ステージお兄さん
そのままラルフの家で朝を迎えた二人はベッドルームのドアを激しく開ける音で目覚めた。
「ねえ聞いて! すごいニュースよ! キャ! ごめんなさい!」
ラルフとエヴァンの関係には関心無いと言っていたバネッサだが、さすがに男たちが絡まる現実を目の当たりにしたら動揺を隠しきれなかったようだ。
ラルフがいれたコーヒーにも手をつけずバネッサのマシンガントークが始まった。
「バンドのメンバーに聞いたの! 私が崇拝するデスメタルバンドのボーカル、めっちゃかっこいい女性ボーカルなんだけど妊娠引退するってネットに出てたんだって。それでボーカルを一般公募するって! それでね、ゆうべみんなが徹夜してデモCD作ってくれたの。ああ、どうかオーデションまで進めないかな。こんなチャンスって二度とないわ!」
「すごいじゃない! アタシたちも全力で応援するわ。ね、エヴァン」
「うん! もちろん」
「でも寝室入るときはノックお願いね」
「ごめんなさい」
エヴァンは小説を書き続けた。
ゲイをカミングアウトした時の家族に与えた動揺と失望。許されることは永遠にないだろうと失意のまま恋人と亡き母親の墓前に向かった時、期せずして家族が揃った。
今、思い出してもちょっと泣けてくる。恋人は号泣して兄の妻に抱きついていた。先に墓地にいた父は母と何を語り合っていたのだろう。
家族内でも理解されるのが難しいセクシュアルマイノリティ、LGBTの問題をエヴァンは小説という形にして世に問いかけるつもりだった。それがライフワークだと考えている。
しかし恋人ラルフはまだ世間にゲイであることはカミングアウトしてはいない。もちろんそれを強要するつもりもないし不満にも思わない。ただラルフの仕事にも小さな変化があった。LGBTの差別、偏見に対する訴訟が目立つようになってきた。ゲイのふたりはそれぞれの場所で戦いを始めた。
そして悪魔声のバネッサはというとラルフの部屋に住みながらさらにボイストレーニングを重ねていた。例のバンド仲間と一緒にスタジオを借りて。
エヴァンが小説を完成させた日、ラルフから電話があった。
「バネッサが最終オーデションまで進めたの。今連絡があったの。今日はお祝いよ!」
花とワインを買ったエヴァンは恋人の部屋に向かった。前に3人で飲んだ時は最悪だったよな、バネッサの毒舌に完膚なきまで打ちのめされて逃げ帰ってきたんだよな。
ラルフの部屋にはバンドメンバーも集まっていた。
「今日はお祝いよ。バネッサがオーデションまで進めたのはあなたたちのおかげだもの。ほんとに感謝してるわ。さあグラスを持って! 乾杯よ」
ラルフは本当にうれしそうだった。そんな恋人を見てるエヴァンも幸せだった。そしていちばん興奮していたのはもちろん悪魔声のバネッサだった。
「私、きっとボーカルの座を射止めてくるからね」
「もしダメだったら俺たちとまたやろうぜ」
ギタリストのポールが笑った。
オーデションは遠い都会で行われる。仕事で同行できないラルフに代わって小説を書き上げたエヴァンが付き合うことになった。
こんな時、ゲイのカップルはお気楽である。恋人が女性と同居していようと、女性と旅をしようとまったく気にならない。エヴァンはむしろガソリンスタンドでラルフがスタッフの男と窓越しに話すのを見た時、軽い嫉妬を覚えたのだった。
オーデション会場。バネッサが崇拝して止まないバンドのメンバーとボーカルもいた。デスボイスのボーカルはブロンドの美人だ。あの声とのギャップがすごい。その彼女が妊娠、母親としての道を選んだのだ。生まれてくるベビーの産声はどんなだろ?と想像したらちょっと笑えてしまった。けどバネッサはさすがに緊張している様子だった。
最終オーデションに残ったのはバネッサを入れて3人。あとの2人は現ボーカル同様、ブロンドの白人でどちらも飛び抜けて美人だった。それぞれステージママもしっかりついている。
黒人のバネッサに付き添うエヴァンはどんなふうに映るだろうか。さしずめステージお兄さん?
オーデションが始まった。緊張さえも武器にしたバネッサのデスボイスが炸裂した。怖いほどの迫力だった。
ステージお兄さんのエヴァンは小さく親指を立てた。