プロローグ②
僕とティナさんのお勉強はその日から毎日続いた。
「そうじゃ。覚えられなかったり忘れてはならない事は、メモを取るのじゃ。そして何度も何度も読み返し、必要な時には即時でそれを頭から引き出せるようにせい。それが知識じゃ。頭の回転の速遅は関係無いぞ」
「はい、分かりました」
「クロードよ。もし魔物と戦う時、何が一番必要になると思う?」
「えっと、倒すには『力』が必要だから……、でも、『敏捷』も必要で、えーっと……」
「違うぞ、クロード。必要なのはその魔物についての知識じゃ。何が得意で、何が弱点で、どういう攻撃をしてくるのかを知っていれば、自ずと自分の取るべき行動も決まる。さすれば勝利は偶然では無く必然となる。よいな、知る事、ひいては準備する事が肝心じゃ」
「はい、分かりました」
「クロード。お主の家には本はあるか?」
「はい。お父さんが色々な本を持っています」
「では、暇があれば色々な本を読むと良い。物事を一つ多く知れば、一つ視点を変えて物事を見る事が出来る。選択肢も増えるからのう」
「はい、分かりました」
そんな日々が数ヶ月続いた。
ティナさんは僕に色々な事を厳しく、優しく、根気よく教えてくれ、僕もまた夢中になって教わった。
毎日が充実していた。こんな日々が、いつまでも続けばいいと思った。
「さて、我はそろそろ行かねば」
「……はい」
でも、やっぱりそうはいかなくて。
ティナさんの体が完治すれば、お別れになるのは当たり前の事だった。
それに農繁期も近いし、どの道こうなるのは決まっている事でもあった。
「世話になったぞ、クロード」
「いえ、僕の方がです。ありがとうございました、ティナさん」
そう言うとティナさんは僕の頭を撫でてくれた。
相変わらず冷たくて、気持ち良い。
「お主と過ごせた日々はこの上なく楽しかったぞ。こんな感覚は久方振りじゃった」
「僕もです。毎日、会うのを楽しみにしていました」
「……クロード」
と、ティナさんが僅かにしゃがんだ後、僕を抱き締めてきた。
「わっ、あ、あの」
「ジッとしておれ」
そう言われ、暫くの間僕はティナさんに抱き締められた。
何故だろう、ティナさんの体は冷たかったのに、体が、特に胸が熱くなった。
「これでよし」
そう言うとティナさんは僕から離れた。
でもなんだかまだティナさんの感触が残っている様で、嬉しい様な恥ずかしい様な、変な感覚だった。
「ではクロード、これでお別れじゃ。息災でいるのじゃぞ」
「……はい。ティナさんもお元気で」
お互いに笑い合う。
この先会わなくても多分、僕はこの人の事を一生覚えているだろうと思う。
「頑張れ、そして努力せい。お主の頑張りはいつか必ず報われる日が来る」
そう言ってティナさんは歩いて行き、僕はその後ろ姿が見えなくなるまでずっと見つめていた。
ありがとうございます、ティナさん。僕、頑張って頑張って、頑張り抜きます!
「……っていう、無垢なる時代が俺にもあったんだよ」
「「嘘だ!」」
クリスとユリアが声を揃えて、今まで語った俺の昔話を全否定した。
「嘘じゃねえよ。少年時代の俺は、それはもう可愛かったんだぞ」
「いいや、嘘に違いあるまい。どうせ貴様の少年時代など暗黒に満ちみちており、今の昔話はそのイメージを払拭する為にでっち上げたものだろう」
自分の事では無い癖に、確信を込めてユリアがそんなたわけた事を言ってきた。
本当だっつーの。マジでうるせえな、コイツ。
「ほら、ほら! 今クロード、うるせえなって思ったでしょ! あんな無垢な少年だった人が咄嗟にそんな事を思う訳が無いよ!」
クリスが俺に向けてそう言い放つ。くっそー、この子だけは信じてくれると思ったのに。
「はいはい、じゃあ俺の昔話っていうか、ティナさん話はこれで終了だ」
「全く、時間を無駄にさせおって」
ぷりぷりと怒りながらユリアがそう言う。
俺の昔話を信じない上に時間の無駄と言い放つこの女をどうしたらいいだろうか。
「でもクロード、どんどん変になっていったし、そんな少年時代も有り得るかも」
ユリアに対して何かの軽い報復を考えていると、クリスがそんな訳の分からない事を俺に言ってきた。
「何だ、俺に対するその感想は」
「だってクロード、前と結構性格が違うよ? 会った時なんて本当に紳士だったのに……」
どうしてこんな事に、とクリスは手で顔を覆った。え、そんなにか?
「コイツが紳士?」
嫌そうな顔でユリアが俺を見る。
何故こんなにも俺への風当たりが強いのか。謎だ。
しかし、紳士ねえ。
「紳士っていうかまあ、当時は結構切羽詰まっていたからな。真面目一直線だった訳だし、紳士風に映るのも無理ないだろ?」
今じゃ多少の余裕が生まれて俺本来の部分が出てきたって事だろう。
そういった意味では当時の方が俺らしく無いとも言える。
そう言えるのだが。
「でもまあ、クリスが昔の俺風を求めるならそうするぞ?」
ユリアに求められるのであれば前向きに善処するだけだが、クリスに求められるのならば俺は全力でそうしよう。
「……ううん」
と、クリスが首を振り、顔を覆っていた手を離した。
「クロードはクロードだし、どっちのクロードも私は好きだよ。だから、いいの」
えへっ、と微笑みながらのその言葉は、俺の心拍数を大いに上昇させた。
「……まあアレだな、うん。……アレだ」
最早言語になっていなかったが、何て言っていいのか分からない。
こういう時の対応はどうにも苦手だ。
「なーにを訳の分からない事を言っておる。顔も赤くしおって、だらしない」
ユリアが横合いから茶々を入れてきた。
「なんちゃって皇女様は黙っていて下さい」
お呼びじゃ無いんで。
そう言った瞬間、ユリアのこめかみから青筋が立った。
「よし分かった。故国再興の際には不敬罪で貴様の首を真っ先に胴から離してやる!」
「はいはい、お待ちしておりますぅ~」
と、適当に煽っておいた。
パーティーを組んだ時からユリアとはこんな感じだった。
離せクリス、今この時を以てヤツの首を取ってやる! お待ち下さいユリア様!
という物騒な遣り取りが近くで聞こえるが、クリスがフォローしてくれているので放っておいても大丈夫だろう。
それにしても、と思う。
確かに俺は変わったのだろう。
勿論パーソナルな面だけでなく、環境や目的も。
何故だろうかと自身に問うも答えは簡単、冒険者になったからだ。
当時の事を思い馳せる。
辛かった日々、楽しかった日々、忘れてはならない出来事。
どれも俺の胸に鮮明に焼き付いている、それらの事を。