第99回 懐かしい思い出
胸を押さえ苦しむガゼルに、一歩一歩と歩み寄るティル。
土を踏みしめる音が、風で揺れる木々の葉の擦れ合う音の合間に時折聞こえる。そのティルの目を見たワノールは、黒苑をゆっくりと鞘に戻し、ティルが自分の前を通過する時に口元に笑みを浮べる。カインも静かに青空天を鞘にしまい、ウィンスも刀を鞘にしまった。
細身の刃の剣に変えられた天翔姫の柄を握り締めるティルは、その切っ先を胸を押さえ苦しむガゼルの鼻先に向けた。苦しそうに顔を顰めるガゼルは、かすれた声で言い放つ。
「やれ。殺せ」
「お前を殺すつもりはない」
「何だと!」
天翔姫をボックスに戻すティルを睨むガゼルは、苦しそうに歯を噛み合わせ微かに口に血を滲ませる。その血は、歯と歯の間から流れ、口元から毀れ点々と地面に滴れた。もう体は動かず、遂にガゼルの体が地面に崩れ落ちる。
カインもウィンスもそんなガゼルを見据え、悲しげな表情を浮かべる。その時、空から大きな槍を二本担いだヴォルガが降り立った。音もなく地に着地し、ゆっくりと顔をあげるヴォルガに対し、カイン・ワノール・ウィンスは柄に手を掛ける。静かにヴォルガは横たわるガゼルの体を持ち上げ、ティルの方に顔を向け、ゆっくりと背中の槍に手を伸ばす。その行動にティルは微かに笑みを浮べ、ゆっくりとした口調で言う。
「お前の言いたいことは分かってるさ。コッチとしてもこれ以上怪我人を出したくないんでな。さっさとそいつを連れて行ってくれ」
「すまん。今回の事は、コイツの独断だ。俺としても無駄な戦いはしたくないし、今、仲間を失うのは痛手なんでな」
深々と頭を下げ、ヴォルガはその場を去った。ワノールもカインもウィンスも、誰もティルの判断に文句は言わない。それが、今の最善の判断だと誰もが思っていたから。
額と口元から血を流すフォンの傍にはルナの姿があり、右手をフォンの胸の位置に翳していた。獣と化した事もあり、フォンの体は酷く痛んでいる。その為、ルナも最大限の力でフォンの傷を癒す。
その光景を見据えるティルは、今日はもうここで休むしかないと、確信しワノールとウィンスをつれて枯れ枝や何か使えそうなものを探しに出かけた。一人残されたカインは、フォンとルナの事を気にしながら、その辺の草を青空天で刈っていた。
「何だか、一人だけ残されると、寂しいな。ルナの邪魔するわけにも行かないし、こうして独り言をぼやいてるのも変だし……」
草を刈りながらそんな事をぼやくカインは、手を休めルナの方を見据える。相変わらず、表情は変わってないが、それでもルナの必死さがカインには分かった。ため息を吐くカインは、青空天を鞘におさめ、もう一度ため息を吐く。
「やっぱり、僕じゃ駄目なのかな……」
そうぼやいたカインに、背後から声がする。
「何が駄目なんだ?」
「うわっ!」
突然の声に、少々悲鳴の近い声をカインは上げ振り返る。そこには、両腕に枯れ木を抱えるティルの姿があった。
「い、いきなりなんですか! ティルさん! いるなら、いるで言ってくださいよ!」
「そんなに驚く事はないだろ?」
両腕に枯れ木を抱えたままティルが不思議そうに首をかしげた。胸を右手で押さえるカインは、乱れた息を整え言う。
「は、早かったですね。ワノールさんとウィンス君は?」
「俺の方は早めに切り上げてきた。あんまりうろつくと昔を思い出すからな」
「そ、そうなんですか」
少し悲しげな表情を見せながら、ティルは微笑みカインは少し引き攣った笑顔を見せた。両腕に抱えた枯れ枝を地面に置いたティルは、焚き火を熾す為に枝を並べ始める。ようやく、落ち着いたカインも、ティルと一緒に枯れ枝を並べた。
静かに時は過ぎ、夜が来る。空はすっかり紺色に染まり、灰色の雲が光を放つ月を包み込んでいる。その為、辺りは暗く焚き火の明かりだけがティル達を照らした。時折、吹き抜ける風に、火が揺れ火の粉が舞い上がる。そんな焚き火を囲むティル・カイン・ワノール・ウィンスの四人の間には沈黙が続く。
フォンの体を癒し終えたルナはすでに眠りに就き、フォンは未だ目を覚まさない。沈黙が続く中、ボソッとティルが口を開く。
「あいつは元々俺と旅する仲間だった」
突然の事に渋い表情を浮かべるワノールは、立ち上がり静かに背を向け歩き出す。ウィンスもワノールと同じ様に立ち上がり大木の方に向って歩き出した。驚くカインは立ち上がり二人に叫んだ。
「ど、何処行くんですか! 二人とも!」
「言ったろ? 俺は他人の過去など興味はない」
「そ、そんな! ワノールさん!」
「俺も一緒だ。人の過去を知った所で、俺達にはどうする事も出来ないし。それに、どんな過去があったにしろ、俺はここに集まった皆を信頼してるからね」
ワノールもウィンスもそんな事を言ってそれぞれその場を去っていった。立ち尽くすカインは、去ってゆく二人の黒い影を交互に見据え、それが見えなくなるとティルの方に体を向ける。落ち着いた様子のティルは、少し肩を落すカインの顔を見据える。静かに腰を下ろすカインは、揺れる焚き火を真っ直ぐに見据えて、申し訳なさそうにティルに言う。
「あ、あの〜っ。さっきの話の続き、聞かせてくれませんか?」
「改まってどうしたんだ。それに、俺が話したいから話すんだ。別に聞いて欲しいとかじゃない。ただ、聞いてるフリをしてるだけでいいんだ」
「えっ、で、でも」
「まぁ、俺もそろそろ過去を忘れて今を楽しまなきゃいけないんだよな」
そんな事を言うティルはふと空を見上げ、微かに光る雲を真っ直ぐに見つめる。そして、次第に雲は流れ、少しずつだが月が顔をだした。その場に居る皆を照らす明るい月明かりに、カインも顔をあげ空を見た。
「綺麗ですね」
「あぁ」
夜空を見上げたまま黙り込む二人。微かに微笑むティルを見たカインは、何だか安心した。あんな事があったから、まだ引き摺ってるんじゃないかって思っていたのだ。でも、この様子だと心配は無さそうだ。
静かに吹き抜ける風に、髪を揺らすティルは、空を見上げたままゆっくりと口を開く。
「あいつと俺は、仲が良くてな。色んな村を旅したものさ」
「あの人とですか? そんな風には見えませんでしたよ」
「昔の話さ。五年も昔のな――」
五年前――。
当時12歳の俺は、三人の仲間と旅をしていた。その中にガゼルの姿もあり、今では真っ赤な髪をしているが、当時は真っ黒な髪をしていた。他にレックって言う少し変わり者とデジスって言うしっかりした奴が居た。
俺がガゼルに出会ったのは、村が襲われてすぐで、剣術について色々教わった。それから、暫くしてレックとデジスの二人と出会い、旅をする事になった。何もかもが順調で、旅は楽しいものだった。あんな事が起きなければ。
あの事件がおきなのは、東の大陸フォーストを旅している時だ。薄暗い道を歩き続ける俺達は、一つの村を見つけた。
「や、やっと村が見えた」
「今日はここで休もうぜ」
レックとデジスがそう言う。もちろん、歩き疲れていた俺もガゼルもこの村で休む事に賛成した。村に入り宿を見つけると、その宿を借り皆思い思いに部屋に篭った。その夜、事は起きた。トイレに出た俺は、レックとデジスの部屋の前をたまたま通りがかった。その時、声が聞こえる。
「上手い事ここに誘い込めたな」
「あぁ。長かったな」
「しかしよ。まさか、こんなに簡単にいくとは思わなかったぜ」
「炎血族であるあいつさえ、渡せば大金が入る。このさい、ティルの奴もやっちまうか?」
「そうだな。あいつ生意気だからな」
俺はその言葉を聞いた瞬間、怒りがこみ上げてきた。そして、次の瞬間レックとデジスの部屋に踏み込んでいて、レックとデジスに刃を向けていた。レックもデジスも驚いた表情を見せ、窓から外へと逃げ出す。俺は、それを追う様に窓から飛び出し夜の村を駆けた。大勢の村の人が脳道具を構えていた。まるで、こうなる事が分かっていた様に。
俺はこの瞬間、無我夢中だった。ただ、ガゼルがこいつらに捕まると思うと、必死で剣を振るった。沢山の血が飛び散り、沢山の人の命を奪った。返り血を浴び所々赤く染まる俺は、怯えるレックとデジスを見下していた。この時の俺の頭には人と言う理性など無く、ただの人を殺す魔獣の様だった。俺が二人に剣を振り下ろそうとした時、ガゼルが騒ぎに駆けつけた。
「な、何があった! ティル! お前、まさか!」
「た、助けてくれ! ガゼル! コイツが俺達を!」
レックもデジスもガゼルに助けを求めた。もちろん、何も知らないガゼルは俺を止めようとしたが、俺は剣を振り下ろしガゼルの前で二人を殺した。それから、ガゼルの髪は真っ赤に染まりそれっきり元には戻らなかった。俺も、それから仲間は信じず一人で旅をした。
少し遅れました。すいませんでした。色々立て込んでまして、更新が暫し途絶えていたんですが、何とか更新できました。
また、明日も更新したいと思います。もう100回になるんですね。嬉しいですね本当。読者の皆さん、ありがとうございます。