緒戦
6 緒戦
首都にある官庁街、この国の行政が集中する場所、しかしその行政機関の防衛部隊はこの場所を守るためだけに機能している。
あの10万人が収容できる地下都市はこの下をその入口としているのだ。
その官庁街のビルの1室で階下の光景を見下す男がいる。
そして階下に広がるその夜景に満足の笑みを浮かべる。
この国を、その国民を守るべき存在達がその責任を放棄して自分を守るために集結する。
その武力が戦う相手はその守るはずだった国民達、それが、あのシェルターのありかを嗅ぎつけた連中が徒党を組んで襲い来る。
それを最初は殺すことを躊躇った兵士達、しかし自分達の仲間が殺される光景に憎しみを心に抱く、
そして殺す事をもう躊躇わない、それが当然だとそう考える。
この中に資格もないのに侵入しようとする者は全て敵なのだ。
その夜景の中で木霊する銃声に爆発音、その武器も兵器も大量に用意してある。
あの破滅の日までここを守り切るのだ。
そうすれば自分達はそれから逃れる事が出来るのだ。
だから引き金を引く指に力が入る。
希望が与えられると約束された者達がその希望を守るために引き金を引く、
しかしその光景を眺める男はまだ満足していない、完全に満足していない、
だから振り向きもせずに背後に立つ2人の男達の1人に声をかける。
「磯田よ、奴らはまだここに来ないのか?」
その問い掛けに恭しく礼をする執事姿の男は、
「太平洋上には悪魔の頭領が率いる艦隊が我らの艦隊と交戦中、あの大統領命令を無視した輩ですな、逆の自由と正義の望信者達、魔神の指先に抗う愚か者達、それが悪魔の頭領にそそのかされて湾内に侵入するつもりでしょう、それは現在諸島沖で交戦していますがその艦隊の規模は大きく苦戦しているとの報告を受けています。そして組織の残党を束ねた炎の悪魔が行動を開始しました。防衛軍の1部が接触し壊滅しました。そして御子息も行動を開始したとの情報を得ています。あの虹も動き出したと、その全てがここを目指しています。彼らが破滅の軍団にどう立ち向かうかは今の所推測出来ません、念のために守護石を皆に配分しますか?数はまだ足りていませんが」
その言葉に笑みを作る魔神は、
「守護石はこの付近を防御する者にだけ配分しろ、それも欠陥品だけでいい、あの完成品は数も少なく貴重なのだ。そしてその石も絶望を創り出すための大切な道具なのだ。あの槍が到来したらあのシェルターでさえ無事でいられるはずはないだろう、その完成された守護の石を持つ者だけが生き残れるのだ。希望に到達したと思い安心する奴らにも絶望を与えるのだ。そして真の希望を求め殺し合いがシェルターの中で起きる。それは今よりいい眺めとなる。その日が来るのが楽しみだ」
その言葉に身震いする磯田、この全てを憎む男は容赦なんて言葉は知らないのだ。
「岩峰、その傷はもう治ったのか?」
魔神は今度もう1人の男に問う、
「ああもう大丈夫だ。銃は握れる。そしてあの真紅の男の呪いからも解放された。これで心おきなく奇願者達を殺せる。この俺の銃の餌食に出来る。復讐してやる。全ての希願者達に、あの呪われた石の能力者を根絶やしにしてやる。あの組織の奴らを皆殺しにしてやる」
多数の銃で武装する男はそう答えて磯田を睨む、
「待て、蹂躪の悪魔、この磯田は見逃してもらわないと困る。それに立石も、この俺の役に立つ奴はその復讐の対象からはずせ、だが残りの連中は好きにしてもいい、あの嘆きの魔女はいずこかに逃げた。しかし槍の制御は俺が出来る。なら電子制御の希願者達、奴らにはもう用はない、だから好きに殺してかまわない、しかしお前が忌み嫌う希願者達がここめがけて押し寄せてくる。それを放置しておけるか?我が弟に作らせた戦車がある。それは戦車というよりロボットと言った方がいいか…それをお前に与えよう、虹はあの弟が作りし呪いの兵器でここに来る。その前に炎の悪魔を迎え迎え撃て、それの性能を知るいい機会だ、あの組織の残党を蹂躙せよ。そして呪いを集めて力を増せ、わが銃口になり絶望を産み出せ、奴らに思い知らせてやれ、蹂躙の悪魔よ」
その言葉に岩峰はにやりと笑うと、
「あれを使わせてくれるか、あの鉄屑の巨人と対等に戦えたあれを俺に、それは是が否もない、ありがたく使わしてもらおう」
岩峰、いや、この蹂躪の悪魔はそれが格納してある場所を目指して歩き始める。
「あいつが新たに作り出した兵器に奴が勝てるか見物だな、磯田、あの基地に侵入した兵器の性能をどう思う、あんな物を作るしか能のない愚弟の作りだした新兵器、改良されたあのマシンはそれに太刀打ちできるかな?まず炎の悪魔に対抗出来るか試してみよう」
その言葉に思案する磯田、あの録画映像で見た装甲車の脅威の戦闘能力、あれに太刀打ち出来る兵器は存在するのか?その答えは結果を見るまでわからない、だから、
「残念ですがわかりかねます」
そう答えて頭を下げる。
「奴の執念に賭けるしかないか、あの虹の軍勢に奴に手傷を負わせた者もいるからな」
メタルグレーストーン、人の手で改良された奇跡の石、その石には執念の感情が人工的に封じ込められている。
魔神が見つめる窓の外、そこに飛来するミサイルを迎撃ミサイルが撃ち落とす。
その閃光と火花が地獄の光景を映し出す。
その開戦を知らせる狼煙は上がった。
勝者が決まった戦いが始まる。
なぜなら魔神は槍を制御出来るのだ。
あの巨大な宇宙船を意のままに操れる時が来るのだ。
そんな恐るべき未知の力を操れるのだ。
だから今は見つめているだけで充分なのだ。
世界で初めてその命運を掴んだ男はその世界の全てを憎んでいるのだ。
だから楽に逝かせたりはしない、
全ての者に絶望を与えなければ気が済まない、
だから笑ってその光景を見つめているのだ。
首都圏の防衛ラインの一画は灼熱の炎で燃え上がる。
破壊された兵器、倒れる兵士達、それを全て炎が飲み込んで行く、
「ははははっ!」
高らかに笑うのは炎の悪魔、その成功した自分の作戦に満足の笑いを上げる。
それに協力した能力者達もその虐殺の快感に酔いしれる。
それに普通の人間達、武器を手にした彼らも勝利の歓声を上げる。
そして心から炎の神を崇拝する。
マイケルはその力を見せつけて暴徒達を自分の事を神と信じる信者に変えたのだ。
その噂は広まり集まる者の数が増える。そしてその者に武器を与える。
こうして炎の軍団は勢力を拡大していく、
それを統括するのは組織の残党達、その奇跡の力を目にしてまた信者が増える。
こんな地獄の世界に悪魔を神と信じて希望とする亡者達が集まってくる。
しかし笑うマイケルを冷ややかに見つめて希恵は、
「まだ防衛線の1部を壊滅させただけよ、あの河の向こうに敵軍が増援を呼び寄せているわ、それに河にかかる橋は全て破壊されているのよ、それをどうやって渡らせるの、この人数を?」
その質問に炎の悪魔は、
「それは大丈夫だよ、希恵、僕らにはストロングブルーストーンがいる。紺碧の石は水を支配できるのさ」
それに答えるかのように目の前の川の流れが止まる。
そしてまるでモーゼが起こした奇跡のように流れが割れて道が作られる。
息を呑む軍勢達、その光景に神の力をさらに信じる。
「行け、聖戦士達よ、その道は開かれた。あの魔神の軍勢に立ち向かえ、あの対岸の火事を見物していた者達に炎の恐ろしさを理解させよ、そしてこの聖戦に勝利するのは炎の神だと信じるのだ。ならば奇跡が汝らを救うであろう」
その言葉に一斉に歓声を上げる炎の軍団、そして武器を手に作られた道を突き進む、
「さて、彼らを援護しないといけない、マーガレット、ちょっと行って来て奴らの兵器と武器を破壊してきてくれ」
そう命令された魔法少女は手にした杖に跨ると宙を飛んで対岸を目指す。
対岸を守備する防衛軍、その兵士達は信じられない光景を目にして茫然としていた。
目の前の河がその流れを止めて2つに分かれている。
そこを武装した集団が武器を手に自分達目がけて突き進んでくるのだ。
それはありえない出来事、悪夢の中でしか見られない光景がそこにある。
いち早くその悪夢から目覚めた隊長が叫ぶ、
「何をしている奴らを殺せ!」
その叫びに我に返る兵士達、銃を構え、そして戦車は砲塔を旋回させる。
しかし誰も発砲出来ない、不審に思い手にした銃を見つめる。
それはいつの間にか錆びついている。そして次第に朽ち果てて行く、
戦車も重砲も機関銃も全部錆ついて朽ち果てて行く、
茫然とそれを見つめる兵士の頭上から声が響く、
「悪い奴らはお仕置きよ!」
見上げる頭上、そこには杖に跨る可憐な少女がぞっとするような笑いを浮かべて自分たちを見下ろしている。
その悪夢はまだ終わっていなかったのだ。
そして木霊する銃声が自分たちをその中に封じ込めようとする。
この悪夢から逃れるためにはもう逃げだすしかない、
しかし敗走しようとする兵士、その足取りはなぜか重い、不審に思い足元を見る。
自分が履いていた軍靴がいつの間にか鉛の靴に変わっている。
絶対に脱げない足枷と化している。
魔女の嘲笑が響き渡る。
そして目覚めることのない悪夢の中に兵士達は落ち込んで行く。
「ここから先は迂闊に近づけませんな、あの例の守護石を握った連中がおりますからな」
そう告げる群青の悪魔は高層ビル群を憎げに睨んで見つめる。
「この副都心からが奴の最大の防壁か…まあ今迄が簡単に行き過ぎていたのを不審に思って正解だったぜ、あの城にいるこの地の支配者が奴の手先なのは当然だな」
石崎はそう言って途中から2つに分かれた高層ビルを睨みつける。
「普通の武器では奴らの守護の力には通用しません、それに能力も無効化されてしまう、あの人間爆弾を創り出してももう効果は期待できないでしょう、奇襲攻撃は意表を突いてこそ効果があるのです。その手の内を知られればその意味を失くします。これからが正念場と言ったところでしょうか…」
石崎は腕を組んで考える。そして笑いを作ると、
「奴らは攻撃してこない、ここの防御が最大の目的だからか?それなら都合がいい、いい考えがある。ここを拠点に戦力を増大させるんだ。周の奴に契約書をもっと用意させろ、数の力で奴らを圧倒するんだ。人海戦術、大陸人ならその威力は充分理解出来るだろ、林劉石、お前の国はその力で統一された歴史があるからな、奴らの守護の力も無限じゃない、1人が100人に襲われればその力もやがて尽きる。その時が奴らの恐怖の瞬間だ。それを楽しみにしておけ」
そう告げて石崎は止めてあるキャンピングカーに歩み寄る。
そして中にいる女に声をかける。
「おい世美、未来は何か言ってないか?」
その問い掛けにいらえがある。
「未来はこういっているわ、虹は死者に足を止められる。炎は執念と戦う、悪魔の主は海上で波に揉まれる。だから王様が1番近くに今はいると、だから時間はある焦ることはないと言っているわ」
その言葉に満足した石崎は、
「未来によくやったと言ってやれ、褒美に飴でも与えておけ、その時間稼ぎをする必要がないとわかるのは好都合だぜ、そいつを四天王にしたのは正解だったぜ」
そう言ってその場から石崎は歩み去る。
この恐怖の軍団、『エキスグラメーション』それを構成する大幹部、それは4人の男と女、群青の悪魔、苦痛の魔女、サーモンピンクの魔女と銀の預言者、それを配下に軍団が構成されている。
苦痛の魔女が率いるのは少女の集団、蒲色の魔女がその副官を務める。サーモンピンクの魔女が率いるのは女達の集団、暴力に震える女達に立ち上がる勇気を教えて導く、群青の悪魔は男達を率いている。その副官は青銅の騎士、使命に忠実な騎士の少年、
その野営地には焚き火がたかれ、それを囲む男女が話して笑う、そんな光景が繰り広げられている。そこに設けられた天幕には軍団のシンボルが描かれている。
おの高層ビル群を仰ぎ見る広大な公園に設けられた野営地に集う希望を信じる者達、しかし最後にそのマークの真の意味を知ることになるだろう、
笑いを作る恐怖の王は黙ってその場から歩き去る。
愚か者達は希望に笑え、希望にすがれ、それが偽りだと知らぬことを幸いにすればいい、
恐怖の王は自分の中に孤独を嫌う寂しさの感情があるのを呪う、
それを思い起こさせた相手を呪う、
だからあえてその光景から目を逸らすのだ。
この世界を消し去る存在は寂しがってはならないのだ。
半島を挟む海域、そこが目的地に到る場所の関門、
その制空権を得るために戦闘機が空母から離陸する。
そして陸上めがけてミサイルが発射される。
その海域で海戦が開始されている。
襲い来る魚雷を爆雷が破壊する。
その上空では空中戦が繰り広げられる。
そして偽装された豪華客船の上で悪魔の大統領はその力をふるう。
ステッキを振り上げ過去を変える。
そして撃墜された友軍機がその事実を改竄され飛翔する。
敵軍のパイロットはその眼を疑う、
撃沈されたイージス艦が海上を航行する。
「我らの新大統領に勝利を!」
そんな悪魔の大頭領を讃える声が戦場を駆け巡る。
そして関門を突破した無敵の艦隊は湾内に進入する。
廃車場に辿り着いた装甲車、しかしそこに廃車の山はもうない、
そして事務所から出てくる男に装甲車から降りて美沙希は走り寄る。
そしてその体を抱擁すると油にまみれた頬に口づけする。
「あのマシンは気に入ってくれたかい?」
石崎喜三郎は笑顔の姪にそう問いかける。
「ええ叔父さん、最高だったわ、でも武装が少し物足りないの、あの社長の力がなかったら悪魔の防壁を破壊できなかったのよ、それがちょっと残念ね」
そう言う美沙希にウインクすると喜三郎は、
「そう言うと思っていたぜ、なんせ急ごしらえだ。だから仕事は完璧じゃなかったのさ、でも安心しろ、ちゃんと用意はしてあるぜ、今度は完璧だ。お前もきっと満足出来る最高傑作を用意した。材料はその為に全部使ってしまったが」
そう言って喜三郎は廃車の山のあった辺りを見廻す。
「とにかく最終調整が必要だ。その眼鏡に手伝ってもらう、それと平次、その装甲車をガレージに運べ、残りの者は事務所の中で休んでいてくれ、ささやかだが食事も用意してある。頑張ってもらわないと困るからな、あの兄貴の野望を止められるのはお前らしかいないと信じているからな」
装甲車から降りた者達は無言でみんな事務所に向かう、さっき目撃した悲劇の光景に心痛めた者達には今は何も言う気力もない、
ガレージに装甲車を押していく平次の後ろを歩く達彦、ノートパソコンを大事に抱える。
そして横を歩く男に質問する。
「教えてくれないか、あんたはどうしてあんな物が作れるのかその理由を」
その言葉に、にやりと笑うと喜三郎は、
「お前、SF小説は好きか?」
と逆に問うてくる。
「SF小説?いやあまり読んだ事がない、僕が読むのはコンピュータ関係の書物だけで、それで得た知識で頭の中で複雑な電子回路を思い描く事が出来る。このマシンはそうやって作った最大の情報容量端末だ。今は李美と呼んでいる。僕の最愛がこの中にいるからね」
その返答に満足げに頷くと喜三郎は、
「そうだSFは空想科学ではない、お前が手にしているのはその証明、なら空想の世界は存在する。だから異星人も未来人も存在する。そのテクノロジーは実在する。なぜなら俺はそれを目にしたんだからな」
そう告げる男、自動で開く広大なガレージのシャッターの向こうにとんでもない物がある。
「ロ、ロボット?それもアニメのメカのような外見をしている。あの自動機械なんてこれに比べたらおもちゃに思える。動くのか?このマシンは…」
思わずそれの感想を漏らす達彦に喜三郎は、
「もちろん動くぜ、これが美沙希の体となる。あの鬼の里には遺跡があってそれを俺は調査した。驚くことにそれは宇宙船の残骸だった。未知のテクノロジーはそれで学んだ。今までその秘密を隠していただけだ。いや、兄貴に強要されて1つだけ作ったか…まあ、あれは失敗作だから別にいいか、お前にはこの理論を正しく認識してもらう必要がある。そうじゃないと力を発揮出来ないだろ?だから装甲車の改良に立ち会う必要があるのさ、なに、そんなに時間はかからん、夜までには完成する。合体分離機構と粒子砲の装着、それに呪いの力の付加、そいつは今よりでかくなるが仕方がない、それが通れなければ破壊してでも道は作れるからな、それに自動制御も付けんといかん、美沙希が分離したらお前がコントロール出来るようにしないといけないからな」
そう言って喜三郎はガレージの中に入って行く、思わずノートパソコンを開く達彦、そして問いかける。
「教えてくれ、あの男は何者なんだ?」
ノートパソコンのスピーカーから少女の声の音声が流れる。
「いしざききさぶろう、まじんのおとうとのひとりなの、アルミのいしのきがんしゃよ、そののうりょくはきかいのかいぞうとそうぞう、ぶつしつまでへんかんできるの、おもいのままに、そのおとこがやりのテクノロジーをしった。だからあんなものをつくりだせるのよ、でもあのおとこにはやしんがない、それをだいしょうにえたちからだから、だからあにからぐていとよばれる。だからあにをにくんでいる。あのきかいのおうはまじんにはけっしてかたんしない」
その言葉に無言の達彦、そこに、
「おい、なにぐずぐずしている。そんな所でいちゃついてないでさっさと仕事しろ」
そのノートパソコンを閉じて達彦は歩き出す。
あの機械の王が自分を呼んでいるからだ。
事務所の中は沈黙に支配されている。
助けたい、助けたかった。
そんな思いが皆の心の中にある。
しかし美沙希は装甲車を止めずにここまでやって来た。
それを抗議する皆にこう叫んでここまで来た。
「1人2人を助けてそれが何になると言うのよ!いい加減に文句を言わずに黙って見てなさい、こんな事が世界中で起きているのよ!スーパーマンでもその全ては救えないでしょ!だからその元凶を倒すしかないの、それがわかれば文句は言うな、馬鹿!」
そう叫ぶ美沙希も涙を流す。
それにもう何も言える者はいない、
事実そうなのだ。
だから誰も何も言えない、
脳天気が売り物の男でさえ涙を流してその地獄の光景を見つめてきた。
あの他人に関心のない幼女さえ泣いた。
家族の悲しみが伝染したから、
1人李源だけは涙を流さない、なぜなら泣くことを許されていないから、その両の眼は石だから、
いやもう1人泣けない少年がいる。
そして泣けない少女も、
抱きしめ合うことでその感情と必死で戦う2人がいる。
決して泣けないのに心だけが悲鳴を上げているからだ。
そんな状態は事務所の中でも続いていた。
誰かが何か言うまで動けない、そんな魔法にかかったように、
やがて皆は1人の少年を見つめ始める。
ソファーに座り込み頭を抱える少年を、その自分達が希望とするたった1つの存在を、
その視線に気づいたのか希一郎は顔を上げる。
そこには自分を見つめる人たちがいる。
希望の目で自分を見つめる者達が、
「そんな…」
思わず叫びかけた言葉は途中で遮られる。
自分を殴る少女によって、
「そんな言葉はあなたには言う資格はないわ!」
涙を流す少女は兄を叱責する。
「痛いよ、美希子…わかったからもう叩かないでくれ…」
怯えたように妹を見つめる希一郎、世界でただ1人だけその力で自分を支配できる存在に怯え思わず愛にすがりつく、
「キーみんな悲しい、それ同じ、リリーも悲しい、だからさせてあげて、安心、みんなそれが必要、希望、いいか、王様らしくしないと美希子泣きやまない、叩かれる嫌ならそれをする」
希一郎を優しく抱いてリリーはそう告げる。
「王様らしくって何だ?」
そう尋ねる希一郎に美希子が、
「こんな時は気の利いたセリフを言ってみんなを元気づけるのよ、それが王様の仕事、何の役にも立たないあなたが唯一出来る事なのよ」
そう言われてもなんて言ったらいいかわからない、しかし命令された以上何か言わなければならない、
ソファーから立ち上がり希一郎はみんなを見廻して、
「ごめんなさい」
そう言って皆に頭を下げる。
しばらくの沈黙のあと、みんなが一斉に笑い始める。
笑えない少年まで目をおかしさに写している。
「はははっ、わかったから謝るなよ、王様が、あれが君のせいだなんて誰も思っていないから安心しろよ、でも僕らに謝るのはお門違いだ。謝るのは君に頼ってくる絶望にだよ」
宇藤のその言葉に希一郎はナイフを取り出して石を見つめる。
その希望にすがる絶望を集める石は何も言わずただ7色に煌いている。
それを見つめ大男が、
「そんなことより飯にしょうぜ、せっかく用意してあるんだ。腹が減っては戦はできんからな」
そう言って机の上の食品に手を伸ばす。
「ここでご飯を食べるのは2回目ね、でも随分昔のことのように感じるわ」
そう言って絵里もパンに手を伸ばす。
「またジャムパンか、好きなのかそれが?」
そう言って多舞にシュークリームを手渡す羅冶雄を絵里が睨んで、
「別にいいでしょう、何が好きだなんて」
しかしそれに大男が、
「絵里ちゃんは猫を被るのが好きなんだ」
そう言って多笑美が創り出して抱く猫を取り上げ絵里の頭に乗せる。
「きーっ」
それに逆上する絵里は腹いせに羅冶雄の顔面を殴打する。
「何でいつも俺が?…」
そう言い残して気絶する羅冶雄、
その光景に思わずみんなが噴き出す。
「なんであれ王は役目を果たしたみたいじゃ、皆は元気づいておる。よかったかのう」
菓子袋をあけて貪るように食べる李源は美希子にそう言って笑みをうかべる。
「馬鹿みたい、お兄ちゃんは本当に駄目な人…」
呆れたようにそう言って涙を流す少女は石を見つづける兄を見つめる。
「何か食うように言わんと、やつは何も食わんぞ、はよう命令してやれ」
そう言われて美希子はしょうがないなと言う感情を表情に浮かべ兄の許に歩み寄る。
その様子を見つめる李源しかしその眼は他の場所を見つめている。
「1番出遅れたのはやはりわしらか…しもうたがしかたないの、今宵はそれを挽回するため急がなならん、しかし黄昏の魔女の罠を突破しないと先には行けん、何か手だてを考えておかんと…」
落日はその色をさらに赤く世界を染める。
その瞳の色の魔女は沈む夕日に笑いを浮かべているだろう、
沈まぬ夕陽を求める魔女は昼に輝く太陽が嫌いなのだ。
だから夜にその魔力は増大する。
その行先の困難を知らぬ者達は語り笑い団欒する。
その様子を見つめ李源は黙って菓子を貪る。
しばらくの休息はマシンの完成で終わりを迎える。
それを告げられ事務所から出てきた一同は変化した車体を見て唖然とする、
「またでかくなっていないか?」
そう感想を呟く大男、彼は大きな乗り物が苦手なのだ
「でも乗っていても横揺れも何も感じないの、だから大丈夫だと心がそう言っているからそう言うの」
眼鏡の女性がそう言って自分をなぐさめる。
2人は顔を見わせてお互いの心情を語りあう、
「凄い…凄すぎるわ、おじさん」
そのマシンに感動した美沙希が思わず叔父を抱きしめる。
「操作方法は言わなくてもわかるな、この俺の最高傑作だ。色もちゃんと金色だ。それにマークもちゃんと入れてあるぞ、かっこいいように少しアレンジしてあるが、どうだ?気に入ってくれたか?」
虹の半円にミラクルストーンズの英語のロゴ、それを見つめて絵里は満足そうに語る。
「ネーミングしたのは私よ、かっこいいネーミング、そう思わない?」
しかしそれに幸一が
「そのまんまみたいででなんか味気ないけど、これを見て馬鹿にされなきゃいいんだけど」
そう言って感想を呟く、そして絵里に睨まれる。
「おいメガネ、マシンの構造はちゃんと理解できているな、この前みたいにすぐに使えないんじゃ意味がないんだぞ」
興奮して男口調になった美沙希が達彦に詰め寄る。
「構造も原理も理解したから大丈夫だよ、君の体は全て見た。そして自在にコントロール出来るよ、もう任せてもらって大丈夫だ。大事に扱うよ」
「なんかあいつ危ないこと言ってないか?」
達彦のその言葉に勇治が宇藤にそう耳打ちする。
「僕もそれに同感だ。なぜかパソコンに女の名前をつけて大事に持ち歩いているんだ。あいつはきっと変態だ。同じ眼鏡仲間かと思って親近感を感じていたけど今はなぜか恥ずかしく感じるよ、僕も同類と思われないか心配だ…」
自分を見てひそひそ話をする少年を怪訝そうに見つめて達彦は副操縦席に乗り込む、
新しく改良されたその車体は2つに分離されている。大型トレーラーを1回り大きくしたような外見をしている。それは一見しただけで分離機能があることがわかる。
その本来の操縦席には美沙希が1人で乗り込む、
更に武装も追加されている。
機関砲はトレーラーの貨車となった装甲車の上に4連装式が2門に増えさらに砲塔と思える巨大な筒がその両サイドに取り付けられる。
推進機関はその数を4つに増やしその間にミサイルポットが8つある。
それには怪獣が合体してより強力になったイメージがある。
副操縦席はその貨車の部分にある。
そこに乗り込みノートパソコンをセットする達彦、そしてそれに呟く、
「君はあんな光景をいつも見ていたんだね…」
しかしパソコンは何も答えない、
「あんな悲しい光景をもう君に見させてたまるか!」
そう叫んで達彦はマシンの電源を全て立ち上げる。
車外ではそれに乗り込もうとする者達が1人の少年を見つめている。
誰ももう気の利いたセリフなんか期待していない、
でも何か言ってほしくて待っている。
しか希一郎はナイフを取り出しそれを大剣に変えるとそれを高々と振り上げこう告げる。
「希望を!」
その言葉に皆は手を振り上げて復唱する。
『希望を!』
それで充分だった。
それで意思は通じあった。
なら後はそれを信じて突き進むだけでいい、
希望を手にした者達が全員マシンに乗り込んでいく、
それを見送る油まみれの男は煙草を咥え火をつける。
やがてマシンは動きだす。
希望を積んで走り出す。
そして絶望と戦うために走り去る。
それを見送る男の口から煙草が落ちる。
あのマシンに生命力を与えるための奇跡の代償が訪れたのだ。
文字通りあのマシンにはこの男の心血が注ぎ込まれているのだ。
だからもう立っていられない、次第に意識が遠のき倒れ伏す石崎喜三郎、
その体はもう呼吸していない、
寒風にさらされるその死体はしかし満足の笑みを浮かべているのだ。
最後に自分のしたことに満足して死んだのだ。
その手からこぼれる奇跡の石は新たな持ち主を求めそこから消える。
新たに希望を求める者の手に握られるために。