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星蒼玉  作者: 秋月 忍
第一部 市井の封魔士
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第五話 熊田屋 前篇

随分久しぶりの更新です。

 黄昏時の参道は、人影がほとんどなかった。参道に植えられた桜の枝が淡いさくら色に染まりつつあり、開花が間近であることがわかる。桜が咲けば、この時刻でもたくさんの人で賑わう湖竜寺(こりゅうじ)の参道も、まだ春の訪れを静かに待っているだけだ。

「太郎、太郎」

 晃志郎は道の片隅の祠の奥に手をやった。地蔵の蔭に隠れながら、茶色の小さな手がひょいひょいと晃志郎の手に触れる。

「おいで。家へ帰ろう」

 やっと伸ばした手で、やわらかいものをつかむとニャっと小さな声がした。

「ふー。これで煮豆五回分だ」

 やさしく茶色と白の縞の入った子猫を腕に抱くと、晃志郎は満足げに微笑んだ。

 ――ん?

 参道の奥で、ひとの声がした。何事かを争う気配。晃志郎は子猫を抱いたまま、そちらを見た。

 若い女性が小太刀を構えている。それを囲むように五人の浪人がいた。明らかにその女性になんらかの害をなそうとしているようだ。

「おい、そこで何をしている?」

 大声を出しながら晃志郎が駆けだしたが、浪人たちは女性を囲んだままだ。そのうちのふたりが晃志郎に向かって剣を抜いた。

「赤羽さま!」

 聞き覚えのある声だった。

「沙夜さまか?」

 驚きを感じながら、晃志郎は子猫を胸に抱いたまま、浪人の繰り出す剣をかわす。肘で背中を押し、もうひとりの足の裏側に足をひっかけた。その男の体が宙に浮いたすきに、小太刀を抜いて気丈に立ち向かっていた沙夜に駆け寄った。

「お怪我はないか?」

 張りつめたままの顔で、沙夜が頷いた。

「猫を頼みます」

 ひょい、と子猫を沙夜の胸に預けると、晃志郎は沙夜を庇いながら刀の柄に手をかけた。

「こちらのお嬢さまを、封魔奉行水内さまのご息女と知っての狼藉か?」

 応えはなかった。浪人たちの表情に変化はなく、通りすがりの娘を気まぐれに狙った集団ではない。あきらかに、沙夜を狙ったものだ。

 すっと浪人の足が動いたのを合図に、晃志郎の体が動いた。抜き打ちざま、つっこんできた男の手元を打って相手の刀を叩き落とし、続けて、振り上げられた刀ごと相手を突き飛ばした。そのまま、向かってきた刃を体を低くしてかわすと、その背を伸ばした足でけり倒す。

「退くぞ」

 首領格とおぼしき浪人が呟くと、浪人たちはあっという間に逃げ出した。

 追おうとした晃志郎の目の前に、浪人が何かを投げつける。

「うわっ」

 ボンっという音がして、大量の煙が吹き上がった。たまらず、晃志郎は足を止める。

「大丈夫ですか?」

 心配そうに沙夜が駆け寄ってきた。晃志郎は、抜いた刀を鞘に戻すと、埃っぽい体をはたいた。

「すみません。逃がしてしまいました」

 晃志郎の言葉に沙夜は首を振った。

「赤羽さまのおかげで、助かりました。ありがとうございました」

 きらきらとした大きな瞳に見つめられ、晃志郎は胸が騒いだ。

「いや、何事もなくてよかった。連中に心当たりは?」

「わかりません。湖竜寺の帰りに突然囲まれて……」

「沙夜さまと知って襲ったようですね」

 沙夜は怯えたようにすっと晃志郎の小袖をつかんだ。恐怖からの無意識での行動であろうが、晃志郎はドキリとした。

「とりあえず、家までお送りしましょう」

 そう言いながら、沙夜の腕の中に抱かれた子猫に目を落とした。

「いかんいかん。太郎を忘れておった。ネコの飼い主から頼まれて探しておったのです。すまぬが、沙夜さま、寄り道をさせてもらいます」

 にゃ、と子猫が小さく自己主張した。



「わぁ。太郎。よかったねぇ」

 晃志郎から子猫を受け取ると嬉しそうに煮物屋のおたきは笑った。

「晃志郎さま、本当にありがとうございました」

 煮もののおいしそうな香りがただよっている。小さな店の軒先に大きな鍋がみっつおかれている。買いに来る客たちがめいめいに入れ物をもってきて、量り売りする仕組みの店だ。晃志郎は、この店の煮豆がことのほか好きであった。

「お礼は本当に煮豆でよかったの?」

 屈託のない笑顔で、おたきが尋ねた。

「ああ。煮豆五回分。よろしく頼む」

 晃志郎が頷くと、おたきが顔を寄せて、声をひそめた。視線の先に沙夜が佇んでいる。

「ねえ、あのひと、晃志郎さまのいいひと?」

 晃志郎は自分でも顔が熱くなるのを意識しながら、慌てて首を振った。

「馬鹿を言うな。そういうことを言って良いひとではない」

「ふうん」

 おたきは、晃志郎をじっと見て、にっこり笑った。

「今日はありがとうございました。煮豆が食べたいときは、いつでも来てくださいね」

「じゃあ、また」

 おたきに笑顔を返して、晃志郎は沙夜のそばに戻った。

「沙夜さま、お待たせしました」

「赤羽さまは、煮豆がお好きなのですか?」

 ぽつり、と沙夜が口を開いた。

「ん?」

 晃志郎は沙夜の問いに首を傾げ、やがて自嘲めいた笑みを浮かべた。

「お聞きになられましたか。お恥ずかしい」

 報酬のやり取りの件を聞かれたのだと理解した。

「みっともないですよね。大の男が煮豆欲しさに子猫を追っかけていたなんて」

 言っていて、自分で呆れるくらい情けないなあと晃志郎は思った。

「いえ。そういう意味ではありません」

 あわてて沙夜が首を振る。

「いいんですよ。自分でもそう思ってますから」

 晃志郎は沙夜の困ったような目を見て、微笑して見せた。

「でも、いくら金になって人のためになる仕事だとしても、血なまぐさい仕事をするより、こういう仕事のが楽しいと感じる自分がいる」

 晃志郎は大きく息を吐く。

「俺のダメなところです」

 思わず、頭を掻いた。

「そんなふうに、おっしゃるのはやめてください」

 哀しそうに沙夜が目を伏せる。

「私は、赤羽さまをダメだなんて思ってません」

 沙夜の目はまっすぐに晃志郎を見つめていた。きらきら輝く黒い大きな瞳。長いまつげと、ふっくらとした唇。まだ瑞々しい少女の純粋さと大人の女の色気が混在し、息を飲むほど美しい。晃志郎は騒ぐ胸を必死で抑えこむ。

「お屋敷は、藍前町でしたよね」

 晃志郎は慌てて話題を変えた。

「はい。そんなに遠くありません」

 頷きながら、沙夜は晃志郎の後に続く。夜のとばりが降りてきて、町に灯がともり始めた。

 ともすれば、浮き立つ心を抑えつけ、晃志郎は周囲に気を配りながら、藍前町にある水内の屋敷に沙夜とともに歩いた。

「特に、つけられたりはしていないようだ。俺はここで」

「お待ちください。ぜひ、寄って行って下さい。祖父も喜びますし、お願いします」

 門前で立ち去ろうとした晃志郎を沙夜が懇願するように引き止めた。

「しかし……」

「今日のお礼もかねて……できれば夕餉を食べていかれませんか?」

 にっこりと沙夜が笑う。

「沙夜さまは、俺が食い物を出すとすぐ釣られるとお思いですか?」

 晃志郎はため息をつく。

「ダメ……ですか?」

 がっかりしたように沙夜は肩を落とした。

「いや。残念ながら簡単に釣られます。お邪魔させていただきます」

 晃志郎が笑うと沙夜の顔がパッと輝いたかのように見えた。



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