第一話
≪注意≫
この作品には自傷行為の描写があります。詳しい描写ではありませんが、自傷行為に反感・不快感を覚える方、抵抗がある方にはあまりオススメいたしません。ですが決して自傷行為を肯定するものではありません。作者自身初心者ですので、文章や言葉に誤りがあるかと思われます。以上の点、ご了承下さい。
泣き声が聞こえた。
激しい物音。
それとともに飛び交う怒号。
わたしは
鋭い刃を腕へと近づけ、傷を付けた。
――――――――また守れなかった。
わたしが悪い。
わたしが無力だから。
そうやって自分に罰を与える。
わたしは守りたい。
そして、
守られたかった。
――――――――――…
――――――――――――――――…
「おはよう、栞。」
生徒玄関で遭遇した友達にも、廊下ですれ違った友達にも、教室で顔を合わせた友達にも、同じように挨拶をされる。挨拶をする友人たちは毎日笑顔で、心から笑っているように思えた。
真っ黒でサラサラのストレートの髪。前髪は軽めに切られていて右わけ。白のYシャツに紺と青の縞模様のネクタイ。Yシャツは紺のスカートにきっちりしまい込んでいる。紺ソックスは少し短めの物を愛用している。
わたし、早瀬栞《はやせしおり》は、きっと端からすれば、どこにでもいる普通の高校1年生。自慢の黒髪をなびかせ、わたしは自分の机に真っ黒い革のスクールバッグを置いた。
「おはよう、栞」
置いた直後に目の前に、にゅっと、顔が飛び出してきた。同じクラスでいつも一緒にいる瑞希《みずき》だった。瑞希は傷みまくりの赤みがかったショートカットの髪を、くるくると指でいじりながらわたしに小さく手を振った。
「今日も可愛いね~ん。」
と、瑞希は続けた。
どこかのナンパ男のような口説き文句をわたしはそれを華麗にスルーした。
「ねえ、栞、聞いて。あたしね、彼氏ができました~!」
瑞希が満面の笑みで、スマートフォンの待ち受けになっている瑞希とその新しい彼氏であろう男の人とのプリクラを、わたしに見せてきた。“絶対結婚しようね”と瑞希の可愛らしい字で書かれている。
「結婚って…ちょっと気早すぎない?毎回書いてるけど結局別れてるじゃん」
少し笑いながら言うと、瑞希は何気なくこう言った。
「栞のことずっと好きだった奏太くんを何度も裏切ってきた栞よりはマシだと思うけどね!」
多分悪気はないようだ。無邪気に笑って、ニシシと白い歯を覗かせている。「そうだよね。」と聞こえるか聞こえないかぐらいの声量で返事をした。
―――――――――わたしには今でも忘れられない男の子がいる。
彼の名前は、御門奏太《みかどそうた》。
奏ちゃんは、小学校4年生のときにやって来た転入生。
奏ちゃんは、わたしより身長が低くて、ほっぺも真っ赤で、ひ弱で非力なイメージで、男の子のくせにもじもじしてて、表情が豊かではなくあまり笑うような子ではなかった。そしてなにより無口な男の子だった。
…奏ちゃんは、わたしの人生の中でで、初めてできた彼氏。でもわたし達の関係はとてつもなく曖昧で、幼かったがために“付き合う”意味さえわかっていなかった。そんなわたし達の恋は、到底長続きするようなものではなかった。でもお互い好きだった。子どもながらに好きだった。だから何度も別れては付き合って、それを繰り返した。
小学生から中学生までずっとずっと。お互い別れたとしてもまた戻ってきてしまった。わたし達は“付き合う意味”と“自分の気持ち”を確かめるようにして、何度も繰り返した。だけど毎回、気持ちを告げるのはわたしからで…
「好き。付き合って」と、何度も期待させた。
「ごめん。別れよう」…でも何度も裏切ってきた。
結局わたし達の関係は、定まることなく、中学2年の夏には、完全に朽ち果てた。
そして、それからはお互い関わり合うこともなく、中学を卒業していった。
繰り返しの果てにあったのは、わたしの裏切りという最低で巨悪な塊と、奏ちゃんの大きな傷跡だけだった。
卒業後、奏ちゃんがどうなっかなんか知らない。知る権利なんかないと思った。何度も奏ちゃんの気持ちを裏切ってきたわたしなんかに、知る権利なんかないと思った。
わたしは奏ちゃんが大好きだった。
でもわたしがしたことは、奏ちゃんの気持ちを弄んだだけの最低な行為だった。
「ちょっと、栞、聞いてる?」
瑞希の声にハッと我に返った。「何?」とでも言うように瑞希の方へ顔を向けたが、「栞、聞いてた?」と念を押すように瑞希は言葉を繰り返す。
瑞希の発した『奏太』の名前に過剰に反応して、すっかり自分の過去に浸ってしまっていた。
怪訝な顔の瑞希が近い。そんな瑞希は廊下の方を指さして、急ににやけ気味になった。
「あ、広樹。」
廊下に立つ長身の男子の姿。
前髪は左側になびいていて、ふわふわの猫毛は無造作にセットされている。制服は少しだらしなく着崩していて、ボタンは第3ボタンまで開けられていた。暗いグレーのズボンは少し下げて履いているようだ。愛用の黒縁の眼鏡がよく映える。彼は、中田広樹《なかたひろき》。高校生になってすぐに付き合いだした、わたしの人生で二人目の彼氏だ。
広樹はわたしの視線に気づいて、微笑みながら右手をヒラヒラと振った。
「栞、おはよう。…ん?なんか浮かない顔してる?」
歩み寄ったわたしの頬に触れて、広樹が眼鏡の奥の色っぽい視線をわたしに向けた。「なんでもないよ!」と、心配性な広樹に、いつもの笑顔を向けた。広樹に、『奏ちゃんのことを思い出していた』だなんて言えないし。
広樹は、わたしの忘れられない過去の人、奏ちゃんの存在を知っている。
付き合いだした頃に、今までの恋愛についてお互い話したことがあったからだ。
広樹は、『奏太ってやつはきっと本気で栞が好きだったんだな。栞がしてきたことは男としては許せない。でもその栞の選択のおかげで今の俺等があるんだもんな』なんて風に最終的には脳天気なことを言っていた。
「悩みがあるなら、この広樹様に相談しろよ~?」
広樹は照れくさそうに笑いながら、わたしの頭をぽんぽんと撫でた。礼を言いながら、広樹と同じように笑ってみせた。
少しずつあたしは奏ちゃんへの罪悪感から抜け出せている気がする。
それはきっと広樹のおかげなのではないかと、わたしは思う。
朝から大勢の友人に囲まれバカなことをして笑い合う。お昼は広樹と仲良く弁当を食べて、幸せな時間を共有する。中学生の時から上位を誇るわたしの成績は、高校生になってからも継続され、周りからは秀才として讃えられていた。難しい数学の公式も、現代社会の重要語句も、英単語も、魔法使いが多くの呪文を覚えているが如く暗記していたので、授業にはついていけていた。授業中に漫画を読んだり、音楽を聴いていたり、教科書に落書きをしている周囲の友人をよそに、わたしは毎日勉強していた。そんな友人たちをたまに小馬鹿にするのが楽しかったりするんだよね…
これがわたしの幸せな毎日。
わたしの毎日は、まさに“充実”という二文字で簡単に表せてしまうのだ。
改めて言うけれど、わたしはいたって普通の高校一年生だ。