3年前
夜、ジムでエヴァンとラルフは汗を流していた。
「よかったわ。エヴァンとバネッサが仲直りしたなんて。ね? 本当はいい子だったでしょ?」
ラルフはご機嫌だった。
「アタシ、ちょっとお水買ってくるわね」
ラルフがトレーニングルームを出て行くのを待っていたように3人の男がエヴァンのそばに寄ってきた。
「今夜は決まったヤツいるのかい?」 「俺の車で送るよ」 「飲みに行こうぜ」
「いや、ツレがいるんだ」
「冷たいこと言うなよ」
とひとりの男がエヴァンの肩にタトゥーだらけの腕をまわしてきた。
その背後に巨大な黒い壁が迫っていた。そして男の腕を怪力でやんわりと外した。
「痛えな!」振り向くと2mの巨人が無表情な目で男を見下ろしていた。「ひぇ!」男たちはたちまち退散した。
「あはは、キミの無言の迫力は圧巻だな」
「エヴァンったら、絶対ひとりでジムには来ないって約束してよ」
「ラルフのほうこそ」
3年前、ふたりが出会ったのもこのジムだった。
エヴァンは海兵隊員の元カレと別れたところだった。沖縄に赴任することになった彼に「お前と別れるくらいなら除隊する」と泣かれたが、そこまで本気で彼を愛していなかった。海兵隊だけあって体はすばらしくエヴァンの好みだったが、結局体だけの関係だった。ゲイである以上、恋愛は刹那的なものでいいとその頃のエヴァンは考えていた。
そしてその日、エヴァンはいつものように軽い気持ちで今夜の相手を見つけるためにジムにやってきた。自分に向けられる好色な視線はいつものことで慣れていたが相手を選ぶのは自分、というポリシーは崩さなかった。
ひときわ体の大きい黒人男性が目についた。黙々とマシーンを使っているその太い腕、汗に光る筋肉。鍛え上げられた鋼の肉体。決してエヴァンに色目を送ってきたりはしないところを見ると、ただのトレーニング目的のストレートか? どっちだ? ハンター・エヴァンの本能のライフルの照準がその獲物に合わせてロックオンされた。
一方のラルフは、いつものようなデートの相手探しが目的ではなかった。その頃ラルフは難しい訴訟を抱えていた。勝ち目はほとんどない。オフィスでどれだけ考えても打開策は見いだせなかった。そんな中、頭をリセットするつもりでジムに来て心を無にして体をいじめていたのだ。だから周囲にも、もちろんエヴァンの存在にも気づいてなかった。
「ハーイ」
不意に声をかけられた。
「今夜僕とつきあえる?」
エヴァンのいつもの直球勝負だった。かわいい顔してるわりには積極的なその男にラルフは一瞬で魂を奪われた。
「オーケー」と答えてから周囲を見たら、男たちの明らかな失望の顔に舌打ちが重なった。ああ、奴らみんなこの人狙ってたのね。でも選ばれたのはアタシなの! 優越感に軽くめまいを感じたラルフだった。
お互い一目惚れのこの出会いはエヴァンに驚くべき変化をもたらした。これまでの恋愛は常に自分が主導権を握っていないと気がすまなかった。ナンパも、ベッドでも、相手を捨てる時でさえ。
ところがラルフとつきあい始めて、エヴァンの方がラルフに夢中になってしまった。そんな自分にうろたえてしまうエヴァンだった。
もし万が一、ラルフが沖縄へ行くことになったら、いや沖縄じゃなくてもトルコでもバーレーンでも、世界中どこにでもついて行きたいと思う自分がちょっと好きだと思った。
ラルフとの関係はこれまでのような刹那的なもので終わらせたくないと願うようにもなった。ラルフも同じ気持ちだった。永遠に、法的にも結ばれたいと強く願った。
そして先日、エヴァンの家族にカミングアウトしたのだ。
そのいきさつを今、エヴァンは小説として書き進めていたのだった。
ジムからの帰りの車の中。
「それにしてもバネッサの歌はすごいね」
「そうなの。小さい時、一緒に教会で歌ってたころから突出していたわ。もちろんその頃は天使の歌声だったけど」
「彼女、歌いたいって言ってたよな。それで父親とケンカしたんだって。まああの口の悪さだったら勘当されるのもわかるけど」
「バネッサのおうちはとても厳格な家柄なのよ。それに彼女のお姉さんがまたパーフェクトな女性だから。いろいろつらいんだと思うわ」
『そのパーフェクトなお姉さんをふって泣かせたのは誰だよ』というのはエヴァンの心の中だけの声。
「で、バネッサは今キミの家?」
「ううん、さっきのバンドのメンバーと会ってるみたい。知らない街でお友達ができてよかったわ」
「あは。すっかり保護者だね」
「妹だもん、あたりまえでしょ」
「じゃあ僕にとっても義妹かい? カンベンして欲しい」