざわめきを発し、それが自分に近付いて来る事を知った彼が緊張に身を固くした途端、股間に衝撃が走った。

「ぐ……」

 小さな苦悶の声を上げながら、彼は股間を両手で押さえて蹲った。

 そのまま痛みに耐えていると、狐が彼の顔を覗き込み口元を歪める。

 その事に彼が驚いて目を見開くと、更なる衝撃が襲い掛かった。

「あたしの家を小屋だなんて、失礼な人間ね!」

 狐が人語、しかも日本語を流暢に話したのだ!

 彼の驚きは言語に絶した様で、言葉にならない声を上げていた。

「きっ、ききっ! しゃべべっ! どうぇ?! え? ええええええ?!」

 狐は人間臭い溜息を一つ吐くと、くるりと回って尻尾を彼の顔に軽く叩き付ける。

 叩き付ける、と表現したものの、実際は彼の顔を軽く撫でただけで、彼にしてみれば一瞬だけ肌触りの良い毛皮に包まれた様な感触だっただろう。

 お陰で幾らかは落ち着きを取り戻した様で、自分の事を睨み付けている狐に、何とか問い掛ける事が出来るまでになっていた。

「あ、ああ、あの、な、なんで、しゃ、しゃべれる、の?」

 彼がそう聞くと、狐が不思議そうに首を傾げながら告げる。

「あんた、なんでそんな事聞くのよ?」

 質問に質問で返された彼は、訳が分からなくなり、唖然とした表情をしてしまった。

 狐にしてみれば当然の事に疑問を持たれた所為で問い返した様なのだが、彼の常識からすれば、獣が人語を話せる時点で常軌を逸した事態なのだから、これは仕方ないと言える。

 そんな事を知ってか知らずか、

「何呆けてるのよ。さっさと行くわよ」

 狐はそう告げてから、踵を返して歩き出した。

 呆気に取られていた彼も、置き去りにされては不味いと本能で察しているのか、のろのろと立ち上がり、狐の後を追い掛けて行った。

 更に十五分も歩いた頃、森が開けるとそこには立派な建物が立っていた。

 大人二人が両手を広げてやっと抱え込める程の太い丸太でうず高く組まれた外壁に、何か所か切り取られた丸太に嵌る木の窓。そして、前庭の様に森が開けた方向には、立派な扉が付けられていた。

 ウッドデッキなどは付いていないが彼の記憶では、こういった作りの家はログハウス以外にはない。

 尤も、造り易いかどうかは別にして、森の中ではこれが一番安上がりなのも確かと言える。

 だがしかし、彼にはそんな事は関係なかった。

 安堵、という言葉では言い表せない程の安心感を覚えていたからだ。

 なんせ森に置き去りにされた時には、雨が降ったらどうしよう、とか、トイレはどうすれば、などと脳裏を過ったのだから。

 一人と一匹はそのまま無言でログハウスに近付いて行く。

 彼は近付けは近付くほど、大樹が寄り添った様な圧倒的な大きさに目を奪われていた。

「立派な家だなあ……」

 つい、そんな呟きも漏れる。

 彼の呟きには狐も振り向き、自慢そうな表情を見せた。

 彼もそんな狐に先ほどは失言だった、と言いたそうに苦笑を返していた。

 一人と一匹が家の扉の前まで来ると狐は頭を振り、彼に開けろ、と身振りで指示を出した。

 話が出来るのに何で? と彼は不思議に思いながらも、同じく無言で自分の事を指さし、扉を引く仕草を見せる。

 それに狐は頷くと、彼を後ろから押して扉に近付け、早く開けろと促した。

 その行為に苦笑を漏らしながら彼が扉の取っ手に手を掛けて引くと、最初は微かな抵抗と共に開いた扉が、直ぐに勢いよく内側から押されて、何かを吐き出した。

 吐き出されたものは彼にぶつかり、柔らかい感触と甘い香りを漂わせる。

 唐突で突然過ぎた事に彼は固まってしまったが、ハッとして我に返った途端、自分が女性に抱き着かれている事に気が付いた。

 ただその女性は、彼の耳元で何かを言っている様なのだが、あの村の人間と同じく、聞いた事の無い言葉だった。

 尤も、我に返った所で女性に抱き着かれるなどと言った経験のない彼は、動くに動く事が出来ず、そんな彼の隣では狐が女性に向かって何かを言っていた。

 当然、彼にその言葉が分る筈もなく、怪訝な表情を取ったのも束の間、抱き着いていた女性が少しだけ身を放して彼の顔を見てにっこりと微笑み、頬に柔らかくて少しだけ湿った感触を残して離れて行った。

 そして彼は、顔を真っ赤に染めて完全に固着して動かなくなった。

 女性はそれを見て首を捻り、彼の目の前で手を振っているが、全く反応を示さない。

 そんな二人の間に狐は割って入り彼に背を向けると、後ろ足で彼の股間を思いっきりけり上げ、その衝撃で彼は崩れ落ちて行くのだった。

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